苦悩
54
「今ならトドメを刺せるんじゃないの?」
撤退を決めた僕にシャアナがそう尋ねてきた。【封絶結界】が解けたあと、確かにディエゴは死んでいるかもしれないし、死んでいなくても瀕死の重傷を負っているのも確かだ。
それに今ここで倒さなければ命を狙われていたシャアナたちにとってはまた命を狙われるという厄介極まりない状況から脱せないのは確か。
だからシャアナの意見はもっとも。
たぶん僕がするのは愚かな選択なのかもしれない。
けれど非道にはなり切れない。
何せ、リアンが【封絶結界】を張りみんなをレッドガンの自爆から守ろうとしていたのを察して、先回りしてレッドガンと自分だけに【封絶結界】を張ったのだ。
それは僕たちを守る行為。シャアナたちの護衛として敵対していた僕たちを守ることは自分の利を害する行為なのに、ディエゴはそれを選択した。
「リアンをもしかしたら守ろうとしたのかもしれません」とはアルの弁。父親の血しか繋がっていなくても兄妹は兄妹だからだとすれば確かに納得がいく。
どんな理由であれディエゴが勝手に守ったのは確かで、僕たちがそれを恩義に感じる必要は確かにない。
それでも僕は撤退することに決めた。
レジーグたちの依頼とディエンナたちの極秘依頼は違うけれど、依頼主は同じと僕は考えていた。
レジーグたちに内容を聞くことで極秘依頼を推測して先に対処すれば少しは次のディエゴの襲来に対応しやすくなる。
「でもこの機会を逃したら、次はもうディエゴを倒せないかもしれない」
シャアナは言う。
「なら判断はキミに任せるよ」
これからの全ての責任を押し付けるように僕はシャアナに提案する。
僕はここで撤退しても依頼を放棄するつもりはなかった。回り道になるけれどディエゴを倒すための方法は考えていた。
「仮にここで逃げたとして」
シャアナが撤退ではなく逃げたと表現したのは嫌味なのかもしれない。
アリーが気に食わずにらみつけるがシャアナもそれでひるむような女の子ではない。
「キミには次に確実に倒せる策はあるの?」
それはたぶんシッタやアルたちも気になっていることだろう。
いや少なからず、アリーやコジロウのように僕に味方してくれる人を除いて、ここで倒すべきだと思っているのかもしれない。
ディエゴが生きていたら、そう思うだけで不安なのは僕だって同じだ。
「あるよ」
不安を握りつぶすように僕は言った。完璧な策ではないけれど、手探りでもない、この策が成功すればほぼ互角、いや互角以上に戦えると僕は思っていた。
「それはなんなの?
「簡単だよ。ランク7になるそれだけだ」
「それだけって……」
「簡単に言ってくれるでござるな……」
「でもそうすればレベル差はあるけれどランク差はなくなる。上級職にもなって、数では勝るでしょ」
「でもそれをディエゴが簡単に許すと思う?」
「治療までは時間がかかるし、試練にはディエゴは入れない。シャアナたちに無理強いはしないからその間、隠れてもらう必要があるけど、それもなんとかする」
「確かにそれなら戦えなくはないけど……問題は山積みよ」
「そうだね。ディエンナもレッドガンを見た隙に逃げられたし、レジーグたちの依頼主とも決着をつけないといけない」
「まあ、ディエンナは飛空艇と連絡とってヴォンに追わせてるから、隠れ家は突き止めれると思うわ」
「それに今、アルルカ殿がレジーグ殿たちから受けた依頼、正確には配布イベントらしいでござるが……聞き出しているでござる。まあ、イロスエーサ殿が見た情報とほとんど変わらないでござるが何かわかることもあるのかもしれない」
「それはともかく、どうすんのよ?」
アリーがシャアナを睨みつける。今度はシャアナも怯む。
シャアナがどう判断するか、言い方は悪いが見物だった。
どちらに転んでも僕は何も言わない。
「ランク7になって倒す、ってのはいいかもね。正直、今ここであいつを倒したらボクは冒険をやめてしまうかもしれない。ラインバルトたちはボクに会ったことで上のランクを目指そうとしてくれてた。だったらボクがあきらめてしまうのは彼らの目標を穢すことなのかもしれない」
シャアナはそう結論を下す。
「アズミさんは、それでもいいですか?」
「いいも何も守ってくださるのでしょう。なら文句を言う筋合いもありません」
「う゛っ。だとしたらボクが駄々こねたみたいじゃない!」
