沁情切札編-28 地駆
野菜配達使の護衛として活躍していた頃のシッタは自足で馬に追従していた。
それには配達使の誰しもが驚いていた。
もちろん馬よりも速い冒険者は何人もいるが、疫病禍でなければ護衛を長々とひとりの冒険者に頼むことはなくシッタがつきっきりのように護衛していたため配達使のなかでは馬よりも速い男の異名がついていた。
レシュリーに追いつくかのように疫病禍前にランク6に到達していたシッタの速さは尋常ではないといえる。
やはり特筆すべきは【舌なめずり】だろう。唯一無二の固有技能はシッタ自身の能力を舌なめずりとともに向上させていく。
犬神を追いかけていたシッタはいつのまにか犬神に追いついていた。
「速い」
驚くべき速度のシッタには嫉妬よりも諦念をも感じさせる。絶対に生身では追いつけない速度だった。
野菜配達使の護衛は第二次疫病禍というべき今も継続中。もちろん依頼として受けている以上、そちらのほうが報酬が多い。
犬神討伐はある種の無料奉仕だ。オサキに犬神、牛蒡種。この三匹の討伐も当然依頼と受けているため報酬はあるが、冒険者が多い分山分けになるのが当然。ラストアタックした冒険者が総取りなんて話になるわけがない。
となればシッタのみが受けている野菜配達使の護衛のほうが報酬が多い。それでも今日は、今日だけはそちらの依頼を別の人に任せて犬神の討伐に赴いていた。
一度目の依頼失敗に伴って、犬神が尋常ではない速さという噂を聞いていたからだ。
なかには速さ自慢の冒険者もいるだろうがそれでも次の討伐で犬神が倒せる保証はなかった。
もちろん、何度目かの戦闘で犬神を倒すぐらいの実力者たちがそろっていることもシッタは知っていた。
それでもシッタは早く犬神を、というよりも根源を倒してほしかった。
寿退者になったフィスレのおなかが徐々に膨れていくにつれ、この禍中がいつまで続くのかという不安に押しつぶされそうになっていた。
胎児や子どもへの疫病感染率は低いという噂もあったが、それでも不安はぬぐえない。
禍中が二年、三年、ずっと続くとすれば、生まれてくる我が子に対する不安が常につきまとってくる。
それは相当な負担だ。
だから行動に移す。大体的に動けなかったのはフィスレが妊娠していたため、その体を慮ってのことだった。
ゆえに根源を倒してほしかった、と少し他人任せに願っていた。
その不安を吐露したところフィスレに叱咤され自分で動き出した。
それが二回目の今回の討伐に参加した理由だった。
シッタに追いつかれた犬神はさらに加速。先ほどが中速とすれば、今回のは大速。一段階速度を上げて、距離を離そうとしてくる。
「根比べだ」
シッタは舌なめずり愉快に笑う。
久しぶりに強敵と感じる魔物との対峙だった。やっていることは追いかけっこだが。
犬神は一匹。
対する冒険者は無数にいた。
「囲うよ☆」
☆をつけずにはいられないアンナポッカが指示を飛ばし、追い詰めるように馬たちで壁を作っていく。
がそれを察して犬神は方向転換していく。
「これ、捕まえれるの?」
泣き言を言うのも当然だ。
「どーすんのさ」
「死のう」
「うるさいよ、ガリー☆」
とはいえ接近するシッタも攻撃には至っていない。
「言ったろ。根比べだ」
シッタは言う。
「そうだね。やろう」
いち早く気づいたのはデデビビだった。
「美しくないな。説明してくれ」
「だからさ。ってやばい。妨害しなきゃ」
シッタの意図を組んだデデビビが馬を操って、何度も犬神の進路を妨害するように馬で壁を作る。
犬神としてはシッタの追撃をかわしながら急遽現れる障害物を避けなければならない。
「そうか。わかったぞ。しんどい作戦だ。美しくない」
わかったらわかったでその地味さ、しんどさにジョレスはぼやくしかない。
「とはいえ、やってやる」
デデビビに追従していた先ほどとは違って自分で判断しているため、馬に指示が伝えやすくなり、若干速度があがる。
