牢獄
35
ヴィヴィネット・クラリスカット・アズナリ・ゴーウェン・ヴィスカット――ヴィヴィはランク3+になった後、ネイレスたちとともに南の島に行こうと思っていた。
が道化師のタブフプから連絡があり、急遽そちらへと向かっていた。
本来なら断ることもできたが、タブフプを介してのミリアリア・ゴールドハートからの頼みとあっては断れなかった。ミリアリアはヴィヴィが刑務所に入っていたときお世話になっていた看守で彼女を通じてタブフプと出会い、腹話術を習得した経緯がある。
そんな恩人に頼みがあるともあれば断るわけにはいかない。
ヴィヴィはかつて自分が収容されていた刑務所へと向かった。
到着した時には既に異変は起きていた。
刑務所の壁が大きく破損し、建物からは火の手が上がっていた。
「脱獄……?」
ヴィヴィが収容されていたときにも一部の過激な集団がそういうことをしようとする計画はあった。
ほとんどが穏和な、懸命に刑期を終えようとする人々が多かったが脱獄に関しての噂はどこの刑務所にも存在する話だ。
ミリアリアの頼みが脱獄の阻止だとしたら既に時遅しではあるが、その考えをヴィヴィは一蹴した。
ミリアリアはここの看守になる前は冒険者だった。タブフプ曰く、実力は折り紙つきだ。
こんな大規模な脱獄を許すはずがない。
それでも嫌な予感がして、ヴィヴィはその壁に空いた大穴から廊下へ入り、看守室を目指す。
「やあ……」
看守室の扉手前、廊下の壁を背もたれにして倒れ込む男がヴィヴィを見上げた。
「随分と速い到着だね」
タブフプだった。
全身が傷だらけで、手にはあるはずのものがない。足が折れているようで座ったまま動けないでいた。
「ピーボルくんは無事だよ。看守室の机に寝てる」
ヴィヴィから注がれる視線で気づいたのかタブフプが元気なく言う。
開いた扉の隙間から看守室を覗くと確かにピーボルくんが机の上に置かれて――いや、寝ていた。外傷はないようだ。
「こんなときでも寝れるなんて、のんきな奴だよね」
タブフプは極めて明るく言って、笑った。どうみても空元気だった。
「何があった?」
タブフプが空元気を発揮している間に癒術の詠唱を終えたヴィヴィは【接骨】でダブフプの骨折を治癒しつつ、問いかける。
「壁が空いているの見えただろう? 突然、あれを開けた女の子がいてね、兎耳が生えたような、そんな女の子。その女の子がレシュリーを知っているかって問いかけたんだ。もちろん口調というか語尾はこんな感じじゃないけど」
タブフプの意識が保てるようにヴィヴィは口を挟まない。喋れるうちはとにかく喋らせて意識を保たせようと努めつつ、続いて詠唱した【癒々霧】を展開。タブフプの周りに癒しの霧が発生。回復細胞を活性化させて傷を癒していく。
「さすが手慣れているね」タブフプは小さく笑って話を続ける。「それでタレットさんが……キミも知ってるだろ、小太りのタレット。ちょっと嫌味ででも憎めなかった人。その人が知ってるって答えたんだ」
そう語るタブフプは少し涙目だった。
「そうしたら殺された」
ヴィヴィの癒術詠唱が止まる。その言葉が信じられなかったのだ。慌てて再開。詠唱し直しとはならなかった。驚いて声を出していれば危うかったがなんとか踏みとどまる。
「分かるかい。殺されたんだ。いっつも三時のおやつを欠かさない小太りのタレットが殺されたんだ。そんな惨事あるかい。笑えない」
冗談だとしても確かに笑えない。
「しかもそれだけじゃなかった」
タブフプの声は涸れていたが涙は涸れることなく流れていた。
ヴィヴィが食用の水を【収納】から取り出し渡す。
タブフプは受け取るとよほど喉が渇いていたのか、すぐさま受け取って飲みだした。
途中で喉に詰まって、ゴホゴホと咳き込む。
「そこから虐殺が始まった。レシュリーを知っていると答えようが答えまいが、そんなの関係なしに。看守のトッティがまず殺されて、デントンが次に殺された。ボクは天幕で姿が隠れていたから殺されなかった。でもピーボルくんを放って逃げ出したから罰が当たったんだろうね、その子は壁を破壊して出ていったけど、飛んできた破片がぶつかってこの様さ」
悔やむようにタブフプは言った。戦わずに逃げ出したことを、ではない。そもそもタブフプは道化師で、いや道化師の割に戦えたりもするが、冒険者ほどではない。魔物を狩って依頼をこなして生活しているわけではない。
タブフプは自分の相棒を置いて逃げてしまったことを悔いていた。相棒こそが自分の生活を担う、切っては駄目な、切り離しては駄目なもののはずなのに。
言葉尻にそれを感じたヴィヴィだが大丈夫だとは言わなかった。いや言えなかった。
大丈夫であるはずがないことはタブフプがよく分かっているだろうし、それを乗り越えなければならないこともタブフプは理解しているのだ。
だから代わりに問うた。
「その子はどこに?」
