第九章
第二次世界大戦の開戦後、日本は中国とロシアに共同で占領地域の防衛や輸送船団の護衛を行うことを提案。両国はこれを受け入れ、中国は黄海・東シナ海・南シナ海を、ロシアはベーリング海及び北太平洋を主な活動海域とすることになった。なお、この時点での両国の主な海軍艦艇は以下の通り。
ロシア海軍極東艦隊
戦艦(全艦が極東艦隊に配備)
ペトロパブロフスク級四隻(ペトロパブロフスク、ガングート、セバストーポリ、ポルタワ)
日露戦争の終結後に史実通り建造された弩級戦艦。史実では「ポルタワ」(ロシア革命後に「ミハイル・フルンゼ」と改名)が1925年に火災で大破・船体は放棄されているが、歴史が変わったために火災も発生せず、改名もされず現役のまま現在に至る。
ウラジオストク級四隻(ウラジオストク、ペソチニャ、ツァリーツィン、イマン)
ロンドン海軍軍縮条約の失効後に日本で建造された戦艦。日本の「筑前」型とほぼ同型艦だが、後知恵の部分は設計変更がなされているため、戦力的にはやや劣る。それでも、最新鋭の超弩級戦艦として海軍上層部から期待が寄せられている。なお、ロシア海軍の全艦艇には寒冷地で行動するため様々な工夫が凝らされている。
重巡洋艦
ボゴローツク級八隻(ボゴローツク、ザチシエ、ストゥーピンスカヤ、ロパスニャ、タルドム、グジャーツク、ポレーチエ、トヴェーリ)
日本の「白根」型の準同型艦。一番艦から四番艦までが極東艦隊に、五・六番艦が黒海に、七・八番艦がバルト海に配備されている。とはいえ、黒海やバルト海にいる艦は滅多に出撃することは無い。
軽巡洋艦
クズネツォヴォ級八隻(クズネツォヴォ、トロイツァ、ルイビンスク、ポシェホニエ、ヤコブレフスコエ、スパッスク、リフヴィン、セルギエフスコエ)
日本の「勝浦」型の準同型艦。それぞれの艦隊にボゴローツク級と同数が配備されている。
駆逐艦
ラネンブルグ級四十八隻(艦名略)
日本の「秋風」型の準同型艦。極東艦隊に二十四隻、黒海及びバルト海にそれぞれ十二隻が配備されている。
潜水艦
C-1級四十八隻(C-1からC-48まで)
日本の「笠戸」型の準同型艦。ラネンブルグ級と同数が各艦隊に配備されている。
D-1級百四十四隻(D-1からD-144まで)
日本の200トン級潜水艦の改良型。沿岸防衛や通商破壊を主目的とし、C-1級の三倍の数が各艦隊に配備されている。
中国海軍
戦艦
蘭州級二隻(蘭州、海口)
ウラジオストク級戦艦の同型艦。とはいえ当時の中国の国力で超弩級戦艦を持つのは無理があり、事実上の予備艦となっている。
重巡洋艦
広州型二隻(広州、武漢)
ボゴローツク級の同型艦。事実上の主力艦であり、時と場合によっては日本海軍の艦船と共に行動することも考えられる。
軽巡洋艦
杭州級二隻(杭州、福州)
クズネツォヴォ級の同型艦。この戦争では専ら輸送船団の護衛などが主な任務になると思われる。
駆逐艦
青島級十二隻(青島、済南、西安、銀川、開封、大連、南京、合肥、重慶、長沙、南寧、南昌)
ラネンブルグ級の同型艦。こちらも同じく輸送船団の護衛が主な任務と思われる。
これらの艦船は開戦直後から行動を開始し、特にロシア海軍極東艦隊は占領したばかりであったアリューシャン列島の防衛にも一役買った。
なお、開戦と共に中国及びロシア国内の工場では航空機の部品や銃砲弾の大量製造が行われ、日本は常に弾薬の備蓄量に余裕を持って戦闘を行うことが出来るようになったのも、戦争遂行の上で大いにプラスに働いた。
またこれに伴い、戦争特需によって中露両国の経済は大いに潤い、技術力の向上にもつながった。このことは、後に中露両国を(日本ほどではないにしろ)工業大国へと成長させる一因ともなったのである。まるで、史実で戦後の朝鮮特需によって日本の工業化が一気に進んだように。
しかし一方で、両国(特に中国)の艦艇は港湾設備の乏しさなどによってしばしば整備不良での出撃を余儀なくされ、酷い時には商船と共に行動することにさえ支障が出ることさえあった。この戦訓を元に後には日本から多数の技師が派遣され、大量の予備部品の供給も行われた。そのおかげか、これらの問題はじきに収束へと向かっていくこととなった。
一方、当初は占領地域への両国の陸軍部隊の駐留も考えられていたものの、これについては現地で蛮行を行う恐れがあるとして実現には至らなかった。
パルミラ環礁の占領後、誠一はアリューシャンの防衛を現地の航空隊とロシアの太平洋艦隊に任せ、フィリピン攻略にあたっていた第二艦隊及び第四艦隊を除く連合艦隊の主力をトラック諸島に集結させた。艦隊がトラック諸島に集結するまでの行動記録は以下の通り。
第一艦隊
