癒術
12
【灼熱息吹】を避けた僕たちは迂回してアジ・ダハーカの右側に回る。
ソレイルも息吹を警戒して背中に登り首を駆け上がっていた。ソレイルが突き刺した刃が虫系魔物を増やし、飛び散る血のように、僕たちにも襲いかかる。襲ってくる魔物は当然倒すけれど、他人のゴミを代わりに拾っているみたいで正直やってられない。
しかもソレイルが作った傷口はすぐに回復する。
「魔物は枯渇すると思う?」
物陰に隠れ、僕はアリーに問いかける。
「しないわね。そりゃ無限にいるとは思わないけど」
「だったらあの再生は止まらないのかな?」
「それはないはずよ。例えばあんたが怪我して、虫で代用できる?」
「できるわけないよ。そもそも治癒っていうのは回復細胞の活性化で……」
「それはドラゴンにも当てはまるのよ。ドラゴンの体に虫は使えない。原理を無視した行為だから」
「つまり、アジ・ダハーカは虫で治療していないってこと?」
「それかあいつはドラゴンではなく虫ってことね。だとすれば虫で代用できる。でもそうじゃないと思うの。あいつは傷口を巧みに治療して、体内に飼っている魔物を放っているんだわ、きっと」
「どうしてそう思うのさ?」
「虫系の魔物にはそんなに知能がないのよ。【千却万雷】をまともに食らって死んでるはず。それを体内の魔物を使って防ぐなんて、知能がある証拠よ」
「だとしたら――アジ・ダハーカが使っているのは癒術?」
「そうなるわね」
ふと、セフィロトの樹を見つめる。
「なるほど、だから輝き続けているんだ」
「早く気づくべきだったわね」
アリーが盲点だったと自分を恥じた。
僕たちはリアンたちや救援に回る癒術会が治療し続けているからセフィロトの樹が輝き続けているのだと思い込んでいた。おそらく愛好家達もそうだろう。仲間を治療している癒術士系複合職がいるので勘違いしているのだ。ソレイルは気づいてないのか?
「でも、癒術を詠唱しているなら祝詞が聞こえるはずじゃあ……」
「そうとは限らないわ。例えば口がない人間は癒術を使える? 使えない?」
その問いの意図に一瞬で気づく。
「使える」
「「なぜなら」」
アリーと僕の声が重なる。
「「言葉は形式上の概念でしかないから」」
同じ答えにアリーは満足する。祝詞は音がなくても使うことができる。もちろん声に出して言葉にしたほうが、詠唱しやすく、さらに連携が取れやすいのは事実。それが普通だから、僕たちはごく当たり前の知識を頭の隅に追いやっていた。
答えは出た。
「あの口のない右の頭が癒術を唱えている、そういうわけだね」
勝機は見えた。あの頭さえ、潰せばアジ・ダハーカは倒せる。
よく見ればあの頭は回避に専念している。左と中央の頭が、時折見せる隙は、右の頭を守るためにわざと見せて自分たちを狙いやすくしているのだろう。
「じゃ、コジロウに合流。他のふたりは勝手についてきてくれることを祈るわ」
アリーが駆け出し、僕も続く。
ソレイルが真ん中の頭と首を切断した直後、愛好家達のひとりが放ったらしい巨大な矢が再びアジ・ダハーカを貫く。
【千却万雷】が来る合図だった。
「まずいわよ……」
セフィロトの樹が輝きを増し、アリーが呟く。信じられないほどの輝きだった。数人の癒術士系複合職やがリアンが治療を続けているとはいえ、治療しているリアンたちでさえその異常な輝きに目を見開いていた。
あの輝きはなんなのだろうか? 全世界の癒術に連動して、セフィロトの樹は輝くから、世界のどこかで巨大な癒術を使った可能性も否めない。けれどそれは違うと僕の頭が警鐘を鳴らす。
アジ・ダハーカの中央の頭も左の頭も既に回復していた。つまり、治療に関してはもはや関係ない。セフィロトの樹を気にし続ける僕はようやく違和感に辿り着く。アリーもそれに気づいていたのだ。
セフィロトの樹は癒術に関連して輝く。連続的に誰かが、もしくは同時に複数人が唱えれば、輝き続けるのだ。それは詠唱してから発動するまでずっと。でもそれだけじゃない。他にも特徴があった。
癒術を唱える際に必要な固定された祝詞。その祝詞に連動して、セフィロトの樹に刻まれた10個のセフィラと22個のパスが祝詞通りに輝くのだ。それも強力な癒術であればあるほど強く。
輝きは続いていた。それは誰かの祝詞が未だ続いている証拠。
基礎からダヴを通り王国へと。王国からコフを通り、勝利へと。
祝詞通りにセフィロトの樹が道を紡ぎ、癒術を紡ぐ。その癒術を唱えているのはおそらくアジ・ダハーカだ。なぜだか確信する。
同時に嫌な予感がした。先程のアリーの言葉もその嫌な予感とやらを覚えてのことかもしれない。
【千却万雷】がアジ・ダハーカに直撃する寸前、アジ・ダハーカの前に現れた黒い穴が【千却万雷】を吸収し、消滅させる。
僕は唖然とする。詠唱者も唖然としているだろう。しかしそれだけではなかった。
再び、黒い穴が出現し、【千却万雷】を吐き出した。詠唱者がいるであろう場所へと、1mmのずれもなく。雷の群れが辺り一面を焼いていく。
援護癒術階級8【魔法反射穴】だった。
僕が抱いた確信は惨事によって真実へと変わった。その真実は周囲に悪夢を撒き散らす。
「拠点がっ!?」
愛好家のひとりが叫び、恐慌した愛好家の何人かが、アジ・ダハーカに背を向けて逃げ出す。
「よくも仲間を!」
獣と化した愛好家のひとりが涙を流し、怒りを吐き出す。その言葉を受けて次々と復讐に駆られた愛好家達がアジ・ダハーカへと走り出す。
彼らはすでにセフィロトの樹に刻まれた仲間の名前を見て絶望へと染まっていた。
「また救えなかった」
セフィロトの樹に刻まれた死者を助ける術を未だ冒険者は持っていない。刻まれてしまったら、最期なのだ。
「そうやってすぐ落ち込まない!」
僕はアリーのようにすぐに割り切れない。僕がなんとかすれば、なんとかなったかもしれないという可能性を拭い切れない。それが傲慢だとしても。
それでも、迷っている暇などなかった。さらに犠牲が出る前になんとかしなければならない。
だから、泣き言はこれっきり――にできる自信はないのだけど、それでもやるしかなかった。
「凍てつけ、レヴェンティ」
まるでアリーが自身の怒れる心を凍らすようにレヴェンティを凍りつかせる。攻撃魔法階級5【氷河帯】だった。
アリーが駆ける先に見えるのはアジダハーカの右の顔。
僕も後を追い、気配でコジロウがその後ろにいることに気づいた。アルも、それにメレイナもいる。
全員がまだ諦めていない。それだけで、まだなんとかなると思えて、僕は奮起する。