「牢屋のほうに向かった。誰かを脱獄させるつもりなのかどうかは分からないけれど、ミリアリアが追っている」
ミリアリアの名前を聞いてヴィヴィは僅かに安堵した。タブフプのこれまでの話に死者として出てはこなかったけれどこれからの話に死者として出てくる可能性があったからだ。
けれど同時に恥じた。
見知った知り合いが生きていたことに安堵して、あまりよく知らない知り合いが死んだことにあまり悲しまなかったことに。
「応急処置は済んだ。たぶん、歩けると思うが無理は禁物だ」
「キミこそ。追いかけるんだろう?」
タブフプの言葉にヴィヴィは頷く。危険だと分かっていても向かっていくのが冒険者だ。
「死ぬなよ」
そこには道化師としてのおふざけは微塵にもなかった。
***
「本当は待機が良かったピョン。命令なんてしてほしくなかったピョン。でも殺さなきゃ殺さなきゃダメだピョン」
刑務所へやってきた兎耳の少女は発狂するように叫びながら周囲を破壊していた。
白いモコモコとした体毛が血に染まり、それに比例していくように死体も増えている。
「周囲に群がるのは倒さないといけない敵ばかり、殺気ばっかり飛んできて味方は誰もいないピョン」
敵討ち、そんな声がところどころで聞こえ、兎耳の少女を、年端もいかない少女を虐殺しようと復讐者と化した囚人に看守が襲いかかっていく。
が、誰も太刀打ちできない。
「ああ、寂しい……寂しいピョン」
幾度となく繰り返してきた戯言に周りが凍りつく。
さっきまで殺気まみれだった現場が一気に静まり返る。
誰かなんとか言えと言わんばかりに周囲の復讐者の視線が泳ぐ。
「兎は寂しいと死んでしまうピョン」
囚人に看守がその言葉に戦慄する。時間制限は近い。
どうする? とますます周囲は困惑。
そこに新手がやってくる。
ヴィヴィだ。
「なんか新しい人が来たピョン。あんだはわだしの味方ピョンかな?」
「キミが刑務所をこんなふうにしたというのなら、私はお前の――」
待て、やめろ、そんな声が飛んだが今ここに来たばかりのヴィヴィがその意味に気づくはずもない。
「敵だ」
きっぱりと宣言。
「ああ……ああ……ああ……」
兎耳の少女は身体を震わせ、
「周囲は敵ばかり。味方はいない。天涯孤独ピョン。ああ、寂しい! 寂しいピョン」
そう言って兎耳の少女は自らの胸を練習用短剣で突き刺して吐血。
一瞬のうちに自害。
「何が起きたんだ?」
動く気配のない兎耳の少女に困惑するヴィヴィの耳元に聞こえてきたのは倒したことへの喜びではなく、なんて馬鹿なことを、どうしてくれるんだ、ああやばすぎる、恐怖に彩られた罵声が飛ぶ。
「下がれ!」
そんななか、透き通った声が聞こえた。ミリアリアだ。状況はよく分からないが、それでもミリアリアが不必要なことを言うはずもない。
言葉通り下がった瞬間、ヴィヴィが元々居た場所めがけて風が通り抜ける。
それは蹴りだった。強烈な蹴り。下がらなければ首をぎぢっぢんと断頭台のように切られていた。
ヴィヴィの頬に冷や汗。
見れば自害したはずの兎耳の少女が放った蹴りだった。
【死振】だったのかと疑ったが、【死振】は敵の攻撃に反応して使用できる技だ。
自分の攻撃でそんなことができるはずもなく、【偽装心臓】を使った様子もない。
だとすれば兎耳の少女は本当に死んだはずだ。
そもそも先ほどまでは毛に覆われて見えなかったが生き返った後は身体を覆うモコモコの白毛はなくなっており、ぽっかりと空いた、むき出しの胸からは心臓が見え、突き刺さったナイフも見えた。
死んでいるのに動いている。
ゾンビのようなものだと考えればあり得る話ではあるが、それも違うような気がした。
「ああ、寂しいからわだし……また死んじゃったのか」
ぎろりと少女は立ち上がった。
「何が……起きた?」
「あの子は――死んで強くなるんさ」
ミリアリアが言った。「最初は嘘だと思うんさ。でも本当さ」その声は僅かばかり恐れを含んでいた。
兎は寂しいと死んでしまう、という噂があるが、ある意味でそれを逆手に使ったのが目の前の兎少女タンアツの改造だった。
タンアツの元になった冒険者は元々酷いストレスを感じるとすぐに自殺しようとする癖があった。
それを利用してジョーカーが今のタンアツを作り上げた。
兎は元々ストレスに弱く、常に警戒をしている。
そんな兎と、自殺癖の冒険者が合わさって今のタンアツがある。
孤独になることでストレスを感じたタンアツは勝手に自殺をする。
その自殺でジョーカーの改造が発動する。死後、肉体が強化される改造が。
死んだタンアツはギロリとヴィヴィを見つめる。
「あなだがわだしを殺しんたんだピョン」
恨めしげにタンアツは告げて、姿を消した。
と思いきや、ヴィヴィは壁に激突していた。
「かはっ」
何が起こったか認識できなかったが蹴られたということだけは理解していた。




