馬耳
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彼の耳は馬の耳だった。彼の顔は馬面の仮面をかぶっているのではなく、正真正銘、馬だった。
馬そのものだった。それを忘れてはならない。
さらに言えば改造される前の、トンショウになる前の元になった冒険者は人の話を聞かない人間だった。忠告も意見も聞かず、孤高を貫くのではなく、呆れて人は去っていき孤独になるような冒険者だった。
このままでは孤独死まっしぐらの彼は、しかしてジョーカーの思惑が合致していた。
「もしかして効果がないのは馬の耳に【声援】ってやつであるか」
「なるほど。諺を体現した感じっぺ。馬面なら説得力も増すっぺ」
イロスエーサの言葉にウイエアが納得する。
『馬の耳に【声援】』とは空中庭園に言えば『馬の耳に念仏』。
ありがたい魔法の効果であるはずなのに、その効果が伝わらない。
馬の耳、そして元々の人格、それがトンショウに他人が及ぼす効果を受けつけない、という能力を備えつけていた。
だから本来は聞くことで多大な恩恵を受ける【天使合唱】の効果をトンショウは受けつけない。
てめぇの話よりも俺の話を聞け、と言わんばかりに他人が何をしていようが自分が優先されていた。
天使の声量なんて関係なく、トンショウは歌う。
不器用な人間が強力な道具を持っても巧く扱えず無意味になるかのように【天使合唱】の恩恵を無意味にしたトンショウは、その恩恵を受けれない不利益がありながらも恩恵を与えた地獄師の地獄賛歌を無効にする副次的な効果を無効化していた。
こうなれば恩恵を受けれない不利益はもはや不利益ではない。地獄師にとって地獄賛歌を使えないことこそが真の不利益なのだから。
そうしてトンショウの歌の出だしに合わせて、地獄も周囲に出だし始めた。声の音波、その波に合わせてまずは口元から、やがて波及するように歌が届く範囲で地獄が広がっていく。小天使たちも地獄には入りたくないのか徐々に後退。
それに合わせてコーエンハイムたちも後退するが、最前線にいたコーエンハイムはわずかに地獄の影響を受けていた。
「大丈夫であるか」
「大丈夫と言いたいんだがなあ、少し入っただけでこの効力は手痛いんだなあ」
指の先が紫に変色し、さらに焼け焦げた跡がある。
「現在歌っているのは【灼熱瓶練習曲】であっているんであるか」
「効果的に言えばそうだっぺな。まあ地獄師なんて希少なうえに情報が少なく、マジモンを見たのが初めてだから確信はないっぺけど」
「改造がすごいずるいデスネ」
コーエンハイムたちが知識として持っている情報を参照すれば、この技による状態異常の発生確率は大中小で言えば小。
コーエンハイムの運がなく、なくなく状態異常になったというわけではないのは、すでに改造されて発生確率が引き上げられていると推測していたので今更驚くこともない。
「確かに、けれどそういう改造者を放置しておくわけにもいかないんだよなあ」
「おっしゃる通りですねえ。でも今の状況じゃ魔巻物がないのもきついところですねえ」
ディエゴがよく使っていた魔巻物は魔法や癒術を封じ込めれるが、効力が三分の一になることもあり、冒険者の間では持っているほうが珍しい。もちろん、ディエゴの襲撃以降、それなりに持ち始めた冒険者もいるが、毒には毒消しというように、対応する道具があるためそちらを持っている冒険者のほうが多かった。しかし即効性や対応力を癒術とと比べるとやはり道具による治癒は一段劣るため、癒術を求められることが多い。
ゆえにこの場に癒術士系複合職がいないこともあり、アギレラの発言は毒消しよりも魔巻物を求めるものとなっていた。
とはいえ応急処置をしないわけにはいかない。
「これで治るんでしょうかねえ」
「なに。ないよりはましだよなあ」
アギレラは毒消しをコーエンハイムへと手渡す。
「さて、こんだけの人数でなんとかできるかどうかも分からないんだよなあ」
少し悲観的にコーエンハイムはぼやいた。
現状、ヴォンを逃がすのは大前提。そのうえで改造者は放置できない。他の集配員の仇を取る意味でも取り逃がしたくはない。
「で、応援は見込めると嬉しいんだがなあ」
「どこもかしこもレシュリーを知っている者を殺そうとしている輩がいるようである」
「連絡してるけど、通じないやつが多いっぺ」
「レシュリーさんたちは試練の途中でしょうしネ」
「とはいえ連絡がついた一組がこちらへ向かってきてくれるそうである。もっとも嘘を吐いたので心苦しい限りではあるのである」
「嘘も方便だっぺ」
「どのくらいで到着しますかねえ」
「正直分からないである」
「つーことはそれまでは頑張らないといけないっぺか」
「では援軍のタイミングでヴォンは身を隠してほしいんだよなあ」
「了解でス」




