第十四章
「潜龍」らを離脱させた連合艦隊は、三月二十四日から再びハワイへの航空攻撃を開始。そして三月中には、ハワイの航空兵力や要塞砲を粗方駆逐することに成功した。
しかし、日本側もこの一連の戦闘で艦載機のおよそ三割を喪失。搭乗員も二割以上(約四百人)が死傷し、出せる攻撃隊は一隻あたり三十機乃至は四十機程度が限界となってきていた。
ここに至って、連合艦隊はハワイへの上陸を決定。四月七日を以って、まずは本間雅春中将率いる三個師団(約四万五千名)をオアフ島のサンセットビーチに上陸させた。ちなみにこの時ハワイにいた守備隊は四個師団・約八万名(史実では開戦時に二個師団)であるが、オアフ島にはこの内一個師団が配置されているのみだった。
四月七日、午前九時。
この時のために温存されていた七十二隻の中型揚陸艦(要目については第二十五話参照)が、サンセットビーチに突っ込んでゆく。そしてその門扉が開かれると、一気に一番槍である安達二十三中将率いる第二十二師団が海岸に雪崩れ込んだ。
これに対し、アメリカ軍も残った火砲で反撃を試みる。しかし衆寡敵せず、航空機の対地攻撃もあって次々と各個撃破されていった。
当時オアフ島にはルーシー要塞、カメハメハ要塞、そして四十センチ砲を装備したウィルソン要塞など各地に強力な要塞砲が存在していた。だがこれらの要塞は軒並み空爆によって破壊され、上陸時に健在だったのは皆無に近かった。
また史実の真珠湾攻撃と異なり戦艦「アリゾナ」が撃沈されていなかったためにその砲塔を転用したアリゾナ砲台とペンシルベニア砲台が着工されておらず、要塞砲も攻撃を受けていなかった故にコンクリートでの補強が為されていなかったのも致命的であった。
加えてアメリカ軍は水際での反撃を行ってしまったために、上陸を許して一週間後には約一万名が早くも死傷。オアフ島に配備されていたM4シャーマン中戦車もこれが初めての実戦となる二式中戦車に次々と葬り去られ、約一月後の五月十二日にはとうとう守備隊が降伏した。
その間にも日本はモロカイ島やラナイ島、マウイ島やカウアイ島といった島々に次々と上陸。甚大な損害を出しながらも各地でアメリカ軍守備隊を撃破し、五月末の時点でハワイ島を除く全島の占領を完了した。なお、各島に上陸した戦力と戦闘結果は以下の通り。数字は概数である。
オアフ島
両軍の戦力及び戦闘経過は前述の通り。日本側は戦死一万二千名、負傷一万名。アメリカ側は戦死一万五千名、負傷一万名。
ニーハウ島
一個師団が四月二十日に上陸し、守備隊一個旅団(約五千名)と戦闘後五月三日に占領。日本側は戦死五百名、負傷千名。アメリカ側は戦死千五百名、負傷千名。
カウアイ島
二個師団が四月十八日に上陸し、守備隊一個師団(約二万名)と戦闘後五月二十日に占領。日本側は戦死五千名、負傷九千名。アメリカ側は戦死六千名、負傷四千名。
モロカイ島
一個師団が四月二十三日に上陸し、守備隊一個旅団と戦闘後五月十三日に占領。日本側は戦死九百名、負傷三千名。アメリカ側は戦死千八百名、負傷千四百名。
ラナイ島
一個師団が四月二十五日に上陸し、守備隊一個旅団と戦闘後五月九日に占領。日本側は戦死千名、負傷九百名。アメリカ側は戦死千六百名、負傷千八百名。
マウイ島
一個師団が四月二十八日に上陸し、守備隊約四千名と戦闘後五月二十一日に占領。日本側は戦死九百名、負傷六百名。アメリカ側は戦死千七百名、負傷千六百名。
カホーラウェ島
一個師団が五月一日に上陸し、守備隊一個大隊と戦闘後五月十日に占領。日本側は戦死二百名、負傷七百名。アメリカ側は戦死二百五十名、負傷六百名。
これらの戦闘で日本軍はハワイ島(守備隊は一個師団)の占領を残して二万名以上が戦死し、二万五千名以上が負傷。アメリカ軍も三万名近くが戦死、二万名以上が負傷するという尋常ならざる損害を被っていた。
