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tenth  作者: 大友 鎬
第9章(前) さりとて世界は変わりゆく
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奪姿

64


「師匠しっかりするべ」

 レッドキャップが狂靭化した直後、結界が土壁へと変化する直前にユテロは叫んだ。

 それでどうにかなるわけではない。それでもユテロは叫ぶしかなかった。

 コジロウはレシュリーやアリーと比べてデュラハン戦では一番有利ではないか、と言われていた。

 デュラハンの顔が変貌するとしてもディオレスぐらいしかおらず、それならば躊躇いなどないからだ。

 事実、最初のうちは顔がディオレスだったのだろう、実に順調に戦いを進めていた。

 圧倒的に翻弄していたと言ってもいい

 なのに、なのにだ、途中で突然、立ち止まり、それから動かなくなった。

 デュラハンもなぜか動かず睨み合いのような時間が続いた。

 けれどそれが睨み合いではないとユテロには分かった。

 マムシとインデジルはレッドキャップと戦うのに必死でおそらくは気づいていない。

 気づけたのは唯一、言いつけを守り、ただのレッドキャップにさえ逃げているユテロだけだ。

 今のコジロウの状態は蛇に睨まれた蛙のように怯えのようなものが見えていた。

 なぜデュラハンが動かないかは分からない。何か理由があるのかもしれなかった。

 途端にレッドキャップが叫び始め、デュラハンの鎧が漆黒に変わる。

 そうして瞬間的に作り出した漆黒長剣で未だ動かないコジロウを真正面から切りつけ、

 血しぶきをあげた途端、ユテロは先の言葉を叫んでいたのだ。

「師匠しっかりするべ」

 途端に土壁になってデュラハンとのコジロウの戦いがどうなったのか分からなくなる。

 けれど土壁の障害が解除されてないということは、すなわちまだ死んでいないということだ。

 しかしコジロウがぐったりと倒れたまま、デュラハンが止めを刺さないままであれば、この土壁は解除されない。そうなると時間切れまで、どうやってか強化されたレッドキャップから逃げなければならない、とユテロは判断した。

「おらにそごまでの力があるんかね?」

 これが不測の事態なのか、予測された事態なのか、ユテロには判断できない。

 できないけれど、鮮血の三角陣が始まる直前に、十分に逃げ切ることはできる、と言われていた。

 ユテロは未だに自分の実力を信じ切ることはできない、けれどレシュリーが言いコジロウたちが同意した言葉は信じれた。愚直に信じることができた。

 だからユテロはその言葉だけを信じて、この試練中は弱音を吐かないと決めて、逃げ切ることを決めていた。


***


「師匠しっかりするべ」

 結界に遮られたユテロの声が聞こえたわけではないが、コジロウはそこでようやく我に返った。

 失態でござった。

 反省するが随分と時間は立っている。デュラハンは狂靭化し、結界が全て土壁へと変わっている。

 三人は大丈夫でござろうか。ふと心配になる。結界でコジロウの姿を見た弟子がコジロウをどう思ったか。見えている状態での師匠の戦いは見えなくなってからの弟子の戦いに大いに影響する。