「うふふ。そうかもしれませんわね」
「もう! 違うからね。これはわがままとかじゃなくて、ボクは合理的に考えてだよ」
「分かってるよ」
ムキになってシャアナが僕に言い放ってくるけど、なんで僕に言ってきたのか意味が分からない。
シャアナの言い分はもっともだと僕は最初から思っていたのに。
「一先ず遊牧民の村に戻ろう。一段落着いたことを教えないと」
***
遊牧民の村に戻ると人形の狂乱が終わったネイレスたちが戻ってきていた。
「そっちはどうだったの?」
「大変だったわ。配布イベントだっけ? あれを受けた連中がこぞって大挙したからね。ぶちのめしたけど……殺してないからそいつらもまとめて全員ランク3ね」
「ネイレスがいたから案外楽なのかと思ったけど……意外だ」
「人数が多ければあたしでも苦戦するわよ。それよりも感心するのはあんたの弟子よ」
「僕の弟子?」
「どの子も大した活躍だったわよ。語れる場所があればいつか語りたいぐらいに。でそっちはどうなったの?」
「その前にいいぽん?」
「誰なんだい、この人……」
「ざっくり言うとその配布イベントで僕たちと戦った人」
そう言うとネイレスの後ろにいたデビたちが武器を構える。
反対にネイレスは落ち着いた様子で、理解しているようだった。
「敵対してたけど、途中で共闘したとかそういうのでしょ?」
「正解。ネイレスは分かってるね」
「というか今も敵対してて一緒にいるとかないでしょ」
「そのことでまずは謝罪がしたいぽん」
大草原で戦った冒険者の生き残りはレジーグを中心に集まっていた。
「まずオデたちは依頼を、というかイベントを放棄したことを連絡しておくぽん」
敵対して以降、一緒に共闘して以降、レジーグたちとしては依頼されたから、あまり深く意味を考えずに襲ったというわだかまりがどこかにあったのかもしれない。
「それさっきも気にしなくていいってはずなのに」
僕だってそれを撃退するために魔物をけしかけていた。予想外の展開で助けには入ったけれど少なくとも何人かが命を落としている。
だとすれば僕こそ彼らに謝らなければならなかった。
「魔物の件は数に抵抗するにはああするしかないってのは理解できてるぽん。むしろイベントに惹かれて後にも先にも考えず思考を放棄したほうが恥ずかしいことだぽん」
言ってレジーグは続ける。
「本当にすまなかったことだぽん。ランク3になったイベント参加者も力づくでも放棄させるぽん」
レジーグが頭を下げると連なっていた冒険者も続いて頭を下げる。
「レシュも言ったけどいいわよ。そんなものいい経験値稼ぎになったから。カンストしてるけど」
さらりとネイレスは言った。
「で、結局そっちはどうなったのよ?」
改めて問いかけるネイレスに僕は説明する。ここからは全員に聞いてほしかった。
***
「なるほど。概ね事情は察したわ。撤退は賢明だったとは思うけれど、少し残念ではあるわね。でもランク7になるっていうなら勝機はあるかも」
「うん。僕たちにシッタ、それにフィスレさん、アルルカたちもなれば勝て――」
「おいおい、ちょっと待て」
舌なめずりしながら言葉を遮ったのはシッタ。
「俺はいずれランク7になるつもりだが……今は時期尚早だと思ってる」
「それって……?」
「俺もフィスレもたぶんデュラハンは倒せる……自信はあるがよ。俺の見積もりじゃ申し訳ないが弟子たちがレッドキャップに逃げ切れない。俺はよ、全員が生き残るためにあと半年ぐらいは必要だと思ってる。弟子たちがやりてぇやりてぇ言ってもやらせないつもりだ」
シッタには強い意志が感じられた。確かに僕が勝手に決めたことでシッタの方針を曲げさせるわけにはいかない。
「アルルカたちも自由にしていい」
アルルカたちの弟子にはまだあったことはないけれど、アルルカたちの方針もあるはずだ。無理強いさせないようにあらかじめ告げておく。
「それなんですけど、レシュさんがランク7になるって提案したときから相談して、私だけでもランク7になろうって思ってます。ただ弟子たちはまだランク2ですから、時期的にも他のランク3の方を探さないといけません」
「自分の弟子はどうするのよ?」
「私の弟子のままですが、鮮血の三角陣のときだけ他の方に貸し出す感じでしょうか」
「それっていいの?」
判断がつかない僕が尋ねると
「前例はあると噂ですけど聞いたことがあります」
