12.私はアリス?
もう何が分からないのか分からなくなるほど混乱しきっていた。
私がメアリーで、遺体で、生まれ変わり?
分からないことだらけで目眩がした。
考えてみればこの世界に来てからずっと疑問は増える一方だった。
いい加減、脳も容量の限界を超えている。
「……お願い、この状況を分かりやすく説明して」
額を右手で押さえながら二人を見る。
けれど男は私の言葉をため息でもって一蹴した。
「こっちが聞きたいくらいだ」
「帽子屋さん、この子本当にメアリーなの? もしかしたらこの子の言うとおり人違いかもしれないよ。ほくろなんてよくあるものだし」
「ほう、じゃあお前がさらい屋として痛恨のミスを犯したということになるな」
「いや、だってさぁ、まさかそっくりさんがいるとは思わないじゃん。白ウサギの家にメアリーらしき人がいたらそれはもうメアリーと思うでしょ」
さらい屋としてのプライドが傷ついたのか、チェシャ猫は唇を尖らせて言い訳がましい反論をした。
「まぁ、とにかく胸元のほくろくらいで本人と断定するのは気が早すぎでしょ。何か他に特徴とかはないの?」
「……そういえば確かメアリーには背中にアザがあったはずだ」
男は私の方に向き直った。
「おい、背中を見せろ」
「え! い、いやよ!」
男がくれた上着をぎゅっと握りしめて後ずさった。
その拍子に、作業台の上の鏡に肘がぶつかって、鏡がバランスを崩した。
「あ……」
手を伸ばした時には、すでに鏡は床の上で、悲鳴のような音とともに弾けた。
私は慌ててしゃがんで砕けた鏡の破片を拾おうとした。
けれど、破片に映るものを目にした瞬間、体が固まった。
そこには当然私が映っているはずだった。
疑うまでもない。
なのに、鏡の中の私は私ではなかった。
見知らぬ少女が驚いた顔で鏡の中から私を凝視している。
私が瞬きすれば、彼女も瞬きした。
少しの遅れもなく同時に。
皮膚が切れるのも気にせず私は床に手をついて、割れた鏡の破片をひとつずつのぞき込んだ。
けれど、どれも吐き気がするくらい見知らぬ少女ばかりが映っていて、私らしき姿は影すらなかった。
悲鳴を上げて混乱と恐怖を吐き出したかった。
けれど、鏡の中の少女も悲鳴を上げたらと思うとそれの方が怖くてぐっと堪えた。
私はアリス。
私はアリス。
私はアリス……ーー。
……本当に?
揺らぎない事実を心の中でおまじないのように唱えていたら、あり得ない疑念が心の隙間から吹き込んできた。
私は慌てて首を振った。
私はアリス。
間違いなくアリス。
疑う余地なくアリス。
疑問に思うのもバカらしいほどアリス。
アリス、アリス、アリス、アリス、アリス……ーー。
けれど自分に言い聞かせるほど、私は自分がアリスであることに自信をなくしていった。
「……私は、本当にアリスなの?」
ついに自分で言ってはいけない言葉を口にしてしまった。
私は力なくチェシャ猫たちの方を振り仰いだ。
「うーん、オレには分かんない」
チェシャ猫は困ったように肩をすくめた。
「お前が誰だろうと私にはどうでもいい」
男が面倒くさそうに溜め息をついた。
「……そうよね、私が分からない自分のことをあなたたちが知るわけないわよね」
私はふらりと立ち上がった。
疑問は何一つ解決していないのに、なぜか頭の中は嵐が過ぎ去ったように静かだった。
スーッと深呼吸をした。
そして作業台に置いてあった裁ちバサミを素早く手に取り、その切っ先を自分の喉元に向けた。
「ど、どうしたの?」
「おい、一体何の真似だ」
チェシャ猫が動揺し、男が眉間に皺を寄せる。
私は二人に視線を据えながらゆっくり口を開いた。
「何の真似って、決まってるでしょ。人質を使った脅迫よ、脅迫。いい? メアリーを傷つけたくなかったら、大人しく私の質問に、全て、答えてちょうだい」