そして遂に、日本軍は五月二十三日に残る二個師団をハワイ島へと揚陸。これまでハワイ諸島とその近海でおよそ二ヶ月にわたって続いた死闘に、終止符が打たれようとしていた。
五月二十三日午前十時、ハワイ島北西およそ二十海里。
第二航空艦隊の艦載機がハワイ島への支援攻撃を行う中、この海域で残る二個師団の上陸準備が整えられていた。
「『屍は積みて山を成し その血は流れて川を成す』…か。如何せん、犠牲が多すぎたな…」
「抜刀隊」(「扶桑歌」とも)の一節を、誠一が上陸作戦の準備を見守りながらぽつりと呟く。既に第一艦隊以下の五個艦隊は燃料の都合上メジュロへと帰還しており、近くの海域に残っているのはこの第二航空艦隊だけであった。
これまで、日本は戦艦と空母各一隻を始めとした多くの戦力を失ってきた。無論戦争なのだからある程度の損害はやむなしと言ってしまえばそれまでなのだが、やはり犠牲は少ないに超したことは無いのである。
輸送船から降ろされた上陸用舟艇が、次々と上陸予定地点に向かっていく。目標は、ハワイ島の北西にあるキホロ海岸とワイアレア海岸であった。
尚、これまでの航空攻撃で砲台や航空基地は他の島と同じく壊滅しており、沖合いにいる上陸船団や第二航空艦隊が攻撃を受ける心配は無い。それでも航空攻撃をしつこく行ったのは、ひとえに上陸後の犠牲を減らすためだった。
この結果、上陸時点で既にアメリカ軍守備隊の一割以上が戦死。残った将兵も多数が負傷し、戦力は実質約三割減となっていた。
そんな中、アメリカ軍はこれまでの戦訓から水際での迎撃を断念。内陸部での遊撃戦を展開することにより、日本軍に少しでも多くの損害を強いようとした。これによりハワイ島を巡る戦闘はそれまで以上に泥沼化し、両軍から壊滅・全滅する部隊が続出する惨事となった。
それでも尚、数で勝る日本側は少しずつではあるが勢力圏を拡大。一方のアメリカ側は物資不足や士気の低下によって降伏する部隊も出始め、じわじわと島の南端であるサウス・ポイントに追い詰められていった。
そして遂に、戦闘開始から丁度一月後の六月二十三日に守備隊司令官のウォルター・ショート中将が降伏。彼は史実では真珠湾攻撃を予期できなかったとして罷免されていたが、正規の指揮官がハワイを脱出してしまったために尻拭いをさせられていたのである。
こうして、約三ヶ月に及んだ戦闘の末ハワイ諸島は完全に陥落。これによってアメリカ太平洋艦隊は本土以外の拠点を完全に喪失し、ハワイを奪還しなければ反攻の橋頭堡さえ持てないという状態に陥った。この戦闘における両軍の損害は以下の通り。
日本軍
撃墜(このおよそ三ヶ月の間にハワイ諸島上空で失われた航空機の合計)
戦闘機七十二機、攻撃機百八機
戦死
約七千二百名(ハワイ島上陸部隊のみ)、約四百名(航空母艦搭載機搭乗員)
負傷
約一万五千名(ハワイ島上陸部隊のみ)
アメリカ軍
戦死
約一万一千名(ハワイ島守備隊のみ)
負傷
約六千名(上に同じ)
残存の航空機は破壊乃至は鹵獲
このハワイ諸島攻防戦では、勝った日本軍も上陸部隊のおよそ二人に一人が死傷。航空機も「祥龍」型空母四隻分程度が失われ、この後暫くの間定数を満たすことが出来なくなった。
とはいえ、この攻略戦が徒労に終わったわけではない。先に述べた軍事的な戦果の他にも、アメリカ国民の士気低下という思わぬ効果が現れたのである。これはハワイが陥落したということよりもこの防衛戦でアメリカ軍将兵から夥しい数の犠牲者が出た事に対するものであり、ただでさえマッカーサーが捕虜になったことやアメリカ本土北部への爆撃によって厭戦気分が高まりつつあった現状をさらに悪化させるものだった。
