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前編

連載版を作りました。

最後までお付き合いいただければ幸いです。

よろしくお願いいたします。

レティシア・ホーテンは婚期を逃し、田舎で隠居生活をしている残念な令嬢だ。


かつて、レティシアはフルール国の第1王子であるリヒャルト・アビントンの婚約者であった。


文武両道で第1王子の婚約者という絶対的なステータスを持ったレティシアが何故、こんな暮らしを強いられているのか。


それは、彼女がある少女を執拗に虐めていたからだ。


ローズ・コックス。彼女は爵位の低い家の1人娘だった。

あらゆる面において、秀でているはずのレティシアは何故か平凡極まりないローズを忌み嫌っていた。


ある日、レティシアがローズを虐めているという事実が明るみに出て、レティシアは、断罪され、追放された。


そして、レティシアは婚約破棄され、リヒャルトはローズと婚約した。


王子と婚約破棄した訳あり物件のレティシアに縁談が来ることはなかった。


国民はレティシアを腫れ物扱いし、レティシアが暮らす家の周辺には近づかなかった。


使用人もいない寂れた家で、レティシアは独り住んでいた。


これは、悪役令嬢と呼ばれたレティシアのお話である。




家族のことが大好きで誇らしいと思っていたことが、私にはあっただろうか。


いや、ないだろう。私にとって、ホーテン家の肩書きは汚名でしかなかった。


爵位を持つホーテン家は、汚職、脱税、脅し、賄賂…考えつかないような悪事まで何でもやる悪名高い家だった。

しかし、警察もなかなか尻尾を掴ませないホーテン家にお手上げ状態で放置している現状だ。


そんなホーテン家に生まれ育ったホーテン家の長女、私ことレティシア・ホーテンは友達などおらず、取り巻きに囲まれる生活を強いられていた。


そんな私の人生を大きく変えたのは、6歳の時。両親が貴族を騙くらかして、王族に近づいたお陰で、私はリヒャルト第一王子と婚約を結ぶことが出来た。


こんなクズ達に騙される王族が治める国など、衰退するに違いない、と私は幼心に失望したのを覚えている。


また、それと同時に自分はホーテン家のステータスを上げる為の道具でしかないことを痛感させられた。


私は自分自身に秘められた能力を誰にも打ち明けないことを誓った。

こんな家族に知られたら、どんな風に利用されるか分かったものではない。


お先真っ暗だ、と齢6歳にして絶望感に瀕していた私だったが、王族の人達は思いがけず良い人格者だった。

こんな良い人達が何故ホーテン家なんぞに関与したのかは全く分からないが、私は目の前の次期王妃としてのレッスンに打ち込むことで精一杯になった。


王族になる為のレッスンは過酷だったが、あの実家へ頻繁に帰らずに済むことは有り難かった。


この人達に認められたら、本当にあの家から決別出来る。そう思った私は王子の婚約者として努力を続けていた。



月日は流れ、私がリヒャルト王子の婚約者になって、10年の年月が経った。

空気を読みながら、過ごした結果、レティシア・ホーテンという存在は誰もが羨むものとなった。


そして、私はいつしかリヒャルト王子のことを愛しく思うようになった。


しかし、幸か不幸か私の秘めた能力によって、自らこの夢のような世界を手放すこととなった。


私の能力とは「相手に触れるとその人の心の声が聞こえる」という空気を読み続ける私らしい皮肉めいたものだった。


それは、庭園に咲く花々の香りが強くなったと感じた春のこと。


私は大好きなリヒャルト王子との逢瀬に胸を弾ませていた。


あと、1年で結婚出来る。

それまでに、もう少し彼との距離を縮めたい。


私はそう願い、勇気を出して、彼の手に触れた。


その時だった。


(レティシアは良い子なんだけど、僕はローズのことばかり考えてしまう)


