偽善
21
ジネーゼの刃が迫るなか、グレグレスが叫んだ「偽善者」という言葉が僕の胸を抉る。僕は全てを救うと言っておきながらグレグレスを見捨てた。だからその言葉は事実だった。
「何、真に受けてんのよ」
アリーに見抜かれ、現状を把握する。短剣〔見えざる敵パッシーモ〕が首筋へと向かっていた。アリーが【加速】を解放し、自らの動きを加速。狩猟用刀剣を僕の首元へ滑り込ませ、ジネーゼの短剣を弾く。
「あんなやつ、見捨てるのが当たり前でしょうがっ! あの……ヴィヴィとかいった女と違って、あいつは本当に助けを求めてなんかないっ! 利用しようとしているだけよ」
そんなことは分かっていた。それでも見捨てたという事実は覆らない。全てを救うというのであれば、善人であれ、悪人であれ、僕は救わなければならないはずだった。
「結局のところ、僕は……僕が救うと決めた人間しか救うつもりはなかったんだ」
「そりゃそうでしょ。そもそもあんたが【蘇生球】を覚えようと決めた理由は、全てを救うためからなの? そうじゃないんでしょ?」
アリーが僕だけに聞こえるように言った。
そしてそれが答えだった。
ディオレスに「アリーが死んだ」と嘘を吐かれたとき、僕はその可能性を微塵にも考えてなかった。ディオレスに言われてやっとその可能性がある、と気づいた。
だから僕は【蘇生球】を覚えた。アリーに死んで欲しくないから、覚えたのだ。僕が救うと決めた人を救うのはそれの延長上でしかない。
僕は端から全てを救う気なんてなかったのに、覚えた動機が自分勝手のような気がしたから、だからなるべく人を救おうと思い始めたのだ。そうすれば残された人は哀しむことはないし、何より、自分が悲しむこともない。だからある種の希望になることを選んだ。それすら自分勝手だ。いや、だからこそ救うというより救わなければという義務感が生まれ、僕は必死になって救おうとしているのかもしれない。
とどのつまり、僕には善悪問わず全てを救う必要などない。
「もう迷わない」
アリーにそう告げた。
グレグレスを救わない選択をした自分を正当化するために。
「嘘ばっかり。うじうじ悩むのがあんたのくせに」
アリーにだけは見抜かれていた。ほんと、僕のことはなんでもよく知っている。
僕にはまだ迷いがあった。でもこの迷いはたぶん、消えない。
「その時は、またアリーに助けてもらうよ」
「任せなさい」
アリーが微笑む。ジネーゼと刃を交じえながらの会話は相当ジネーゼの癪に障っていたのだろう。
「いい加減にするじゃんよっ!」
アリーが振るった狩猟用刀剣が弾かれる。ジネーゼが瞬間的に【力盗】を発動したらしかった。
「まずはお前からじゃん!」
標的をアリーに決めたジネーゼが走り出す。アリーは突然力が入らなくなったように身を屈める。【力盗】はもとより【虚脱】、【弛緩】、【凝固】などなどあらゆる技能を同時に発動させたジネーゼはそれらでアリーの身体から力を抜いたのだ。操作技能であればアリーには効きなどはしなかった。でもジネーゼが使ったのは暗殺技能だ。
【力盗】がアリーの腕力を奪い、【虚脱】と【弛緩】が筋肉を緩め、全身を脱力させる。さらに【凝固】が血流を悪くさせ、麻痺に似た全身の機能障害を引き起こす。
それらによってアリーは身動きが取れなくなっていた。一方、同時発動という不慣れな行動をしたジネーゼも息が上がっていたが、動けないアリーと比べれば差は歴然だった。
力を奪いつくし、動けないところを一撃で仕留める。それが暗殺士たるジネーゼの本領だった。
ジネーゼの短剣〔見えざる敵パッシーモ〕がアリーへと向かう。
けれどジネーゼは僕を忘れていないか? 見ているだけの僕ではない。ジネーゼが盗技【力盗】からの暗殺技能の連続発動をした頃から僕は動き出していた。
短剣〔見えざる敵パッシーモ〕の下から突きあがる球が短剣に直撃し、上空へと吹き飛ばす。僕ならきちんと守ってくれると分かっていたのだろう、アリーがにやりと笑う。
僕が繰り出したのは【変化球・急上昇】。【変化球・急降下】とは違い、【変化球・急上昇】は投げた球が地面を滑空する燕が突然飛翔するように上昇する。
弾き飛ばした短剣はジネーゼへと落下していく。技能の四つ同時展開という荒業をやってのけたジネーゼは疲労のせいか動けずにいた。
ジネーゼはその短剣に自らが塗った毒の威力を知っているからだろう、突き刺さることを理解すると諦念と同時に恐怖に駆られたような表情になった。
僕もアリーを守るために必死だったためにジネーゼへと突き刺さろうとしている短剣の対処ができそうにもなかった。
諦念と恐怖、そのふたつに支配されたジネーゼを救ったのは、コジロウとシュキアの攻撃から逃れてきたリーネだった。
リーネがジネーゼが突き飛ばし、その短剣を背中に受けた。
「ああああああああああああああっ!」
断末魔とでも呼ぶべき絶叫。リーネは痛みに叫び、地に伏せる。そして異常なまでの過呼吸を繰り返し、体内を巡る毒と戦っていた。
「ああ……あああ……!」
その光景を見てジネーゼが放心するさなか、僕は叫んでいた。
「ジネーゼ! 解毒剤をっ!!」