同時に、これまで戦争を指導してきたルーズベルト大統領の支持率も下落。ニューディール政策が史実ほどの成果を挙げなかったことによって決して高くなかった支持率が、一気に低い水準へと落ち込むことになった。
六月二十三日夜、空母「白鶴」予備会議室。
ここでは、ハワイ攻略を終えた第二航空艦隊の艦魂たちが「ハワイ諸島占領記念」と称してアリューシャン列島を攻略したときと同じく大騒ぎをしていた。誠一は最初参加しようか逡巡していたが、白鶴と雲鶴に半ば強制的に連行されてきた次第である。
「ハワイが落ちたとなりゃあ、この戦争は勝ったも同然!後はルーズベルトの野郎が折れるのを待つだけだ…う~」
「大丈夫か?少しは自重した方が…」
酔った勢いで仰け反るように椅子の背もたれに寄りかかる白鶴に、誠一が苦言を呈す。しかし、それを聞き入れる理性すら今の彼女には存在し得なかった。
「何言ってるんですか、宮沢さん?せっかくハワイを落としたっていうのに、今飲まなきゃ勿体無いでしょう?」
「だからって、限度というものがあるだろうに…。一度に一升瓶を一本空けたら、大抵の人間は死ぬ恐れさえあるんだぞ?」
「いいんですよ、私たちは艦魂なんですから。二日酔いくらいはするでしょうが、何日かすりゃあケロリとしてますって」
「…お前、乗組員のこと全く考えないのな」
「それが何か?どうせ私の船体が明日不調になったって任務に支障は…」
「…白鶴?」
誠一が白鶴の顔を覗き込むと、彼女は既に眠りについていた。顔は真っ赤に染まっており、寝息さえ酒臭い。
「姉さん、お酒持ってきた…あれ?」
「どうした、雲鶴?」
「いえ、姉さんがお酒を持って来いって言ったので…」
「…こいつ、まだ飲もうとしてたのか?」
「ええ、何も無い日でも暇さえあれば飲んでますから。…それじゃあ、私はそろそろ戻りますね。姉さん以外で私ぐらい酒に強い艦魂は、この艦隊にはいないので」
「分かった。…それじゃあ、こっちもそろそろ寝るとするか」
翌日、いつも通り「白鶴」の船体各所で異常が発生。幸い航行に支障はなかったが、「白鶴」に乗艦している約二千名の乗組員は戦闘時に匹敵する忙しさを味わったという。
ハワイ占領後、第二航空艦隊は艦載機のうち戦闘機三十六機、攻撃機十八機をオアフ島に陸揚げした上でメジュロへと出発。七月一日に無事メジュロへと帰還した。
また、日本政府はアメリカに対し和平交渉の開始を打診。初期案として主に以下のような条件を出した。
一、グアム島及びウエーク島の日本への割譲とミッドウェー、ジョンストン、パルミラの非武装化
二、フィリピンの独立と、日本軍駐留の承認
三、十年以内の六カ国協約締結国による占領統治、及び軍備の縮小と占領統治後の六カ国協約への参加
勿論、ルーズベルトがこの案をすんなり呑んでくれるとは思えなかった。かといって最初からこちらが譲歩できる限界の案を提示してしまうと最終的には限界以上の譲歩を強いられる恐れがあり、やむなく多少強気の案を提示したのである。
しかし、アメリカ側の回答は想像を遥かに超えるものだった。なんとルーズベルトはハワイを占領されるという非常事態が起きたにも拘らず、開戦前に提示した「ハル・ノート」から殆ど何の譲歩もしていない強硬な案を提出してきたのである。これには、如何に誠一といっても呆れる他無かった。
七月十日、メジュロに停泊中の戦艦「秋津洲」艦内にある予備会議室。
「全く、ルーズベルトはこの現状が分かっていないのか?何も無条件降伏をして軍を解体しろと言っているんじゃあるまいし…」
「誠一さん、それって殆ど史実の日本と同じじゃないですか…」
「もとよりそのつもりで言ったんだよ。…せめて、二つ目と三つ目だけでも受け入れてくれれば良かったんだが…」