私の脳内に大好きな彼の声が響いた。

そして、私の思考は停止した。


私が歩みを止めたことだけでなく、手に触れられたことにも気づかずに、彼は前へ進む。


しばらくして、彼はようやく私が歩みを止めたことに気づき、振り返った。


彼の温度のない瞳に気づき、私は近づく勇気ではなく、離れる勇気を出したのだ。


「…リヒト様。私達お別れしましょうか?」


絞り出した声に彼は心配そうな表情をしたが、その瞳の奥は期待の色が混じっていた。


そう、私には人の心が読めるという秘密があった。


周りに嫌われ、利用されたくない一心で秘密にしていたが、結局は私の願い通りに事は運ばなかった。


私を捨てる決断が出来ない優柔不断な彼の為に、私が相手の少女を虐めているという噂を立てた。


そして、結果はリヒャルトとの婚約破棄と王都からの追放。


私から虐められた覚えのない相手の少女は私を庇おうとしたが、王族を敵に回した私に選択肢はなかった。


大好きだった彼の相手が優しそうな少女で良かった。


最後に私はそんなことを思って、大好きだった城下町を後にした。


こうして、レティシアは空気を読み続けた結果、あろうことか、ホーテン家らしい嫌われ令嬢となった。


ホーテン家にも勘当され、幻想のような日常と悪夢のような縁を断ち切り、別れを告げた私の胸には僅かな虚無感を覚えるのだった。



離れた当時はぐちゃぐちゃだった感情も時間が経てば、落ち着いた。


今はこの自給自足の生活に慣れ親しんでいる。


両親からも勘当された私はきっと死ぬまで独りなのだろう。

いや、むしろ独りの方がずっと楽なのかもしれない。あんな家に縛られるのはごめんだ。


そんなことを思っていると、普段物音1つしない外から音が聞こえた。


何かと思って、外に出てみれば、鳥が一羽、倒れていた。


小枝にでも当たったのだろう、羽は傷つき、少し血が出ていた。


私はその鳥を家に連れて行き、簡単な治療を施した。


(コワイ、イタイ)


治療の為に、鳥に触れた私は鳥の心の声が脳内に響いた。外人だろうと動物だろうと、言語を知らなくても、心の声は私には通じた。


大丈夫だよ、と声をかけ、私は鳥の頭を撫でた。


治療が終わり、鳥を外に逃がそうと、私は窓を開けたが、鳥は外へ出たがらなかった。


仕方なく私はその日の晩、鳥を家に置くことにした。



その晩、私は風を感じ、目が覚めた。

窓も扉も閉めたはずなのにと、眠い目を擦りながら、身を起こした。


すると、部屋の窓には見知らぬ男が立っていた。 男の手には先程治療した鳥がいた。


突然の不審者の訪問に、私は近くにあったペーパーナイフを手に持つ。


私の様子を見た男は、鼻で嗤った。


「夜分遅くにすまない、威勢の良いお嬢さん。私は使い魔のコイツを連れ戻しにきただけだ。わざわざ治療までしてくれたそうだな。感謝する」


上から目線のその態度が癪に障ったが、男の雰囲気は有無を言わさなかった。


では、と男が去ろうと踵を返した。

私は咄嗟に男の元へ駆け寄り、手を掴む。


せめて、身元ははっきりさせないと、と思って取った行動だったが、私の能力はどんな状況でも相手に触れたら発動してしまう。


それは今回も同様で。


(見ず知らずの鳥にまで優しくするお嬢さんだ。怖がらせないうちに消えてしまおう)


高慢な態度とは裏腹に、男の心の声はとても優しかった。


私が面食らった様子を見て、男は訝しげな顔をする。


「何だ? 私にまだ何か用があるのか?」


(不思議そうな表情をしているな。悪巧みなどをしてる素ぶりはないが…)


「私は使い魔を迎えに来ただけだ。お嬢さんに用はない。君も用がないなら放したまえ」


(このお嬢さんは珍しく私のことを怖がらないな…こんな状況だというのに。いくら私の正体を知らないからといって…不思議なお嬢さんだ)


私は誰かと会話をしたかったのかもしれない。こんな辺鄙なところに独りでずっと暮らしていたから。


それとも、私はこの男に懐かしさを感じたからだろうか。男とはどこかで会ったことがある気がした。


高慢な態度とは裏腹に、あまりにも普通で、そしてどこか優しさを感じる心の声に、私はこの人のことをもっと知りたいと思っていた。


深く考えるよりも、想いが声に出ていた。


「私はレティシア・ホーテン。貴方のお名前は?」


その質問の意図は、警戒からではなく、好奇心からに変わっていた。


(わざわざ、不審者に自己紹介だなんて……このお嬢さん、どういうつもりだ?)


