道具
鋭々棘盾〔下宿人ノリヤス〕の棘が角折のボスゴブリンの拳によって破砕。衝撃でクルシェーダはのけ反る。拳は血だらけになっているが表皮だけ。まるでゴミを振り払うように反対の手で拭い取ればもう出血はしていない。
クルシェーダは使い物にならなくなった鋭々棘盾〔下宿人ノリヤス〕を【収納】。身軽のまま後退。
だが拳の血を拭い取った角折のボスゴブリンは距離を詰める。休む暇がない。相手は超至近距離の肉弾戦を挑んできていた。
再度飛んできた拳を必死に回避。頭に受けた衝撃で少しふわっとした感覚がある。ふらつきそうになってしっかりと地面に足をついているという感覚を意識。
同時に弱点のない難敵にどう対応していくか、を考える。
「いよいよ、試していくか……」
【収納】から取り出したのは小さな小瓶。角折のボスゴブリンの拳を避けると同時に小瓶をぶつける。巨体のためぶつけるのは簡単なうえに、気にも留めてないのか避ける素振りも見せない。小瓶が割れ、中身が角折のボスゴブリンにぶち撒かれた。
禍々しい色をしたその液体はグフーが持つ毒袋の毒液。それを抽出して作られたグフーの毒薬を浴びた角折のボスゴブリンだが、別段変わった様子はなかった。
「毒はダメか……」
そう判断して次々に道具を取り出しては投げるを繰り返す。ポリプの盲目薬、ベーヒアルのしびれ薬に、迅疾亭騒速印の鈍いのお薬、やけど虫の虫籠、浸食爆弾、ジャックフロストの雪玉、水虎の牙粉末、シュトレンヴルムの鋭い爪、弾光蛍、紐付きイェン硬貨。投げたものはそれぞれ暗闇に盲目、鈍重、火傷、浸食に凍傷、水毒に裂傷、眩暈、催眠と多種多様な状態異常を狙ったものだった。店売りされているものから材料に難敵や希少な魔物の素材を使った超強力なものと、効力の違いはあれど全てが不発。
ショックもあったのか何度目かの角折のボスゴブリンの拳から逃げ遅れる。すでに棘の抜けた鋭々棘盾〔下宿人ノリヤス〕を再度【収納】から取り出し、防御。ようやく技能が使える程度には集中力が回復。態勢技能【守勢・防御型】で弾き飛ばされるだけは堪えて踏ん張る。鋭々棘盾を横に捨てるかのように誘導して拳を反らし、【速勢・跳躍型】に即時に切り替えて、跳躍。
角折のボスゴブリンの真上を飛び越えて背後に回るとすぐに距離を離すように駆け抜けていく。
当然、結界が張ってあるので逃げるにも際限がある。結界の外にいるであろう仲間の姿も見えない。こちらの姿も見えているのだろうか、と戦闘中に考えなくてもよいことを考えてしまっている。
「いよいよ弱気になっているな……」
独り言ちて次の策を考える。
相手は弱点もない、状態異常も効かない。
角折のボスゴブリンは力と力だけの真っ向勝負を挑んできている。かつて新人の宴のボスゴブリンをアーネックは弱点を突かないで倒した。そう考えると、真っ向勝負でも勝てるのだろう。
ただ目の前の個体はそれとは段違いに巨大で屈強な肉体を持っていた。
クルシェーダは狂戦士でもなければ、その上級職の狂凶師でもない。態勢技能は肉体の強化というよりも一時的な上昇という意味合いが強かった。
結界の端まで逃げたクルシェーダに角折のボスゴブリンが追いつく。
「仇ィィィィ、取ゥッルウ」
囂々と叫ぶ。角折のボスゴブリンの傷はゆっくりだが癒えている。緩やかながらに再生能力も備わっているだろう。
回復錠剤をがぶりと飲んでクルシェーダも態勢を立て直す。先ほどまであったふわっとした感覚も落ち着きを取り戻しつつある。
曲刀〔汗拭き粉吹きズローリィン〕を取り出して、角折のボスゴブリンへと向かっていく。
