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tenth  作者: 大友 鎬
第9章(前) さりとて世界は変わりゆく
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感染


62


 「ムィ、ムィ」

 と蝙蝠の鳴く声が木霊する。

 ムルシエラゴ――アテシアのムィの鳴き声でない。

 普段、そんな鳴き方をしなかったグレイのクロウバット(鴉飛鼠)たちが、ムィに出会って以降、まるで服従を誓うようにそう鳴き始めた。

 そもそもグレイがアテシアたちに接触したのは希少種蝙蝠であるムルシエラゴをアテシアが従えていたからだ。

 召喚士ブラジルがポイモンマスターであるのならば、グレイは蝙蝠マスター、蝙蝠系魔物を愛してやまない魔物使士だった。

 蝙蝠マスターとしてはムルシエラゴの存在を無視できない。しかも魔物使士でもないのにムルシエラゴはアテシアに従っていた。

 その不可思議な――いや、技能でも操らなくても交友できると知らしめるようなアテシアとムルシエラゴの関係にグレイはひどく憧れた。

 せめて傍にいたい、そう思ってグレイはアテシアたちの仲間になった。

 そんなグレイが扱うのはもちろん蝙蝠系魔物。前述したクロウバットを含め、4種類の蝙蝠系魔物を数十匹使役していた。

 クロウバットは平均的な男性の手のひらをふたつ合わせたような大きさぐらいしかない蝙蝠で、全身が真っ黒。顔は目も鼻もなく口のみで翼を使って超音波を発し、それで獲物を確認している。数としては一番多く素早いため手数が稼げる。ただ超音波を発するため長時間の使役は頭痛の原因にもなっていた。

 そんなクロウバットが飛び交いレッドキャップを攪乱。狂靭化はしているがそのレッドキャップの速さを凌駕しているうえに、すれ違いざまに小さく噛みつき、レッドキャップの皮膚。そこに生えた体毛を一本ずつ噛み千切っていく。毛抜きで一本一本毛を抜いているような感覚。毛が抜けるたびにプチンプチンと気になる程度の痛みを発しているため気が散って仕方がない。完全に嫌がらせだ。クロウバットではレッドキャップには真向に勝負はできない。

 レッドキャップは嫌がらせをやめさせるためにグレイめがけて斧を投擲。

 グレイへと高速で飛んでくるがグレイは避けようともしない。

 横に佇んでいたグレイほどもある蝙蝠が翼を広げる。途端に翼が鋼鉄と化す。メタバット(鋼蝙蝠)は蝙蝠系魔物全般に言える素早いが打たれ弱いという欠点を補うように特殊な能力を手に入れている。さらに本来は立つこともかなわない後ろ足で直立も可能だった。

 背丈はグレイと同じぐらいで翼を広げればグレイを覆い隠せる。そしてその胴体全てを【鋼鉄化】することが可能だった。【鋼鉄化】すると動作が鈍くなる代わりに鋼鉄のような肉体を手に入れることができる。強化技能【鋼鉄表皮】が魔物用技能になったような感じだろう。

 そんなメタバットの翼がレッドキャップが投擲した斧を弾く。

 それでも衝撃による痛みは回避できず見た目に反して愛らしい豚顔が歪む。

「いやはやありがとうございます」

 防御してくれたことに感謝してメタバットの頭をなでると

「ムィイ♪」

 と喜んだ。

「さてはて、次はキミに任せましたよ」

「ムィイィイイイ!!」

 グレイの肩に今まで乗っていたショーヴ・スリ(手裏天鼠)を擦るとそれが合図のようにショーヴ・スリは高く飛びあがる。

 レッドキャップと自分の胴体が対面するのではなく、翼をレッドキャップに向けて、ぐるりぐるりと縦に回転しながら急降下を始める。

 ショーヴ・スリは四つの翼を左右の上下に二つずつ持つ蝙蝠系魔物だ。その翼は剣の刃と同程度の切れ味を持っており、さながら巨大な手裏剣のように飛び敵を縦切断するのが特徴だった。

 レッドキャップはなんなく避けるがそれも数度が限度。まるで振り子のようにレッドキャップの前後からショーヴ・スリは何度も強襲する。避けるのは難度が高いようには見えないが、ここでクロウバットの苦労が報われる。地味な嫌がらせがショーヴ・スリとのいい連携を生み出していた。

