終わりの閨
新連載です。楽しんでね
7月12日 マイクロテックユニバーサル47階 人事企画室
「翌四半期の満了をもって契約社員178名の契約延長はなし
また、残り223名に関しましても120名は3月31日までの契約延長
もしくは東京都御徒町勤務への転属、残り113名のうち88名は
今四半期をもって自主退職25名は現在保留であります」
目の前の黒縁眼鏡で皺の寄った男に元気よくはきはき答える青年
に少し困ったような表情でまるで飼い犬の世話が
うっとうしくなってきたような髭をいじりながら
思案顔で男は答える
「この件の報告はあと1日早くほしかったですね~新条君。
そのことより、25名保留というのはどういうことなのですか?」
「え~コールセンター業務の成績がダントツによく顧客満足度も高い契約社員を
営業の仕事を覚えさせれば使い物になるかもと営業部長がお考えになり
試験をして何人かとるかもしれないから保留にしてくれとのことです。」
「まったく...わかりました。
では、来週の7月16日までに誰を取るのかはっきりさせておいて
くださいと伝えておいてくださいね。」
「わかりました。」
青年が踵を返し始めた時には男は思案顔が憂鬱顔に代わっていた
(まったく、何を考えているのでしょうかあの方は...
これで誰も取らなかったら社内でのいい笑いものですよ。
取ったらと取ったでその社員がよほどいい成績を出さない限り
イメージの悪さは取れない。
こんなことをすれば、東京大学をはじめとする名だたる名大学を
優秀な成績な卒業し、厳しい就職戦線を勝ち抜いてきた社員に
不満をまき散らすようなもの。
新しく取った社員たちに居場所がないうえに
かなりの妨害を受けるのは目に見えている。
そうでなくともあの方に対する評価はまだまだ不安定だというのに...
それとも、これは何か大きな構想の一部にすぎないのでしょうかね?
こればかりは直接聞いてもおしえてくださらないかもしれませんがね。)
そんなことを考えながら彼はデスクの上にある写真に一瞥を与え仕事に戻った。
7月1日 マイクロテックユニバーサル西東京支部7階 第一会議室
人生の崩壊はいきなりやってくる。
最初は父が突然いなくなった。
何の前触れもなかった。
父は私の誇りだった。
頭がよくて優しくて体と心の傷を負う人にいつもの笑顔をくれる
最高の人だった。
不幸は連鎖した。
母は精神を病みそのまま亡くなった。
遺産の整理を依頼した弁護士に騙され、
大学の学費が続かなくなった。
私に保護する人がいなくなったことを知った親戚の一人が
葬式後の通夜で私を襲った。
私は学んだ
不幸は行くとこまで行く。
人外の理不尽に憑りつかれたように。
夏の太陽に照らされたアスファルトはほかの季節よりも
水分量の変化が大きいため大型車の加重でひびが入りやすくなると聞いたことがある
私の人生あの時と同じ運命を辿るのだろうか。
彼女はそんな破滅の旋律と欠片の希望を思いながら上司である新藤明治の説明を受けていた
「事前の全体説明のときに公表した通り
今期の12月31日をもってわが社との契約を終了することが決まりました。
社員証と会社支給の備品一式の返却をお願いします。
これは事前に返却物リストをお渡しし、退社当日に確認をします。
また、給与に関しましては1月20日に最終振り込みを行うので、
何かありましたら総務部に連絡してください。
何かしつもんはありますか?」
なんだか気怠そうに私に説明する。
まるでなんで俺がこんなことをしているんだ?
あと何回おんなじ説明をするんだ?
お前たちだってこうなった理由を察しているだろう
なんなら早く帰って酒飲みたいぐらいの態度をしている
(なんで私はこんな男の下で5年も働いて来てしまったんだろう
でも、ここを乗り切らなきゃまた始まってしまう)
そんな後悔と焦燥が私の中にふつふつと湧き上がってきた
この悔しさを誰かにぶつけたくて
自分を見失いながら質問をした
「私はまだ、なぜこの会社との契約の延長を認めてもらえない理由を
聞かされていません
労働基準法では、合理的な理由なしに労働契約を破棄は認められていないはずです」
おいおい面倒ごとを増やすなよと言わんばかりの
怪訝顔をこちらに向けて
ため息を一つ吐いてから口を開いた
「わが社は経営方針の変更により
全国数支部の閉鎖を決定しました
それに従って現在全国1136名の契約社員の処遇の最適化
を行っています本件の契約終了はそれに従ったものです」
「では、なぜ私は契約延長の処遇にならなかったのか
お聞かせ下さい」
そう言った瞬間、明治の中にある何かが
我慢の限界を通り越し猛烈な勢いで噴出し、彼女に襲いかかる
「察しろ」
たった一言なのに何も言い返せない
人間のものではない何かが
形容しがたい恐怖が口をふさいだ。
そして数瞬口をわなわなさせた後
「わかりました」
それは彼女の降伏宣言であった
同日 ある町のマンション4階 403号室
あの後、契約終了組に最後のお別れ会の代わりに
飲み会の許可を支部長に真っ先にいただいた
50代の先輩の音頭に全員が引っ張られ
始まってしまった送別会の雰囲気に蝕まれた
(本当はそんな気分じゃなかった。
早く帰りたかった。でも...
