視線
58
怒りに我を忘れていても、鷹嘴鎚を握り締めて走り出していても、結局のところ僕が頼るのは投球だった。
鷹嘴鎚をわざわざ出しているのはフェイクだ。
左手で鉄球を【造形】して【剛速球】を繰り出す。
狙いは偽者でしかないアリーの頭。悪趣味なその顔を僕は手っ取り早く除外したかった。
比喩ではなく抱える頭を一発で射抜くとアリーの頭は凹み地面へと転がる。粘土のように凹むとは案外脆い。
一通り転がったあと、止まると凹みは直り、元あった場所へと戻っていく。
わざわざデュラハンの胴体が拾うことはないようだ。デュラハンの胴体、本来首がついている場所には青い
火が灯り、動きに合わせて揺れる。
腕で抱えるように顔がデュラハンのもとへと戻った瞬間、アリーだったその顔はディオレスへと変わる。
アリーだったときよりもやりやすくて助かる。
不敵に笑みを零して、デュラハンへと接近。
デュラハンの武器は長剣。それもどこかで見覚えのある長剣。すぐにわかった。
ディオレスがデュラハンに挑んだときももしかしたらそうだったのかもしれないし、世界改変によってデュラハンが強化されたからなのかもしれない。
僕には判断がつかないけれど、明確にわかることがある。
「それはアリーの武器だ」
デュラハンの武器は狩猟用刀剣〔自死する最強ディオレス〕に酷似していた。何もかもが偽物なのだろう。
叫んで一歩踏み込む。【回転戻球】をデュラハンの左脇へとぶつける。右脇に抱えられたディオレスの顔が虚ろな瞳で僕を見つめる。衝撃とともにわずかにのけぞるがデュラハンが怯んだ様子はない。
そのまま狩猟用刀剣のようなものを使って僕へと【鬼剣刃】。
大きく横を薙ぐ剣技技能だが片手で繰り出されたため、両手でしっかりと握ったときよりもなんていうのか軽い。平然と鷹嘴鎚で防ぐ。
そのままわずかに距離を取り、鷹嘴鎚を【収納】して【戻自在球】を二刀流。
鉄球でできている【回転戻球】より素材球でできている【戻自在球】のほうが、威力が劣るが、素材球がいかようにも変化できる点で、【回転戻球】よりも優れている。
連打に次ぐ連打で叩きつける。一点突破でデュラハンの鎧を破壊する算段。
連打終わりに【破裂球】に変えると思考した瞬間に気づく。
狩猟用刀剣のようなものがいつの間にか短弓に変わっていた。
高速で射られた矢を避け、態勢が崩れる。それでもいちかばちか【破裂球】に変えるが、それは剣のような盾に防がれる。
それにも見覚えがある。
「もしかして、顔を変えた人間の武器を使えるのか……」
推測が口に出る。さっきの短弓は短弓〔とっておきのパン〕に酷似していて、剣のような盾は偽剣〔狩場始祖エクス〕によく似ていた。
思い出を踏みにじられたような気がして、逆上ほどではないにせよ、頭に血が昇った。
【転移球】で一気に頭上に回り込んで鷹嘴鎚を首の位置にある灯のような炎へと叩き込む。
すり抜けることなく、叩いた炎が消滅のち点灯。
消滅した瞬間、デュラハンは大きく仰け反った。
けれど叩き込む前に放たれた矢が僕の脇腹へと大きく突き刺さる。
攻撃を優先した結果だから仕方ない。
着地して距離を開く。矢を思いっきり抜くと血が流れた。
今は抜かないほうが良かったかもしれない、けれど突き刺さったまま動くには明らかに邪魔だった。
どちらが正しい判断だったのかは考えない。もう抜いてしまったあとだ。
【止血球】で止血して、【清浄球】で血を洗い流す。
痛みは徐々に回復してくれる【徐々癒球】でごまかす。
デュラハンが仰け反った隙を自らの治療に費やして、再び対峙。
デュラハンが握り締める武器は今度は杖。また見覚えがある。
その杖を見たときから脇に抱える顔がディオレスから変わったと悟り、見るのは避けていた。
それでも怖いものを見てしまうかのように、見てしまった。
デュラハンが握る杖は藍石の老灰樹杖〔食いちぎるガナーシャク〕のようなもの。
それだけでは現在デュラハンが抱える顔の正体が誰なのかぴんと来る人はあまりいないかもしれない。
それでも僕は分かっていた。分かってしまっていた。
見たくない、見たくないと思いながら見る。
僕はとっくに乗り越えたと思っていたけれど、それでも胸に来るものがあった。
僕が救えなかった、救おうとしなかった彼女。
僕の中に根付いてなかなか消えてくれない悔恨。
リゾネット・リリー・リゾネシア――リゾネの顔だった。
まるで救えなかった僕を恨むように血の涙を流して、リゾネの顔は僕を見た。
その顔は恨んではいない、怒ってもいない、ただ嘆いて悲しんで、僕を見つめていた。
震えるような怖気が身体を奔る。
消えていなかった悔恨が僕の心を抉り、ディオレスがここで自殺してしまったのも納得できたような気がした。
ディオレスが誰かを救えなかったように僕もリゾネを救えなかった。
