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第八章

 六カ国協約の大西洋方面派遣艦隊がカイコス諸島に向かっていた頃、同じように各国の地中海方面派遣艦隊が相次いでキールやポーツマスを出港。12月24日に全戦力がフランスのツーロンに入港した。


 しかしその頃、地中海ではイタリア軍がマルタ島及びコルシカ島への攻撃を行っており、二島の救援を優先した六カ国協約側は艦隊を二手に分散。ドイツ及びフランスがコルシカ島を、イギリスがマルタ島をそれぞれ救援することとなった。なお、この時のイタリア海軍の主な艦艇の所在は以下の通り。


マルタ島周辺

戦艦 リットリオ級三隻

空母 スパルビエロ

重巡洋艦 トレント級二隻、ボルツァーノ

軽巡洋艦 アルベルト・ディ・ジュッサーノ級四隻、ルイジ・カドルナ級二隻

駆逐艦 アルフレド・オリアーニ級四隻、マエストラーレ級四隻、フォルゴーレ級四隻、フレッチア級四隻


コルシカ島周辺

戦艦 コンテ・ディ・カブール級二隻、カイオ・デュイリオ級二隻

(コンテ・ディ・カブール級のレオナルド・ダ・ビンチは史実通り事故で沈没)

空母 アクィラ

重巡洋艦 ザラ級四隻

軽巡洋艦 ライモンド・モンテクッコリ級二隻、エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタ級二隻、ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ級二隻

駆逐艦 レオーネ級三隻、ナヴィガトリ級十二隻、ソルダティ級十二隻


本土

駆逐艦 カルロ・ミラベロ級三隻、クインティノ・セラ級四隻、ナザリオ・サウロ級四隻、トゥルビーネ級八隻

(他に、小型駆逐艦とも呼べる水雷艇を五十隻以上保有)


 26日にツーロンを出港したフランス・ドイツ連合艦隊は翌日にはイタリアの艦隊を発見。直ちに航空攻撃を実施した。この時の航空隊の編成は以下の通り。


ペーター・ストラッセル航空隊 Bf109T十六機、Ju87C「スツーカ」十六機

ジョフレ航空隊 フルマー(艦上戦闘機)六機、ロワール・ニューポール401艦上爆撃機十八機

パンルヴェ航空隊 ジョフレに準ずる

(ジョフレ及びパンルヴェはそれぞれフルマー十二機、ニューポール二十四機を搭載)


 なお、「ジョフレ」と「パンルヴェ」の搭載しているフルマー艦上戦闘機はイギリスから購入したものである。


 独仏連合軍の空襲に対し、レーダーを装備していなかったイタリア海軍は護衛戦闘機無しでの対空戦闘を余儀なくされた。イタリアにとって幸いだったのは、ニューポール爆撃機が225kgの爆弾しか搭載できないために機数の割に対艦攻撃力が低かったことと、高速艦が多いために回避運動が取りやすかったことである。しかしそれでも五十機以上の爆撃機による攻撃を全て避けきることは到底不可能なことであり、当時は未だに主力艦と思われていた戦艦を始めとして多数の命中弾を喰らうこととなってしまった。


 午前十時、コルシカ島沖合いのイタリア艦隊上空。


 ここを飛んでいるJu87Cの編隊のうちの一機に、史実で519両の戦車を撃破して「戦車撃破王」となったハンス・ウルリッヒ・ルーデル少尉が乗り込んでいた。彼は元々空軍の人間であったが、Ju87の航続距離ではドイツからイタリアへ有効な攻撃が出来ない(オーストリアとスイスは中立国だったため、上空を飛ぶことは困難だった)ことに加えて、その卓越した操縦能力を買われたことによって急遽空母「ペーター・ストラッセル」に乗り込むこととなったのである。


 彼は戦艦「コンテ・ディ・カブール」に狙いを定めると、愛機を一気に急降下させ、海面に衝突する寸前で爆弾を投下した。その後爆弾は狙い通り「コンテ・ディカブール」の艦橋に命中。これにより「コンテ・ディ・カブール」は艦長以下多数の士官が死傷し、対空火器の統制がとれなくなった。


