滑回
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saikyou manとタミはロイドにゲシュタルト、シャアナ、レイシュリーの猛攻を抑えるほどには善戦していた。
防戦一方で傍目見たら善戦に見えないのかもしれない。
だいぶ慣れたのか、タミがロイドとシャアナに対応している間に、saikyou manは的確にゲシュタルトの攻撃をはじき、レイシュリーの攻撃を避け続けるという凄さを見せた。
それでも、PCたちにとっての恐怖の音色とも言わんばかりの双子の詠唱が聞こえてくる。
eizas sazieたち大半のPCが逃げ出す一方で、saikyou manとタミの善戦によって、シャアナたちの目をかいくぐり、HUMA・Ntte117が他のPCを相手取っている隙をついて、ようやく双子のもとにたどりついた者がいた。
『enjoy-ji>残りは一人。時間はない。でもやるしかないよなあ』
ポポンとパパン。双子の詠唱者の前に立ちはだかる壁。
護衛であるラッテ・ラッテラ。彼女を超えなければならなかった。
「へえ、あの包囲網をかいくぐったんですか? すごいです。でも私という天才は超えれませんよ」
ラッテは腰に凰皇隕の心樹杖〔祷る踊り子パーホメット〕を差し、魔充剣サヴァイヴを構える。
魔法も魔法剣も癒術さえも使える、魔聖剣士の上級職――万能師の姿がそこにはあった。
「行くよ!」
軽快な走りかと思えば、急に速度をあげたラッテが魔充剣サヴァイヴを切り上げる。
『enjoy-ji>なんていう動きっ!』
その緩急にenjoy-jiに思わず感嘆しつつ、ほどほどに余裕を持って剣先を避ける。
途端に切り上げていた魔充剣サヴァイヴが落下するように向きを変えた。
『enjoy-ji>その動きもおかしいよなあ』
常識的に考えれば切り上げた剣が急激に下向きを変えるなんてことは物理的には不可能に等しい。
種を明かせば、魔充剣サヴァイヴに援護階級6【加重】の効果により急激に重さが加わり、下向きを変えることで相手が本来想定しえない動きを実現させていた。
かつて〈10th〉のラッテが欲しても手に入れることができなかった才覚〈天才〉。
それを〈6th〉のラッテは手に入れていた。〈6th〉の彼女が口癖のように言う"私という天才"という一人称は願望でも自称でもなく事実だった。
ゆえに天才的発想で攻撃の途中に【加重】を加えて下方向に無理やり向きを変えるという荒業を編み出していた。
「なかなかやるね!」
一方で避けたenjoy-jiをラッテも感心していた。想定外の動きを見切られ、避けられるとは思ってもいなかった。
『enjoy-ji>そりゃあ、どうも。こっちも「常識を疑え」ってコンセプトのキャラクターなもんでねえ』
enjoy-jiはミステリアスRPG『刺身が海を泳いでいる』のPCだった。
通称、”サシウヲ”と呼ばれるRPGは、海に刺身が泳ぎ、森にサラダが生え、空には鶏肉が飛び、畑でハンバーガーが育つような現実的ではない世界。
操作するPCたちが住む現実とは違う常識が異なる世界で、現実的な生活を送っていたPCたちはある日、深夜を過ぎると自分とは異なる容姿のナニカが出現していることに気づく。
そしてナニカは日に日に数を増し、日常を侵食していく。森にはサラダが生えなくなった。
enjoy-jiたちPCは日常を守るために編成された部隊の一員だった。
本当はナニカこそが正しい世界から迷い込んだ人間なのだが、異常識の世界のPCたちは獣と融合したように見える姿のナニカを敵だと認識してしまっている。
獣との融合したように見える姿こそ、異常識を守りたい者たちによる幻覚だと気づけずに戦ってしまっていたのだ。
そんな”サシウヲ”のPC、enjoy-jiが持っているのは、鋭覚と呼ばれる、言ってしまえば超感覚だった。
その鋭覚により、異常識を守りたい者たちの陰謀を知ることになる。物語にとって鋭覚はとてつもなく重要な能力だった。
鋭覚は通常よりもおかしな部分、違和感をすぐに察することができる。
だからenjoy-jiは魔充剣サヴァイヴが急速に降下してくることに気づいていた。
魔充剣サヴァイヴに【加重】が加わったということをenjoy-jiを知らない。ただ剣に何らかの変化が起こったということを察し、そして見切ったのだ。
見切った直後、【粘泥】が降り注ぐ。ラッテの腰に差された凰皇隕の心樹杖〔祷る踊り子パーホメット〕からの放出だった。
無言詠唱でラッテは次の矢を用意していた。
まるで泥の雨のような【粘泥】を避けたenjoy-jiだったが避けきれず肩に少しだけ、ほんの少しだけその泥が付着する。
肩がいきなり重しが乗ったかのように押し付けられる。
援護魔法階級2【粘泥】は敵に当たれば動きを鈍重化させることが可能だった。さらに床にまき散った粘土は足場を悪くし速度を低下させる。