これからのことが不安になり、誠一が思わずため息をつく。
「ですけど、これからどうするんです?ハワイは落とせても、米本土上陸はきついんじゃあ…」
「確かに、伊予の言う通りだ。史実に比べて国力が何割増しかになったところで、アメリカ本土への上陸は無謀と言わざるを得ない。だからあとはカナダ領内からの戦略爆撃で国民の戦意を削ぐか、それとも…」
「…それとも、何です?誠一さん」
言葉を詰まらせた誠一に、安房が痺れを切らしかける。
「いっそのことアラスカを分捕ってしまうか、だ」
「しかし、アラスカは環境が劣悪に過ぎます。仮に我が軍が占領したところで、米本土からの爆撃だけでなく自然環境にも対抗せねばならなくなりますから、決して上策とは言えないと考えますが」
「うむ。だがこれ以上の長期戦は国力を疲弊させ、最悪の場合戦線を押し戻される恐れがある。だから、出来れば今年中には講和の切っ掛けを作っておきたい」
「そういえば、原子爆弾は開発しないんですか?」
「美作、確かに原爆を作って使用すればこの戦争は早期に終わるだろう。だがそうしてしまうと、史実と同じように戦後複数の国家が核兵器で威嚇しあうという状況を作ってしまいかねない。だから、核兵器は極秘裏に作ったとしても使う積もりは無いよ」
「原子爆弾」という言葉に、一瞬ではあるものの誠一の顔が曇る。それを見た美作も気まずくなり、その場は一気に暗い雰囲気になってしまった。
「そういえば、アメリカでは来年大統領選挙があるんですよね?だったら、それでルーズベルトが大統領じゃなくなるように仕向ければ良いんじゃないですか?」
「…確かに、一つの手ではあるな。だがそれにしても、どうにかしてルーズベルトの支持率を今より下げないと厳しいだろう」
「それに、史実でアメリカ大統領選挙が行われたのはその年の十一月です。その頃には、おそらくエセックス級空母十隻以上が実戦配備されているでしょう。となれば、何隻かが大西洋に回されても艦隊航空戦力では良くて五分、場合によってはこちらが劣勢に追い込まれてしまいます」
「むう…」
何とか代替案を示して場の雰囲気を変えようとする美濃ではあったが、秋津洲の反論によりこれも頓挫。その後も会議は続けられたが、結局この時決定的な案が出されることは無かった。
とはいえ、全く何もしないのではずるずると長期戦に持ち込まれてしまう。そこで誠一は日本で生産した二式重爆撃機や二式戦略爆撃機をカナダへと派遣し、戦略爆撃の支援をさせる一方でアラスカ占領作戦の計画を開始。山本長官以下誠一の事情を知っている数名の陸海軍軍人とともに、なんとか戦争の早期終結への道を模索するのだった。
一九四三年七月十五日、メジュロ。
ここに、おそらく日本海軍最後の戦艦となるであろう大型艦が護衛の駆逐艦を伴って入港してきた。
艦の名は、秋津洲型戦艦二番艦「瑞穂」。本来は昨年の十一月に竣工予定だった(第三十一話参照)のだが、駆逐艦や潜水艦・護衛艇といった小型艦艇の建造に資材が優先的に回されてしまったために今年の四月にようやく竣工したのだった。
「秋津洲」と寸分違わず同じ形をした船体が、「秋津洲」の右舷に並べられる。ここに、史実の「大和」型を除けばまず世界最強といって差し支えない第一戦隊が編成された。
これに伴い、第一艦隊の戦艦群は戦隊の編成を変更。「秋津洲」及び「瑞穂」の第一戦隊、「備前」「美濃」「安房」の第二戦隊、「美作」「伊予」の第三戦隊へと再編された。
同日午前九時、戦艦「瑞穂」第二主砲塔下部。
ここには既に誠一や秋津洲を始めとした多くの艦魂が揃っており、「瑞穂」の艦魂の登場を今や遅しと待ち侘びていた。ちなみに現在この辺りに人影は殆ど無く、誠一が一人でいても怪しまれる心配は無い。
