沁情切札編-3 九尾
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トワイライトが引き返す頃にはクイーンは再び、三人と一匹の前に姿を現していた。
転倒童子の肩に乗って。けれどそれだけではない、転倒童子は巨大な狐の魔物に乗っていた。毛皮は金色で誇り高く、身体を覆うような闘気は禍々しい紫、目は血よりも赤く染まり尾は九本。
「九尾之狐……」
モモッカが怯えた。目の前には間違いなく九尾之狐がいる。
尾害獣の一匹。他の尾害獣と違い封印することしかできなかった強敵の魔物。
おそらく空中庭園で最強最悪の魔物。
「久しく身体を動かしてないのだけれど殺して良いのかい、クイーン」
九尾之狐は主に問う。随分と親しげに、そして親しみを込めて。
「あらあらまあまあ、そうですのよ。久しぶりの再会を祝してのプレゼントですのよ」
「だとしたら妾が不完全なのはおかしくないかい、クイーン」
「それはあとでのお楽しみですのよ」
「まあいい。とりあえず頂くとするかい」
赤い瞳が醜く歪み、九尾之狐の口が大きく開いた。
クイーンは九尾之狐を転倒童子よりも先に使役していた。
実を言えば殺生石にはクイーンによって使役されていた九尾之狐が封印されていたのだ。
ともなればクイーンは殺生石を壊せば、すぐに主従関係になれる。
相棒を取り戻し、クイーンは歓喜の気持ちに満ち満ちていた。見事にトワイライトが引っ掛かったのも心地良い。
クイーンが握る魔鎚。名を〔和尚ゲンノウクウガイ〕というその鎚は九尾之狐の封印を解くには必需品だった。
それを持っているということはすでに封印を解いている可能性もある、とクイーンは言外にヒントを与えていたがトワイライトは気づけなかった。
この場にトワイライトが居なければ他の冒険者は容易い。
九尾之狐の大きく開いた口ががぶりとキンさんをかぶりと飲み込む。
即時にかみ砕いたはずだったが九尾之狐の口の中には何者もいない。
間一髪で身体への重しが取れ、かろうじて逃げ出せていたのだ。
「モモッカは逃げるでごわす」
「でも……」
「転倒童子と九尾之狐二匹を相手取って全員が逃げるのは無理でありまするな」
だからウラさんとキンさんはモモッカに逃げろと言うのだろう。
それはただ敵前逃亡をしろという意味ではなく機を待って倒せという意味だとは分かってはいた。
頭のなかでは理解できている。けれどもう仲間を失いたくないという強い想いが、その場にモモッカを留まらせる。
「やれやれ。クイーン、もう一度あれをかけないのかい?」
「あらあらまあまあ、それですと簡単すぎて楽しめないですのよ」
「まったく。わざと解除したのかい」
九尾之狐が呆れ声を出し、「まあいいかい、確かにこのほうが楽しみがいがある」直後、笑うようにキンさんたちを睨みつけた。
それだけで盛大に怯んだ。竦んだ、のほうが正しいのかもしれない。
一睨みでキンさんたちは全く動けなくなっていた。
「なんだい。これで終わりかい」
九尾之狐はそれだけで自分と目の前の冒険者の実力を測っていた。
硬直の長さが長いほど、九尾之狐との実力が開いていることになる。
「あんたはいらないよ」
まずはクマモへデコピンを一発。身体を覆う紫の闘気は毒の力を持っていた。
クマモが触られた右肩がどろりと腐食を開始、そのままデコピンを食らわされたことで、脆くなった右肩が持っていかれ、さらにデコピンの弾いた衝撃で後ろにいたキンさんごと吹き飛ばす。
「おや加減を間違えちまったかい。脆いねえ」
「あらあらまあまあ、不完全体でも、やっぱりお強いじゃないですのよ」
クイーンが九尾之狐とともに笑う。
「あんた、絶対に楽しんでるだろう」
「むしろ不完全体でも強い相棒を持てて喜んでいるのですのよ」
「なるほど。そっちのほうがあんたらしい」
なぜか妙に納得した九尾之狐はクイーンとの会話もそこそこにキンさんを拾い上げ、大きく口を広げてその上へと持ってきていた。
九尾之狐が手を広げれば、口の中、地獄の巨釜へと真っ逆さまだった。
「させぬでありまする」
九尾之狐の手に衝撃が起きキンさんが落下。衝撃によって逸れた結果、地獄の巨釜ではなく地面へと落下していく。
右肩が腐食しているクマモがなんとか左腕で抱えるように受け止める。
「助かったでごわす」
クマモ、そしてウラさんにお礼を述べる。
「小賢しい」
九尾之狐と同等の体格を持つ絡繰が出現していた。
ジョン・ウラシーマの切り札。
転倒童子を倒すために用意していたものだった。
その右腕からまるで弾丸のように射出されたのはカジキに似た銛。それが九尾之狐の手の甲に当たっていた。
九尾之狐に怪我はなく、あくまで驚いた衝撃で手のひらを開いてしまっていた。