 それに続いて、多数のJu87が空母や戦艦に、ニューポールが駆逐艦や巡洋艦に爆撃を開始。ニューポールが巡洋艦や駆逐艦に目標を絞ったのは、225kg爆弾では主力艦には十分な打撃を与えることが出来ないという考えに基づいたものであった。


 結局、この攻撃でイタリア軍は戦艦の沈没こそ無かったものの、複数の戦闘艦艇や上陸用の輸送船を喪失。それに加えて戦艦二隻を含めた多数の艦艇が損傷し、上陸作戦に多大な影響が出ることとなった。この戦闘における双方の損害は以下の通り。


イタリア軍

撃沈

巡洋艦 アッテンドーロ(ライモンド・モンテクッコリ級)

駆逐艦 パンテラ(レオーネ級)

輸送船三隻


損傷

戦艦「コンテ・ディ・カブール」、「ジュリオ・チェザーレ」

その他複数


 この戦闘でイタリア軍に損害を与えた独仏連合艦隊は、コルシカ島への進撃を続行。艦隊決戦を挑み、一気にこれを撃滅せんとしていた。


 12月28日朝、コルシカ島の西方およそ15kmの海上。


 ここで、イタリア軍の艦隊が艦砲射撃を行っていた。


 そんな中、戦艦「カイオ・デュイリオ」に乗っていた一人の水兵が、北方より接近する大艦隊を発見した。


「一時の方向より、敵艦隊が接近してきます!」

「距離は?」

「三万メートル!」

「くっ…、全艦、撃ち方止め!面舵一杯、両舷前進全速!」


 艦隊司令長官の号令一下、独仏連合艦隊を迎撃すべく単縦陣を保ちつつ転舵するイタリア艦隊。しかし、それよりずっと前に独仏連合艦隊はイタリア艦隊を捕捉していた。


「敵艦隊、右に転舵します!」

「よし、取り舵一杯!」

「取り舵いっぱああぁぁい!」


 フランスの戦艦「リシュリュー」を先頭に、相次いで取り舵を切る独仏連合艦隊。そうしている間にも、両艦隊の距離はじりじりと縮まっていった。


「距離、三万を切りました」

「撃ち方始め!」


 先に発砲したのは、独仏連合艦隊のほうであった。すかさずイタリア側も応戦を試みるが、戦艦二隻が損傷していることもあって苦戦を余儀なくされた。


 そこで、イタリア側の指揮官は「コンテ・ディ・カブール」級の二隻を戦闘海域から離脱させることを決意。これは他の艦が撃沈される確率を増す恐れもあるが、指揮官はそれよりも開戦劈頭における大型艦の喪失を恐れたのであった。


 結果として、「コンテ・ディ・カブール」級の二隻は中破程度の損傷を負いながらも戦闘海域からの離脱に成功した。しかしその代わり、今度は「カイオ・デュイリオ」級の二隻が集中砲火を受けるに至った。