1月10日 フェニックス諸島攻略後トラック諸島に寄港し、戦没した駆逐艦「束風」に代えて駆逐艦「広戸風」を編入。同時に損傷艦の修理を実施
第三艦隊
1月28日 パルミラ環礁攻略後、トラック諸島に寄港
第一航空艦隊
1月3日 ハワイ空襲後、横須賀に寄港
1月10日 横須賀を出港
1月18日 トラック諸島に寄港
以降、パルミラやウエークへの航空機の輸送を行う
第二航空艦隊
1月8日 アリューシャン攻略後呉に寄港し、戦没した駆逐艦「滝雲」及び「棚雲」に代えて駆逐艦「横雲」及び「綿雲」を編入
2月4日 呉を出港
2月13日 トラック諸島に寄港
これによって確かに戦没艦の穴埋めをし、ウエークやパルミラの航空戦力の充実も図ることが出来た。しかし同時に、アメリカ海軍に第一潜水戦隊が損傷させた艦を修理する時間を与えてしまったことも事実であった。
そこで、誠一はこの四個艦隊を以ってジョンストン島の攻略を決断。ハワイ攻略の橋頭堡を確保するとともに、もし米艦隊が現れた場合にはこれを撃破することにした。
準備の整った四個艦隊は、2月20日にトラック諸島を出港。一個連隊(2880名)規模の上陸部隊を乗せた輸送船団を引き連れ、ジョンストン島へ向かった。
一方のアメリカ側は、太平洋上の拠点であったウエーク島、フェニックス諸島、パルミラ環礁が相次いで奪われたことに危機感を募らせた。そこですぐにでも攻略艦隊を編成しようとはしたものの、開戦劈頭に空母「ホーネット」及び「ワスプ」と多数の駆逐艦を失ったことと、主力艦である戦艦が複数損傷したことにより計画の延期を余儀なくされていた。
しかし、開戦から三ヶ月が経過したことによって損傷した戦艦群の修理が完了。国内で多数の志願兵を集めることが出来たため、あらためて太平洋の島々を攻略するための艦隊を編成することが出来るようになった。
そのため、アメリカ太平洋艦隊の司令部は直ちに艦隊を編成。2月27日に真珠湾を出港した。この時の編成は以下の通り。
戦艦 メリーランド、コロラド、テネシー、カリフォルニア、ネバダ、オクラホマ、ニューヨーク、テキサス
空母 ヨークタウン、エンタープライズ
重巡洋艦 ノーザンプトン級六隻、ウィチタ
軽巡洋艦 オマハ級十隻
駆逐艦 グリッドレイ級四隻、バグレイ級五隻、ベンソン級五隻、グリーブス級十五隻、ブリストル級十隻
だがその二日後、ジョンストン島までおよそ二百海里の距離に近づいた日本艦隊は第一航空艦隊の空母四隻からそれぞれ戦闘機十二機と攻撃機二十四機からなる攻撃隊を出撃させたのである。これにより殆ど航空機を持たないジョンストン島の守備隊(一個大隊、約千名)は大きな被害を被り、また同時に初めて日本艦隊の接近を知ったのだった。
これを受け、アメリカ太平洋艦隊は作戦目標を「ウエーク島の攻略」から「ジョンストン島の防衛及び日本艦隊の撃破」へと変更。水上偵察機を出撃させ、日本艦隊の捜索を始めた。
その結果、翌3月2日に日本のジョンストン島攻略部隊を発見。日本側もアメリカ軍の艦隊を探してはいたものの、先を越される形となった。
しかしアメリカ側にとって不運だったのは、空母が二隻しかいないことによってまとまった攻撃隊が編成出来ず、攻撃したとしても大きな戦果は見込めないということであった。そのため、アメリカ側は艦載機による攻撃を断念。辛うじて互角である戦艦部隊を頼みにして、艦隊決戦へと持ち込もうとした。
その後日本側も、アメリカ側に遅れること数時間で敵艦隊を発見。だがアメリカ側と異なり空母十隻からなる大規模な航空戦力を有する日本側は敵艦隊への航空攻撃を実行した。この時の攻撃隊は各空母から戦闘機及び雷装した攻撃機がそれぞれ二十四機ずつの合計四百八十機にものぼる大編隊であった。
そして3月2日の午後二時、五百機近い攻撃隊は一斉にアメリカ太平洋艦隊の主力へと襲い掛かった。
午後三時、戦艦「メリーランド」に搭載されていたSCレーダーが、接近してくる大編隊を捉えた。
「南方より、敵と思われる大編隊が接近してきます!」
戦艦「メリーランド」に乗っていた水兵が、上擦った声で叫ぶように報告してきた。
「数は?」
「ご…」
「ご?」
「およそ…五百機です…」
「なっ…」
信じがたい水兵の報告に、唖然とするニミッツ。しかしすぐに冷静さを取り戻すと、急いで直掩機の出撃を命じた。
午後三時十五分、空母「ヨークタウン」艦橋。
ここで、当時のアメリカ空母部隊の指揮を執っていたウィリアム・ハルゼーが大きな叫び声をあげていた。