暫くすると、思ったとおり海軍の第二種軍装(白い夏服)に身を包んだ一人の女性がやってきた。年の頃は二十歳に届くか届かないかといったところで、背中の辺りまで黒髪を伸ばしている。他の艦魂を例に出すなら、敷島の目を切れ長にした感じだろうか。
「初めまして。この度第一艦隊第一戦隊に編入されました秋津洲型戦艦二番艦『瑞穂』の艦魂、瑞穂と申します。以後よろしくお願いします」
そう言って敬礼する瑞穂に、誠一や他の艦魂たちもすぐさま答礼する。
「他の皆さんは艦魂とお見受けしますが…そちらの方は?」
瑞穂が、これまでの艦魂たちと同じように誠一の方を見て誰何する。そこで誠一は、ひとまず瑞穂を彼女の艦内にある部屋(他の艦と同じく、設計段階から予備士官室の名目で存在)へと案内してそこで自己紹介を行った。
「そんなことがあったのですか…。ですが、この戦争が終わったらどうなさるおつもりですか?」
「戦争が終わったからといって、特に何かをするつもりは無いな。戦後のごたごたが一段落したら、それこそやることも無くなるだろうし」
「海軍をおやめになるのですか?」
「それは暫くの間は無いと思うよ。ただ、いつかは身を引くことになるだろうけどね」
そう言って、誠一は上甲板の舷窓から寂しそうに海を眺める。
「…どうか、なさいましたか?」
それまでも瑞穂は相当におっとりとした様子で話していたが、この時は誠一の行動を不思議に思ってかそれに輪がかかっていた。
「…考えてみれば、元帥以外の海軍大将は六十五歳で定年だ。僕が過去に来た時に十七歳として勘定すると、後十年ぐらいで予備役入りだな」
「なら、元帥府に列せられればよろしいのでは?」
「元帥は史実の海軍からは十三人しか出ていない。さらにそのうち六人は死後追贈だから、実質は七人だ。余程のことが無い限り、元帥にはなれないよ」
「そうですか…」
誠一ともども、瑞穂の表情がしょんぼりとしたものになる。それを見かねた安房は、まるで誠一に怒鳴りつけるように話しかけた。
「あーもう!誠一さん、せっかく瑞穂が就役したってのに、何てこと言ってくれちゃってるんですか!これじゃあ、歓迎会どころじゃありませんよ!」
「…あー、すまん。辛気臭くなってしまったな。それじゃあ、予備会議室で瑞穂の歓迎会の準備を始めるか」
気を取り直し、艦尾上甲板にある予備会議室で瑞穂の歓迎会のための準備を始める誠一と艦魂たち。そして三十分もする頃には、部屋の中はかなり豪勢に飾り付けられた。
「それでは、戦艦『瑞穂』の就役を祝って…乾杯!」
「「乾杯っ!」」
誠一の音頭で、瑞穂の歓迎会が幕を開く。すると、安房はいきなり一升瓶に入った日本酒を喇叭飲みし始めた。
「おいおい…。いつもながら大丈夫か、安房?」
「大丈夫ですよ。今までもずっとこうしてきたんですから」
「…ったく、雲鶴や白鶴もそうだが、どうして我が軍の艦魂には酒豪が多いのやら…」
呆れかえる誠一をよそに、安房は水と同じように酒を飲む。おそらく、明日「安房」の乗組員は大変な目に遭うことだろう。誠一は、「安房」の全乗組員に心から同情した。
結局この後安房が飲んだ日本酒は二升近くに達し、翌日から「安房」は二日程度機関が不調に陥ることとなった。
ハワイ諸島の陥落後、アメリカ国内では日本を始めとした六カ国協約締結国との早期講和を支持する国民が増加。これに対し、ルーズベルトはどうにかして日本に大きな損害を与えて国民の厭戦気分を吹き飛ばそうとしていた。
そこで、ようやく就役が始まった「エセックス」級空母を主軸とした艦隊を以ってアリューシャン諸島の奪還を計画。なおも新造艦が多数竣工しつつある「ブリストル」級駆逐艦や「ガトー」級潜水艦も艦隊に編入し、シアトルへと集結させた。なお、七月末までにこの艦隊に編入された主な艦船は以下の通り。