「あーもう!どうしてあの二人はそそくさと逃げてんのよ!」


 そう自分の艦橋の上で叫ぶのは戦艦「カイオ・デュイリオ」の艦魂である。やや長めの髪を後頭部でまとめているが、今はそのポニーテールごと全身を怒りに震わせていた。


「あの二人が逃げたら、実質私たち二人だけで相手の戦艦全部を相手にしなくちゃならないじゃない!全く、一体何を考えているのよ!」


 その言葉を、「カイオ・デュイリオ」の艦橋の上に現れたもう一人の艦魂が聞いていた。


「落ち着いてよ、姉さん。姉さんの言いたいことも分かるけど、今はそれより大事なことがあるでしょう?」


「アンドレア…」


 彼女は「カイオ・デュイリオ」級戦艦の二番艦、「アンドレア・ドリア」の艦魂である。彼女は、姉をたしなめるようにさらにこう続けた。


「確かに私たち二人で敵の戦艦全部を相手にするのは無理がある。でも、別に私たちが相手の戦艦を今ここで沈める必要も無い」

「どういうこと?」

「私たちは、相手の戦艦を撃退さえ出来ればいいってこと。そうすれば、コルシカ島への上陸作戦を続けることが出来る」

「そうかも知れないけど、今の状況じゃあそれさえきついんじゃない?何でもいま私たちの前にいる相手の戦艦の数はイタリアの全戦艦数と同じぐらいらしいし」

「だけど、今はそれ以外にこの状況をどうにかする手段は無い」

「…それもそうね。わかったわ」


 カイオ・デュイリオが半ば渋々ながら了承したのを確認すると、アンドレア・ドリアはその場を去っていった。


「…さてと、面倒くさいけど、仕方ないか…」


 彼女はそういうと、独仏連合艦隊のほうに向き直った。


 その後両艦隊の間で暫し砲撃戦が行われたが、主力艦の数で遥かに劣勢なイタリアは苦戦を余儀なくされ、「カイオ・デュイリオ」及び「アンドレア・ドリア」が損傷。他にも、巡洋艦の中から損傷・落伍する艦が相次いだ。


 ここに至って、イタリア側の指揮官は全艦の退却を決定。さらには主力艦が退却する時間を稼ぐための策として、巡洋艦部隊に突撃を命じた。それは、ジュットランド沖海戦においてドイツ海軍のシェアー中将が巡洋戦艦部隊に突撃を命じたのと似ていた。


 このことを知った時、カイオ・デュイリオは愕然とした。自分たちを逃がすために他の艦が犠牲になるのが、彼女には許せなかったからである。しかし、心のどこかで安堵したのもまた事実であった。


 結局、イタリア側はこの戦闘でコルシカ島の攻略を断念。さらに少なくない艦が沈没乃至は損傷し、戦術的にも戦略的にも敗北を喫することとなった。なお、この戦闘における両軍の損害は以下の通り。


イタリア軍

撃沈

重巡洋艦

フューメ、ゴリツィア

軽巡洋艦

ジュゼッペ・ガリバルディ(ルイジ・ディ・サヴォイア・デュカ・デグリ・アブルッチ級)

駆逐艦

ルカ・タリゴ、ニコロ・ツェーノ(ナヴィガトリ級)

損傷(大型艦のみ)

戦艦 カイオ・デュイリオ、アンドレア・ドリア


独仏連合軍

撃沈

軽巡洋艦

プルトン

駆逐艦

ラ・パルム、フードロワイヤン(ラドロア級)

Z1、Z2(Z1級)

なお、大型艦の損傷は無し


 この戦闘の後、イタリア艦隊は12月30日にナポリへ、独仏連合艦隊は31日にツーロンへそれぞれ帰港した。


 開戦後、イタリアはイギリス領のマルタ島に攻撃を開始。しかし、マルタにはカイコス諸島と同じように多数の航空機が配備されており、イタリア軍はなかなか上陸作戦を実行できずにいた。


 それどころか逆に、27日にはイギリス艦隊からの航空攻撃を受ける羽目になってしまったのである。なお、この時のイギリス軍航空部隊の編成は以下の通り。


アーク・ロイヤル航空隊 シーファイア十二機、ソードフィッシュ三十六機

(全体でシーファイア二十四機、ソードフィッシュ四十八機搭載)

カレイジャス航空隊 シーファイア八機、ソードフィッシュ二十四機

グローリアス航空隊 カレイジャスに準ずる

(全体でそれぞれシーファイア十二機、ソードフィッシュ三十六機搭載)


 この時、艦隊の四方八方から放たれた魚雷は案の定艦隊の外周にいた駆逐艦や巡洋艦ばかりに命中。八十本以上の魚雷のうち、戦艦に命中したのは僅かに三本のみであった。


 結局この攻撃ではマルタ島攻略作戦を完全に頓挫させるには至らず、コルシカ島の場合と同じく艦隊戦へと移行していくこととなった。この戦闘における両軍の損害は以下の通り。


イタリア軍

撃沈

駆逐艦

グレカーレ、シロッコ(マエストラーレ級)

ジョスエ・カルドゥッチ(アルフレド・オリアーニ級)


損傷(大型艦のみ)

戦艦 リットリオ(魚雷一本命中、損傷軽微)、インペロ(二本命中、中破)


イギリス軍

撃墜

シーファイア二機、ソードフィッシュ九機


 それに続いて、イギリス軍はシチリア島の航空基地へも爆撃を敢行。十機以上の航空機の損失と引き換えに少なくない戦果を収め、艦隊決戦時に空から攻撃される恐れを無くした。