「いいか!ジャップは一人残らずぶっ殺せ!KILL JAPS, KILL JAPS, KILL MORE JAPS. You will help to kill the yellow bastards if you do your job well!(ジャップを殺せ、ジャップを殺せ、ジャップをもっと殺せ。任務を首尾よく遂行するならば、黄色い奴らを殺すことが出来る!)」
彼の目の前で、F4Fが次々と発艦していった。
だが、その戦闘機隊は余りにも頼りなかった。なぜなら、二隻の空母から出撃した戦闘機は合計でも五十機にさえ届かなかったからである。それでもそのなけなしの戦闘機隊は艦隊を守るために奮闘し、自分たちの五倍近い戦闘機からの攻撃を掻い潜って、何機かの攻撃機を撃墜するに至った。なお、当時「ヨークタウン」と「エンタープライズ」はそれぞれF4F「ワイルドキャット」を十八機、SBD「ドーントレス」を三十六機、TBD「デバステーター」を十八機搭載していた。
しかし、如何せん戦闘機の数が少なすぎた。いくら善戦して五機や十機の攻撃機を撃墜しても、残りの二百機以上が魚雷を投下してくることに変わりは無い。まさしく「衆寡敵せず」という言葉がしっくりくるような状況であった。
もちろん、戦艦や空母を始めとする戦闘艦艇も幾許かの対空兵装は装備している。それでも、VT信管も無くさらには高角砲や機銃の数自体が絶対的に足りないこの状況では、やはり有効な打撃とはなりえなかった。
戦闘機隊や機銃を操作する水兵たちの奮闘もむなしく、零式艦上攻撃機の大編隊が四方八方から魚雷を投下する。そしてその魚雷は案の定まず艦隊の周囲を守る巡洋艦や駆逐艦に襲い掛かり、大爆発を引き起こし、その多くを真っ二つにへし折って海中へと引きずり込んでいった。
その次に攻撃の矢面に立たされたのは、意外にも戦艦部隊であった。というのも、このままでは敵艦隊が艦隊決戦を挑んでくるだろうと読んだ誠一があわよくば戦艦部隊を壊滅させることによって敵艦隊を潰走させ、艦隊決戦を避けて自軍の損害を減らすことが出来ると考えたからである。そしてその旨を山本長官に伝えたところ、山本長官もこれを承認したのだった。
引き続き次々と魚雷を投下してくる攻撃隊に対し、戦艦部隊も対空砲火を打ち上げながら必死に回避運動を試みる。だが、精々20ノット前後の速力しか出せないアメリカ戦艦群にとって、その二倍近い速度で接近してくる魚雷を回避することは駆逐艦以上に困難なことであった。
案の定殆どの戦艦に魚雷が命中し、次々と水柱がそそり立つ。それは、航空機の飽和攻撃の前には戦艦は大した戦力にはなりえないということを象徴してるようにも見えた。そして遂に、歴史上初めて戦艦が航空機の攻撃だけで撃沈される時がやってきた。
その艦は、偶然にも史実の真珠湾攻撃で「アリゾナ」とともに完全に失われた(1943年に引き上げはしたが、1947年にサンフランシスコに移送中沈没した)戦艦「オクラホマ」であった。「オクラホマ」は左舷に合計五本もの魚雷を受け、ゆっくりと転覆、沈没していった。時に午後4時32分のことである。
アメリカ太平洋艦隊の将兵のうちで、この様子を見たものはことごとく言葉を失った。尤も、今まで例え停泊中だとしても航空機の攻撃で沈めることは困難だと思われていた戦艦が、いきなり戦闘中に撃沈されたのだから無理からぬことではあったが。
結局、この攻撃では戦艦の沈没は「オクラホマ」のみに留まった。しかし、他の戦艦も殆どが傷つき、さらには多くの巡洋艦や駆逐艦が失われた。この戦闘における両軍の損害は以下の通り。
日本軍
撃墜 戦闘機十二機、攻撃機三十二機
アメリカ軍
撃沈
戦艦 オクラホマ(ネバダ級)
重巡洋艦 シカゴ、ヒューストン(ノーザンプトン級)
駆逐艦
グウィン(グリーブス級)
ブリストル、コリー、エモンス(ブリストル級)
損傷
ほぼ全ての戦艦など、合計十隻以上
これにより、戦艦部隊に大損害を与えるという当初の目的は達成された。しかし、二ミッツは戦艦部隊の保全よりもジョンストン島の防衛を優先。戦艦部隊に進撃を続けさせるとともに、ハルゼー率いる航空母艦部隊に日本艦隊への航空攻撃を命じた。
航空攻撃による大戦果を聞いた時、誠一は敵戦艦部隊が撤退してくれることを期待していた。しかしその後の水上偵察機の報告によって、自分の目論見が外れたことを知ったのである。
その日の夜、戦艦「秋津洲」の予備会議室(誠一がこの艦を設計する際、艦魂たちの専用会議室として作っておいた)では、その日の仕事を終えた誠一や第一艦隊の艦魂たちが今後の対応を話し合っていた。
「しかし、戦艦を殆ど手負いにしたのに突っ込んでくるとはな…」
誠一が、ため息混じりにそう呟く。
「敵さんもそれだけ必死ってことでしょう。ま、私としちゃあ艦隊決戦が出来ることは願ったり叶ったりですけどね」
