中編
本章から新しい物語がスタートです。
引き続きよろしくお願いします。
「やあ、お嬢さん。今日の予定は空いているかな?」
昼下がりの午後。
突然の来訪者に驚きながらも、私はミハエルを迎え入れた。
ミハエル自らが私の家に来るのは、怪我をしたレンを迎えに来たとき以来だ。
私は戸惑いながらも、ミハエルに予定は無いことを伝えた。
「昼食は取ってしまったかな?」
「いいえ?起きるのが遅かったから、これから準備をしようと思っていたのよ」
「そうか。では、外へ食べに行こう。今日は天気が良いからな」
外。
その言葉に一瞬、躊躇ってしまう。
私は普段食糧調達は自給自足で、森にしか行かないのだ。
ミハエルの指す外は、おそらく街のことだろう。街に足を運んで、多くの人とすれ違うことを考えると、足が竦んでしまった。
ミハエルは、私が躊躇っているのを察して、少し眉尻を下げて、外は嫌かと尋ねる。
私は慌てて首を振る。
外は正直少し怖いが、初めてミハエルが自主的に私を誘ってくれたのだ。
断るのは勿体無いと感じた。
慌てて支度をして、ミハエルと街の方の道を進む。
森へ向かう道とは違い、整備された道を歩くことで、自分が人の多い場所へ向かうのだと嫌でも自覚してしまう。
「……気休めかもしれないが、これから連れて行くところは比較的人気の少ない隠れ家のようなレストランだ」
ミハエルは、少し後ろを歩いていた私に少し申し訳なさそうに言った。
誘ってもらったにも関わらず、こんな気落ちしているのは申し訳ないな、と明るく振舞おうとしたとき、ミハエルは私に向かって指をさした。
「いいかい、お嬢さん。私の前では、遠慮はするなよ」
私はミハエルにそう言われて、かつてリヒト様の婚約者だった頃を思い出す。
我慢ばかりして、背伸びしていた自分。
ミハエルとは、能力も肩書きも関係なく、対等に向き合おうと思っていたのに。
変な気を回して、自分をすり減らす癖は相変わらず私の悪癖だった。
「……遠慮というか、久しぶりに人に会いそうな場所に行くから緊張してるのよ。貴方の住んでいるところも人ひとり居ないし」
「……まぁ、私も人付き合いは苦手な方だからな。これから行くレストランは私の昔からの知り合いが経営しているんだ。店主は悪いやつではないんだが、少々厄介でな」
ミハエルは、店主の話題を出すとすぐに顔をしかめた。
ミハエルにどんな店主か詳細を聞くと、会ったら分かるとはぐらかされてしまった。
レストランの付近は、ミハエルに言われた通り、人気が少なく、ランチタイムのピークを過ぎていたからか、幸いすれ違う人はごく僅かだった。
レストランの扉には、【本日、貸切】の文字が書いてあり、私は驚く。
「ミハエル、わざわざ貸切にしたの?」
「ああ。私が誰かとプライベートを過ごしているのを公にすると面倒なことになるのは目に見えているからな」
良くも悪くも有名人のミハエルが人目を気にしている理由の最も大きなものは、マスコミを始めとする冷やかしだ。
ありもしないことや、些細なことをでっち上げ、噂を広める野次馬たち。
ミハエルは、その相手をするのも面倒なのだろう。
ミハエルがドアを開けた瞬間、ふわふわした何かがミハエルに突進してきた。
「ミハエル!会いたかったぜ!こっちに全然顔だしてくれないから、寂しかったんだぞ」
あまりの早さに最初それが何か判断出来なかった。
少しして、そのふわふわが人の髪の毛だと判断できた。
ミハエルはうんざりしながら、癖っ毛の男を引っぺがした。
「……ルーカス、離れろ」
「なんだよ、せっかくの親友との再会だろ?もう少し優しくしてくれてもいいじゃねぇか」
ミハエルが溜息を吐き、ルーカスと呼ばれた男は少ししょんぼりした表情をした。
ルーカスの目線が少し下がったことで、私とばっちり目が合う。
「おお、あんたがミハエルの女か」
「お、おん、な……」
