猫と君と僕と
目を覚ましたのは、太陽が昇りきった後だった。酷い二日酔いに頭を揺さぶられる。体を起こすことすら億劫に思われたが、喉がひどく渇いていたので、冷蔵庫に入れていたミネラルウォーターを飲む。冷えたミネラルウォーターが体を巡るのを感じて、意識と記憶が再び僕の体に蘇る。
「人間みんなくそったれだ。」
呟いて、笑う。横で寝息を立てる裸の彼女を横目に、蝉の声を聞いていた。
羽瑠が起きたのは、僕が目を覚ましてから3時間も経ってからだった。
「ブラジャーとって。」
彼女もまた二日酔いの被害者だ。頭を抑えながら、布団の下の方に転がっているブラジャーを指さし、僕を呼ぶ。
「もう3時半だぞ。」
と、声をかけながら、落ちているブラジャーを放った。上半身を隠す気は一切ないらしく、彼女は両手でそれを取って、体に付け始める。
「この水、飲めるやつ?」
と、彼女が尋ねてきた。パソコンに目を向けたまま頭だけを縦に降って返事をする。背中から、ペットボトルのキャップを開ける音が聞こえる。
「またサボっちゃった。起きてたなら起こしてよねー」
「僕が起きたのも昼過ぎ。」
「ほんとにそろそろ単位がやばいんだって。」
「何とかなるだろ。応援してる。」
このやり取りをするのも何度目だろうか。彼女とはじめて寝た日から、毎回しているから、そろそろ30回記念とか、そういうレベルだろう。
「てゆーか。今日浩一と約束あるんだった。」
「嘘だろ、何時から?」
「4時に駅前のカフェ。シャワー借りるよ。」
「了解。」
羽瑠はわざとらしく慌てながら、風呂場へ走っていく。少し大きめの欠伸をして、パソコンを閉じた。
何が目的で、大学に入ったのだろう。この街に来て、何を得たのだろう。無気力に日々を過ごしている。単位を落とさないように授業に行き、バイトに行き、セックスをする。
ルーティーン化した生活は僕の感情にさえこびりつき、無気力を助長する。高校生だった頃、大人に夢を見ていた。大学に入り、いずれ自分の、何か大きな目標だったり、夢だったりを叶えるために必死で勉強していた。あの頃は盲目だったと思う。今と同じくらいに。
浮かんだ思案は、結局どこにも着陸することはないまま、ガラッ。という音にかき消された。
「時間結構やばいから出るね。片付けの分は今度なんかで返すから、ばいばいっ。」
それだけ言って、荷物を持って彼女は家から出ていった。
スマホが震えて着信があることを告げる。ミネラルウォーターを一口飲んで、電話に出る。
「どうしたの、美帆。」
今日が始まる━━。
美帆と落ち合ったのは、6時半を回った頃だった。スターバックスでコーヒーを買って、よくデートに使っている公園のベンチに座る。
「久しぶりに話せて良かった。」
彼女は空になったコーヒーをベンチの手すりに置いて言った。
「最近は、忙しそうだったからね。劇団の方はどう?」
「良い感じだよ。今日は監督にちょっと褒められちゃった。」
人差し指で左頬を3回掻く。嬉しい時とか、自慢事がある時、彼女は毎回そうする。
「やっと掴んだチャンスだもん。頑張らないとっ。」
拳を握って、ガッツポーズをする。少し照れくさそうに、しかし、決意に燃ゆる彼女の目は、夕日も相まって本当にすごく綺麗に見えた。
「君の方こそどうなの?」
彼女に不意に尋ねられ、溶けた氷混ざってすっかり美味しくなくなったコーヒーを飲んでいた僕は、ぬるい液体を誤って気管に入れてしまう。
噎せる僕を見て「大丈夫?」と心配してくれる彼女からの質問に僕は気後れしてしまった。
「まだ…何も見つかってないよ。」
夕陽を浴びて立つ空と空でないコーヒーを眺めながら、そう言った。
「そっか。」
そう言って彼女はまるで最初から答えなど興味がなかったかのように、自分が出演する演劇のあらすじの話を始めた。彼女の話に相槌を打ったり、質問したりしながら、話が広がらなくて良かったと安堵する自分を、心底恥ずかしく思った。
「それじゃあ」
午後9時頃僕達は別れた。美帆はどうやら明日も朝早くから劇団での稽古があるらしく、そういうことならと、少し早めに帰宅することになった。