「いいなあ安房は。そーゆー風に考えられて。私は御免蒙りたいよ」
「美濃姉さんの気持ちも分かりますが、私たちはあくまで戦艦の艦魂ですよ?艦隊決戦は、まさに戦艦の本分だと思いますが」
「何よ、美作まで。どーせ私は日本海軍一の無気力戦艦ですよーだ」
「…そんなこと言わないで下さい。私だって不安でしょうがないのですから。それに私たちがどれだけ戦いを避けようとしても、アメリカ戦艦部隊を撃破しないことにはジョンストン島を攻略することは出来ません」
豊前が、まるで怯えるように話す。そんな彼女を勇気付けようと、伊予が諭すように話しかけた。
「大丈夫だよ。こっちは六隻とも16インチ砲搭載戦艦だけど、向こうには二隻しかいないんだから。それに足だってこっちの方が速いから、いざとなったら楽に退却できるしね」
「然り。我々の為すべきことは彼の艦隊を撃砕し、友軍のジョンストン島占領を助くるのみ」
「それに私たちの艦載機が攻撃して殆どの艦が傷付いているのですから、こっちが負ける恐れは無いといっていいのでは?」
「…それもそうですね。すいません、心配をかけて」
伊予たちの言葉で、なんとか元気を取り戻す豊前。そんな中ふと誠一が時計を見ると、時刻は既に消灯ぎりぎりになっていた。
「…さてと。今日はもう遅いから、みんな明日に備えてしっかりと寝ておくんだぞ」
誠一はそう言うと、早く眠気をどうにかしようとそそくさと会議室を後にした。
翌朝、アメリカ軍の空母「ヨークタウン」及び「エンタープライズ」から第一艦隊に向けて攻撃隊が出撃した。編成は以下の通り。
ヨークタウン航空隊 F4F六機、SBD十八機、TBD十二機
エンタープライズ航空隊 F4F八機、SBD十八機、TBD十二機
午前十時、戦艦「秋津洲」艦橋。
「対空電探に感あり!距離七万、十時の方向より、戦爆連合七十!」
「すぐに直掩機を出せ!」
「『祥龍』以下十隻から直掩機百二十機、出ます!」
「祥龍」以下十隻の空母から、百機を超える戦闘機が飛び立ってゆく。しかしこれは、現在出撃できる全戦力ではない。
原則として、祥龍型(及び神鶴型)空母に搭載される三十六機の戦闘機は半分が制空に、もう半分が艦隊の防空に回されることになっている。確かに前日の攻撃でそれより多い一隻あたり二十四機の制空隊を出したことや、その制空隊から損害が出たことによって各艦の稼働機は減っていた。だが、それでも一隻あたり二十機程度の機体が動かせる状態で残存していた。
それにも関わらずその全てを出撃させなかったのは、まず敵の第二次攻撃を恐れたことが一つ。そしてなにより、こちらが第二次攻撃隊を出したいというのがあった。
誠一にとって、敵艦隊が痛撃を受けながら撤退をしないというのは予想だにしない出来事であった。それ故に、なんとかして艦隊決戦の前に敵艦隊を撃退しなければならないという焦りがあったのである。
幸いなことに、敵機はこちらの戦闘機による攻撃で過半が撃墜され、生き残った機体もてんでんばらばらに突入してきた。
しかし結果として、敵艦隊がばらばらの方向から突入したことによって対空火器は思うように戦果を挙げられず、これによって撃墜できた機体は数えるほどであった。
生き残った敵機は、やはりというべきか戦艦部隊に向かってきた。そしてその中でも、一際大きな「秋津洲」が集中攻撃を受けた。
「十時の方向より雷跡二!」
「取り舵いっぱあぁい!」
この日すでに五本以上の魚雷を避けた「秋津洲」に、なおもTBDの編隊が襲い掛かる。
「駄目です!回避できません!」
「総員衝撃に備えろっ!」
魚雷が命中する寸前、誠一は秋津洲の方を見やった。しかし、予想に反して彼女は取り乱さないどころか表情一つ変えていなかったのである。そして…
ズズウウゥゥ…ン
「秋津洲」の左舷に、二本の魚雷が突き刺さった。それと同時に、艦全体が揺さぶられる。
「くっ…秋津洲…?」
柱にしがみついて衝撃を堪えた誠一が、ゆっくりと顔を上げる。
そこには、左肩から血を流しながらうずくまる秋津洲の姿があった。
肩から血を流す秋津洲をみて、慌てて誠一が駆け寄る。
「秋津洲!大丈夫か!?」
「浸水が発生したとは思いますが、戦闘に支障はありません」
「そうじゃない。その怪我のことを聞いているんだ」
「…そんなことを聞いて、どうなさるおつもりで?」
「…どういうことだ?」
「この傷は、私の船体が損傷したことによって出来たものです。ですから、今あなたが私の損傷のことをお聞きになったとしても、あなたは何もなさることが出来ないでしょう?」
「確かにそうかも知れん。だが、目の前で戦友が傷ついたとしたら心配するのは当然のことじゃないか?」