二重の罠だが、enjoy-jiの動きは変わらない。肩に付着した泥の影響も受けてないどころか、するりと――どろりではない――するりと泥が落ちていく。
『enjoy-ji>ただの水に恐れることはないだよなあ』
明らかに泥ではなく、それは水のようであった。
”サシウヲ”のPCの特徴としてもうひとつ。
鋭覚のほかに異常識も使える。
それはある意味で、定義。
【粘泥】が水であるという”サシウヲ”の常識を押し付けて、一時的に変換したのだ。
ゆえに、enjoy-jiはただただ水をかけられた程度のことになる。
当然、速度低下を加味して動いていたラッテの不意を突く。
勢いのままに”剣”を振るう。ラッテはまるで周囲の動きが遅くなったかのように冷静に、体を捻って回避。
それでも当たってしまうというような直感から体とその”剣”の間に魔充剣サヴァイヴを滑り込ませる。
透明の刃のようなものが魔充剣サヴァイヴと激突。
〈天才〉のラッテは直感的な戦闘勘が的中。
偶然は続かないとenjoy-jiは二振り、三振りと異常識の剣を振り回すが、全てラッテは防御。
「なるほど。その剣は見せかけで透明な別の何かも一緒に振るってるんだ。ならそれに合わせればいいだけ」
ラッテの直感は正しかった。”剣”にも異常識があった。それは相手には剣のように見える斧である。
斧である以上、少しばかり剣よりも縦に太い範囲が存在している。つまり見えている剣の刀身よりも早く、相手には見えていない斧の刃は早く当たる。
見えているものとの差を利用したenjoy-jiの攻撃だった。
偶然だと一蹴して何度も繰り返したenjoy-jiの失態。
異常識の剣には、これ以上の効果はない。見えない斧の刃の範囲を見切られてしまえばもう通用しない。
わかっているのに認めたくないのかenjoy-jiは異常識の剣を振るう。
ラッテは冷静に防ぐだけでいい。双子の詠唱が続く。その詠唱は終わりが近いとenjoy-jiは自分の鳥肌によってなんとなく理解する。
『enjoy-ji>うおりゃあああああああああああ!』
見切られている以上、気合ではどうにもならない。
けれどそれは起こる。
異常識の剣の軌道が急激に変わる。それは読み切っていたラッテには想定外の軌道。
唐突だがenjoy-jiは”サシウヲ”を操作するときは操縦器を使用していた。使用者は少数派だが、いないわけではない。
”サシウヲ”では操縦器の左側の細棒で移動を、右側の細棒で標準を定めている。
そんな操縦器を使っているとある日突然、とある現象が起こる。
それはただの不具合か、それともグレムリンの悪戯か。
滑回現象。
右側の細棒が何も操作してないのに、勝手に左へとぐいっと動く。
”サシウヲ”における標準とはPCの視線でもある。
その視線が急激に左を向き、連動するように体も強制的に左へと引っ張られて、回るようにぐるりと握っていた異常識の剣の軌道も変わる。
だからラッテは読み切れなかった。
天才でも想定外や奇跡には対応できない。
異常識の剣がきれいにラッテの胴体へとその刃をたたきつける。
ラッテが倒れていく。奇跡の軌跡。
『enjoy-ji>あれ、なんか俺やっちゃいました?』
奇跡に身震い。感動が全身を包んでいく。
それでもかみしめている時間はない。
追撃。
enjoy-jiは震える手で、操縦器の右側の細棒できちんとラッテへと標準を合わせる。
けれど忘れてはならない。
奇跡の軌跡は奇跡だということを。
滑回現象が再び起きる。
その現象はある日突然起こるが、一回きりというわけではない、起これば起こり続ける。
感動でenjoy-jiは忘れていた。そもそも戦闘中に、操縦器を替えることなどできなかった。
標準とともに視界がぶれる。画面からはラッテが消えていた。
同時に振動。傷を負い、その表現として操縦器が揺れていた。
表示された自身のライフゲージが急速に減っていた。
標準をラッテに合わせると、魔充剣サヴァイヴを引き抜く姿が見えた。
刺されたと気づいた同時にenjoy-jiは横から最大限の殺意を感じた。
「「顕現、鳴る神。狼が如く雷電、迸れ!」」
寸分狂わず、今まで聞こえてきた詠唱が終わったのだ。
「「【慧狼雷奔】!」」
ポポン・ポパム<6th>の光夜石の光陽樹杖〔正極のミッフィーナ〕とパパン・ポパム<6th>の闇夜石の光陰樹杖〔負極のタッフィーサ〕から超巨大な雷狼が出現した。
才覚〈陽の極み〉を持つポポン、〈陰の極み〉を持つパパンが二重詠唱をしたことで、威力は通常の二重詠唱よりも数段高くなる。
『enjoy-ji>間に合わなかった』
奇跡の軌跡に感動して、そのあと追撃してとどめを刺そうとしている場合ではなかったのだ。
そもそもの目的が感動で頭から抜けていた。
雷狼が走り抜け、enjoy-jiは目の前が暗くなった。
放たれた雷狼は止まらず、PCたちを蹂躙していく。