「……ミハエル・モリソンだ。君も知っているんじゃないか?」


ミハエル・モリソンは、この国で一番恐れられている魔術師だった。


国で唯一魔法が使えるモリソン一族の長。

その力故に王族と同等の権力を所持し、国政にも携わっている。


数年前、フラム国との国交を断絶させ、貿易が途絶え、国民の反感を買った男。


また、様々な噂も飛び交い、ミハエル・モリソンは悪の権化として国民に揶揄されていた。


しかし、普段はメディアに顔を露出させない為、国民はミハエル・モリソンが実際にはどういった人物なのかを知らなかった。


目の前にいる男、ミハエル・モリソンは、国民が想像していたよりも、ずっと人間らしかった。


「ええ、知っているわ。有名人ですもの」


そうか、と私が掴んでいた手を振りほどくと、男は窓から飛び降りた。


私が慌てて外を覗くと、彼は空高く飛んでいた。


「私、この辺りで一人で住んでいるの。また、いらしてちょうだい」


気づけば、私は遥か上空を飛ぶミハエルに聞こえるよう、大声で叫んでいた。


どんな理由であれ、もう私を訪ねてくれる人はいない。


人恋しかったからだろうか、私はミハエルともう一度会いたいと思った。


私の止まっていた心の時計が再び動き出した気がした。



1週間後。

1人の生活は時間が流れるのがとても遅い。

もう慣れてきたはずだったのに、時間が経つのがこんなにも遅く感じるなんて。



結局、ミハエルはあの後一回も来なかった。

所詮、そんなものか、と窓際を眺めながら、紅茶を飲んでいると、一羽の鳥がこちらに向かってやってきた。


まさか、と思って、私は窓を開け、鳥を迎える。そっと、手を差し出すと、その鳥は手に止まった。


「あなた、ミハエルの使い魔?」


肯定の声が聞こえ、やはり、と私の胸が喜びの色に染まるのを感じる。


「怪我治ったのね。良かったわ、ミハエルは元気かしら?」


(元気ダヨ、君ノコト心配シテタ。ダカラ、ココニキタ)


「あら、心配してくれたみたいね。ありがとう」


私は1つ面白いことを思いつき、鳥に囁くように話しかけた。


「ねぇ、お願いがあるんだけど……」


今の私はまるで小さい子供のようだ。

新しく面白いもの、好きなものが増えたような感覚。



「御機嫌よう。有名人の家なのにセキュリティが甘いのね」


「……なんで君がここにいるんだ?」


私はミハエルの家を訪ねていた。

突然の来訪客に、ミハエルは仏頂面でロビーに立つ私を見た。


「この子にお願いして招待してもらったの」


私は肩に乗る鳥を指して、笑顔で返す。


「有名人の家に来てみたかったのよ」


そう言うとミハエルは溜息をつき、中に入るよう促した。


「君は随分と好奇心旺盛のようだ。何も国の嫌われ者のところに来なくてもいいんじゃないか?」


アポなし訪問にも拘らず、ミハエルはお茶を用意してくれた。

私は遠慮なく、そのお茶を口にする。

確か、東の国のお茶。こちらの国のお茶とはクセが違う。うん、こういった味もたまには良いかもしれない。


「あら、私は好きよ、貴方のこと。嫌だったら側に寄ったりしないわ」


そう言うと、ミハエルは押し黙った。

心なしか耳が赤いような気がする。

美男子なのに女慣れしてなさそうな雰囲気がまた悪戯心をくすぐってしまう。


「ミハエルは私のこと嫌い?」


王子の婚約者だった時の私が見たら驚くほどの図々しさとあざとさがある気がする。

上目遣いで首を傾げると、ミハエルははぐらかした。



「今日はありがとう。楽しかったわ、また来るわね」


 「……ここへの道は人気が少ない。危ないから来なくていいぞ」


そう言うミハエルの表情はどこか寂しげだった。私はそんなミハエルの表情に気づかぬフリをして、茶化してみせた。


「あら、心配してくれるのね。ありがとう。貴方が来てくれてもいいのよ?」


「……気が向いたらな。レン、見送りしてくれ」


ミハエルが指を鳴らすと、レン、と呼ばれた鳥は15歳くらいの男の子に変わった。


「……あなた、レンって言うのね」


そう言うと、レンは頷き、私の手を握る。


(行コウ?)


ミハエルはやはり魔法使いなのか、と私が惚けていると、レンに心の声でせっつかれた。


私は慌てて、レンに従い、帰路に向かう。



その後も暇を持て余していた私は足繁くミハエルの家に通った。

不在の時もあったが、その際はミハエルが帰宅するまで、レンが遊び相手になってくれた。


いつからだろう。ミハエルは訪問しても小言もなく、応接間に連れて行ってくれるようになった。


「私のこと知らない? 結構この国では有名人だったのよ……悪名として、だったけれど」


ある日、私はミハエルの手を弄びながら、ミハエルにそんなことを尋ねた。

もはや、ミハエルは私にされるがままだ。


(……フルール国第一王子の元婚約者だろう。そんなことは知っている。噂に聞いたよりも随分と危なかしげなお嬢さんだが)


「さぁ……知らないな。私は世間のことに興味がないのでな」


(婚約破棄はその人にとって、傷がつくも同然。まして王子との婚約が破談になった話など、深堀すべきでないだろう……お嬢さんはどういう意図で聞いているんだ?)