「そういうことでしたら、お気持ちだけは受け取らせていただきます。…しかし、あくまで私は艦魂であなたは人間なのです。このことだけは、どうかお忘れなきよう」
そう言うと、秋津洲は何事もなかったかのように立ち上がった。その時誠一は、ただその背中を何も言わずに見ていることしか出来なかった。
一方、二人が話している間にも戦闘は相変わらず続いていた。
「あーもう!一体何機落とせばいいのよ!」
やけくそになって軍刀を振り回しながら、美濃が叫び声をあげる。彼女は自艦に攻撃を仕掛けてくる敵機の大半を撃墜していたが、それでもなお襲い掛かってくる敵機は後を絶たなかった。
そして今また、一機のSBDが急降下を始めた。
「敵機直上、急降下あっ!」
見張り員が、断末魔のように叫ぶ。
「面舵一杯!」
大急ぎで転舵する「美濃」。しかし、基準排水量が二万トンに及ぶ船体では舵の効きももどかしいほどに遅かった。
「く…っ」
自分の船体に今まさに命中せんとしている爆弾に気付き、美濃はきつく目を閉じた。
そしてその直後、その1000ポンド爆弾は「美濃」の第二主砲塔の脇に突き刺さり、大爆発を起こした。
「がは…っ」
左脇腹が裂けると同時に、美濃は血を勢い良く吐き出した。その血はそこらじゅうに飛び散り、彼女の軍服や床を赤黒く染め上げてゆく。
「まさか…たかが1000ポンド爆弾が当たっただけでこんなに痛いなんてね…」
幸い「美濃」に命中した爆弾は装甲を破るまでには至らず、大した損傷とはならなかった。しかし機銃が何基か破壊されてしまい、辺りは兵士の死体や血が飛び散るなどして、見るも無惨な光景であった。
その後、攻撃を終えた攻撃隊は壊滅的な損害を被りながら帰還していった。この戦闘における両軍の損害は以下の通り。
日本軍
損傷
戦艦「秋津洲」「美濃」(損傷は軽微)
その他巡洋艦数隻
アメリカ軍
撃墜
F4F十機、SBD二十九機、TBD十七機(損耗率七割超)
結局、この攻撃によってアメリカ側の母艦航空隊は大きな損害を被っただけでなく、攻撃目標である日本海軍戦艦部隊へも大した損害を与えることが出来なかった。
この時、双方の艦隊の距離はおよそ百五十海里。予測では、このまま距離が縮まればこの日の夕方から夜にかけて会敵するはずだった。
午後三時、戦艦「秋津洲」予備会議室。
「…いよいよ、アメリカ海軍の戦艦部隊と雌雄を決する時が来た」
その場にいた全ての艦魂が、神妙な面持ちで誠一の方を見つめる。いつもは面倒くさそうにしている美濃や言葉遣いが荒い安房とて、例外ではなかった。
「今回、こちらは第一及び第三艦隊に所属する空母を除く全艦で敵に当たる。おそらく、まずは戦艦部隊同士の砲撃戦になるだろう。ここでこちらは高速を利し、出来る限り早期に距離を詰める」
「ちょっといいか、誠一さん?」
「どうした、安房?」
「下手に近づいたら、敵にボカスカ撃ち込まれるんじゃないですか?それよりは、こっちの方が射程が長いんですから、暫くの間アウトレンジで一方的にボコボコにした方が…」
「夜間に三万や三万五千の距離で砲撃しても、いくらレーダーがあるとはいえ命中弾は余り期待できない。おそらく、まともに命中弾を出すには二万ぐらいまで近づかないと厳しいな」
「むう…」
完膚無きまでに否定され、安房がすごすごと引き下がる。
「ある程度まで近づいたら、第三艦隊が敵艦隊へと突撃する手筈になっている。出来れば、この時までに敵戦艦の半数は戦闘不能に追い込んでおきたい。特に、コロラド級はな」
「コロラド級は我が軍の備前型戦艦に匹敵する攻撃力を備えています。少なくとも、そう簡単に撃沈できる相手とは思えません」
「秋津洲の言うとおりだ。だから、海戦が始まったら敵艦隊の戦闘にいるであろう二隻を真っ先に叩き潰す。いいね?」
誠一の言葉に、全員が黙って頷いた。
「…それと、こんなことは本当は考えたくないんだが…最悪の場合、こちらの戦艦群から戦没艦が出るということも十分に有りうる。もしそうなったとしても、みんなは出来る限り動揺せず、戦闘に集中して欲しい。僕から言うことは、これで全部だ」
そう言って、誠一は会議室を出た。そしてその二時間後、日米の戦艦群が砲火を交えることとなるのである。
午後五時、ジョンストン島の西方およそ五十海里。
戦艦「秋津洲」の対水上電探が、北から接近してくるアメリカ艦隊を捉えた。
「北北東より敵艦隊!距離は三万、速力二十ノット、真っ直ぐ南下してきます!」
水兵の報告に、山本長官が頷く。
「山本長官、ちょっと…」
「何だね?」
誠一が、山本長官に耳打ちをする。
「…どうですか?少しばかり博打になってしまいますが」
