柳の異常
検査室のあるフロアは、異様な気配に包まれていた。
足を踏み入れた瞬間に、身体全てに生ぬるくへばり付き舐めまわすような不快としか形容できない空気が這う。纏わりつく空気を吸えば心が悪い意味で騒めき、瞬時に過去の嫌だった記憶や魘された悪夢がざわざわと蘇ってくる。
記憶が鼓動のような衝撃となって甦るたびに、礎は『過去だ!』と叫んで打ち消した。
不快な感情を無理やり現実を見ることで抑えて進むと、検査室の方から阿鼻叫喚の声が漏れ聞こえてくる。
これは柳の能力だ、と確信した。
しかも一番厄介な『発狂型』を発動させている。
『発狂型』は広範囲にいる人間を無差別に包み、瘴気を食らった人間の嫌な記憶を思い出させ言葉通り<発狂>させる能力だ。
何をしたのかは知らないが、早く止めなければ彼女も肉体・精神的に大きく疲弊してしまう。
『発狂型』は柳自身も蝕む可能性のある危険な力だ。本当の記憶は消去されているとはいえ、能力者の記憶共鳴を軽視してはいけない。
礎は狂気を振りほどきながら、一歩ずつ検査室に近づいた。
検査室の扉は全開になっていた。
入り口には白目を剥いて気絶している検査員が倒れているが、気にかけている時間はない。
処置部屋の扉も既に開いていて、ベッドに拘束されている柳の姿が見える。
「やめて、殴らないで!死んじゃう、ウルシ君が死んじゃう!やめて!」
柳本人も悪夢の中に居るようだ。
まだ生々しい記憶を見せられているのか、脂汗を掻きながら柳は大声で叫んでいる。
その声は切羽詰まっていて、苦悶が感じられた。
柳の周りには『殺傷型』が放たれたのか、壁に無数の斬り砕き跡が刻まれている。
「柳さん、柳さん!聞こえますか!」
瘴気がますます濃くなるが、ここで礎が砕けるわけにはいかない。
一気に駆け寄り、柳に必死に声をかける。
同時にストレスカウンターに仕込んでいる鎮静剤も打ち込むが、柳の悪夢は解けそうにない。
ヘッドギアが付いているが、これは礎の腕力では剥がすこともできない。
制御室は完全に内側から鍵をかけられ、開けることもできないのが追い打ちをかける。
制御が正常なのかどうかも分からない状態だ。
「柳さん、柳さん!これは夢なんです!」
「どけ!」
礎からやや遅れてまもなく、ゼーゼーと息を吐いた玄森が入室してくる。
「祥子!起きろ!」
「やめろ、お前に出来ることなんて何もない!下がってろ!」
礎が思わず怒声を上げるが、玄森は全く意に介さずにヘッドギアに付いているケーブルをブレードで断ち切った。