ルーカスの何気ない一言に私は思わず吃ってしまう。今まで王族の婚約者として、過ごしてきた時間が長かったせいで、こういった軽口に私は免疫がないのだ。
そんな私の様子を見て、ミハエルがルーカスを諌めた。
「なんだよ、違うのか?まぁ、いいや。俺はルーカス・オルコット。見ての通り、ミハエルの親友でここのオーナーだ!俺の料理は世界一なんだぜ。楽しんでいってくれよな」
「こいつに一々突っ込んでいても埒があかない。お嬢さん、こんなやつだが、料理の腕は本物だ。安心してくれ」
大人しく人付き合いが嫌いなミハエルと明るくて社交的なルーカスの正反対さに私は苦笑いをしつつ、席に着く。
「ミハエルはな、すっげぇ良いやつなんだぜ」
ミハエルが席を外すと、ルーカスは私の席へひょっこりと顔を出し、キラキラした目で、ミハエルを称賛した。
ルーカスがミハエルに心酔しているのは充分伝わった。しかし、ここまで来ると、何故ルーカスがそんなにもミハエルを慕うのかが気になってしまう。
私がルーカスにミハエルとの馴れ初めを聞くと、ルーカスは鷹揚に応えてくれた。
「俺さ、妹がいるんだけど、昔、妹が悪いやつに嵌められて、殺人の濡れ衣を着せられたんだ。俺はしがない料理人でしかなかったから、どんなに周りに妹は無実だと言っても信じてもらえなかった。妹の死刑が決まった時、俺は夜中にも関わらず、教会に駆け込んで祈ったんだ。『妹の無実を証明してほしい』ってな。そしたら、閉めたはずの教会の扉が開いて、ミハエルが現れたんだ。その時のミハエルは本当に神様みたいだったんだ……」
ルーカスはまるで物語を話すかのように、流暢に過去の出来事を話した。
……この感じ、何度も話したことあるんだろうな。
「ミハエルと出会ってから、魔法のように状況が変わった。俺が血眼で探してた真犯人をあっという間に見つけ出し、妹の無実を証明してくれたんだ」
ルーカスは興奮しながら、身振り手振りをして、その時の情景を必死に私へ伝えようとする。
「だから、ミハエルは妹と俺の恩人なんだ。ミハエルが困っている時は俺が絶対に力になるって誓ったんだ。今回だって……」
ルーカスがそこまで言うと、ミハエルが音もなく、ルーカスの背後に立った。
「ルーカス。お前は一体何を話しているんだ」
すると、ルーカスは満面の笑みで、ミハエルの良いところをレティシアに伝えてたんだ、と言う。まるで、自分が良いことをしたかのような表情にミハエルは呆れて、そうか、とだけ言った。
「ところで、ミハエルは今日、何故私を誘ってくれたの?」
私がミハエルに何気なく聞くと、ミハエルは答えに言い淀んだ。
「……分からないのか?」
え、と私が反応すると、ミハエルは溜息をついた。
「今日はお嬢さんの誕生日だろう」
「ああ!そういえば、そんな日あったわね」
私がそう応えると、ミハエルは呆れたような表情をした。
昔は国規模で自分の誕生日を取り上げられ、祝われていたが、山籠りのような生活では日付感覚など、とうに失われており、今日が自分の誕生日であることなど、すっかり忘れていたのだ。
「……じゃあ、ミハエルは私が生まれてきた日を祝ってくれたってこと?」
慣れない状況に戸惑った私がおずおずと尋ねると、ミハエルは優しい笑みを浮かべて応えた。
「大切なお嬢さんが生まれた日を祝わない訳がないだろう?お誕生日おめでとう、お嬢さん」
ミハエルのことだ。てっきり、はぐらかしたり、照れたりするのかと思っていたので、思いがけない反応にこっちが照れてしまう。
ストレートに思いを伝えてくれたことは恥ずかしい反面、嬉しかった。
心から自分が生まれたことを喜んでくれる人なんて居なかったから。
私はくすぐったい気持ちを胸に、ミハエルにありがとう、と伝えた。
「今日ほど、生まれてきて良かったと思えた日はないわ」
私がそう告げると、ミハエルは少し照れたように、大袈裟だな、と笑うのだった。