「博打」という言葉に、山本長官がすばやく反応する。
「面白い。やってみる価値はあるな」
「…二番煎じ、ですけどね」
「しかし、いつ仕掛ける?」
「二万五千か、二万あたりでどうでしょう?」
「そうだな。なら、二万五千で仕掛けるぞ」
「ええ」
一時間あたり、五十海里近いスピードで両艦隊の距離が縮まってゆく。
そして数分後、ついに山本長官が言った二万五千まで距離が詰まった。
「距離、二万五千!」
「…よし、全艦順次取り舵一杯!」
「取り舵ですか!?」
山本長官の命令に、「秋津洲」の艦長が驚きの声を上げる。
「取り舵一杯!」
「…取り舵一杯!」
「秋津洲」を先頭とした七隻の戦艦が、相次いで左に舵を切る。最初は各艦の艦長も驚きはしたが、山本長官の命令には従わざるを得なかった。
驚いたのは、日本側の面々だけではなかった。むしろ日本側の艦長以上に、ニミッツは驚いたのである。
「敵艦隊、一番艦より左に転舵していきます!」
「馬鹿な!我々をバトル・オブ・ツシマ(日本海海戦のこと)の二の舞にする気か!?…ええい、丁字戦法を仕掛けられてはたまらん!面舵一杯!」
右に転舵し、なんとか同航戦に持ち込もうとするニミッツ。しかし、それは不可能なことだった。
なぜなら、彼我の速力差がありすぎたからである。最大速力に十ノットもの差がある以上、アメリカ側は先に転舵した日本側についていくことさえ出来なくなった。
「敵艦隊、右に転舵します!」
「よし、撃ち方始め!同時に面舵一杯!」
砲撃中の転舵は、命中率を著しく下げる原因となる。しかしこの場合、敵が頭を抑えられないようにするためには敵側も常に転舵し続けなければならず、その点では条件は同じであった。しかも日本側は射撃用のレーダーを早くから導入していたため、同じ条件下での命中率では有利であった。
速度差を利用して相手を翻弄している日本側に対し、アメリカ軍は食い下がるのが精一杯だった。そしてそのことが、そのまま双方の士気にも影響しつつあった。日清戦争の黄海海戦の時のような状況が、ここでも生まれたのである。
戦闘開始から十五分後、「秋津洲」の放った一弾が「コロラド」の至近距離に着弾。一方、アメリカ側はいまだ至近弾を出せずにいた。
「どうやら、賭けはうまくいったようだな」
「…今のところは、ですけどね」
そう言いつつも、誠一は内心ほっとしていた。確かに日清戦争の黄海海戦や日本海海戦で同じような戦術が大成功を収めたとはいえ、今回もうまくいくという保証はないからである。
そしてついに五時三十分、「備前」の一斉射のうち三発が「コロラド」に命中。さすがに致命傷とはならなかったが、第二及び第四主砲塔を砲撃不能に追い込んだ。「コロラド」は、一回の被弾で一気に砲撃力の半分を失ったのである。
「敵旗艦に命中弾確認!」
この報告に、第一艦隊の将兵は大いに沸き立った。敵が未だに至近弾すら出せていない状況で先に命中弾を叩き出したのだから、無理もない。
一方アメリカ側は「秋津洲」に集中攻撃を行っていたが、放った砲弾は殆どが「秋津洲」の手前側へと着弾していた。これはアメリカ側が「秋津洲」を備前型の改良型と誤認して船体の大きさを小さく見積もったために起きたことであったが、その勘違いは史実の「大和」建造時と同じような情報統制や偽装工作が行われていたことで、アメリカ側が「秋津洲」を16インチ砲搭載戦艦であると判断したのが原因であった。
しかし、ニミッツは薄々このことに気付き始めていた。46センチ砲搭載戦艦であるとの確信には至らなかったが、少なくとも備前型より遥かに巨大な戦艦であることは感づいたのである。
「艦長」
「何でしょう?」
「あの艦に、距離二万で砲撃してみてくれ」
「…?、はい」
「コロラド」の艦長は一瞬訝しむ様な表情を浮かべたが、すぐに残っていた二基の主砲塔で「秋津洲」への砲撃を行った。
そしてその後、「秋津洲」の周囲に水柱が林立。ここにいたって、アメリカ側は初めて至近弾を放ったのである。
同時刻、戦艦「秋津洲」艦橋。
「…とうとう、気付かれましたか」
誠一が、苦々しげにそう呟く。
「何がだ?」
「この艦の大きさです。さっきまでは右舷側の海面にばかり着弾していたのが、急に至近弾になった。これは、敵が『秋津洲』の大きさに感づいたとしか考えられません」
「主砲の口径のこともか?」
「そこまでは分かりません。ですが、否定は出来ません」
「だとすれば、後何斉射かで被弾する恐れもあるな」
「ええ。あとはこの艦の装甲だけが頼りです。…秋津洲、覚悟はいいか?」
「ご心配には及びません」
その刹那、既に中破していた「コロラド」の放った砲弾が「秋津洲」を捉えた。
ズガアァァン!
