差違
アルの心は高ぶっていた。
レイシュリーのcrescendoの恩恵で能力値だけではなく、戦意すらもだんだん強くなっていたのかもしれない。
恩恵がなくなった今、高ぶった戦意がどうなるのかアルにはわからない。
「あとは俺がやります」と言ったときは恩恵による高ぶりでそう告げたのかもしれないが、コジロウとレイシュリーが離脱した今、その高ぶりは収まりもせず、維持されたまま。
恩恵を受ける前の一対一で戦う場合にあった、心のどこかで感じていた不安感はもはやない。
レイシュリーの特典によって得たcrescendoの恩恵は、それだけでも十分の効果だった。
「いい顔だっ。それでこそアルフォードだ」
にまりと黒騎士アーネックは笑う。その顔は兜の下で見えないが、笑い声、笑い方は好敵手だったかつてのアーネックにそっくりだった。
昔から稽古をし、研鑽した日々がふと思い出されて、少し苦笑する。
目の前にいるのは魔物だというのは分かっているが、感覚的には目の前の魔物はもう人間に近い。
人の言葉を喋り、人の感情さえあるように見えた。
「ところで、お前もあの音律のような効果を持つやつを持っているのか?」
好奇心で黒騎士アーネックは尋ねる。
アルは頷いて、腰へと視線を落とす。
「特典ならある、ここに。もっとも、鞘も柄も透明で持っているかさえも分からないだろう?」
アルははじめから鞘を携帯していた。そこには刀が収まっているが、その柄さえも見えない。
そのすべてが透明。アルですら、凝視しないとその存在を認識するのは難しい。
「そうか」
黒騎士アーネックは納得したように頷く。
「それが謎の威圧感の正体か」
黒騎士アーネックはずっと感じていたのだ。アルから発せられる妙に不気味な威圧感を。
その正体がわかって腑に落ちた。
その正体こそがアルの初回突入特典だった。
「それを抜くのか?」
「いやどうだろうな、これは切り札だ」
帯刀している特典にアルは軽く触れる。そこにはしっかりとした感触がある。わずかに握って、その存在を黒騎士アーネックに伝える。
「切らなくて勝てるとでも?」
それを使わせたくてたまらない黒騎士アーネックは安く挑発する。好奇心からの行動でもあるが、その一方で一抹の不安があるからか、屠殺剣〔仁義たるレベリオス〕を構えていた。
「切らなくても切り札は切り札だ」
その通りだ。黒騎士アーネックはその存在を知り、気になってしまっている。
黒騎士アーネックはそもそもどうして特典の存在を聞いてしまったのかさえ分かっていない。
すべてを好奇心からといえるほどに単純ではなかった。
アルが特典を帯刀したまま、刀剣〔優雅なるレベリアス〕を構える。
「まったく迷惑な切り札だ」
黒騎士アーネックは苦笑する。そのせいでアルの特典にも意識を割かなければならない。
もちろん上級の冒険者が特典を持っている可能性が高いことを黒騎士アーネックは認識していた。
それでも、特典を持っている可能性が高いよりも、特典を持っているが使ってこない、のほうがより意識を割く分配が多い。
しかもアルの特典はその存在だけで威圧感があり、より意識を割く結果になっていた。
わずかに間が開く。炎が轟々と燃える。
互いが互いに同じ構え。
「「ふっ」」
その構えを見て悟る。
薄々そうなんじゃないかとお互いに感づいてはいた。
黒騎士アーネックの満月流とアルの新月流は同じ流派。
名前が同じ剣技は、同じ斬撃だと思っていい。
「【新月流――」
「【満月流――」
「・二日月】」
アルだけが――読み違える。
お互いに一振りで二発の衝撃波を時間差で発生させる剣撃であるはずだった。
「・残月】」
ただ違うのは、満月流にしか存在しない技があること。【二日月】が二発の衝撃波を相手にぶつけるのに対して【残月】は二発の衝撃波がその場に残る。つまり出が早く、黒騎士アーネックのほうが早く動ける。
その間は致命傷にも見えたが、黒騎士アーネックは横に逸れただけで前進はできなかった。
アルが透明の柄に微かに触れるのを見て、動けなくなった。
【二日月】の衝撃波が【残月】の残留衝撃波に衝突して消滅。
アルは自身の読み違いを機転で乗り越えるが安心はしない。
何度も通用する機転ではない、と分かっていた。そもそも特典を抜かれても気にしない、どうせ抜かないと割り切って意識を割かない相手には通用しない。
黒騎士アーネックもいつまで経っても抜かない特典に興味を失えば、そこまで意識をしないだろう。
「伝承者か」
黒騎士アーネックの元がそうであるという可能性を完全に失念していた。
アーネック自身が生み出した技であれば当然黒騎士アーネックも使用できる。
一旦、頭を落ち着かせる。
高ぶった戦意で不安感がなくなったのは良かったが結果どこか逸る気持ちが生まれていたのだろう。
繊細な剣技であるはずなのに、そこに冷静な心をなくしていた。
もしかしたらそれがcrescendoの恩恵――どんどん強くなるの欠点なのかもしれない。
アルはかぶりを振る。恩恵の欠点など考えるべきではないのだろう。
アルがcrescendoの恩恵によって得たものは大きい。
不安感の払拭だけではない――どんどん強くなるという段階的能力上昇の感覚を得て、どうすれば強くなれるのかという感覚を得ていた。
一種の疑似的成功体験なのかもしれない。
「今なら――」
確信めいた感覚が体を巡り巡っていた。




