9.はじめましての再会
私たちがいた部屋を出ると、廊下を挟んで向かいに二つ部屋があった。
廊下の右奥、私たちがいた部屋の右隣には下に繋がる階段がある。
けれどチェシャ猫が向かったのは左隣の小さなシルクハットが飾られた部屋の方だった。
チェシャ猫は心の準備をする暇も与えず、依頼主の部屋のドアをノックした。
そして中からの返答も待たずに、勢いよくドアを開けた。
「帽子屋さーん、お待たせ~! ご注文通りさらってきたよ~」
気持ちチェシャ猫の後ろに隠れながら、部屋を見渡す。
部屋の中心には大きな作業台があり、布やハサミ、ミシン、鏡、作りかけの帽子などが乱雑に置かれていたけれど、さっきいた部屋とは違って完成された帽子はキレイに棚に並べられていて、床に帽子が転がっていることはなかった。
壁には帽子につけるための花飾りやアクセサリーが掛けられていた。
そして、部屋の奥、窓を背にして中央の作業台とは別の作業台に男が座っていた。
まず目を奪われたのは、彼のかぶる奇抜なシルクハットだった。
黒を基調としているが、所々継ぎ接ぎのように黒と白のストライプやボーダーが走っていて真面目に凝視していると目が回りそうだった。
帯の部分はなぜか包帯で巻かれていて、真っ赤な薔薇が三つ添えられている。
それが前衛的アートの部類に入るのか、単にセンスが悪いのか私には分からなかったけれど、どちらにせよ見る物に不気味な印象を与えるのは確かだった。
帽子に花飾りを縫い付けていた男が顔を上げた。
奇抜な帽子に隠れていて気づかなかったけれど、人形のように綺麗な顔立ちだった。
綺麗すぎる顔立ちとのバランスを取るためにわざと珍妙な帽子をかぶっているのかもしれないと思わせるほどだ。
私の姿をとらえた途端、男の目が見開いた。
まるで信じられないものを見たかのようだった。
男の手から作りかけの帽子が転げ落ちた。
呼吸も何もかも止まったかのように固まっていた。
けれど、私を凝視するその目だけは何かが膨張するような、危うげな気配が息を荒げていた。
その目に薄ら寒いものを覚えた私は、思わず少し後ずさった。
すると止まっていた時が動き出したように男がハッとして、立ち上がった。
そして私から視線を少しも逸らすことなくこちらへ歩み寄ってくる。
その足取りは夢の中を歩くみたいにおぼつかない。
反射的に逃げようと思ったけれど、男の歩みは私に近づくほどに速くなり、寝起きの夢から現実に戻る課程を踏むように徐々にその足取りはしっかりしたものになった。
そして私の目の前で止まる。
私を見下ろし、じっと見詰める。
瞳の中の何かが膨れ上がる気配が痛いほどに心臓まで迫ってくるようだった。
そんなに距離はなかったのに男の息は上がっていた。
乱れた呼吸が口を出入りするばかりで、男は実質無言だった。
……これはもしかして、変質者の可能性大?
チェシャ猫の言葉を思い出して、冷や汗がこめかみを伝った。
とりあえず、チェシャ猫に私をさらって逃げるよう依頼しようと彼の方へ顔を向けると、男が私の腕を掴んだ。
そして驚く間もなく男の方へ引き寄せられて、そのまま抱きしめられてしまった。
彼の感情がそのまま体の中に入り込んできそうな強い力だった。
「……っ、生きていたんだな! ……メアリー!」
「……え?」