数日後。
今日はレンと一緒にお菓子作りをしている。
私はアップルパイを作り、レンはアイシングクッキーを作っている。
チン、というオーブンの音と共に、ふわっと甘い香りがして、思わずレンの方を見る。
「レンの方、焼けたの?うまく焼けたのかしら?」
私がレンの方を覗くと、レンは小さな身体でクッキーを慌てて隠した。
「出来上ガルマデ、見チャダメ!」
頬を膨らませて、レンは可愛らしく睨んだ。
可愛らしい抗議に、私は不満の声を上げながらも仕方なく作業に戻る。
レンのクッキーが焼き上がったので、次は私のアップルパイを焼く番だ。
私がオーブンの温度の調整を終え、洗い物をしていると、レンが私のエプロンを摘んだ。
振り向くと、そこには自慢げな表情で、皿を私に掲げたレンがいた。
そして、皿に乗った数枚のクッキーを見ると、『HAPPY BIRTHDAY LETIZIA』の文字の形をしていた。
どうやら、レンからのサプライズプレゼントらしい。
「オ誕生日オメデトウ」
レンの言動に私は頬を緩ませ、ありがとう、と礼を言って、クッキーを一枚摘んだ。
少し熱かったが、優しい手作りならではの甘みが口の中に広がった。
どう?と言わんばかりに首を傾げているレンの頭を撫でて、美味しいよ、と答えると、レンは嬉しそうに笑った。
その時だった。
穏やかな時間を中断するかのような荒々しいノック音が響いた。
レンの表情が一気に怪訝なものに変わり、扉に向かうのを私が遮る。
レンを危険な目に遭わせたくなかったからだ。
恐る恐るドアスコープを覗き、そこに居た人物に私の背筋が凍った。
「ガビー……」
ガビーと昔呼んでいた愛称を思わず零してしまう。
憤慨しきった表情で腕組みをして立っている男、ガブリエル・ホーテンは私の弟だった。
「おい、女。そこに居るんだろう?声も聞こえたし、何より甘い不愉快な香りが家にいることを主張している。居留守なんて馬鹿みたいな真似してないで、早くここを開けろ」
絶縁した私のことは、もう姉として認識していないのだろう。
ガブリエルは顎を僅かに動かすことで扉を開けるよう促した。
扉をゆっくりと開けたレティシアはガブリエルの平手打ちを食らった。
急な出来事と頬の痛みに驚きながら、かつての弟の姿を見上げた。
「お前の自己中心的極まりない行動のせいで、俺たちがどれだけ苦しんでいると思っているんだ!お前のせいで、父さんや母さんが頑張って築き上げたものを全て壊された!責任を取るどころか、こんなところで呑気に菓子作りなんぞにうつつを抜かしやがって…」
私がガブリエルの来訪に驚き、呆けているのをよそに、ガブリエルは捲し立てた。
要するに、ガブリエルは私の婚約破棄により、注目されたホーテン家がしてきた悪事が全てバレたということを怒っているのだろうと、突然の出来事で鈍くなった頭が判断した。確か、少し前の新聞に載っていたことを覚えている。
もちろん、私のやったことは家を巻き込むことで、褒められたことではないと思うが、叩けば埃だらけの家だ。私が婚約破棄をしなくても、悪事がバレるのは時間の問題だっただろう。でも……
「なんとか言ったらどうなんだ……この!」
ガブリエルが私の胸ぐらを掴もうとすると、鳥になったレンがガブリエルの手を突き、払いのけた。
それと同時にガブリエルの背後から足音が聞こえた。
「レンが慌てて知らせに来たから何事かと思ったが……君は一体何をしているんだね?」
そこには、いつもより低い声で睨みを効かせたミハエルがいた。
それは、普段接している私でもゾクッとするような威圧感があった。
「最恐の魔術師……何でお前がこんなところに」
「お嬢さんは私の大切な人だ。誰であろうと、お嬢さんに危害を加える者は私が排除する」
ふわっとガブリエルの足元に風が吹いた。