戦艦「秋津洲」に命中した十六インチ砲弾が爆発する。幸いバイタルパートに命中したため装甲を貫通されることはなかったが、数基の高角砲や機銃が薙ぎ払われるように破壊される等、艦上構造物の被害は少なくなかった。
「ぐう…っ」
またそれと同時に秋津洲の右脇腹が裂け、その傷からは鮮血があふれ出した。いつもは無表情な秋津洲も、この時ばかりは苦痛に顔をゆがめるほかない。
「秋津洲!」
「装甲が破られていませんから、戦闘に支障はありません。…それに私のこの傷とて、修理すればすぐに治ります」
そう言って、秋津洲はまたいつもの無表情に戻った。被雷した時の出血とあわせて少なくない量の血で汚れている服とはまるで正反対の、あたかも擦り傷一つ負っていないような顔である。
しかし、それにも限界があった。アメリカ太平洋艦隊の全戦艦から集中砲火を受けた「秋津洲」は、この後戦艦の主砲弾だけで十発以上被弾することになる。
一方、アメリカ側で集中砲火を受けていたのは先頭にいた「コロラド」と「メリーランド」であった。特に「コロラド」は「秋津洲」の主砲弾を僅か三十分の間に五発も被弾し、第一主砲塔を除く全ての主砲が沈黙。艦上構造物は悉くなぎ倒され、火災が艦全体を覆っていた。
午後五時五十分、「コロラド」艦橋。
火炎に包まれた艦橋で、ニミッツはとうとう「コロラド」の放棄を決意。艦長に総員退艦を指示させ、自らはまだ損傷の少ない「テネシー」へと移ることにした。
ふと、この艦の艦魂である少女の方を一瞥する。彼女は既に倒れ伏し、意識を失っていた。辺りには大量の血が流れ、その血は彼女の服や髪にもこびりついている。尤も、なまじ意識があるよりこのまま死んでいった方が精神的には楽かもしれないが。
ニミッツが艦を出た十分後の午後六時五分、「コロラド」は左舷を下にしてゆっくりと転覆し、沈没。その直後に主砲塔が船体から抜け落ちて弾薬庫が爆発し、犠牲者をさらに増やすことになってしまった。
「敵旗艦撃沈」
この事実は、第一艦隊将兵の士気をさらに鼓舞することとなった。一方で、アメリカ側将兵の士気はほぼ完全に喪失し、これ以後砲撃戦において命中弾を出すことは殆ど無くなった。
そして六時二十分、ニミッツは艦隊の全滅を避けるべく撤退を指示。しかしここでも速力差が仇となり、距離は広がらないどころか逆に狭まっていった。
ここに至って、山本長官は第三艦隊及び第一艦隊の巡洋艦と駆逐艦に突撃を命令。八隻の重巡洋艦を含む艦隊が、落ち武者狩りでもするかのように戦艦部隊に襲い掛かった。
これに対し、ニミッツは苦肉の策として巡洋艦及び駆逐艦全てを艦隊の殿とすることを決断。これは巡洋艦や駆逐艦を全滅させられかねない恐れがあったが、満身創痍の戦艦部隊を逃がすにはこれ以外に方法が無かったのも事実である。
「敵巡洋艦部隊、反転!こちらに突っ込んできます!」
「…戦艦部隊は無視して構わん!第三艦隊と共同で目の前の敵を殲滅しろ!」
山本長官の命令に、誠一は驚いた。てっきり、敵戦艦部隊の追撃を続行するだろうと考えていたからである。
「山本長官、戦艦部隊は如何なさるおつもりで?」
「こっちには空母が十隻もいる。なら、明日の朝航空攻撃で仕留めればいい」
「しかし…。…いえ、これも一種の博打というやつですか?」
「ああ。だが無傷の戦艦を仕留められたのなら、まず間違いなく何隻かはやれるだろう」
「…おそらく、ですけどね」
戦艦部隊が逃げる時間を稼ぐべく、必死に応戦する巡洋艦部隊。だがアメリカ側の戦力が巡洋艦十五隻及び駆逐艦三十五隻であるのに対し、日本側は第一艦隊と第三艦隊をあわせて巡洋艦十六隻及び駆逐艦四十八隻という優勢な戦力を持っていた。
そのため、戦闘は当初日本側が主導権を握る形で進むかと思われた。ところが、一隻当たりでの排水量や砲撃力で勝るアメリカ側の重巡洋艦部隊が善戦。魚雷発射管を持たない重巡洋艦たちが盾となっている間に、残りの軽巡洋艦や駆逐艦が日本の戦艦部隊に向けて突撃を行った。
「敵水雷戦隊、一時の方向より突っ込んできます!距離は七千!」
「一隻たりとも魚雷を撃たせるな!撃沈せずとも良い、戦闘不能に追い込め!」
「秋津洲」を先頭とする戦艦部隊の砲撃を受け、一隻また一隻と炎に包まれる米艦隊。しかし、遂に五千の距離にまで近づいた残存部隊に魚雷発射を許してしまった。
「二時の方向より、雷跡多数!」
見張り員の絶叫が、各艦の艦橋に響く。実際、この時立て続けに放たれた魚雷は数百本にも上った。
