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tenth  作者: 大友 鎬
第9章(後) 渇き餓える世界
453/874

欲求


54


 強靭な振り下ろしがセッテイカクに向かって放たれた。

 がセッテイカクは動くことなくその攻撃を回避。

 というよりも直前でアエイウの足元がふらつき、剣筋がずれていた。

 この場合、幸運にもという言葉はにつかわしくない。〈幸運〉の才覚があったわけでもないし、ましてや〈悪運〉、はたまたそれに類似した才覚があるというわけでもない。

 だかしかしセッテイカクはそうなると分かっていて回避すら取っていなかった。

 アエイウが慎重であれば、もしくはバハムト・レッサーの特技に関して知っていれば、この一撃は無知と見せかけた大いなる罠で、避けもしないセッテイカクに致命傷を負わせたに違いなかったがそれはもしもの話。

 アエイウは魔物の知識に関しては博学ではなくエリマ頼みの面があった。

「ぬぅ」

 アエイウは自分に訪れた眠気に戸惑っていた。思わず欠伸が出た。

 【滅菌抗体】を発動して状態異常に対する耐性をつけてみても付け焼刃。

 眠気は消えない。けれどそれは心地よい倦怠感に似ていた。

 考えても埒があかない。長大剣を振り回すが、やはり眠気のせいで足元がふらついてしまう。

「さっきから何してやガル?」

 避けなくとも当たらない剣筋を嘲笑してセッテイカクは言う。

 アエイウは仕組みを気づくことはないが、セッテイカクの欠伸にこそ種があった。

 【欠伸睡波(ヒュプノイズ)】。

 それがバハムト・レッサーの特技のひとつだ。

 人の欠伸は伝播する。魔物の欠伸も人に伝播する。欠伸が伝播したところでなんともならないが、その性質を利用した【欠伸睡波】は欠伸によって息を吸い込み、体内で睡眠ガスを加味して吐き出す。

 セッテイカクは欠伸をする素振りをして【欠伸睡波】を使い、アエイウを眠りに誘おうとしていた。

 アエイウの元々の耐性が高いのもあるかもしれないが【滅菌抗体】によって状態異常に強くなっているため、常人よりも【欠伸眠波】に抗えていた。

 けれどそれも時間の問題だとセッテイカクは退屈げに欠伸した。ついでに【欠伸睡波】がアエイウを襲う。

「ぐっ」

 アエイウは膝をつく。眠気とともに倦怠感が襲いかかっている。

 アエイウはこの倦怠感をやはり知っていた。眠気と戦いながら、脳内を物色して思い出す。

 それはあの倦怠感だった。心地よい倦怠感。

 その倦怠感を思い出すと気分が自然と高揚していく。

「とどめを刺してやるガル」

 余裕綽々でセッテイカクは近づいていく。

 癒術士などがいなければ対処が難しい【欠伸睡波】だったが、ことアエイウに限っては逆効果だった。

 それにセッテイカクは気づいていない。

 欠伸が出る際にはオキシトシン神経と呼ばれる神経からあくび指令が発せられるが、このオキシトシン神経はホルモンとも関係があり、男性ホルモンを活性化させる。

 つまり、眠気によってアエイウはある意味で覚醒、一番調子がいい、高揚した気分になっていた。

 そんな状態のアエイウは怒りを忘れた。冷静さを取り戻したわけではない。

 一気に欲求が頭を埋め尽くしていく。

「一気に片をつける」

 鼻息は荒く、アエイウは宣言。

 ぶおん。

「なっ」

 セッテイカクは吹き飛び、自らが壊した廃墟へと叩きつけられた。

 見えなかった、何が起こったかわからなかった。

 立ち上がろうとした頃にはアエイウは両足でセッテイカクを押さえつけ、拳を振り上げていた。

 逃げないと、という思考はすでに遅れていた。

 その頃には顔面に衝撃。強靭な拳が落ちていた。

 次に顔面に一発。当然のことながら【筋力増強】で強化されている。

 次も顔面に一発。次も顔面に。次も、次も。その次も。

 ひたすらに、ひたすらすらに、顔面を徹底的にアエイウは殴る。

 興奮からか早々暴力的かつ乱暴的になってしまっている。

 虎男を殴り殴って殴りまくったところで発散などできないのであった。

「グルルルルガルグウウウウウウウウウウウウウウ!!!」

 雄たけびをあげてセッテイカクはなんとか振りほどいて距離を取る。

 顔はひしゃげていたが虎だとまだ認識できた。

 バハムト・レッサーの【怪獣化】は解けていた。

「よく、分からんガルが睡眠は効かんガルか?」

「知らん。知らん知らん。がさっきので死なないのは厄介だな」

「ほざけガル! わいがあの程度で終わるとはきさんは思ってるガルか」

 吼えるセッテイカクの毛色は黄色から白へと移り変わり瞳孔も赤く光っていた。

 その姿は空中庭園に言い伝えがある白虎という魔物に酷似していた。

 が実際は違う。ジョーカーの改造では捕獲した魔物か強化動物を利用している。

 ゆえにセッテイカクのベースは強化動物のホワイトタイガーだった。

 もっとも両者は似すぎているため判断はつき難い。

 もしかしたら白虎かもしれない。そう思わせることこそがジョーカーの思惑だった。

 アエイウも当然、判断できていなかった。白虎かホワイトタイガーなのか。

 いや判断していなかった。

 今のアエイウにとってはどっちでもいい。いやどうでもいい。

 セッテイカクの姿がホワイトタイガーだろうが、白虎だろうが、ただ叩き潰すだけなのだ。

 単純なアエイウの思考には複雑なジョーカーの思考、思惑など無駄だった。

 複雑で難攻不落の迷路を問答無用に壁を壊して一直線に出口へたどり着くようなもの。

 ただ、惑わすことには失敗してもジョーカーの改造は常に成功している。

 黄色い毛皮のただの虎から、まるで白虎のような白い毛皮のホワイトタイガーに変貌した。

 そこには間違いなく意味がある。

 少なくともアエイウはそれを考えるべきだった。

 難攻不落の迷路の壁を壊して出口を目指すのだとしても罠を作動させて出口にたどり着けなくなったのでは意味がない。

 先ほど圧倒的に蹂躙したアエイウは先ほどと同じように顔面へと強力な一打。

 ぬらり。

 セッテイカクはまるで手が滑って掴んだものが滑り落ちたときのようにその攻撃を避ける。

 不意打ちではなかったけれど超高速の一打をきっちりと見て、そうして回避した。

 先ほどまではできなかった芸当。

 眠気を誘って足元をふらつかせアエイウにミスを誘発させたでもなく、ましては運よく避けれたのでもなく、きっちりと見て、そして滑らかに、避けたのだ。

「ぬぅ」

 がアエイウの避けられた拳は空中に出現していた黒い穴へと入っていた。

 避けられる可能性も加味してアエイウはその拳の行く先に【収納】を使用していた。黒い穴の正体はアエイウの所持品が詰まった異次元だった。そこからいつの間にか【収納】していた長大剣を引き抜き、振りぬく。

 セッテイカクは避けた直後で射程圏内。アエイウの思惑通り。

「ガハハハハ、オレ様の技巧に酔いしれろ」

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