地獄は終わる
柳と会えなくなったのは、雨の降る日だった。
その日、玄森は虫の居所が悪かった両親の鬱憤晴らしで角材で全身をボコボコに殴られた。
このままでは殺される、と這いずりながら玄関に逃げようと体が動いていたのだが、その姿を見た両親は『ウジ虫が、早くくたばっちまえ』と言って止めの一撃として頭に思いっきり角材を振り落とした。そこからしばらく意識が飛んだ。
目を開けたときにはどうやら自分は打ち捨てられ、雨ざらしになっているようだ。
大粒の雨が、頭部からの出血で血みどろになっている玄森を更に濡らしていく。
寒い。だが身体を動かすことはできない。
頭に強い一撃を食らったせいか、石畳の上にいるのは辛うじて感触で判るが、視界もぼやけてうまく機能していなかった。おそらく玄関に捨てられたのだろう。
玄森の実家はスラム街の中心部にあるが、両親は周囲の住人ともトラブルを頻繁に起こしていたようで、腫れ物に触るように接されていた。
周りではヒソヒソと誰かが小声で喋っているような気がする。
「助けたいけど…」
「シッ、窓からあの夫婦が見てるよ」
そんな声が聞こえた。
「ウルシ君…!?」
柳は「また明日」と約束していた玄森が空き地に来ないのを気にして、彼の家の近くまで来たようだ。
「…」
未だ口も動かせないほど衰弱している玄森を見て死んだと思ったのか、すすり泣きながら柳はパタパタと走り去っていってしまった。
それからしばらく玄森は放置されていたのだが、柳か見かねた誰かが通報したのだろう。
『大丈夫か!?』という男性の焦り声が聞こえた。
「少年、しっかりしろ!クソ、呼吸も弱い…!おい、今すぐこの少年を運べ!」
男性は鬼気迫る声で玄森の身体を一緒に来たと思われる他の人物に渡し、駆け出して行った。
玄森が最初覚えていたのは、ここまでだった。だが柳と何回か会ううちに、その後のことを思い出した。
「ん…??」
玄森が意識を取り戻すと、そこは白いベッドの上だった。
初めての清潔な環境に玄森は驚いて反射的に跳ね起きようとしたが、身体が悲鳴を上げて激痛が走る。
「先生、少年が意識を取り戻しました!」
たまたま側で心拍数を見ていた看護士が驚いて、先生とやらを呼びに行った。
「奇跡だ…!君はかなり危ない状態だったんだよ」
おそらく医者だろう。その人物は超然とした人物で、白髭を蓄えた老人だった。
「あ、あの…。僕は…」
自分の声がうまく出ない。そういえば、喉元も殴られたのだった。
「落ち着いて。君のペースで、色々と聞かせてくれ」
「で、でも。ここにいたら…父さんたちが…く、る…」
自分がこんなところにいては、両親が多方面を捲し立て迷惑をかけてしまう。
怯える玄森に、医師は「ああ…」と呟いた。
「心配ない。ここは軍の指定病院だ。それに、君の御両親は投獄されたよ」
「とう…ごく?」
「君のことだけではなく、様々な違法行為をしていた。あの日、丁度拘束する予定だったんだよ」
両親は虐待以外にも暴行、殺人、詐欺など数えきれない犯罪を犯していると医師は言った。
「その罪で二度と、社会に放たれることはない。だから安心するんだ」
その言葉を聞いて玄森は安心したのか、よかったと呟いてようやく少し安堵の笑みを浮かべるのだった。