機動部隊
空母
エセックス、ヨークタウン(二代)、レキシントン(二代)、バンカー・ヒル(以上四隻がエセックス級)、エンタープライズ
合計でF6F二百三十四機、SBD百十七機、TBF百十七機搭載。また、インディペンデンス級軽空母五隻(『モントレー』まで)は大西洋に存在
戦艦
アイオワ、ニュージャージー(アイオワ級)
重巡洋艦
ボルチモア、ボストン(ボルチモア級)
他、太平洋艦隊の重巡洋艦全艦
軽巡洋艦
サン・ディエゴ、サン・ジュアン(アトランタ級)
他、オマハ級全艦(クリーブランド級七隻は大西洋に存在)
駆逐艦
平甲板型を除く太平洋艦隊の全艦。尚、ブリストル級はDD-628「ウェルズ」を除く全艦(七十一隻)が竣工しており、残存している全艦が艦隊に編入済み
輸送船団護衛部隊
戦艦
アイオワ級を除く太平洋艦隊の残存艦全て
護衛空母
バーンズ、ブロック・アイランド、ブリートン、クロアタン、プリンス・ウィリアムス(サンガモン級)
なお史実でイギリスに貸与された「アタッカー」級護衛空母三十四隻はアメリカ軍護衛空母として太平洋に存在しているが、今回の作戦には参加せず。また、「アーチャー」及び「アベンジャー」級四隻は計画通り貨物船として竣工。
護衛駆逐艦
エヴァーツ級三十八隻(史実でイギリスに貸与されていた艦も含む)
この艦隊は、訓練を行った後に六個師団(約十二万人)の上陸部隊を随伴させ八月十五日の出港を予定していた。
一方その頃、カナダ南部のカルガリー近郊にある飛行場には七十二機もの二式戦略爆撃機が配備されていた。これはその時生産されていた機体数の過半に相当し、これ以降も一箇所の基地にこれを上回る数の二式戦略爆撃機が配備されたという記録は無い。
これらの機体はおよそ一年前より配備が開始され、唯一つの目標を破壊する配備されていたのである。その目標とは、マンハッタン計画(原子爆弾開発計画)の舞台となったロスアラモス研究所(ニューメキシコ州)であった。
なお史実と異なりドイツから亡命したレオ・シラードからの信書は送られていないのだが、この後に史実と同じくロスアラモス研究所の初代所長となったロバート・オッペンハイマーが原爆の開発を進言したのである。
確かに、研究所一つを破壊するためならこれほどまでの数を用意する必要は無い。しかしロスアラモス研究所は国境から約千四百キロメートルの距離にあり、護衛の戦闘機を随伴させたとしても迎撃で大きな被害を被ることは免れ得ない。だからこそ、それ以外の地域への配備を遅らせてでもここへの配備が優先されたのだった。
八月六日、午前八時十五分(現地時間)。
史実で広島に原子爆弾が投下された日時にあわせ、爆撃隊の一番機が滑走路から離陸する。ちなみにこの時エンジンの不調によって八機が出撃中止となったが、作戦に支障は無いとして決行されている。
それに続き、今度は制空隊として七十二機の二式戦闘機が離陸。爆撃隊を無事ロスアラモスへと送り届けるべく、往復三千キロ以上の長い長い戦いへと赴いた。
だが、これは戦闘を考えると二式戦闘機には飛行不可能な距離である。そこで、主翼の二十ミリ機関砲を一門ずつ下ろしてそこに仮設の燃料タンクを装備するという強硬手段がとられた。これにより、火力は減少したもののどうにか爆撃行への参加が可能になったのである。
離陸から三十分後、爆撃隊はアメリカとの国境へ到達。しかしそれから間もなくして、モンタナ州ヘレナの近くにある航空基地から出撃したP-47十八機の迎撃を受けることになった。
日本を、ひいては未来の世界を護るための戦いが始まった。