「それとも自分がどれだけ有名なのか知らしめたいのか? 戯言には興味がないが、お嬢さんに免じて、特別に聞いてやろうじゃないか」


(女はおしゃべり好きな生き物だと聞く。ここでの暮らしが長いと話し相手でも欲しいのかもしれない)


この回答と思考のギャップに、胸がくすぐったくなる気持ちを隠しながら、私はそうなんだ、と短く答えた。


それ以上、答える気がないと察したミハエルは気まずそうに手元を見る。


「……ところでお嬢さんはどうしてずっと私の手を握っているんだ? 色目は私には効かないぞ」


「ごめんなさい、触れられるの嫌よね」


私がわざと悲しげに目を伏せると、ミハエルは分かりやすくたじろいた。


「いや……そういう訳ではないが」


「では、繋いでいてもいいかしら?」


私がぱぁっと嬉しそうな顔をして見せると、ミハエルは諦めたように、溜息をつき、好きにするといい、と言った。


こんなワガママばかりの女を受け入れてくれるミハエルはなんて良い人なんだろう。


私は今まで誰かに甘える事が出来なかったから、こんなに自分が自分本位に振る舞えることを知らなかった。


「……私、ミハエルと一緒に他愛もない時を過ごせて幸せだわ」


これは嘘偽りのない本当の気持ちだ。


「……本当に変わったお嬢さんだ。私も君と過ごす時間は悪くない」


私はつい、いつもの癖でミハエルの心を読もうとした。


心でも同じ言葉が聞こえる。これはミハエルの本心なんだ。


いつか、心を読まずともミハエルのことを信用できたらいいな、と私は思いながら、笑顔でミハエルに感謝の意を述べた。


「私が使えるのは、物を操る力が主だ。人を操る超能力ではない」


「その力が国政に関与するの?」


「いや……私の能力が明るみに出てないのは、見せしめのためだ。フルール国は偉大な魔術師がいるというな。国政に関しては独学で学んでいる。超能力はあくまで肩書きだけだ」


ある日、私はミハエルの魔法について尋ねた。どうやら、世間で魔法と呼ばれているミハエルの力は超能力の一種のようだ。


ミハエルは物だけでなく、出来事や目に見えないものも思いのまま操ることが出来るそうだ。だから、不穏要素を摘出するにはミハエルの力は政府にとって、うってつけだそうだ。


……出来事も変えられる?


そうだ。

私はミハエルに会ったことがあるんだ。

正確に言えば、その時の私はミハエルの存在に気がついていなかったけれど。


リヒトに好きな人がいることに気づいて、悪役を演じて、ひとりぼっちになって、毎晩泣いていた頃に。


『想い人の為、自ら身を引こうとしている健気なお嬢さん。君さえ望めば、私は君の望む未来を創り上げることが出来るよ』


暗闇で誰かわからない。

3階のバルコニーの方から声が聞こえた。

不思議と不審者とは思えない安心する声をしていた。


その言葉に私は首を振る。


『いいえ、その必要はないわ。これは運命だから。リヒト様と私は結ばれる縁がなかっただけ……無理に変える必要はない』


男はそうか、と言って立ち去ったのだ。



「……ミハエル。昔、私が城下町に住んでいた頃、私の家に来たことあるでしょう?」


カチャリ、とミハエルがカップをソーサーに置く音がやけに響いた気がした。


「どうしてそう思う?」


何かを探るように、ミハエルはいつもより低い声を出した。

私は記憶を手繰るように目を伏せて、あの時のことを思い出す。


「……私、あの時のことは夢だと思っていたけれど、声もそっくりだし、それに……」


「それに?」


「みんなリヒト様の味方だった。もちろん、そう仕向けたのは私だけれど……でもあの頃から私はずっとひとりぼっちだった……ローズ様は私のことを責めたりはしなかったけれど、味方ではなかったわ」