そのやり口が気に入らず九尾之狐は悪態をついていた。
間髪入れずウラさんの切り札。まるで城のようにも見える絡繰りRYUGU‐Jはカジキ銛を連続で投擲しながら前進。
キンさんを抱えたクマモが交代できるように援護を開始する。
「すってんころりん。さあ転ぶのじゃあ」
転倒童子がRYUGU‐Jを転ばそうと画策。
がRYUGU‐Jには無効。
「それに関しては対応済みでありまする」
対転倒童子用絡繰りが、転倒童子の促す転倒に対策を打っていないようではどうしようもない。
そこは万全だ。
がクマモは別。転倒童子の言葉に誘発されて、ド派手にこけていた。
「跪け!」
そこにクイーンが告げる。【膝不味喰】によって重力がのしかかり、立てない状況になってしまう。
「そこまで手をかける必要はあったのかい?」
問いつつ、腕を一振り。まるで紙でできたおもちゃだったかのようにRYUGU‐Jが崩壊していく。
とっておきの絡繰りも、封印しかできなかった魔物九尾之狐の前ではまるで赤子の手をひねるようだった。
「楽しませてくれたお礼ですのよ」
答えを返しつつクイーンは口角を上げる。そこには愉悦があった。
「そうかい。まあそっちのほうがやっぱりあんたらしい」
RYUGU-Jを踏みつけたまま、クマモを握り潰す。
端から弱っていたことも要因だがクマモはあっさりと絶命。
キンさんは絶句。いつかは死に別れるとしても、きちんとしたものだと思い込んでいた。
天寿で看取る、看取られる。致命傷で死ぬのだとしても、対峙した敵を倒して、今までありがとう、のようなお礼を言えるのだろうと、想像していた。
その想像ごと刈り取られた。
「ぐうわああああああああああああああああああ」
怒りに任せて叫ぶ。憤怒の形相。
取り出したるはこちらも転倒童子用に用意していた切り札。
九尾之狐の背丈をゆうに超える巨大鉞〔塵芥のアズマヤマ〕。
到底持てるものではないが、【収納】によって取り出す際に柄の位置を地面に設定、その柄を向きが狂わないようにキンさん自身が支える。
そうすることで鉞の刃が九尾之狐の頭上へと固定。あとは重力に任せて落とすだけ。
九尾之狐といえど、致命傷は避けられまい。
切断。
はしなかった。
支えを失った巨大鉞の柄がずれ、刃は九尾之狐の横に逸れる。
支えであったはずのキンさんが同時に倒れる。胴体は穴だらけだった。
何をしたのか後ろで見ていたモモッカには分からなかった。
ただ何かが通り過ぎてキンさんの身体を穿ち、穴だらけにしたのだ。
「くっ……」
同時にウラさんも苦痛に悲鳴を上げる。
ウラさんもまた、攻撃の余波を受けたのか、左腕が穴だらけになり、同様に左耳がなくなっていた。
「逃げるでありまする」
苦悶の一声。
キンさんの呆気ない死に動揺を受けたのか、動けないモモッカにウラさんは絡繰りを差し向ける。
モモッカの動揺も仕方のないことだった。
半年前に仲間だった犬猿雉の三人を喪ったばかりで、消失感という胸に開いた伽藍洞をどうにか埋めるために、我武者羅に遮二無二に頑張って、転倒童子を倒すべく苦心してきたのだ。
なのにその目的である転倒童子は突如現れたクイーンの僕となり、従えていた九尾之狐に何もかも台無しにされた。
その衝撃は途方もない。
呆然とするモモッカはそれでもこの場に踏みとどまろうとした。
これ以上仲間を失いたくない、という思いがそうさせたのだ。
ウラさんの差し向けた絡繰りKA-2はそんな想いのモモッカを挟みに引っ掛けてさらっていく。
高速横移動の絡繰りKA-2は逃走用の絡繰りで移動に特化させている。
とはいえ、九尾之狐なら追いつけそうだという懸念もウラさんは感じていた。
「追ったほうがいいかい?」
「追わなくていいのよ。そちらのほうが楽しいでしょう?」
「確かに。それにどのみち、この庭からは逃げ出せない。そうなんじゃないかい?」
「その通り。ここはすでにワテクシの庭ですのよ」
「何を言っているで……ありまするか?」
瀕死のウラさんは不穏な会話を問いただす。
「空を見てみなさい。そのために生かして差し上げたのですのよ」
クイーンは不気味に笑って空を指した。
空が急速に荊に覆われていく。
「おやおや、見てないうちにあの椅子は随分と強化されたのかい?」
「そちらのほうが楽しいでしょう。一部ではなくすべて、ワテクシの庭に作り替えるのですよ」
高らかにクイーンは笑う。
一方で九尾之狐はウラさんを押しつぶすべくゆっくりと前足で肢体を圧迫していく。
そうして息絶え死体となる頃には空は荊で覆われていた。
「さあ【異薔薇の園】によるワテクシの支配を始めましょう」
高らかに宣言すると、空中庭園をすっぽりと覆った荊の壁から紫色の薔薇が咲き始めた。




