嗅覚
巨大な魔人の出現とともに、魔人の膝ぐらいはあろうとかという木々が群生していく。
笑顔の鬼の形相に馬のような蹄を持った両腕、足は狼に似て体は竜鱗の生えた人間のようで、腹筋は割れていた。
「ンガァバァ」
大きな雄叫びと同時に鼻息が噴出。
群生した木々の合間を縫ってその鼻息がPCに到達。
『asura = o2>くっさっ!』
『azura = 02>なにごれぇええ…』
魔人の出現と同時にできた小さな密林に取り残されたふたりのPCが思いっきりその鼻息を吸い込む。
屁の臭いに近い。
だが臭さも一瞬。その臭さが脳に刺激として到達した瞬間、ふたりは気絶した。
魔人はそのふたりに気づかずに踏みつぶし、殺意を向ける姉様フェンリルへと向かっていく。
魔人の足元に群生した木々は魔人の移動に合わせて枯れる生えるを繰り返していた。
「フンババか。当たりだな」
魔物と絆を深めれば天召陣でも召喚できる魔物は操作できるとはテアラーゼ本人の弁だが、テアラーゼ自体は完全に運任せで【摩睺羅伽】の天召陣を使っていた。
天召陣は絆などなくても、自分のレベルに見合った魔物がきちんと召喚され、召喚者の味方をしてくれる。
「面倒ナヤツヲ呼ビマシタネ」
姉様フェンリルが顔を顰める。
嗅覚が鋭敏なため、フンババの吐息が強烈すぎたのだ。毒の吐息、炎の吐息それぞれ屁の臭いがすると言ってもいいのだ。
その臭いがフェンリルたちの動きを少しだけ鈍らせる。
「無理はしなくてよろしいですわ」
クイーンも【摩睺羅伽】の天召陣を描いていた。
クイーンの描いた天召陣から現れたのは九尾之狐。
以前は偶然だと思っていたクイーンだが、テアラーゼの言葉によって再び必然現れてくれたのは必然だとわかる。
即座に【擬人化】を発動。
狐耳に九本の尻尾を生やしたクイーンが九尾之狐の能力を上乗せしてそこに顕在していた。
「美シイ」
姉様フェンリルが思わずその美貌を褒める。
「あなたはあのふたりを」
視線の先には傷つきながらもキムナルとヴィクアに奮戦する。妹君の姿。
応えるように視線で交わして姉様フェンリルがキムナルに突進。意識外だったため操縦技能【思考誘導】も発動不可。
フンババの臭いとクイーンから漂う匂いがぶつかり、周囲にいたPCたちが逃げ出す。
悪臭と良匂がぶつかり、何とも言い難いにおいが漂い始めたのだ。
フンババがクイーンに気づき、炎の吐息を真下へと吐き出す。
フンババの移動に合わせて栄枯盛衰を繰り返す森はその栄華を満喫している。
栄華の森はフンババの炎の吐息で燃えることはなく、その炎の吐息をあみだくじのように覆い隠す。
森から漂う臭いは、木々の出口どれもから漂ってくる。悪臭が漂う先に炎の息があるとは限らない。
どこから出てくるか。
結論から言えば、クイーンは無視をした。
森の出口の前で跳躍し、フンババの眼前まで一瞬にして到達していた。到達までにクイーンは様々な家具を真下の森へと投棄していく。
軽量化ではなかった。そもそも【収納】すれば重さは考慮されない。
その後、出口の全てから炎の吐息が噴出される。炎は木々の隙間で分散されていたのだ。
当たり前だが毒の吐息のときですらそうだった。
木々に巻き込まれたPCの焼死体も同時に吐き出され、消滅していく。
気にも留めず大筆〔万籟のコールフエー〕で一閃。描いた塗料は魔力によって瞬時に硬化。切れ味を持った筆が盛大にフンババの顔に傷をつける。
フンババはその場に転倒。投棄した家具には爆弾が仕込まれており、森を爆発するとともにフンババの足の自由を奪っていた。
さらに頭を一突きするとフンババを召喚した天召陣にも傷がつき、フンババが消滅していく。
「ざまあみろですわ」
漂ってきた臭いにしかめっ面をしながらテアラーゼをにらみつける。
途端、
「ゴホッ……」
クイーンが口から吐血する。
牡鹿の姿をした毒霧コリバクチンがその姿を優しく見つめていた。
コリバクチンは最初からその場に立っていた。その雄々しい姿を見せつけながら、徐々にその体にまとう毒霧を広げていっていたのだ。
フンババの吐息はその毒霧を広げるのに大いに役に立っていた。
森の隙間から噴き出す息吹はまるで突風。その突風が毒を散布するのに一役買っていたのである。
よく嗅げばその独特な臭いによって危険を察知できたが、それもフンババの吐息から漂う臭いや、クイーンが醸し出す匂いによって嗅覚は封じ込められていた。
気づけというほうが難しい。
けれど幸運といえば幸運。フンババの臭いから逃げ出したPCたちはまだ安全圏にいる。
なんとかクイーンをフォローしようとしたPCとクイーン自身が危険域に取り残され毒霧の被害に遭ってしまった。
クイーンの生死を確認しようとテアラーゼは近づく。
不用意だった。
「油断しましたわね」
「おいおい、立ち上がるのかよ」
大筆〔万籟のコールフエー〕の筆先が腕に突き刺さる。
慌てて避けたからこそだった。気づかず避けなければその筆先は確実に胸に突き刺さっていた。
「その姿だからって耐性があるってわけでもない。天召陣によって付与される効果が残ってたわけでもない。クソがっ!」
テアラーゼが飛びのいて追撃を避ける。
「ここにきて特典かよっ!」