みるみる風は強くなり、ガブリエルは宙に浮いた。
「このアバズレ!今度はこんな変わり者を誑かしたのかよ?」
ガブリエルの罵声にミハエルの表情が一層険しくなる。
「……それ以上、お嬢さんを侮辱したら、ただじゃおかないぞ」
台風の目のような風に巻き込まれたガブリエルはそのまま町の方まで飛んで行ってしまった。
「大丈夫か?お嬢さん」
ミハエルが心配そうに私の頬に触れる。
(頬が赤くなってるな。もしかしたら、少し腫れてしまうかもしれない……あのガキ、見つけたら××してやる)
思わず、ミハエルのドスの効いた心の声が伝わってしまうが、ガブリエルの来訪の衝撃が強く、うまく感情が動かなかった。
「すぐに頬を冷やそう……レン、私は彼女の家の中をよく知らないから、濡れたタオルを持って来てくれないか?」
ミハエルはそう指示した。
しかし、いつも迅速に動くレンが動く気配がせず、ミハエルがレンを見ると、レンはガブリエルが飛んで行った方向をじっと見つめていた。
レン、とミハエルが再び呼ぶと、ハッとしたようにレンが濡れたタオルを用意すべく、家に戻った。
ミハエルはレンの様子に違和感を覚えたが、未だ呆然としているレティシアのことを優先した。
「さあ、ずっと外に居ても仕方がない。中に入って休もう」
ミハエルに促され、私は家に戻る。
扉の音がやけに響いた気がした。
その夜。
私は久しぶりに眠れない夜を過ごした。
いくら嫌いな家だからといって、実際自分のせいで、不幸になっていると訴えられれば、自責の念に駆られる。
悪名高いホーテン家の姓を持つ私を優しく迎え入れてくれた王族にとっても今や第一王子に恥をかかせた大罪人だ。
ミハエルやレンと過ごす日々は私にとっては空気を読む必要のない穏やかな日常だったが、それは現実逃避に過ぎなかったのだろうか。
自分の運命に絶望し、まるで溺れたように息ができなくなる。
「誰か……助けて……」
そう呟いた私はまるで自己憐憫に浸った哀れな女のように感じて、さらに自分の首を絞めた。
ミハエルはそんなレティシアの様子を窓辺から眺めていた。
昔のように、レティシアは1人で苦しんでいた。
今は昔と違い、関係も深くなったので、こんな覗き見のようなことをしなくても良いと思ったが、声をかけることはしなかった。
普段、明るく振る舞っているレティシアは弱い面を周りに見せたがらない。
ふと、手に持っているメモ帳を取り出す。
少し前に王都を訪れた時のメモを見返し、ミハエルはふむ、と呟いた。
「なるほどな……お嬢さんの悩みを解決するには、こうするしかなさそうだな」
しかし、とミハエルは先程のレティシアの態度を思い返す。
「やれやれ、厄介な立ち回りをすることになったものだ」
少し困ったような表情をしたミハエル。
この前のレティシアの誕生日に撮った写真を指でなぞる。
「まぁ、これも……大切なお嬢さんのためだな」
ミハエルは独り、そう呟くのだった。
次の日。
「王都に行くぞ。お嬢さんに会いたがっている人がいるんだ」
早朝、山菜採りへ出かけようとしていたところ、ミハエルに出くわした。
急な王都に行く、という言葉に動揺を隠せずにいると、レンが私に一通の手紙を差し出した。
それは、国王から直々に送られた城への招待状だった。
心臓の音が早くなるのを感じる。
こんな年月が経って、どうして今呼び出されるのだろう。ついに、この国からも追放ということなのだろうか。
手紙を持つ手が震えてしまう。
私が不安げにミハエルを見ると、ミハエルは少し困ったような顔をしながら、背中をさすった。
「過去と向き合わなければ、いつまでたってもお嬢さんは過去に閉じ込められたままだ」
(心配ない。王族の人達は君と話がしたいだけだ。危害を加えたり、糾弾する気はないよ)
それと同時にミハエルの心の声が聞こえる。
その声に少し安堵した。しかし、本当に何の用事があるのだろう?