馬も迷い足の指示では主人がどうしたいのか読み取れない。
そして迷いがなくなり馬の速度が若干でもあがったことが全体的に言えば有利に働く。
馬と馬の壁である以上、若干の速度差で隙間が生まれる。
そこを通り抜けようと考えていた犬神だったが、その隙間は生じず。
「ヴァルルヂュヂュウ」
犬のような鼠のような入り混じった唸り声とともに方向転換。
犬神は何度も壁を作られることで疑心暗鬼になっていた。
あの馬を通り抜けるのではなくぶつかれば何かが起こってしまう。
だから通り抜けるという賭けに出る勇気はあるのに、ぶつかるという賭けに出る勇気はなかった。
何かがあると思わせた時点で、今回の冒険者の思惑としては成功だろう。
犬神がどうして闘気を纏っているのに馬に突撃しないのかという疑問に答えるのならばそれだろう。
かといって速度を緩めることもできない。
今回は前回と違ってシッタがいるのが誤算だった。
「ヴァルル……」
明らかに元気のない唸り声。
追われているという緊張感が犬神を確実に疲労させていた。
「ようやく疲れやがったな」
人語を理解するかどうかはともかくその一言で犬神は自分が警戒しすぎた故に罠にはめられたことに気づく。
シッタの狙いは疲労困憊だった。
オサキのときもそうだが、魔物も疲労困憊し、精神摩耗する。
一回目の冒険者の失敗は誰しもが犬神に追いつけなかったことにある。
追いつけないと犬神が理解してしまえば疲れないように速度を落として走る。
それは一見、手加減とも見れるが、戦術とも言える。
ようするに走技大会の予選を最高得点が出るように走らず、予選突破の得点で走るようなものだ。
それは数時間後に訪れる決勝に全力を出すための戦術で、周囲の全力で走る冒険者たちにとっては皮肉、手加減以外の何者でもないが、予選で全力を出した冒険者と予選で手を抜いた冒険者であれば確実に決勝で優位に立てるのは余力が残っている後者になる。
ようするに犬神も一回目は誰も追いつけないと戦術的に判断して手を抜いていた。
が今回は違う。すでに予選ではなく決勝とでもいうべきか、シッタ・ナメズリーという超速の冒険者が犬神に迫り、全力で走るしかなかった。
その上周囲は敵だらけだ。
とうとう犬神はシッタの術中に嵌る。
とはいえ実はシッタは馬による妨害をしろと指示を出していない。周囲の冒険者はアンナポッカの当初の計画を実行しようとしていただけ。もちろん途中でデデビビのように疲弊させるのが狙いだと気づいた冒険者もいるにはいるが。
むしろそれで結果的に犬神が勝手に馬で妨害されるのは何かがあると勘違いし、破壊による突破を考えなかったうえに、それ以外に何か狙いがあると思えずに自滅したともいえる。
なんにせよ、
「こっからが本番ってか」
シッタに一撃を入れられる前に大きく跳躍し、まるでシッタに立ちふさがるように犬のような鼠のような闘気を纏った集合体――犬神は対峙した。
――はずだった。
シッタに追いつかれてはだめだった。
シッタに一撃を入れられる隙きを作ってはだめだった。
すでにそのときには発動していた。
【舌劍絶命“舌頭千転”】。
舌を巻くほどに深化したシッタの固有技能。
「ヴァルルヂュヂュウュウュウュウュウュウュウュウュウ!!!」
オーバーキルと言わんばかりの断末魔が上がり、犬神が霧散し空中庭園のほうへと消えていくのがわかった。
「じゃあな」
まるで何事もなかったと言わんばかりにシッタは風とともに去っていく。
シッタと犬神の数分にも満たなかった戦闘に唖然としていた何人が彼が汗だくだったのに気づいたのだろうか。
当然、彼も疲労困憊だった。
それでもここからまた護衛の依頼がある。代役を頼めたのは半日だけだったのだ。
「父親になるのは辛ぇな」
言いながらシッタは嬉しく舌をなめずった。




