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tenth  作者: 大友 鎬
第9章(前) さりとて世界は変わりゆく
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王族


53


 ディエゴ・フォクシーネにとって、リアン――リアネット・フォクシーネは嫉妬と羨望の対象だ。

 王制がまだ存在したβ時代にディエゴは生まれた。リアンが生まれたのはその五年後。

 ディエゴにとってそのリアンが生まれるまでの五年間が一番幸せだったのかもしれない。

 リアンの母、王の正妻アイトムハーレ・フォクシーネは永い間子宝に恵まれなかった。

 リアンの父であり、王グランデゾール・フォクシーネは跡継ぎを作るために妾を取り、ディエゴの母もそのうちのひとりだった。

 その妾たちも子宝には恵まれず、王自らに欠陥があるのではないかと家臣が疑い出した頃、ディエゴの母はディエゴを妊娠し、そして一年後、ディエゴが生まれる。

 跡継ぎの誕生にグランデゾールは歓喜した。王の血が途絶えることを何よりも恐れていたから。

 生まれたディエゴは寵愛された。とはいえ王も甘やかしたわけではない。次期王としての教育を施していった。時には辛いこともあったがディエゴは逃げ出さなかった。次期王としての自覚が芽生えつつあったからだ。それでも大臣の中にはディエゴを嫌う人間もいた。何よりも血筋を重んじる人間。ディエゴには王が持っていなければならない〈王血〉の才覚を持っていなかった。

 その才覚を持っていないディエゴは王になる資格すらない、何度も刺客を放たれ、そのたびに護衛に守られた。結果的にそれがディエゴを強くした。習う必要ない護身術をも習得し、時には刺客を追い返したこともあった。わずか四歳でである。

 その頃には次期王にふさわしいとほとんどの家臣が思うようになっていた。

 けれどその直後、正妻のアイトムハーレから〈王血〉を持った赤子が生まれる。それがリアンだった。

 リアネットとつけられた赤子はディエゴ以上の寵愛と教育を受けたが、威厳よりも包容力、優しさを持った女児に誰もが惹かれていく。

 自分は王になれない、とディエゴはリアンの誕生を憎たらしく思った。

 王になる優先順位は性別や生まれた順などではなく正妻から生まれた子が優先で複数人いれば、何より〈王血〉を引き継いだ子どもが最優先とされてきた。

 ディエゴがなれるわけもない。ディエゴは憎悪をリアンに向けた。暴力を振るったわけではないが憎いという感情はぶつけていた。

 その憎悪を汲み取ったのか、ディエゴの母が刺客を放つという暴挙に出て、すぐに捕まった。

 ディエゴの母はリアンの誕生でディエゴが王になれないことを知り殺そうと思ったのだ。

 ディエゴが次期王になるであろうことを見越し好き勝手やっていたため露見は早かった。

 ディエゴはともかくその母のことをよく思っていなかった家臣の誰かの告げ口なのは明らかだが、ディエゴはその暴挙を咎めることはしなかった。

 ちょうどいいと思ったのだ。追放される母についていくこともできたが、ディエゴは冒険者になることを告げ、島流しのように原点回帰の島に送られた。

 その選択に王族の誰も文句は言わなかったが、グランデゾールとアイトムハーレは大いに嘆き悲しんだ。

 そうしてディエゴはレッサーの名前を得る。ディエゴ・レッサー・フォクシーネ。

 フォクシーネ家が王になるときに、王族以外のフォクシーネ姓につけられたいわば区別の名前。

 王族よりも劣っているというある意味で侮蔑も含んだレッサーの名を得たディエゴだが、その名前がついたことで自由になれた、そんな気がした。

 本来、零歳から一歳で原点回帰の島にやってくるものたちと比べて五歳から冒険者になろうとするのは相当なハンデだが、そんな冒険者がいないわけでもない。

 何よりディエゴには〈王血〉がなくても〈全質〉という優れた才覚があった。 

 才覚によってメキメキと力をつけた頃、β時代からα時代へと時代が移り変わり王制が滅んだ。

 滅んだといっても一族郎党が皆殺しになったわけではなく、ただ王制がなくなり、世界法とも呼ぶべき統一の法律ができ、都市ごとに自治するようになった。

 王に仕えていた兵士たちは元冒険者ということもあり、冒険者に戻るものもいた。

 [四肢]もそうだ。そのときすでにランク6に達していたディエゴはすでにランク6に達していた[四肢]たちとともにランク7に至り、エンドコンテンツの存在を知る。さらにそこであれば自分たちの存在を消せると分かったディエゴは[四肢]を伴ってエンドコンテンツに挑戦し続けている。