 師匠が無事に倒してくれるのだろうかと不安を覚えれば、焦りが生まれ失敗を作り出す。

 平常心を保ちいつも通り戦えるかがこの鮮血の三角陣での試練とも言える。

 そういう意味では師匠としてのコジロウは不合格だろう。

 無防備で胸板を斬られ、出血をしている。傷は深い。

 そんな姿を見せて土壁が閉じたのだとしたらユテロをはじめ他のふたりですら不安になるに決まっていた。

 どうしてそんな醜態をさらしてしまったのか、意識を集中させる意味でもこれまでを思い出していく。

 デュラハンと対峙したとき、顔が変化するのはディオレスであろうとコジロウは考えていた。

 そもそもアリーやレシュリーと違ってそのぐらいしか思いつかない。

 一般逆転の島のあと、アリーとレシュリーと別れ一人旅をしていたときに出会い、短時間だけ共闘し死んでしまった冒険者もいたが、それほど深い絆とは思えない。

 となればディオレスしかいない。

 十中八九どころか十割そうだと算段をつけて、鮮血の三角陣に挑めば案の定そうだった。

 ディオレスの顔にディオレスが使っていた鮫肌剣〔子守唄はギザギザバード〕の模造品。決してディオレスではないがディオレスに似せてデュラハンは襲いかかる。

 持ち前の素早さで翻弄してコジロウは一撃一撃を鎧の隙間、曲げるために頑強に作れなかった関節部分へと忍者刀〔仇討ちムサシ〕を突き刺していく。

 順調でござる、と思ったもの束の間、ディオレスの顔が女性の顔へと変わる。

 見たこともない顔、いや見たこともないはずの顔だった。

「あ゛……」

 思わず絶句。知らないはずの女性なのに見た瞬間、どうしてだか分からないけれど動けなくなっていた。

 わけも分からず恐怖する。

 その顔はどことなくコジロウに似ていた。コジロウにはどこか記憶が欠如している部分がある。

 今まで楽しい旅路で記憶なんてどうでもいいと思っていたけれど、もしかしたらこの女性が関係しているのかもしれない。

 いや違う。コジロウには分かっていた。

 この女性は、自分にとてつもなく似た女性は……

 自分が参考にした女性だと。子どもの頃に見たあのときの死体だと。

 何者だったか分からない自分自身が〈中性〉の才覚で真似した、女性だ。

 自分自身を確立した女性だった。男性の姿もこの女性を想像で男体化したにすぎない。

 名も知らない女性がコジロウをじろっと見つめる。

 自分から自分を奪った、と恨んでいるような瞳に見えた。あくまで主観で本当はそうではないのかもしれない。ただ無感情に無意識にコジロウを見ているだけかもしれない。コジロウの後ろを見ているだけかもしれない。

 それでも人は想像する。

 コジロウは忘れかけていた女性を、自分が奪って自分にした女性の顔を思い出して、動けずにいた。

 いったい、自分は誰なのか? それまで何だったのか? 今まで忘れていた、忘れていてよかった現実が一気にコジロウの思考を苛んだ。

 それだけで動けない。 

「拙者は……」

 誰なのか? 何なのか? もしかしたらこの口調ですら物真似でしかないのかもしれない。名前だって……

 思えば思うほど身体が恐怖で震えた。腰が砕けそうだった。

 何を思ってかデュラハンも動かない。

 愉しんでいるのかもしれない。コジロウが恐怖に震える様を。

 しばらくしてデュラハンは愉しむことに飽きたのか、狂靭化して無防備のコジロウを切り裂いた。

 顔が甲冑兜に変わってようやく放心が解けた感じだろうか。

 経緯は思い返したがまだどこか心そこにあらず。胸に何かが突っかかったまま。物理的に切り裂かれても突っかかった何かは取れることはない。

 血を手で拭って、【手裏剣】や【苦無】を乱舞。

 けん制して距離を取ってから【伝火】で傷口を無理やり焼いて閉じていく。

 怪我をしてない手に火傷を負ってまでも応急処置をして出血を防いだ。

 ここからでござる、と自分を鼓舞。

 心のもやもやは晴れない。かつて同じ悩みを抱いたときにディオレスにお前はお前だと言われて解決したはずだった問題、自分で蹴りをつけたはずの問題は、ここにきて再発した。

 状況を悪化させて。

 それでもコジロウは一時的にでもあれ忘れる。これから十分にコジロウを苦しめるだろうが忘れる。一時であれ忘れることで目の前に集中できるコジロウは冒険者としては優秀なのかもしれない。

 ともかく今は目の前の敵を最速で倒すでござる。

 それが不安にさせてしまったであろう弟子たちへと適切解だろう。

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