弱点が突けない、状態異常も効かない。打つ手はあるのかまだ定かではない。ただ難敵の専門家として分析して次に繋げるつもりでいた。
それはまるで――自分が犠牲になって、攻略方法を見つけようとするようなもの。
拳を【守勢・防御型】の刀身で受け、耐えの姿勢。
連撃を耐えしのぎ、そこから何らかの光明の得ようとしていた。隙あらば【収納】から魔巻物を落としていく。
耐えるのが精いっぱいで投げることはできないが、自らも影響を受けるかもしれないという覚悟だった。
ボスゴブリンは魔法には全般的に弱い。だが角折のボスゴブリンの弱点を突けない時点でおそらく魔法の耐性すらも強化できていると予想はつくが、試してみないことには納得ができなかった。
毒に加え皮膚を溶かし、能力低下をもたらす【激毒酸】から始まり、【氷牙】、【光刃】、麻痺の追加効果もある【雷網】が地面に落ちた魔巻物から発動していく。どれもが角折のボスゴブリンに直撃するが、【激毒酸】は聞いている様子もなく皮膚の爛れのようなものもごくわずか、【氷牙】は貫くことはなく、【光刃】は切り裂くこともなく、【雷網】が捕らえることもない。手持ちが少なく全属性を試せてないが、使ったものはかすり傷程度でやはり耐性があるようだった。
挙句、運悪く【雷網】が身近で発動したことで自らがわずかながらに巻き込まれる。
体がわずかに弛緩し、痺れる。追加効果まで発動していた。
そこを角折のボスゴブリンは逃さない。
弛緩した腕では曲刀を動かせなかった。
「あーあ、手助けするつもりはなかったじゃんよ」
拳を短剣〔見えざる敵パッシーモ〕で受け止める見えない冒険者が呆れ声を出していた。
「ジネーゼ、いたのか」
「いたじゃんよ。でも難敵相手に手を出したら、怒るじゃんか」
短剣の刃から飛ばした特製の毒が角折のボスゴブリンの目に飛び散り、わずかに角折のボスゴブリンが怯む。
着地して姿を見せたジネーゼにクルシェーダは平然と告げる。
「それはいよいよ当たり前だ。難敵は自分の獲物だ」
「だから手出しせずに見てたじゃん。でもさっきとか、なーんか自棄になってたじゃん。自分が対策見つけて次に託そうとか思ってる雰囲気だったじゃん?」
図星を突かれて、クルシェーダは頭を掻く。
「さっきアビルアさんのとこで敵討ち、いよいよ承ったとか言ってじゃん。なのにどうしてそうなるわけじゃん?」
捲し立てるジネーゼにクルシェーダは何も言えなくなり、
「いよいよ、らしくなく弱気になっていた」
ジネーゼの圧に負けるように完全に言い訳する。
「まあいいじゃん。さっさと倒して生きて帰るじゃんよ。それにノバジョにアンタが死なないようにお守り頼まれているから、死んだら立つ瀬がないじゃんよ」
「それもそうだ」
クルシェーダは今まで【単独戦闘】の結界が貼られていると思い込んでいた。新人の宴のボスゴブリンとの戦闘がそうだったからだ。
けれど実はそうではなかったことに、かなり安堵していた。仲間がいるときの安心感、安堵感は知っているが、これほどまでとは思ってもみなかった。
首からかけていた空中庭園風のお守りに手を当てる。ノバジョが真似て作ったものだった。
「もう大丈夫だ。いよいよどこかで焦りもあったのかもな」
クルシェーダに切れかけていた闘志が再び宿るのを見届けて、ジネーゼが固有技能【不在証明】で姿を消す。
目の毒を拭い去った角折のボスゴブリンの充血した目にその様子を見せたのは、姿を消したもうひとりがいる、と意識を散らすためだった。