 そして遂に、両軍はマルタ島の北方およそ五海里の地点で戦闘状態に突入。ここでもレーダーを有するイギリス側が先手を取り、イタリア軍は当初後手に回らざるを得なかった。


 しかし、コルシカ島沖の戦闘と違って両軍の戦艦戦力が伯仲していたため、落ち着きを取り戻したイタリア軍は反撃に転じることが出来た。その結果、戦闘開始後しばらくの間は両軍とも損傷艦のみで、沈没艦は出なかった。


 この状況を打破したのは、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」が放った一斉射だった。この時十発の砲弾のうち、三発が「インペロ」に命中。昨日の攻撃で手傷を追っていた「インペロ」は、がくりと速力を落とした。


 それからは戦線を離脱しつつあった「インペロ」にイギリス戦艦の砲撃が集中。主砲塔二基が破壊され、艦上の至るところで火災が発生した。


 それに対し、イタリア側は戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」に砲火を集中。「インペロ」の仇をとろうと、15インチ砲弾を雨霰と浴びせかけた。その結果「プリンス・オブ・ウェールズ」は立て続けに被弾し、急速に戦闘能力を喪失していった。


 しばらくして、両艦隊の距離が縮まっていくにつれ巡洋艦部隊も砲雷撃を開始。ここでも先にあげた二戦艦に攻撃が集中し、両艦は相次いで沈没。その後は両艦隊の艦船が入り乱れての乱打戦となり、戦没艦や損傷艦が続出する事態となった。


 また同時に、イギリス側はイタリア軍が退避させていた輸送船団への攻撃も開始。ある程度の被弾に耐えられる戦闘艦艇と異なり、全く防御装甲を施されていない輸送船が攻撃を受けた結果は無惨な物だった。


 ある艦は火柱を吹き上げて轟沈し、またある艦は艦全体を火達磨にして沈没していった。もはや、地獄絵図とも言うべき惨状が展開されたのである。


 ここに至って、イタリア軍の指揮官は上陸作戦の中止を決定。マルタ島上陸作戦は、余りにも甚大な犠牲を出した末に失敗に終わった。この戦闘における両軍の戦没艦は以下の通り。


イギリス軍

戦艦 プリンス・オブ・ウェールズ

重巡洋艦 バーウィック(ケント級)

軽巡洋艦 クレオパトラ

駆逐艦

イモジェン、インパルシブ、アイヴァンホー(I級)

ブルドッグ(B級)

グレンヴィル(G級)


イタリア軍

戦艦 インペロ

重巡洋艦 トレント

軽巡洋艦 バルトロメオ・コレオーニ、ジョヴァンニ・デレ・バンデ・ネレ(アルベルト・ディ・ジュッサーノ級)

駆逐艦

フォルゴーレ、ランポ(フォルゴーレ級)

ヴィンセンツォ・ジョベルティ(アルフレド・オリアーニ級)

ほか、輸送船十隻以上


 この戦闘によってイタリア軍を撃退した結果、三カ国の連合艦隊はコルシカ島及びマルタ島の双方を防衛することに成功。一方のイタリア軍は戦艦一隻や重巡洋艦三隻を始めとした多数の艦艇を失った上に上陸作戦も失敗に終わり、資源の欠乏とあいまって以後その活動は縮小していくこととなった。


なお、イギリス艦隊は1月2日にツーロンに、イタリア艦隊は12月30日にタラントにそれぞれ帰港している。


 マルタ島及びコルシカ島の攻略失敗後、フランス領内からの爆撃などもあってイタリアの国民士気は急速に低下。アフリカ戦線でも相変わらず撤退に次ぐ撤退で、散々な有様であった。


 そんな中、イギリス・フランス・ドイツの三カ国はイタリアの戦線離脱と早期の和睦を狙ってサルディニア島及びシチリア島への上陸作戦を計画。三カ国の地中海方面派遣艦隊まとめて三カ国連合艦隊を編成し、これを集中運用することによって一気に占領しようと考えた。


 しかし、さすがにこの二つの島の占領には多大な戦力が必要と考えられたため、三カ国の国内で徴兵を行って訓練を施すのに時間がかかってしまい、攻略の準備を終えたのは1942年の2月になってからだった。また、この頃までにアフリカ方面のイタリア軍は十万名以上の捕虜を出すなどして壊滅している。