「……分かった。今から行きましょう。服を着替えるから中で少し待ってて」
30分後。
着替えが終わった私がミハエル達の元に駆け寄ると、ミハエルは私にストールを被せてくれた。
「人目が気になるなら被っておきなさい」
ふわっとミハエルの香りがして、安心する。
私はミハエルの好意に甘え、ストールを巻いて、家を後にした。
王都に着くまで、馬車に揺れている間、3人は一言も会話を交わさなかった。
最も、私が緊張しており、会話に応じられる余裕がなかったからとも言えるが。
沈黙の続く4時間の馬車での移動はとても長く感じた。
馬車から降りると、レンが私の手をぎゅっと握ってくれた。
「大丈夫だ。もしお嬢さんに危害を加えるような者がいたら、私が対処しよう」
ミハエルも私の背中に優しく触れた。
私は2人に勇気付けられ、城内に入る。
城内の待合室で数分の間、待っていると、扉がゆっくりと開いた。
「レティシア……?久しぶりだな」
扉の先に居たのは、国王だった。
私は慌ててお辞儀をする。
「御機嫌よう……お招きいただき、光栄です」
国王は楽にして良い、と手を振り、座るよう促した。
私達が席に座ると、国王は私に対し、深々と頭を下げた。
「御足労感謝する。私が君に話したかったのは、君の処罰のことだ……情状酌量の余地があったのに、今でも君を悩ませるような環境に置かせてしまったこと、済まないと思っている」
「いえ……陛下が謝ることではありません。周囲のことを考えず、浅はかな行動を取った結果ですから」
私がそう告げると、国王は少し困ったような表情をした。
「ローズは君から虐められた覚えがないとの一点張りでね。ローズだけでなく、メイド長もそう主張している。希望的観測に過ぎないかもしれないが、君は愚息がローズに想いを寄せていたことに気づいていたんじゃないか?」
確信を突かれ、私が黙っていると、肯定と捉えた国王は話を続ける。
「確かに君が取った行動は軽薄だった。いくら16歳とはいえ、次期王妃候補の身としては選択してはならない行動だったと思う」
確かに、もっと方法があったのかもしれない。それでも、あの時の私はもう全てを捨ててしまいたかったのだ。
保身の為の言い訳しか出てこない自分に嫌気がさす。
「でも、君が取った行動のお陰で、王族の中で国の膿と呼ばれていたホーテン家に隙ができ、悪事を世間に晒すことができた。そして、ホーテン家が牛耳っていた金融を始めとしたあらゆる分野の透明化を図ることも出来た……だから、君の起こした行動にはメリットもあった」
すっと、国王は私の元に一通の書類を差し出した。それは、かつて私が権利剥奪をされた王都への通行手形だった。
この通行手形は、フルール国の国民で、犯罪歴や王族に逆らうことなどをしなければ、貰える物だ。私はあの時、王族に逆らったと判断され、剥奪され、今の山奥に住んでいるのだ。
「落ち着いたら、また王都に戻って来なさい」
国王にそう告げられ、思わぬ展開に動揺した私はミハエルの方を振り向く。すると、ミハエルは少し寂しげな笑みを返した。それは、私自身に委ねるというサインのように思えた。
「……ありがとうございます。陛下の御配慮痛み入ります。ですが、私はあの森で暮らすことにしたのです。王都には戻るつもりはございません」
私はもうかけがえのない居場所を見つけた。
空気を読みながら、過ごすのはもう終わり。
国王が何か言う前に、外が騒がしく感じた。
国王が訝しげに、衛兵達に様子を伺わせると、どうやらガブリエルが城内に入って来たらしい。
ホーテン家一族は王都への通行手形がない。
不法侵入として、罰せられてしまう。
「……君の気持ちは分かった。王都に戻ることを無理強いしたりはしない。何かあればいつでも言ってくれ」
国王はガブリエルの来訪に深い溜息を吐き、部屋を後にした。
まさか、国王からの赦しを貰えるとは思っていなかった。
「……陛下はお嬢さんに謝りたかったそうだ。事情も聞かず、ホーテン家だからと言ってすぐに君を切ってしまったことを」
てっきり、私は嫌われ令嬢として王都では腫れ物扱いされているのだと思ったのだが、どうやら違ったようだ。
「……でも、良かったのか?」
