タイムリミット
血液採取や脳波検査などといった害のないものから、記憶の解析・操作といった際どいものまで、詠斗は側に居なければならないと黄瀬は言う。
無論、危険な実験に付くことは十分覚悟している。それが研究員の務めでもあるからだ。
詠斗としても、サオリから目を離すことはしたくなかった。
いつ、何をされるかが分からない。
「願ったりですが…私がいる以上、サオリさんの心を喪わせることだけは阻止しますよ」
緩みのない真剣な表情をする詠斗に、黄瀬は「分かっているよ」と頷いた。
「先にサオリさんの所に戻っていてくれ。また、私が迎えに行く。基本的にサオリさんに検査以外でコンタクトを取れるのは私と詠斗君の二人になっているからね」
もう行っていい、という黄瀬をジト目で見て、詠斗は立ち去った。その様子を、黄瀬は哀愁漂う目で追いかけていた。
「…期待はしている。君が起こせる奇跡をね。だけど…」
――――同刻、柳の個室――――
柳は自分のいる建物の気忙しさに気付く。あの悪夢を見てから、広範囲のヒトの息遣いや鼓動が騒音レベルで聞こえるのだ。
悪夢直後は比較的静かだったのだが、ここ数日周囲を通る人たち(おそらく研究員)が忙しさでストレスを溜めているようだった。
バクンバクンという速足な心臓の鼓動が延々と聞こえ精神がやられそうなときは、礎を呼ぶようにしている。礎も『辛かったら呼んでほしい』と言っていた。
今日も過敏な知覚に耐え兼ね、礎を呼んだ。
「お辛そうですね。例の騒音ですか?」
礎は個室に到着すると、いつも出してくれる白いカプセル錠剤を1錠、水の入ったコップと共に差し出した。
この薬を飲むと、数時間は騒音がピタッと収まるのだ。
「また…激しく聞こえて…。こんなことで呼ぶのは申し訳ないです」
錠剤を飲んだ柳は、肩をすぼめて礎に謝る。
いつもはなんでもない、ちょっと聴覚過敏なだけという礎が、何かを言いたそうだが言葉に出せない様子だ。
「本当は…させたくないのですが…」
礎は柳の様子をどこか哀愁の漂う目で見つめていたが、そう呟いて目線を切らした。
「何か…変わったことでも?」
柳には何を意味することか分からないが、礎は指示されて柳に何かをしようとしている?
「礎さん?どうしたんですか?顔色、悪いですよ」
言葉に出せない礎の顔色は、入室した時よりも白くなっていた。
柳が何も意図せず聞いても、口元を和らげずキュッと結んでいる。
「…一つ、聞いてもいいですか。柳さんは玄森隊員の事、どう思ってますか」
「はい?」
何を聞いてくるのかと構えていた柳は取りこし苦労だったと心の中でズッコケるが、それが礎の本当に知りたいことなのだろうか。
「前もお話した通り、昔に会っているような感じにさせられる人です。すごく懐かしい、いい思い出だったような気がします。だけど、何も分からない人。そして私も、今はそのことを追求しようとは思いません。今が十分、幸せですから。ただ…」
「ただ…?」
「記憶に残っていた玄森さんにソックリな幼い男の子の事だけは、探したいなと思っています。目を覚ました時の私が、唯一覚えていた記憶です」
柳の頭の中では、その幼い少年が玄森であると結びついていない。
だが、その少年時代の彼には強い想いを持っているという事だ。
「そうですか…。実は今日、もう一度検査があるんです。おそらく最後の検査。これが終われば、柳さんは住・食が保障された指定施設に移動になります。外出も仕事も自由になります」
「え?」
「私はしばらく、柳さんの様子を観察するために定期的に回りますので。安心してください」
礎がそう言っても、柳はまだ混乱しているようだ。
「きゅ、急ですね…でも、礎さんに会えなくなる訳ではないんですね。安心しました」
柳が微笑むと、礎はその表情を直視できないと顔を逸らす。
「礎さん、今日はなにか様子おかしいですよ。何かあったんですか」
「いえ…何も。行きましょうか。丁度検査の時間なんです」
気のせいだろうか、礎が一筋の雫を零したような気がした。