 やがて何度目かの回転突撃でレッドキャップの肩に傷ができる。

 致命傷には見えない軽傷。かすり傷。それでもレッドキャップは突然現れた体の異変に警鐘。

 自分の唾を手に吐いて肩の傷口に塗りたくる。魔物の唾は時として強酸だったりもするがレッドキャップの唾は人間のそれと同様なのか殺菌するように傷口へと塗っていく。

 レッドキャップにも低いなりに知性はあるから理解できているのか。それとも種全体の経験が何らかの手段で、子へ孫とへ継承とされているのか。

 何にせよ、レッドキャップは体の異変がなんであるのか理解して対処しようとしていた。

 治療と言っても応急処置にもなるかどうか分からない。唾をつけときゃ治るなんて迷信が魔物にあるかどうかも分からない。

 それでもレッドキャップは自らの傷を本能的に殺菌する。何度も手に唾を吐いて肩を塗りたくると繰り返して。

「ムィイ!!」

 その隙を逃すはずもなかった。手負いの冒険者にだって魔物は手加減をしない。それと同じことが魔物にも言えた。

 ショーヴ・スリの鳴き声で一斉にクロウバットが突撃。全員固まっての体当たりはそれなりの質量を伴っていた。

 レッドキャップが慌てて回避しようとするが痛みに蝕まれていく身体が動きを鈍らせ衝突。

 勢いよくぶつかられてレッドキャップが吹き飛び、地面へと叩きつけられゴロゴロと転がる。

 巨大手裏剣が高速で何度も飛んでくるだけでも当然脅威だが、ショーヴ・スリの本当の怖さは攻撃を受けてしまったあとにある。

 ショーヴ・スリは【感染】という技能を使えた。【感染】はあらゆる病気を対象者に植えつける。

 レッドキャップの倦怠感はそこに起因する。もちろん症状はひとつだけはない。どことなく体は熱いし、喉は痛い。歯がひりひりする上に目がシュパシュパする。胃はキリキリと痛んで、ずっと耳鳴りは止むことをしらず体の関節という関節が軋むように痛い。

 とはいえ、それも数秒の出来事。【感染】は幻覚でも幻痛でもない。けれどやはり技能である以上制限時間がある。その数秒を過ぎればまるで絵空事のように痛みは引いていく。きれいさっぱり。

 元気を取り戻したレッドキャップが再びグレイに襲いかかる。

 【感染】ほか状態異常は一度食らった後、すぐ次に食らっても一時的な抗菌が生まれ、一度目ほどの時間はその異常性を維持できない。

 それでもグレイは同じ攻撃を繰り返す。いずれ【感染】が無効化されたとしても、その頃にはレッドキャップはそれなりの傷を負っているし、鮮血の三角陣も終わるはずだと算段をつけて。

 果たしてそれがどう転がるのか、グレイ自身も分かっていない。


***


 ダダダンと繰り出された三連撃【打蛇弾】を威嚇に使ってヴィヴィは距離を取る。

 狂靭化したレッドキャップを前にしても恐れは少なく慄きも少なかった。

 この恐れの少なさはヤマタノオロチやディエゴを前にしてもそうだった。

 その時はレシュリーがいるから大丈夫という絶対の安心感があって、それが、恐怖心を和らげているのだと思っていた。

 けれど今、この場にレシュリーはいない。

 じゃあこの安心感はなんなのだろうと考えてやがて気づいた。

 どん底をもう経験しているからだ。

 まだ若いヴィヴィがどん底を経験したなんていうと年寄風情がその歳で経験するどん底なんてたかが知れていると言うのかもしれない。

 確かにヴィヴィよりもどん底を味わった人間はいるのだろう。ヴィヴィには出会ったことがないから分からない。

 それでも姉のために自ら奴隷になった挙句、姉が実は奴隷のような扱いをされても付き従っている男を愛していたという経験をした冒険者はおそらくヴィヴィしかいない。

 そんな境遇から抜け出せたその後のヴィヴィの人生はどん底のときに比べれば苦しみも痛みも大したことのないのだろう。

 だからどんな強敵でも難敵でも立ち向かうことができた。

 とはいえ境遇と命を救われたヴィヴィはおいそれと命を投げるようなことはしない。

 強敵も難敵も、強敵だと難敵だと自覚してきちんと対処する。

 恐れや慄きが少ないということは冷静な判断が下せるということだ。

 レッドキャップは【打蛇弾】を冷静に避けて潜るようにヴィヴィへと向かってきた。

 【打蛇弾】は前方への突き三連打のため軌道にヤマを張って飛び込んできたのだ。失敗すれば当然殴打される危険があるが、その危機よりも接近を選んだ。何筋かの軌道が決まっているうえに殴打されても初級技能である【打蛇弾】では致命傷にならないという打算もあったのだろう。

 ヴィヴィも距離を取っているためそう簡単には詰められない。

 近づいてくる場合もあると考えていたヴィヴィは冷静に【座狗座苦】を使用。

 闘気に包まれ切れ味を持った不銹鋼杖〔悲恋のヴィクトーリア〕の横を薙ぐ一撃がレッドキャップの進行を阻む。

 いつもは鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕を使うヴィヴィだが、鮮血の三角陣で死にたくはないという想いから、姉の名が刻まれた武器を使っていた。

 初使用だがまるで長年使っている武器のように自分の手に馴染む。

 ついぞ理解はできなかった姉だが、それでも自分を支えてくれているような気がした。

 ヴィヴィは棒術を十全に使って威嚇し、距離を空けて時間を稼いでいく。

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