戦闘機隊のうち、半数の三十六機が「サンダーボルト」の群れへと襲い掛かる。一方残りの半数は、敵の第二派に備え爆撃隊の横にぴったりと寄り添っていた。
通常、二式戦闘機と「サンダーボルト」の組み合わせであれば少なくとも互角の戦いは十分に可能である。しかし今回二式戦闘機の武装は半分に減少しているため、頑丈な敵機には思うように手傷を負わせることが出来ない。
そうこうしているうちに、「サンダーボルト」の一部が制空隊の攻撃を掻い潜って爆撃隊の周辺へと到達。出撃早々、この攻撃で三機撃墜の戦果を献上する羽目になった。
その後も、ワイオミング州やコロラド州の上空でアメリカ陸軍航空隊は断続的な迎撃を実行。戦闘機三十二機の喪失と引き換えに、往路だけで二式戦闘機二十四機と戦略爆撃機十二機を撃墜乃至は撃退することに成功した。
だが、残った五十二機の爆撃隊は予定通り午後一時頃にロスアラモス研究所の上空へと到達。一機当たり約五トンの爆弾が相次いで投下された結果、爆撃隊の半数弱が投弾を終える頃には研究所は完全に崩壊・炎上していた。
これを見た爆撃隊の指揮官は、既にロスアラモス研究所は壊滅したと判断。未だ爆弾を投下していない機体による攻撃を中止し、帰路にあるモンタナ州やワイオミング州の航空基地へと攻撃目標を切り替えた。なお市街地への爆撃をしなかったのは、戦後アメリカ国民が日本に対し憎悪を抱くことを極力防ぐためである。
これにより、アメリカ陸軍航空隊は合計で二百機以上の航空機を喪失。特に国境地帯のワイオミング州が爆撃を受けたことにより、これ以後の爆撃に対する迎撃にも支障が出る有様となった。
だが、この突然の予定変更によって爆撃隊の被害も増加。同日午後六時ごろの帰還までに、空戦と対空砲火で戦闘機四十二機と爆撃機三十二機が失われる大損害を被ったのであった。
とはいえ何の前触れも無くロスアラモス研究所が爆砕されたことで、ルーズベルト大統領以下この計画を推進していた者たちは驚きを禁じえなかった。当時アメリカ軍はこれが初陣となった二式戦略爆撃機についての詳細を知らず、日本人が独力で五千キロメートル以上の航続距離を持つ爆撃機を開発していたなどとは夢にも思わなかったからである。
尤も史実において日本が開発した航続距離が五千キロメートルを超える爆撃用の航空機は「銀河」を除けば殆どが試作に止まっており、彼らの油断は強ち荒唐無稽なものであるとも言えないのではあるが。
結局、この攻撃でロスアラモス研究所は研究所としての能力を完全に喪失。原爆の開発計画は頓挫し、再び莫大な資金と時間をかけて研究所を建造しなければ原爆の開発・製造は事実上不可能になってしまった。
そしてアメリカの原子爆弾は終戦まで完成することは無く、誠一が危惧していたように戦後列強が核の抑止力で威圧しあうといったことは暫くの間無くなった。このことを考えても、この攻撃は未来に多大な影響を及ぼしたと言えるだろう。
それに加え、本土の内陸部まで日本軍の大規模な爆撃を許したことによってアメリカ国民の国民士気はさらに低下。政敵である共和党はおろか、身内であったはずの民主党の中からさえ早期講和を望む声が出始める有様であった。
それもあって、ルーズベルトはアリューシャン奪還作戦の上陸部隊を増強することを決意。大量就役を始めた「LST-1」級戦車揚陸艦や「アシュランド」級ドック型揚陸艦、さらには各クラスの攻撃輸送艦(これは一隻に千名程度の揚陸部隊が乗艦可能)等を使用して六個師団、約十二万人をアリューシャン列島へと上陸させることにした。
これらの準備によって出港が遅くなったものの、機動部隊と輸送船団は九月三日にはシアトルを出港。太平洋の戦局を一気に挽回すべく、一路「アジアへの架け橋」と呼ばれたアリューシャン列島を目指すのであった。