ずっと好きな人と一緒に居られると思ってた。おとぎ話に出てくるお姫様みたいになれるんだと疑っていなかった。


それなのに、ある日突然その世界は壊れた。

夢のような泡沫の世界で私は独りで溺れていた。


幸せだった過去を投影しては、惨めな今の自分を比べて、嘆いていた。


「あの時、私の味方になってくれたのはその人だけだった……今も昔も私と普通に接してくれるのは、その人だけなの」


だから、あの時、ピーターパンのように魔法をかけようとしてくれた貴方は私にとって特別な人となったんだ。


ずっと周りのために、こうしなきゃと思って行動していた私に、どうしたいか聞いてくれたのは貴方だけだったから。


私は手を握ろうとして、それをやめた。

その代わりに私はミハエルの瞳を見つめた。


私は自分の能力に頼って、信じたい人を信じようとしなかった。一方通行な想いを抱くのが怖かったから。


リヒト様と付き合っていた頃、私はリヒト様に触れては彼の想いを確かめていた。

いつか心変わりするのではないかと不安になり、その不安を消そうとしていた。


リヒト様の気持ちを知ったあの時だって。

あと、1年で結婚出来る。

それまでに、もう少し彼との距離を縮めたい。

私はそう願い、勇気を出して、彼の手に触れた。彼も同じことを思っている確証が欲しくて。


今だから分かる。私はリヒト様のことを信じていなかったんだ。


でも、ミハエルなら信じることが出来る。

これは理屈じゃない、直感でそう思った。


「ねぇ、あの時、バルコニーにいたのは貴方でしょう?」


私の真剣な声にミハエルは私の目をじっと見つめた。


「ああ、私の五感は常人より優れているからな……王子の婚約破棄が公になった日。私は仕事で城下町に居た。夜になると静かなはずの城下町から泣き声が聞こえた。ふと気になって、声のする方へ向かうと……君が居た」



ミハエルが席を立ち、近くにあった鏡に触れる。すると、鏡にあるはずのない水面が映り、しばらくすると城下町に住んでいた頃の私が映った。


『……別れなきゃ。忘れなきゃ。リヒト様とローズ様は両想い。私はいらない、いらない子なの! 邪魔なの……』


情緒不安定になっている私はクッションを胸に抱きながら、ブツブツと呟いていた。


『もっと嫌われないと。リヒト様もローズ様も私を哀れんでいるわ……これほど屈辱なことってないわ』


時々立ち上がっては、また座る。

落ち着きのない私は暫く独り言を呟くと、ベッドに飛び乗った。


『……どうしてこうなるの? 誰か、助けてよ……ここから連れ出してよ。遠くに行かせてよ』


私の痛ましい声が部屋に響いた。


そうか、ミハエルは知っていたのか。

嫌われ令嬢の本当の舞台裏を。


「君は愚直で優しい……あの後、追放された君がまた、自己犠牲の精神で自分を傷つけてないか心配になってな。使い魔のレンに定期的に様子を見に行かせてたんだ」


では、あの時レンが怪我をしていたのは定期的に様子を見に来ていたからということか。


「あの時、レンが帰って来なくて、レンと君に何かあったのかと思って訪ねたんだ……そしたら、君は怪我をしたレンを治療していた。相変わらずの世話焼き気質で……」


そういうミハエルの表情はとても優しかった。


「もしかして、私の秘密にも気がついている? 私が手を触れる本当の理由……」


「……人の心が読めるんだろう?」


ここまでお見通しなら、と聞いてみた質問は案の定の答えが返ってきた。


「気持ち悪くない? 人の心が読めるだなんて」


「いや? 私には聞かれて困るようなことは何もないからな……それに、お嬢さんは人を陥れる為にその能力を使わなさそうだしな」


そう言って、ミハエルは私の頭をぽんぽんと撫でてくれた。

私は思わず涙が溢れた。


そうか。私はひとりぼっちなんかじゃなかったんだ。ちゃんと居場所があったんだ。


燻って、悲劇のヒロインを演じるのはもうやめよう。


私がそんなことを思っていると、ミハエルが恐る恐る私に尋ねてきた。


「お嬢さんこそ、能力を使ってバルコニーに押しかけたり、使い魔に様子を見に行かせたりした私に軽蔑しないのか?」


「そんなわけない……私、ミハエルのこと大好きだよ」


私がそう言うと、ミハエルは少したじろいだ。


「そ、そうか……それは光栄だな」



表面を取り繕い、嫌われ令嬢を演じるのはもう止める。

今は私らしくやりたいことをやることにしよう。


取り敢えず、第1ステップとして、私は目の前にいる彼との交流を深めることに決めた。

それが、今私の一番したいことだったから。


いつか、この胸の温かさを伝える日が来るまで。私はこのひと時を大切にしていこう。


レティシア・ホーテンの人生第二幕はこれから幕が上がる。

お読みいただきありがとうございます。

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