柳、目が覚める
「お疲れ様でした、桜井司令官殿」
会議室から出てきた桜井を、永瀬が出迎える。
「…桜井司令官殿?」
普段話しかければコロッと明るい表情に変わる桜井が視線を上げないことを感じ取り、永瀬は違和感を感じたサインである<サングラスの左縁を擦る>動作をした。
それでもしばらく桜井は無言のまま入口の前で棒のように突っ立ったままだった。
永瀬の声が聞こえていないようだ。
「桜井司令官殿!」
大きめに発声し、パンと桜井の背中を叩く。桜井が考えに溺れるときに我に返すルーティンとして決めていることだ。
「あ、ユタカ…」
ようやく永瀬のことを認識した桜井は、柄にもなく子ウサギのようにオドオドしていた。
「ごめん、ユタカ。考え事をしてたんだ」
「存じておりますよ。会議で何があったのか…詳細は司令官殿から直接ご説明願いたいですね」
永瀬は耳がいい。防音措置を取っていても、永瀬には筒抜けだ。
「<クローデル>を、目覚めさせなきゃいけなくなったんだ」
桜井の言う<クローデル>は、柳が持つ本来の能力である。
騒ぎの時に発現した能力は、序の口の威力。本来の彼女の能力はその数倍以上の瘴気を操る。
「会議前にお話されたことですか…」
「本当の<クローデル>は、既に痕跡としてしか残っていない。本領発揮は極めて難しいかな…。でも、芹馬高官から見れば、今の段階でも魅力的に見えるんだろうね」
『本当の柳祥子』もいないし、と桜井はため息をついた。
「どうされるおつもりで?」
「研究方針を切り替えるしかない。ミナミは嫌だろうけど、玄森特殊隊員をうまく使って能力開花を促そう」
「承知いたしました」
「プロットは明日までに仕上げるから、転送お願いね、ユタカ」
「御意」
礎は静養している柳の元を離れなかった。
実験直後から比べると荒い呼吸や大粒の汗は落ち着き、消耗した体力を回復するために深い眠りに入っているようだ。
体温も平熱に戻り、スースーと静かな寝息を立てているのを見ても、礎は不安で仕方なかった。
今度はこのまま目覚めないような気がしてしまうのだ。
あまり女性に触れるのは好ましくないと思いながら、もう一度礎は柳の頬に触れた。
脈打ち紅潮していたあの時とは違い、ややぬるい人肌のぬくもりを感じさせる平穏に戻っていた。
「んん…。礎、さん…?」
深い眠りから覚めた柳が、ゆっくりと目を開ける。
「柳さん。目が覚めましたか?」
礎の輪郭が、柳の目でハッキリと形を結ぶのにもやや時間がかかったが、礎が鮮明になった瞬間柳の目には涙が浮かんだ。
「礎さん…よかった、礎さんだ…」
「柳さん…。ごめんなさい。私が側に居れば、あんなことにはならなかったんです」
後悔をにじませる礎の手を、柳は優しくキュッと握った。