けれど違う点がたったひとつだけある。
ディオレスがとても大切な人を救えなかったのだとしても、
僕のとても大切な人はまだ生きていた。
だから悔恨を前にしても僕は自殺なんかしない、そんな選択をしない。
悔恨を忘れてはいけないと思う。けれどいつまでもその悔恨に悩んでなんていられない。
「うああああああああああああああっ!」
声を出して気を引き絞る。
【剛速球】がまるで悔恨を打ち破るかのようにリゾネのような顔を打ち抜く。
顔ごと【剛速球】が結界に衝突。粘土のように凹むどころか、そこを中心に弾け飛ぶ。
しかししばらくしてまたもや脇へと抱えるように顔が集合。
今度はアリーでもなくディオレスでもなくリゾネでもなく、誰でもなく顔の見えない甲冑兜へと変貌する。
もう通用しないと悟ったかのように。
そうして首の代わりに灯る炎が逆上するように炎上。大きく燃え盛る。
兜もカタカタと揺れ始め、まるで鳴いているようだった。
同時に結界で遮断されている向こう側からレッドキャップが叫び始めた。
「これって、まさか……」
そうしてレッドキャップの元から赤い目が深紅に染まり、輝く。筋肉質だった腕に胴体、足腰が一回り、いや二回りも大きくなっている。間違いなく狂靭化だ。
途端に半透明の壁のような結界全てが頑強な土壁へと一瞬へと変わる。
聞いていた話では一か所ずつ順番に、だったはずだ。
世界改変で色々と変わるとは聞いていたが随分と経った今、この仕組みが判明していなかったとは思えない。
何か色々な条件が加味しているのかもしれない。
三人は大丈夫なのだろうか。
心配になるけれど、心配している場合でもない、僕と対峙するデュラハンもまた甲冑兜の顔を覆い隠す面の鉄格子の隙間から赤く目が輝き、鉄製の少し青っぽい鋼色の鎧は黒騎士のように暗黒に染まっていた。
デュラハンは抱えていた顔が邪魔なのか乱雑に投げ捨てそれが地面へと落ちたのを見届けると長剣を両手で握り締めに走り出してきた。
三人が大丈夫なのかどうかは分からない。けれど最速で倒すことこそ僕ができる最大の手助けだろう。
振り下ろされた漆黒の長剣を鷹嘴鎚で弾く。これも狂靭化されたものだとしたら、この剣自体もデュラハンの一部。叩き割れば傷を負う、と推測。弾き返された漆黒長剣へと二度、三度、鷹嘴鎚を叩き込むとデュラハンが一歩後退。狂靭化は我を忘れている感じがあったけれどデュラハンは制御できている印象。
僕が一歩踏み込み追撃しようとするとデュラハンは強化されているからか一歩後退しきる前に無理やり体を前に出し、漆黒長剣に闘気を乗せて薙ぎ払い。僕の胴体が真っ二つに横断される前に【転移球】で薙ぎ払いの範囲すれすれに離脱。そのまま用意した【戻自在球】を剣へと振り下ろす。直撃する寸前に【転削球】へと変化させてまるで虫歯を削り取るように刀身を削り取る。
それを察知したのか剣を振り回して【転削球】をすぐさま振り落とした。
剣を振り回したことで注意が散漫になっている隙に【転移球】で宙に浮いた僕は大きく鷹嘴鎚を振りかぶる。
「うおおおおおおおおおおおおっ」
大きさを増した首元の炎へと全力で振下ろす。
途端に僕の脇腹を右下から左上へと【光線】が貫いた。赤い光線。
そのまま落下して倒れる。
いったい誰が?
驚いて飛んできた方向を見る。
そこには甲冑兜。笑うようにケタケタと動く。
完全に油断していた。
甲冑兜もデュラハンの一部だ。僕の大切な人や悔恨を想起させるような人の顔になって苦しめるだけなはずがない。
僕はそれが意味を成さないと分かって剣を両手持ちするために、投げ捨てたのだと思っていた。
けれどそれは思い込ませるためのデュラハンの作戦。わざわざ落ちたのを見届けてから僕へと向かってきたのは甲冑兜がどの位置にあるのか確認するためだろう。
そうすれば今のように僕が攻撃した隙を突いて【光線】を――正確には【光線】に似たデュラハン専用技能だろうけど――使ってきたのだ。
もしかしたらそれが狂靭化したときのみ使えるものなのかもしれない。
【回復球】で気休め程度に回復。傷口は完全にふさがらない。【止血球】で血を止めたけど痛みを押さえるように脇腹を触る。もうちょっと上だったら心臓を貫かれて死んでいた。
途端に恐怖を感じるが抑え込んで立ち上がると甲冑兜が間髪入れず光線を放つ。
でどころは赤く輝く目。だからか光線の色も赤い。
【熱視線】とでもいうべきその技能を避ける。追尾性能はないが、ケタケタと震えて、甲冑兜自身が向きを変えるので僕を狙うのは容易。
でも場所が分かっていれば回避だって容易。今度は貫かれずに避けるが、デュラハンの狙いは僕が回避することで自身が近づくこと。
回避後の眼前にはデュラハンが剣を振り上げて待っていた。