 このため、この約二ヶ月の間に行われた戦闘は小規模なものに終始し、海上戦闘においても各国から数隻ずつの戦闘艦艇が戦没するに留まった。この期間に地中海方面で失われた両軍の主な戦闘艦艇は以下の通り。


イギリス軍

軽巡洋艦 ナイアド

駆逐艦

デコイ(D級)

ハンター(H級)

潜水艦 アンラッフルド、アンブロークン(アップロー級)


フランス軍

軽巡洋艦 エミール・ベルタン

潜水艦

アマゾーヌ(ディアーヌ級)

ラ・ヴェスタル(アルゴノート級)


ドイツ軍

駆逐艦 Z8、Z12(Z5級)


イタリア軍

軽巡洋艦 アルマンド・ディアス(ルイジ・カドルナ級)

駆逐艦 ベルサリエーレ、カミチア・ネラ、コラッツィエーレ(ソルダティ級)

潜水艦

セルペンテ(アルゴナウタ級)

ジュゼッペ・フィンチ(ピエトロ・カルヴィ級)

アラジ(アデュア級)


 1942年2月20日、フランスのツーロンより四個軍・十二個師団(約二十四万名)を乗せた六十隻の輸送船団を従えた艦隊が出港。なお、編成は前述の各国の地中海方面派遣艦隊を合わせたものと同一である。


 一方のイタリア軍は、三カ国の連合艦隊が出撃したとの情報を得た後にこれの迎撃をすべくほぼ全戦力を持って艦隊を編成。2月25日にタラントより出撃した。しかし「コンテ・ディ・カブール」級戦艦の二隻はコルシカ島沖の戦闘で損傷した部分の修理が完了しておらず、本土に残ることを余儀なくされている。


 だが、この時既に三カ国連合艦隊はサルディニア島への艦砲射撃や航空攻撃を行っており、現地のイタリア軍守備隊(四個師団基幹、約八万名)は少なからず被害を受けていた。


 そして、イタリア軍がタラントを出港したまさにその日、三カ国連合艦隊はサルディニア島への上陸を決行。二個軍・六個師団(約十二万名)が、雪崩のように海岸に押し寄せた。


 上陸部隊の攻撃によって有力な戦車や対戦車兵器を殆ど持たないイタリア軍が総崩れとなりつつあった頃、ようやくイタリア艦隊がサルディニア島近海に到達。三カ国連合艦隊を探したが、その姿は既にどこにも無かった。


 実は、三カ国連合艦隊はサルディニア島への上陸を終えるや否やすぐさま周辺海域から離脱していたのである。そしてサルディニア島攻略部隊の援護をコルシカ島の航空部隊に任せ、次の攻略目標であるシチリア島へと向かっていた。


 そのことをイタリア軍が知ったのは、サルディニア島に到着した直後にシチリア島からの救援要請が入ってからであった。


 この知らせを聞いたイタリア艦隊の司令官は、すぐさま三カ国連合艦隊の追撃を指示。二日後にシチリア島近海に到達したが、サルディニア島の守備隊への支援砲撃などを行わなかったために現地の陸軍部隊は相変わらず苦戦を強いられることとなった。


 一方、シチリア島の南方にいた三カ国連合艦隊は水上偵察機によってイタリア艦隊を発見すると予定されていたシチリア島への陸軍部隊の上陸を中止。急ぎ、イタリア艦隊の迎撃に向かった。


 2月29日夜、シチリア島北方、約十五海里の海上。


 ここで、三カ国連合艦隊とイタリア艦隊が相対することとなった。


 通常、昼間の戦闘であれば遠ければ三万メートル程度の距離で砲戦が行われることもある。


 しかし今回は夜戦ということもあり、両軍が砲撃を開始したのは距離が二万程度になってからであった。だがそれでも、暫くの間両軍は至近弾をたたき出すことすらままならなかったのである。とはいえ夜間ではまともに距離を知ることさえ難しいのだから、無理からぬことではあった。


