第零章 これは序章に過ぎない
「──っ!!」
真夜中、息を切らせ目を覚ました悠。尋常ではない量の汗を体中に掻きながら、まるで周りに何かいるかのように目を泳がせている。首に掛けられた十字架を拳が震えるほど強く握り、ブツブツと言葉を唱えると、悠は安心したかのように再び眠りについた。
5月下旬、季節は春から夏へと変わりつつあったが、今週はずっと雨が続いている。今年の梅雨入りに、クラスの皆は腹を立てている様子だった。
「ね!これ凄いよ悠!」
悠の前に座っていた茜が突然振り向き、目の前に雑誌を突きつけてきた。『密室殺人、死因は窒息!?』という見出しが、雑誌の記事になっている。悠は少しすると、雑誌を手に取り、興味深そうに目を通した。
被害者は地元の国立大学に通う二年生、相坂 鈴さん。自宅のベットで血まみれになっている所を母親が発見。直ぐに病院へ搬送されたが、死後2時間以上が経過していると見られた。部屋の扉や窓には鍵が掛けられており、その部屋は完全な密室となっていた。母親が持っていた合鍵の使用により、部屋へ入ることが出来たため、母親が犯人の可能性が高いと見られたが、被害者の死に方が異常であったため、その可能性は低いとされた。昨日行われた司法解剖により、死因は窒息と判明したが、体中の血液を全て抜き取られ、その体に掛けられていたことから、快楽殺人ではないかと言われている。
その記事に目を通し終えると、悠はゴクリと音を立て、生唾を吞み込んだ。推理小説などが好きだった悠からすれば、それこそ推理されるべき事件ではないかと興奮していたのだ。
「一昨日起きた事件みたいなんだけど、オカルトの匂いがするよね!」
茜のその発言に、悠は 茜が相当なオカルト大好き人間だということを思い出した。そんなオカルト好きの茜とは反して、悠はオカルトといった類いを全く信じない人だった。
「私は、計画的な殺人だと思う。案外お母さんも協力してたりするかも」
手に持っていた雑誌を茜へ返し、この事件がオカルトではないと告げる。すると茜は再び目の前に何かを突きつけてきた。
「新聞の記事?」
切り取られた新聞の切れ端は、さっきの事件について書かれた記事だった。雑誌とはまた違う見出し、『オカルト的事件ではないか!?』と取り上げられていた記事に、茜の意気揚々とした顔が嫌でも浮かんだ。
被害者の相坂さんは死亡当時、首に十字架を掛けており、死んだ後も強く十字架を握り締めていたとされている。十字架に詳しい専門家は、その十字架が悪魔除けの意味を成していると述べた。
「……これって」
悠には少し、心当たりがあった。一昨日、この事件が起きた日と同じ日に、悠はこれに似た夢を見ていたのだ。
薄暗い部屋、窓から差し込む月明かり。そして──悠を囲むように、ただ悠をじっと見つめる複数の黒い影。恐怖に無意識で口を動かし、何かを唱えた気がする。
「──悪魔よ、死してなお美しく我に尽くせ」
記憶を頼りに夢と同じ言葉を口にした次の瞬間、甲高い不快な雑音が頭に響き、悠は思わず目を閉じた。その不快な音が鳴り止むのを待ち続け、そして、音が鳴り止むと──悠はゆっくり、目を開けた。
「──え」
見たことのない生き物の上へ乗り、荷物を運ぶ馬車のような物。人が行き交う光景は、幻のように思えた。が、立ち止まる悠の体には、行き交う人の荷物やら腕が当たり、幻でないことは嫌でも理解できた。
「ど、どうなってんの!?」
これはまだ序章に過ぎない。悠の異世界生活は、これからが本番なのだ──