 リアネットがどうなったか、おそらく情報を知っている[四肢]たちに尋ねなかった。[四肢]たちもまたディエゴが忌避している可能性を鑑みて語ることはなかった。

 実際、今回の騒動でディエゴがリアンに出会い、冒険者になっていたのを知ったとき、やっぱりかと自分がなんとなく思っていたことが腑に落ちた。〈王血〉の才覚を持ったまま生きるのならば力をつけるしかないからだ。のほほんと生きて〈王血〉を持ったリアンが死ねば、才覚は次に生まれてくる誰かに引き継がれる。王族の血を少しでも持っていればその子どもに才覚は引き継がれ、悪親であれば自称王を名乗られて悪政を敷く可能性だってあった。

 リアンが才覚も持ったままであればその可能性は少ない。

 王政時代が悪かったとは言わないが今の自治時代のほうが良いことが多いような気がする。

 俗世を離れたディエゴにはよくわからないがそんな空気は感じ取れていた。

 ともかくそんな〈王血〉を持ったリアンがレッドガンの自爆に対して【絶封結界】を使用していた。

 〈王血〉はリアンが持っていなければならない、そう思っているディエゴにとってはリアンの行動は暴挙、悪手でしかなかった。

 【絶封結界】はあまり知られてないことだがひとりだけを封じ込めることはできない。

 リアンが純粋に被害を抑えるためにディエゴとレッドガンを封じ込めればディエゴにとってなんら困ることはない。

 だがあの優しいリアンのことだ、そんなはずはない。ディエゴはそう思っていた。

 父親の血しかつながってない異母兄妹だけれど、そんな確信があった。

 きっとリアン自身とレッドガンを封じ込めて被害を抑えるだろう。そんな自己犠牲あっていいのだろうか。

 自分が目的を達するためには四の五の関係ないだろう。リアンの好きにさせればよかった。

 けれど〈王血〉は失ってはいけないもので、何より家族(リアンが例えそうだとは思ってなくても)を失うのは耐えがたいことだった。目的のために資質者の仲間たちを瞬殺していることからすればそれは理不尽極まりないのが。

 昔抱いていていたはずの憎悪も今はない。自由になったことで、はたまた王制がなくなったことでどうでもよくなってしまったのか。もはや分からない。

 それでも自分が先に【絶封結界】を使ったときのリアンの驚愕した表情はディエゴには忘れられない。

「さあて、てめぇのやりたいことは分かってる。どうなるか、やってみやがれ」

 レッドガンは自爆した。逃げ場はない。一mの結界の中に闘気を内包した爆発が起きる。

 ディエゴもただでは死なない。いや死を覚悟したわけではない。

 魔巻物【堅牢鎧】を何度も使用して自分にぶ厚い半透明の鎧を幾重にも形成する。

 それでも展開されるたびに壊れ、壊れ、壊れ、壊れ続けていく。

 次の【堅牢鎧】が展開する前に熱風のような闘気にされされ、体が傷ついていく。

 レッドガンの自爆は爆発して全身を黒こげにさせるというより、衝撃波ようなの闘気の刃を四方八方に飛ばし続けるものだった。

 しかも【絶封結界】によってその範囲は絞られている。ディエゴに当たらなかった刃は結界に阻まれ消滅するわけではない。結界に弾かれ、力の向きを変えるだけだ。

 そしてその場にはディエゴしかいない。レッドガンは自爆した瞬間、命が闘気に還元され滅している。

 つまるところ、その全てをディエゴが受け止めればならない。

 自分で選択したことだがどれほどまで持つか。

 リアンを殺させないための選択だが、死ぬのは怖い。ディエゴでも怖い。当たり前だ。

 死に恐怖しなければ違う次元のディエゴが資質者に殺されたところで、保険をかけるように自分の次元の資質者を皆殺しにしようとは思わない。

 死ぬのが殺されるのが怖いからこそディエゴは戦うのだ。

 無尽蔵とも思える刃がディエゴの体中に傷をつけている。エンドコンテンツをともに戦い抜いた防具はもはやズタボロではっきり言って防具の体を為していない。

 切り裂かれた場所へと何度も何度も傷を創りその度に傷が深くなった。

 当然のようにすぐに治療していくが最初にあった余裕もなくなり、治療を行う癒術の魔巻物の在庫が切れる。【堅牢鎧】のような防御用の癒術を封じた魔巻物の在庫はとっくになくなっている。

