第十一章
ガチャ、という音とともに扉が開かれる。その瞬間打撃音が聞こえたような気がするが、今さら引き返すわけにもいかなかった。
扉を開けた誠一が目にしたのは、木刀を持っていかにも不快であると言いたげな様子な富士とその側で腰を抜かしている金髪の少女、そして頭に尋常ならざる大きさのたんこぶを作って床に突っ伏している敷島だった。
「あの富士さん、これは一体…?」
「おお、宮沢大将か。いや、そこにいる初霰にたった今敷島がちょっかいを出そうとしたもんだから黙らせていただけだ」
「ということは、ここにいるのが…?」
「初めまして。私が『スチュワート』改め『初霰』の艦魂よ。」
ごく当たり前のように日本語で話しかけてくる初霰に、誠一が目を丸くする。
「こちらこそ、初めまして。…って、日本語が話せるのか?」
「…というより、自動的にその人間が使っている言葉に聞こえるようになっているみたいね。私も聞いた時は驚いたけど」
「つまり、常にYAH○OやG○ogleの自動翻訳ソフトが作動しているようなものか。…それにしては、随分自然な日本語に聞こえるな」
「何の話だ?」
「…富士さん、気にしないで下さい。説明しても話がややこしくなるだけです」
現代の人間にしか分からない話の説明を求められた誠一は、はぐらかすのが精一杯であった。
「それにしても、なんで百年前なんかに飛ばされてきたの?」
「自分でも、何で来たのかは全く分からない。ただ、今はこの戦争を一日でも早く終わらせることだけを考えている」
「ジョンストンも、ミッドウェーも陥落したとなると…次はハワイ?」
「おそらくはそうなる。それでルーズベルトが折れてくれればいいんだが…」
「話は変わるけど、この戦争が終わったとしたら私はどうなるの?」
「アメリカに返還されるか、はたまたこのまま日本で保存されるかのどちらかだろう。日本の艦だろうと鹵獲した艦だろうと、さすがに戦争が終わったからってすぐ解体するのは気が引けるからね」
「日本人の言う武士の情け、ってやつ?」
「うーん、それとは少し違うな。僕はただ、人間にしろ艦魂にしろ必要以上に殺すのが好きじゃないだけだ」
「軍人なのに、変なの」
初霰の態度に、我慢ならなくなった富士が声を荒げる。
「貴様、さっきから黙っていれば大将ともあろう人間に敬語も無しか?」
「富士さん、別に無理して敬語を使わせる必要は無いのでは?使わせるにしても、初霰がこっちに慣れてからでも遅くない思いますが」
今にも初霰に飛び掛りそうな富士を誠一がたしなめようとするが、まるで効果は無い。
「どうしても使えって言うなら使うけど、いまいきなりって言うのはちょっと…。それにそう言うあなたは、逆にその人に敬語を使わせているじゃない」
「貴様…!私のことは今は関係ないだろうが!!」
「富士さん、落ち着いてください!」
「富士殿、歓迎会の席でその様な振る舞い、見過ごしてはおけませぬぞ!」
富士が拳を振り上げたのを見て、誠一と朝日が慌てて止めに入る。しかし二人の力を以ってしても、富士を取り押さえるのは簡単なことではなかった。
「三笠!大隅!富士さんを頼む!」
「「了解!」」
これ以上富士を押さえつけているのは無理と判断した誠一は、三笠と大隅の二人に救援を要請。四人がかりとあってはさすがの富士も振り払うことは出来ず、数分後にようやく富士を落ち着かせることが出来た。
「はあ…はあ…」
「落ち着きましたか?」
「…何とかな。しかし悪いことをした。さっきお前や朝日が取り押さえてくれなかったら、私は間違いなく初霰を半殺し…いや、九分殺しにしていただろう」
「でしょうなあ。私もさっきは無我夢中で取り押さえましたから」
「すまんな。私のせいで歓迎会を台無しにしてしまって」
「いえ、まだ時間はありますから心配は無用でしょう」
二人が話をしていると、そこに申し訳なさそうな様子の初霰がやってきた。
「あの…さっきはごめんなさい。私が敬語を使わなかったばかりに…」
「なに、僕は別に気にしていないよ。ただこの三人が会った時に毎回これじゃあさすがに身が持たないから、富士さんがいる前では敬語を使ってもらっていいかな?…富士さんも、これでいいですか?」
「…ふん、お前がそれでいいなら私は一向に構わん」
四対一の取っ組み合いをして疲労困憊した富士が、もうどうでもいいと言いたそうな口調で言い捨てる。
「わかりました。それじゃあ、これからはそうします」
「頼んだぞ」
「はい!」
こうして、一悶着あったものの初霰の歓迎会は無事続行された。そして翌日から、誠一は再びハワイ攻略作戦の準備に取り掛かったのである。
「スチュワート」の改修が行われていた頃、ミッドウェー諸島沖で失われた艦の代艦を艦隊に編入する作業も進められていた。幸いメジュロには竣工後に本土から回航された習熟訓練中の艦が多数存在しており、この中から軽巡洋艦一隻と駆逐艦五隻が新たに実戦配備されることとなった。戦没した艦のそれぞれの代艦は以下の通り。