 砲撃戦が始まって三十分後、イタリア艦隊の先頭を進んでいた戦艦「カイオ・デュイリオ」は探照灯を照射。すでに両艦隊の距離が一万五千メートルまで近づいていたこともあってようやく数発の命中弾を出せるようになっていったが、同時に三カ国連合艦隊の砲撃が「カイオ・デュイリオ」に集中するという事態を招くことにもつながった。


「はぁ…はぁ…」


 自艦の露天艦橋で、傷ついたカイオ・デュイリオが荒い息をしていた。


「さすがに…戦力差が大きすぎるかぁ…」


 そう言って、ため息をつくカイオ・デュイリオ。彼女の言うとおり三カ国連合艦隊とイタリア艦隊の戦力差は圧倒的であり、普通に考えれば勝ち目は無い。いくら38.1cm砲を装備した最新鋭の「リットリオ」級が二隻いるとはいえ、この状況ではさほど意味を成さなかった。


 その後、自軍の不利を悟ったイタリア軍の司令官は撤退を決意。ここに一晩中続いた砲撃戦は終わりを告げ、翌日には三カ国連合軍のシチリア島上陸を許すこととなった。この戦闘における両軍の戦没艦は以下の通り。


イタリア軍

軽巡洋艦

アルベルト・ディ・ジュッサーノ(アルベルト・ディ・ジュッサーノ級)

駆逐艦

ジェニエーレ(ソルダティ級)

ジョヴァンニ・ニコテラ、ベティーノ・リカーソリ(クインティノ・セラ級)

ネンボ、オストロ(トゥルビーネ級)


イギリス軍

駆逐艦

エスコート(E級)

ファイアドレイク(F級)


 なお、ドイツ軍及びフランス軍から戦没艦は出ていない。


 この戦闘により、イタリア軍は殆どの主力艦艇が損傷ないしは沈没。戦闘能力をほぼ喪失し、以後停戦まで目立った活動は一切出来なくなった。


 シチリア島沖海戦の後、海軍の支援を受けられなくなったサルディニア島及びシチリア島の守備隊は苦戦。一方の英独仏連合軍はコルシカ島の航空部隊や海軍の戦艦群の支援を受け、イタリア軍を各地で撃破していった。


 そして、シチリア島が3月17日に、サルディニア島が3月25日にそれぞれ守備隊の降伏という形で陥落。これによって、イタリア本土も安全とは言いがたい状態になった。


 余談ではあるが、三カ国の連合軍が手を焼いたのは戦闘自体ではなく、どちらかと言うと大量に(二つの島の合計で二十万人以上)投降してきた捕虜の面倒を見ることだったそうである。


 一方三カ国が捕虜の面倒を見るのに手を焼いていた頃、イタリア本土では4月5日に教皇であるヴィットリオ・エマヌエーレ三世や議会によるクーデターが発生。これによりベニト・ムッソリーニは指導者としての地位を追われ、逮捕・幽閉されることになった。


 ムッソリーニについで実権を握ったのは、非戦派のピエトロ・バドリオであった。彼はひとまず英仏独の三カ国に停戦を提案し、三カ国もこれを受諾。かくして、日中露の代表も招いたうえで4月15日より講和会議が開かれた。


 だが、これを知ったアメリカ政府は激怒。すぐさま米伊同盟の破棄を通告すると同時に、もし講和条約を締結した場合には宣戦を布告すると通達した。


 しかし結局、4月30日にイタリアと六カ国協約締結国の間で暫定的な講和条約である「パリ条約」が締結された。この条約の内容は以下の通り。


 一、イタリアは全ての植民地及び一部の領土(範囲は1947年に締結された史実のパリ条約に準ずる)の領有権を放棄すること。


 二、イタリアはアメリカに宣戦布告をするとともに、今後は六カ国協約の締結国と共同で戦闘行為を行うこと。


 三、イタリアは六カ国協約の締結国に対し、賠償金を支払うこと(ただし史実より少額)。


 四、対米戦の終結後、イタリアは六カ国協約の締結国が定める枠内にまで軍備を縮小すること。なお、この軍縮枠は後日改めて定めることとする。


 この条約の締結により、地中海方面での戦闘は完全に終結。またその直後アメリカがイタリアに宣戦を布告し、アメリカは七カ国を相手にただ一国で戦争を行わなければならなくなった。

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