「それは噂じゃないんだぽん」
助け舟を出すようにレジーグが答える。
「オデも弟子がいないランク5の冒険者と一緒に鮮血の三角陣を受けたんだぽん。鮮血の三角陣の近くには弟子のいないランク5やランク3+になりたいランク3がたくさんいるんだぽん」
「そうなんだ。それならアルルカも鮮血の三角陣を受けれるね」
「ですけど、力を貸してくれるランク3冒険者をみすみす殺すようなことはしたくありませんから、少しだけ時間がかかるかもしれません」
「ネイレスは力を貸せないかな? ちょうどランク3だし」
「それは無理よ。あたしとメリーにムーちゃんはランク5になってくるであろうセリージュの弟子になってランク3+を目指すもの」
「ええー、そうだったんですか」
「初耳です……」
メリーことメレイナとムーちゃんことムジカが驚いていた。
「セリージュをランク5にさせようとした時点でそういう計画よ」
「ううん。残念」
「とりあえずグレイを貸せば?」
アリーが提案。
「そっけなくというかあっけなくですね。まあいいですけど」
傍で聞いていたグレイが唖然としながらも了承する。
「私も力を貸そう」
話を聞いていたヴィヴィが立候補。
「そういえばヴィヴィもランク3になっていたんだっけ?」
「ああ。これであとひとりで鮮血の三角陣を受けることができるだろう」
「そうだね。ひとりぐらいなら見つかりそうだし、これで懸念材料はなくなったんじゃない?」
ヴィヴィとグレイなら高確率で鮮血の三角陣を生き残れるからアルルカの条件にぴったりだ。
「そうですね。とはいえ私には弟子たちを説得する大仕事も残ってますけど、そこはなんとかします」
確かに弟子からしてみれば鮮血の三角陣を一緒に受けるはずの師匠にそれができなくなったと言われるのだから青天の霹靂。アルルカが師匠でいてくれるとはいえ、少なからず一緒に試練をという状況を考えていたはずだ。
「そういえば……ルルルカの弟子はどうなったの?」
「姉さんの弟子もあたしが引き取っています。課金籤の騒動があった頃からユグドラ・シィルの近くの狩場で依頼をこなしてもらっているんです」
「うっし。なら一先ずユグドラ・シィルに向かおうぜ。飛空艇のやつらとも合流して、ランクアップやらなんやらの準備をしねぇとな」
舌なめずりしてシッタが仕切り出す。けど方針はそんな感じだ。
「本当にキミは……」
フィスレが相変わらずのシッタに呆れ、
「もう慣れてるから大丈夫だよ」
言葉を盗られた感じになった僕は笑う。
考えることすら不謹慎だけど、シッタが死んだら舌なめずりのシッタよりも仕切りたがりのシッタになりそうな、そんな感じだ。
考えてみればシッタとは長い付き合いになった。
シッタ・ナメズリーなんて名前、最初は胡散臭くて、出会ったとしてもそれっきりな感じの冒険者だったのに、今ではかなり頼れる仲間になっている。
「ちょ……待てよ。慣れてるってなんだよ、慣れてるって」
「それがキミってことさ」
「はあ、フィスレまでなんだよ、それ。意味分からねぇー、ZE。まあいい。ほら、とっとと行くんだろ。ちんたらしている暇なんてないんだ、ZE!」
魂を継いだジョーの物まねでごまかしてシッタはぶつくさを歩いていく。
怒っているようでいて、どことなく嬉し顔なのは僕たちの信頼が改めて伝わった証だろう。
「キミが良き相棒となったみたいで良かったよ」
「何言ってるのさ。フィスレこそがあいつの相棒でしょ」
「だといいが……最近は実力に差ばかりついている。最初は私のほうが強かったのにな」
どことなく哀しげにフィスレはつぶやく。
ランク5になると壁にぶつかる、とはよく聞くけれどたぶんフィスレもそれを感じているのかもしれない。相方が強くなっていくのに自分はどことなく限界に近いように感じてしまう。
シッタには固有技能があって、フィスレにはない。
それが余計に辛くなっているのかもしれない。
「フィスレも大丈夫だよ。僕なんて最初から崖っぷちにいた。断崖絶壁を這いあがらないとダメだった」
「……確かにそれを言われれば私の悩みなんて大したものじゃないかもしれないな。ありがとう。色々と考えてみるよ」
もしかしたらフィスレがディエゴとの戦いに参加せず弟子たちのお守り役を打って出たのは、こんなふうに悩んでいたからかもしれないと思ってしまった。