「遠賀」に代えて「芦田」(四二年一月竣工)
「時雨月」に代えて「文月」
「表潮」に代えて「夏潮」
「出潮」に代えて「夕潮」
「中潮」に代えて「干潮」
「逆波」に代えて「千重波」
「巻雲」に代えて「鼬雲」
「山雲」に代えて「鯖雲」
また、それまでジョンストンにいた二式艦上戦闘機等を陸上機に置き換え、前線を離れた艦上機は各艦隊の空母艦載機として再び使用されることとなった。これにより、大量に失われた艦上機の補充も比較的順調に進んだのである。
そして、損傷した艦の修理が完了するまでの間潜水艦によるハワイ近海での通商破壊を開始。これによってハワイの防衛戦力が強化されることを防ぎ、攻略を容易にしようとする狙いがあった。
しかし、これには問題もあった。というのも、すでに六月十五日のボーグ級「コパヒー」を皮切りとした護衛空母の本格的な就役が始まっており、これまでより潜水艦の損害が増加する恐れがあったからである。なおウェーク島東方での戦闘以外にも艦艇や航空機による攻撃等で複数の潜水艦が失われており、このことが不安により一層の拍車をかけたのである。四二年六月末までに失われた潜水艦は以下の通り。
一月二四日 「西表」、航空機によりウナラスカ島東方で沈没(代艦は「伊王」)
二月十二日 「喜界」、水上艦艇によりウェーク島北方で沈没(代艦は「生月」)
三月二八日 「古志岐」、航空機によりジョンストン島西方で沈没(代艦は「松輪」)
五月十一日 「金華山」、機雷によりミッドウェー南方で沈没(代艦は「水無瀬」)
六月十八日 「請島」、ペリリュー東方で座礁全損(代艦は「屋久島」)
六月三十日 「小宝」、航空機によりジョンストン島北方で沈没(代艦は「御蔵」)
ちなみにウェーク島沖でアメリカ太平洋艦隊を襲撃した際に沈没した「大神」「中通」「中甑」の代艦はそれぞれ「日間賀」「与那国」「与論」である。
とはいえこの間に日本海軍の潜水艦が撃沈した船舶のトン数は百万トンを優に超えており、戦闘艦艇も「イーグル」級警備艇(第一次大戦時にアメリカが六十隻建造した船団護衛艦艇で、開戦時にも八隻が海軍に在籍していた)三隻を撃沈するなどアメリカの戦争遂行に少なくない悪影響を及ぼしていることもまた事実であった。
さらにはイギリスなどの援助を受けていたカナダが開戦から一貫して五大湖沿岸の工業地帯に空爆を続行しており、特に陸軍が使用する戦車やトラックの生産数は史実より遥かに落ち込んでしまっていた。このことが、ミッドウェーやジョンストンが早期に陥落する一因ともなったのである。
実は開戦当初、ハワイ攻略作戦が開始できるのは順調に勝ち進んでも開戦後一年から一年半はかかると見積もられていた。それならば、就役直後とはいえ「秋津洲」型戦艦の二番艦である「瑞穂」を参加させることが出来る。
しかし実際はアメリカの海軍戦力が太平洋と大西洋に分散されたこともあって予想以上のペースでアメリカ軍は損害を被り、遂には開戦後およそ半年でハワイ以外の太平洋の要所を全て失ってしまった。
確かに、準備を入念にしながら「瑞穂」のメジュロ回航までハワイ攻略を先延ばしにすることも出来る。だがそうしてしまうとミッドウェーやジョンストンで折角損傷させた艦艇や「エセックス」級や「アイオワ」級などが前線に現れる時間を与えてしまう恐れもあり、出来る限り早い段階で取り掛かる必要があった。
そこで誠一は、「瑞穂」の就役を待たずして十二月上旬にはメジュロを出港しハワイへ向かうことを山本長官らに提案。史実の戦争の経過を知っていた山本長官らはこれを受け入れ、かくして開戦から丁度一年後の十二月八日に出港することが決まった。
以後、これに間に合わせるため損傷した「筑前」以下の艦艇の修理や損耗した艦載機の補充がそれまでにも増して急ピッチで進められた。なおハワイへの上陸戦力としては十二個師団、十八万人という破格の大兵力が投入されることとなった。そしてこの大兵力の輸送にもまた、輸送船七二隻(五七万六千トン)及び揚陸艦多数という大船団が用意されたのである。
おそらく、史実の大日本帝国であればこれほどの大船団を仕立て上げることは困難だったろう。しかし日露戦争直後に指定型船舶建造助成法が施行されたことや大恐慌によって史実ほどの損害を被らずに済んだことで、開戦時の日本は五百総トン以上の商船(漁船は除く)だけで二九五二隻・八〇六万四千総トンもの船舶を揃えることが出来ていたのである。これはトン数で言えば、史実の約五割増しに相当する量であった。
そして遂に、予定通り十二月八日に連合艦隊のほぼ全力が大船団を伴ってメジュロを出港。戦争の幕引きを図るべく、ハワイへと向かうこととなった。