「取り舵一杯、前進全速!」
こうなっては、もはや陣形など気にしてはいられない。七隻の戦艦は、各艦の艦長の指示で必死の回避運動を始めた。
しかしその時、爆発音とともに「秋津洲」の後方で多数の水柱が林立した。
「な…っ!?」
背後から聞こえた爆発音に、誠一が思わず後ろに振り向く。そこには、魚雷を食らって水煙に包まれている四隻の戦艦の姿があった。
「『美濃』『安房』『豊前』『美作』被雷!」
「くっ…四隻もだと…!?」
四戦艦被雷という予想外の事態に、誠一は悔しさを滲ませた。一隻や二隻の損傷は十分考えられることだったが、実際の損害はそれを遥かに上回っていた。
「被害は?」
山本長官が、見張り員に尋ねる。
「『美濃』『安房』『美作』は大丈夫なようです。しかし…」
「しかし?」
「『豊前』は…舵が破壊され、操舵不能とのことです…」
「え…?」
思いがけない知らせに、誠一は気の抜けた声を出した。そしてそれの意味するところを知ると、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
この時各艦に命中した魚雷は「美濃」が二本、「安房」が一本、「美作」が三本、「豊前」が三本。つまり、特に「豊前」だけが集中攻撃を受けたというわけではない。それでも「豊前」が操舵不能に陥ったのは、被雷した場所が原因だった。
「豊前」以外の三隻が被雷した場所は「美濃」に命中したうちの一本を除いて何れもバイタルパート、即ち二重に防水区画が張り巡らされている部分だった。それに対し「豊前」は三本全てがバイタルパートの範囲外、つまり殆ど装甲が張り巡らされいない部分に命中し、うち一本が運悪く舵を直撃してしまったのである。
さらに装甲の薄い部分に魚雷が命中したことにより、五千トンともいわれる大量の浸水が発生。「豊前」はゆっくりと右舷側に傾斜し始めた。
その後、アメリカの巡洋艦部隊は大半の艦が沈没ないしは損傷して撤退。その場には、砲雷撃を受けた「豊前」を始めとする数隻の艦艇が炎上していた。
「『豊前』より入電。『我、操舵不可能ニツキ総員退艦ヲ発令セリ』です」
通信長が、「豊前」の復旧が断念されたことを告げる。それを聞いた誠一は、秋津洲に向かってゆっくりと口を開いた。
「…秋津洲」
「何でしょう?」
「僕を『豊前』まで送ってくれないか?」
「お気持ちは分かりますが、危険が大きすぎます」
「分かっている。しかし、最後に豊前にどうしても会っておきたいのだ」
「…承知しました」
そう言うと、他の人間に見られない場所に隠れた上で「豊前」へと移動した。
午後九時、戦艦「豊前」艦内。
既に乗員の殆どが退艦してひっそりと静まり返った艦内を、二人は豊前を探して歩き回った。そして、艦橋の最上部で夥しい量の血を流しながら仰向けに倒れている彼女を発見したのである。
「…豊前?」
誠一が呼びかけると、彼女はゆっくりと目を開いた。
「…宮沢大将、ですか?」
「ああ、そうだ」
「申し訳ありません…本当は、こんなところでは死ぬわけにはいかないのですが…ごほっ!」
咳とともに、豊前が少量の血を吐いた。
「もういい。何故豊前が謝らなきゃならん?謝るのは僕の方だ。君たちをむやみに前線に出したばっかりに、こんなことになって…本当に、何と言ったらいいか…」
「…私のことは、気になさらないで下さい。それよりも、早く退艦を…。このままでは、大将が設計してくださったこの船体とて、いつまで持つか…」
「…わかった。それじゃあな」
「はい。どうか御武運を…」
誠一たちが「豊前」を離れて一時間後、「豊前」は駆逐艦の雷撃によって自沈処分された。これは日本にとって、史実の「比叡」よりも早い戦艦の初喪失となってしまった。余談ではあるが、「比叡」の喪失原因も「豊前」と同じく操舵不能になった後の自沈処分であった。
「豊前」が沈没しつつあった頃、炎上していた日米双方の戦闘艦艇も数隻が相次いでその姿を消していった。この戦闘における両軍の戦没艦は以下の通り。
日本軍
戦艦 豊前
駆逐艦 居待月、閏月(二隻とも第三艦隊に所属)
その他、「備前」を除く全ての戦艦など多数の艦艇が損傷
アメリカ軍
戦艦 コロラド
重巡洋艦 ノーザンプトン(ノーザンプトン級)
軽巡洋艦 ミルウォーキー、マーブルヘッド(オマハ級)
駆逐艦 チャールズ・F・ヒューズ(ベンソン級)
その他、全ての戦艦を始めとする多数の艦艇が損傷