引退
34
目覚めたときには寝台の上だった。
戦いの感覚を持ったまま気絶してしまったため、
「うおおおおおおおおおおっ!」
敵に気絶されられたのだと勘違いして怒声をあげてどっせいと立ち上がる。
そうして気づいた。
「……ここどこだ?」
「癒術院だよ。弟子たちが運んでくれたんだ」
隣の寝台でフィスレが呆れていた。露出した腕や首には包帯が巻かれている。
「無事だったんだな。良かったZE」
「母子ともにね――それよりもキミこそ無事で良かったよ」
「ああ、まあお互い様だ……って、待て」
待て待て待て、とシッタは舌を巻く勢いで連呼した。
「フィスレ、さっき変なことを言ったろ?」
「変なことを言ったつもりはない」
「いやいやいや、いやいやいや」
大きく否定するシッタに、フィスレは何かを決心したように言った。
「いい機会だと思うし、キミに告げておくけど……私は引退することにした」
「いやいやいや、いやいやいや」
「さっきからそれしか言ってないな」
「いやいやいや、いやいやいや。これ俺の妄想か? それとも死んでるとか?」
「妄想でもないし死んでもいない。現実だよ、これが」
「いやいやいや、いやいやいや」
「本当にそれしか言ってないね」
「いやだってほら……よし、うん。もう一回言ってくれ」
意を決したようにシッタは告げる。
「どっちを、だ?」
「最初のほう」
「母子ともに無事だった」
「……」
若干の沈黙のあと、
「……母がフィスレで子がフィスレと俺の子でオーケー?」
「ああ。何を驚いているのか分からないがその通りだよ」
「マジか。ということは俺が?」
「お父さんだな」
フィスレに言われて途端に頬が緩んだ。無駄に【舌なめずり】して、フィスレに抱きつく。
「おいおい、ふたりとも病み上がりだよ」
「つってもよ」
「でだよ、もうひとつのほうは覚えているかい?」
「なんだっけ?」
「これを機に私は冒険者を引退するよ。まだ動くことに支障はないけれど、もう自分だけの身体じゃない」
「けどよ、お前は前に俺に語ってくれたじゃないか」
シッタが一目惚れしてフィスレに告白したとき、フィスレはつっけんどんに
「結婚も恋愛にも興味がない」と告げていた。「冒険者として高みを目指すことにしか興味がない」と。
それでシッタはますますフィスレに惚れたのだけれど、今はそれが違うというのか。
「あれは――」
嘘だったというのか、なんて言えるわけがなかった。フィスレが決意した理由をシッタはなんとなく分かっていた。
「キミが変えたんだ。私の考えを」
人形の狂乱でフィスレを助け、それから幾度となく共闘して、承諾もないのにずっと行動を共にして幾重の苦難を乗り越えた。
吊り橋効果なんていう安っぽい言葉では表したくないほどの感情を受け取って、フィスレが心変わりしないはずがない。
だからこそ、今こういう結末を迎えていた。
「私も寿退者ってことだ」
結婚などめでたい出来事で冒険者を(一時的にであれ)引退する冒険者のことをそう呼ぶ。フィスレもたった今からその仲間入りだった。
「俺は……どうすりゃいい」
「キミは冒険を続けてほしい。私の代わりに高みを目指しておくれよ」
フィスレは柔らかな笑みでシッタの道を示した。
「じゃあ弟子は……? どうするんだよ?」
「なんとかなるさ。というかキミは動揺しすぎだ」
「いや……むしろなんでそんなに動揺してないんだZE?」
母は強しというべきか、堂々としているフィスレにシッタはたじろぎ、そういうシッタの姿を見たことないフィスレはその姿を面白がって笑った。
互いに死にかけた戦いではあったが、お互いに生き延び、喜ばしい未来が開けていた。




