生還
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無人城下ザ・ヴォイドに戻ってくるとスキュラが一匹待っていた。
敵意がないその姿に正体が簡単にわかる。
「ジジガバッド、どうしてここに?」
「傷心してるかもって戻ってきてやったんダ」
そう告げたジジガバッドは僕たちがふたりいることに驚いたみたいだった。
「って、どうなってやがル?」
「えっ、何が?」
「一方通行の裂け目から逃げタケドな、出た場所がユグドラ・シィルの近くでヨ。そこでセフィロトの樹にお嬢ちゃんの名前が刻まれるのを見タ。こりゃ大変だと思ってナ、ソォウル狩場の裂け目から戻ってきたんダよ」
「刻まれたのは本当よ。けどそれは私であって私じゃない」
「事情はあとで説明するよ。それに……」
「ああ、驚くよナ。あんなニ霧まみれだっタ異端の島の空気が澄んダ。しかも霧が晴れれバ出てくルはずの魔物もいなかっタ」
ジジガバッドの言う通り、空気が澄んでいた。ジジガバッドが言っていた“冒険者に状態異常を与える”という影響も今はないのかもしれないが、あの言葉の言うとおりに新型保護封〔マスク・ザ・ヒーロー〕はつけておくことにする。
以前は霧が晴れたあとも濁った空気が漂っていたけれど、今は空気が澄んでいるからか赤い川も紫の草原さえも神秘的に見えた。
ずっと鼻を刺激していた腐った匂いは今はなく無臭で、アリーのつけた香水が時より吹く風によって運ばれててむしろいい匂いがしていた。
負の要素が排除され、神秘的になった異端の島の光景とその光景を眺めるアリーという最高の景色をずっと眺めていたかったけれど、そうもいかない。
「ジジガバッドが使った裂け目に案内してよ。道中何があったのか説明するから」
ジジガバッドがいなければ、クルシェーダにもらった地図とジジガバッドが一度逃げた方角を参考にして、まずは脱出用の裂け目探しから始めなければならなかった。
ジジガバッドはアリー<1st>の名前が<10th>のセフィロトの樹に刻まれたことで、偶然にもそれを目撃。僕が傷心していると思って戻ってきてくれたのだ。
意外と優しい冒険者なのかもしれない。いや、考えてみれば二度と行きたくないと言っていた凄惨大地テラ・オブ・ビギニングスにもなんだかんだで連れて行ってくれた。そう考えるとジジガバッドは優しい男なのだろう。
ジジガバッドの案内で、スムーズに裂け目へと向かっていく。言っていた通り、魔物の気配はない。
「で、あれはどういうからくりダ?」
ジジガバッドが早く話せ、と言わんばかりに尋ねてくる。
僕とアリーは掻い摘んでジジガバッドに説明する。
幸い、ジジガバッドは終極迷宮に行ったこともあり、他次元の自分が存在していることも知っていたので話は早い。
「複雑な話だナァ……」
ジジガバッドは言った。
「そもそも〈1st〉の嬢ちゃんが死んで<1st>のお前が願わなければ、この世界は分割されなかったんダろ。そして世界が分割されなければ、オれも含めて、<10th>の人間は生まれていなイ」
それは確かにそうだった。言われて僕もアリーも気がついた。とにかく、与えられた試練をこなそうという思いが強くてそこにある
「この世界そのものが死と願いでできていル。その願いを叶えるのにも死が絡んできてやガる」
嫌になるネ。と小さく言葉を続けた。
「お前ラが勝てば、この世界を生まれたきっかけになった願いを望んだ<1st>のお前が死ヌ。お前ラが殺す。それが試練だからナ。言われなくてモだろうガ、ソれも理解してるんだロ」
僕もアリーも静かに頷いた。
「酷だナぁ……」
けれどその過酷さも含めて、僕たちは冒険者で、願いが叶う宝石を集めてきた。
「けド、気に食わなイ。<1st>のお前が最後の敵で、<10th>ではお前が初めに宝石を集めた」
アリーも一緒だけど、というのは野暮なのだろう。出そうになった言葉を飲み込んで、前を歩くジジガバッドの言葉を静かになった。
「まるでヨ、そう運命づけられていたようデ、気に食わなイ。お前ラ以外の全員が全員、そう思うゼ。もし、お前ラ以外が<10th>で最初に宝石を集めたらどうなっていたんダ? この試練はどうなっていた?」
「たぶん、その人それぞれの試練があるんだと思う」
なんとなくそう思う。この試練は僕だからこそ与えられた試練なのだろう。
「そノ特別感が気にいらなイんだヨ。けどまア、最後の試練だからそういう特別感もアリなのカ。お前ラほど過酷なモノはないだろうガ」
僕としてはそんな主人公感はいらなかった。最初から今まで僕はずっとアリーを援護してアリーに導かれたと思っているほどだ。そう告げたら誰しもがそんなことはない、というかもしれないけど、僕の感覚はいつまでもそうなのだ。
それでも与えられた試練はなんとしても突破する必要があった。
「ここダ。あと数分で開く」
そこは無益防壁オブスキュア・オブスタクルの南東にある廃墟だった。
念のため身を潜めて待っていると裂け目が開いた。
「行くゾ」
「ジジガバッドも来てくれるの?」
「当然。話聞いたからこそ始まりダ。手伝ってやル」
「クルシェーダも喜ぶよ」
「はん。当たり前ダ」
もしかしたらジジガバッドはクルシェーダにどうやって会いに行けばいいのかわからなかったのかもしれない。
だから僕たちの話を聞いて、僕たちはきっと他の冒険者にも事情を話し、仲間を集めるだろうと推測したのだ。
僕たちがクルシェーダと知り合いとなれば、クルシェーダもきっとやってくる。そこに自分もいればきっと自然と会える。ジジガバッドはそう踏んだのだ。もちろん純粋に僕たちを手伝ってくれる気持ちだってあるに決まっている。でもそういう算段もあるのだろうとなんとなく思った。そういうふうに僕たちを利用するなら大歓迎だった。
僕たちは出現した裂け目に飛び込む。何日かぶりの帰還だった。




