不馬
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……はずだった。
「なっ?」
危機を脱したはずのトンショウが今度は異変に気づいて戸惑う。
「にっ」
今度はジネーゼが笑う番だった。
内心、ほっとしているがそれを隠して、仕返しのように微笑み前進。
それはまるでそよ風が吹いたようだった。
気づけば、ジネーゼはトンショウを通り抜け、後ろにいた。
トンショウの頬には一筋の傷。触ってみると傷口は浅い。
「ははは、なんですヒン。その攻撃は。慌てたせいでウマく攻撃できなかったですヒン? かすり傷ではないですかヒン」
身の危険を感じたトンショウはその拍子抜けの攻撃を侮蔑するように、今度はこっちが反撃してやると威嚇するように、先ほどまでの戸惑いを覆い隠すために大げさにジネーゼを口撃した。
「いや、それで終わってるじゃん」
ジネーゼに余裕の笑み。
かすり傷程度しか与えられなかったのではない、かすり傷程度で大丈夫なのだ。
「ぐっ……」
ジネーゼの言葉がまるで発動の条件だったかのようにトンショウは胸を押さえて地面に蹲った。
「これは、いったい? 何をしたヒン?」
「やっぱり、あんたはジブンを知らないじゃん。だから簡単に食らってしまうじゃん」
「ですから、これはなんなんのですかヒン?」
「教えるわけないじゃん」
もちろん、ジネーゼを知っているものなら確実に予想はついただろう。
毒だった。
毒。
ジネーゼがランク0のときから、それこそ秘伝のタレのように作りづつけてきたとっておきの毒。
特別な名称はない。
毒。
ただの毒であった。極めて毒。
けれどもそれはかすり傷程度で致命傷にできるほどの代物だった。
トンショウはそのことを知らなかった。
そもそもトンショウはただただレシュリーを知っているものを殺そうとしているだけだった。レシュリーを知っているものが何者であるのか知りもしない。
だからジネーゼもリーネも、はたまたただ立ち寄った集配社スカボンズにいた誰ひとりとして知っているものはいない。
あんなにも虐殺できたのは地獄師の地獄賛歌という強力な技能を使って、たまたまウマく行っただけだ。
ジネーゼが毒の使い手だとは知らず、そしてその愛剣に毒(ジネーゼしか解毒できない)が塗られているとはトンショウは知りもしない。
「ヒヒン……」
弱っていく自分を目の当たりにしてトンショウは嘶く。
様々な状態異常を起こす地獄賛歌の使い手、地獄師のトンショウは何の皮肉か状態異常のひとつである毒によって死んだ。
勝因はジネーゼを知らなかったことともうひとつ。
【級錯覚】によって下がったランクが戻らなかったことにもある。
トンショウの元となった冒険者は元々ランク4だった。
ジョーカーの元で改造され、十二支悪星に選ばれたあと、iDLCで4から7へと到達した。iDLC『階級向上』をたった3錠飲むだけのお手軽さ。
もちろん、iDLCの副作用が出て喋り方などに色々と影響が出てしまったがジョーカーにとってはお構いなし。
その副作用なんてお構いなしの精神が一時的にランクを下げる【級錯覚】に別の効果をもたらした。
簡潔に言うと元々のランク以上のランクならば下がったランクは戻らない。iDLCでの副作用だった。
ゆえに元々ランク4だったトンショウは【級錯覚】で一時的な錯覚ではなく、真理的にランクが下がってしまっていた。
結果、ランク7でなければ作用しないiDLC『上級転職』は事実上無害かされ、複合職へと戻ってしまっていた。
それらが重なり、トンショウは倒された。
何事もウマい具合にはいかない。