先輩にあと6か月、根に持たれて仕事をし続ける
だけの気力が私にはなかった)
逃げるように忘れるように浴びるほどのお酒を私は飲んだ。
家に帰ってくる頃に思考回路を再回転し始めた脳は
会社勤めを始める以前の頃のことを脳内に呼び覚ました
(あの時は、もうお金がなくて
とにかく必死で
どんな仕事でもいいから
大きい会社で給与が安定している会社に就職しよう
そう思っていたんだった。
毎日いろんな会社に面接して
履歴書を送って、生活をするためにコナーズで
アルバイトをしながらそれでも苦しくても心のどこかに
明るい何かがあったな...)
真っ暗な1Kの部屋に最小限しか家具のない
この部屋は部屋の面積に対して広く感じてしまう
それがとても痛い。
あの時と同じだ。
葬儀の後、優しく話しかけてきてくれた
親戚を名乗る男の人は私に
見せかけの励ましの言葉をかけた
まだ、私を心配してくれる偽人がいるそう信じていた
数日後、私のほうから待ち合わせを提案し
その男と会った。でも、これは罠だった
帰り際にいきなり引き止められ、押し倒された。
現実で起きていることと現状の理解がうまくいかなかった
動けなかった。なされるがままだった。
どうしようもなく、ただなされるがままに
男のオスの欲望というのがそのまま体現された
キスをして、体中をさぐられて蹂躙された
それが信じてきたもの
積み上げてきたもの、正解だと思っていればいるほど
がけ崩れのように一瞬で奈落の底に突き落とされる
もうどうしたらいいのかわからない
どうしようもないと諦めてなされるがままに
なったほうが楽なんじゃないか
そう思えてくる
そんな気持ちの中にあっても
体というのはかなり図太い
エネルギーが足りなくなったら
食べ物を欲し、疲れた時に睡眠を要求する。
(おなかすいた、何か食べたい)
人間的な欲求に流されて冷蔵庫の中身を取り出そうと
冷蔵庫の中を開ける
中にあったのは麦茶と昨晩の残り物の肉じゃが
お米は昨日切らしたまま今日のドタバタで買ってない
送別会の席では、お酒ばかり飲んでいて
食べ物を口にした記憶がない。
仕方なく肉じゃがを取り出し、部屋に電気をつけ
部屋の中心にある小さなテーブルに置いた
肉じゃがは温めなかった、もうそれが億劫になっていた
食事を終えた彼女が席を立った直後、一枚の写真が目に
映った。
「なんで?なんで私ばっかりこんな目に合うの
お父さんがいなくなってから、お母さんが死んじゃって
悪い弁護士さんに騙されて、親戚の叔父さんに襲われて
それでも、それでも明日は幸せになるって
必死に仕事をしても、また裏切られた。
お父さん、なんであんなにやさしかったのに
あんなにいつも一緒にいてくれたのに
今、なんで私がこんなに困っているのに
こんなに傷ついているのに助けに来てくれないの
私、アルバイトをしてた頃にね筋がいいねって
褒められたんだよ
今いる会社でね、もう辞めさせられちゃうんだけど
社内表彰っていうのに引っかかって
本社で表彰状をもらって会社の偉い人に
凄いね、これらも頑張ってね
って言われたんだよ
ねえ、お母さんすごいでしょ...」
(私、何しているんだろう
こんなことをしてもお母さんもお父さんも
帰っては来ないのに)
写真たてに向かって話しかける彼女は
瞳孔が開ききっていて、狼狽しており
見るからに憔悴していた
絶対に帰ってこない答えは
吐き出すことで保たれていた
彼女の心のバランスを崩壊させるのに
十分だった。
「私はただお母さんにすごいね
頑張ったねって言ってほしいだけ
お父さんにあの時のように抱きしめて
欲しいだけ
なんで今、お母さんもお父さんもいないの。
なんで?なんで?なんで?
何か言ってよお母さん、お父さん」
その瞬間、部屋の中に大きなガラスの割れた音
が響いた
それは彼女の両親と彼女が映った
今、彼女が手に握りしめていたはずのものだった
いつの間にか部屋の端っこに投げ捨ててしまった
そう感じた時、彼女の中にある自分への自己憐憫が
恐怖に変わった
彼女の顔は恐怖に引きつり、
逃げるようにしてベットの中に隠れた
(もう嫌、誰か助けて)