ミハエルの質問に私が首を傾げる。
ミハエルは通行手形を指差した。
「いいの。王都に私の居場所はもうないから。それに……」
「それに?」
「今は貴方と過ごす何気ない時間の方が楽しいから」
私が笑顔で応えると、ミハエルは相変わらず変わったお嬢さんだ、と笑った。
ふと、レンが窓越しに門の方を眺めていたのに気がついた。
声を掛けようか、と思ったが、普段見せない物憂いげな表情をしていたので、しばらくそっとすることにした。
レンは窓越しに衛兵に取り押さえられるガブリエルの姿を見つめていた。
……君ハモウ覚エテイナイカモシレナイ。
デモ、僕ハ君ノコトヲ覚エテイル。
僕ト君ガ家族ダッタ頃ノコトヲ。
レンが生まれて間もない頃。
それは、まだ人間に化けれることを知らなかった頃。
レンは家族と逸れ、ホーテン家の庭に迷い込んだ。
そこで、出会ったのがガブリエルだった。
拾われてからしばらくの間、ガブリエルはレンのことを家族のように大事に育てていた。
しかし、月日が経つにつれて、ガブリエルが成長するにつれて、態度が変わっていった。
両親に『弱い者は捨て駒として扱え』と教えられたガブリエルはレンを家族の一員ではなく、おもちゃとして扱うようになった。
レンを虐めていることに気づいたレティシアがガブリエルの目を盗んで外に解放してくれるまでの間はとても長く感じた。
辛い思い出の方が多いはずなのに、レンはガブリエルのことを本当に嫌いにはなれなかった。
ガブリエルが両親に喜んでもらえるために、両親の意向を汲んで、行動していたから。
それは、家族に好かれたいという純粋な好意のように思えたから。
レンは最後までガブリエルの考えには賛成出来なかったが、ガブリエルがもがき苦しんでいる様子を見ると、何故か放っておけない気持ちになった。
それは、レンにとってガブリエルが初めての家族だったからかもしれない。
……デモ、僕達ノ道ハ分カレタ。
「サヨウナラ、僕ノハジメテノ家族」
レンはそう小さな声で呟いた。
その呟きはガブリエルに届くことはなかった。
レンが振り向くと、心配そうにこちらの様子を伺う2人の姿があった。
レンは2人に気を遣わせまいと、いつもの様子で2人の方へ駆け寄った。
今、僕ニハ新シイ家族ガイル。
前述した通り、レンはレティシアに会ったことがあった。その時もレティシアに介抱された。
レティシアにホーテン家から逃がしてもらった後、森で疲れ果てて休んでいたところに、ミハエルがレンを助けてくれた。
レンは見ず知らずの人や動物にも分け隔てなく優しかった2人のことが大好きだった。
レンが人間に化けれるようになった頃、ミハエルが王立図書館に足繁く通うようになった。
レンは知識豊富で人嫌いなミハエルが頻繁に足繁く図書館に通うのは何か本以外の目的があると直感的に感じた。
レンはその目的が何か探ると、その答えはすぐに出た。ミハエルが時折中庭の方を見ていることに気がついた。
そこに居たのは、かつてレンを助けてくれた恩人、レティシアだった。
レンがどうしてレティシアを見ているのか尋ねると、ミハエルは目を細めて答えた。
「彼女はいつも苦しそうだ。次期王妃としての重責に苛まれているのかもしれないが……でも、ここにいる時の彼女は活き活きとして、とても愛らしいと思って、つい見てしまうんだ」
普段、あまり耳にしないミハエルの優しい声にレンは少し驚いた。
「もし出来るならば、いつか彼女を救い出してあげたい、笑顔で過ごせるようにしてあげたい……元々、魔術師になったのも国民の幸福指数を上げるためだからな」
まぁ、最恐の魔術師と言われる私には難題か、と自嘲めいた言葉をミハエルは残す。
レンは最恐の魔術師と忌み嫌われているミハエルが国民のために尽力していることを誰よりも知っていた。
ミハエルらしい考え方にレンは思わず笑った。
いつか、2人が幸せになれることを心から願った。
2人が幸せならば、僕も幸せだから。
レンは2人の後を追い、馬車に乗るのだった。
お読みいただきありがとうございます。
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