13.わたくし人質
しん、と沈黙が張り詰める。
二人とも私の言葉に目を丸くして固まっていた。
その沈黙を破ったのは、チェシャ猫の笑い声だった。
「あははは! 君、いいね! おもしろい! 自分を人質? それは新しい脅迫の仕方だ」
「ふざけるなっ」
男がチェシャ猫を鋭く睨み付けた。
「うわぁ、こわい、こわい」
チェシャ猫は笑みを浮かべたまま大袈裟に肩をすくめた。
人を馬鹿にしたようなその態度に男は舌打ちを漏らしたけれど、真面目に構うことすら面倒だと思ったのだろう、チェシャ猫を無視して今度は私を睨んできた。
その眼光の鋭さに一瞬体が竦んだけれど、ぎゅっとハサミを持ち直して何とか持ち堪えた。
「な、なによ」
「いや、つくずく胸糞悪い女だと思ってな。メアリーの体でなければ、私がお前を切り刻んでやりたいほどだ」
ハサミの切っ先のように鋭く冷たい目で男が淡々と言った。
その目だけで既にあらゆるところが切り刻まれている気がするから恐ろしい。
けれどここで恐がっていると悟られてはいけない。
私は余裕を見せようと口の端を無理矢理持ち上げた。
「……いいの? そんなこと言って。メアリーさんてあなたの恋人なんでしょう? 恋人の喉から血飛沫が飛び散るの見たいの?」
男の眉がピクリと動いた。
不快感を露わにした表情で黙り込んでいたけれど、しばらくするとゆっくり口を開いた。
「……確かにメアリーの体が傷つけられるところは見たくない。だが、その体は今お前の体でもある。つまり自分の体を傷つけることになるんだぞ? その覚悟がお前にあるのか?」
覚悟の程を探ろうとするかのように男がじっと私の目を見詰める。
試されている。
そう思ったら一瞬だけ言葉に詰まったけれど、すぐに不遜な笑みを貼り付けて答えた。
「当たり前よ。自棄になった人間ほどこわいものはないって思い知らせてあげる」
刃先を皮膚にあてた。
手が震える。
怖くないと言えば嘘になる。
でも、やるしかない。
これは賭けだ。
今、この世界についても自分についても分からない私は圧倒的に不利だ。
この意味の分からない状況から脱するヒントを得るには、この男と少しでも対等に近い関係に、いや有利な関係に持ち込まなければならない。
分からないだらけの中で唯一確かなことは、男がこのメアリーを大切に想っていることだけだ。
そのメアリーは私の手の内にあるどころか、私の手がメアリーなのだ。
これを利用しない手はない。
無言で睨み続ける男に、私は精一杯の虚勢を張って睨み返した。
しばらくすると、男が目を逸らしてため息を吐いた。
「……いいだろう。お前の質問に答えよう。ただし、私の分かる範囲でだ」
不承不承といった感じだったけれど男から承諾の言葉が聞けて、全身から力が抜けそうになった。
「……その前に」
男がちらりと私の胸元に目を遣った。
「まずは服を着替えろ。チェシャ猫とは言え、他の男の前でメアリーの素肌を晒したままにしておくのは不愉快だ」
一体誰が切り裂いたと思ってるのよ! という至極真っ当な突っ込みは飲み込んで、大人しく男の指示に従った。