 ともすればあとは生身で耐えるだけだ。

 耐えて耐えて耐えて、やがて闇がやってきた。 

 最初、【絶封結界】の中は暗黒ではなかった。天井の中央に全体を灯す明かりがあった。灯りは吊るされているわけではなく、魔力の塊が浮いているような状態だった。

 けれど今は周囲を闇が覆っている。

 闘気が灯りを消滅させたのだろう。

 それからもしばらくは耐えて耐えて耐え続けた。

 そうして終わりがやってくる。

 ディエゴは地面へと倒れた。けれどギリギリ、本当にギリギリで呼吸はしていた。

 歩けるかどうかも分からない。あと一発でも受けてしまえば死んでいたかもしれない。

 そんな極限の状態。

 実のところ、ディエゴは幸運によって助かっていた。もちろん、ムジカの〈幸運〉の恩恵を受けたわけではなかった。

 ともすれば強運と呼ぶべきかもしれない。死を怯え、生にしがみついた者だけに訪れる強運。

 灯りが闘気によって消失したことで、ディエゴが本来受けるはずの闘気を減らしていた。

 当然、そんなものは雀の涙。目薬の一滴。

 それでも命運を分けることもある。

 その一撃がディエゴに当たっていれば死んでいたのかもしれない。

「フハ、ハハハハ……」

 暗闇の中、ディエゴは笑う。

 危機的状況は続いている。【絶封結界】を解けば資質者やその護衛たちとの戦いが待っていることだろう。

 次の機会をうかがうために戦略的撤退することはとっくに決めている。

 だが無事に逃げ切れるのか、そのための策をディエゴは練り始めた。

 時間は十二分にある。【絶封結界】は詠唱者が解くか精神摩耗が限界を迎えないと解けない。

 結界が解かれないことに痺れを切らして撤退してくれているのが理想だが、その理想に到達しえないのは分かり切っていた。

 気休め程度に【収納】を漁る。物がありすぎて一部貴族のゴミ屋敷のような有様になっているが、そうなっていてもなお使用者であればどこに何があるのかが大抵分かっている。

 幾許かの回復錠剤を取り出して齧る。

 ジャギリと固い物を噛み潰した音ではなくニュニャリと柔らかい歯ごたえ。

 【収納】内で湿気ることはないので、湿気っていることに気づかずに【収納】したのだろう。

 すっきりしない感触と歯の隙間に埋まった感じになんとも言い難い気持ち悪さがあった。

 しかも回復錠剤で回復したとはいえ不意に転んでしまっても死ななくなった程度。湿気っていたことで回復量でさえ本来の半分以下だ。外にいるであろう連中に手間取れば十分に殺される程度の回復しか見込めていない。

 魔巻物を出し惜しみすればよかったと後悔するが、出し惜しみせずにこの結果だ。

 出し惜しみして死ねば、出し惜しみするんじゃなかったと死ぬ間際に思っただろう。

 ともすれば死ぬという最悪の結果だけは免れたと喜ぶべきだろう。

「ハハハ」

 なんて様だとは思う。[四肢]の連中に見られたらたぶん笑い者にされる。

 それでも生きた。生き延びたことを笑って、ディエゴは【絶封結界】を解く。

 準備は整った。

 あとは策を弄して逃げ延び再戦を待つのみ。

 覚悟を決めて結界を解いて、拍子抜けする。待ち構えているものはいなかった。

 ディエゴにとっては二、三番目に想定していた状況。

 レシュリーたちにとっては絶好の機会を逃してはいるが、一番良い状況ともいえた。

 なぜならディエゴが策を弄した場合、下手をすれば自分が死ぬが、巧くやらなくとも何人かは殺せるからだ。当然旨く事が運べば資質者のひとりは葬れる自信はあった。

 資質者を守る依頼を受けているのならばこれ以上資質者が死ぬことを望んでいない、とディエゴは考えていた。

 【絶封結界】の中の生きているか死んでいるかも分からないようなディエゴの生死を気にするのは

 箱に入った猫が死んでいるか生きているかを問答するのとは違う。開けなくても死んでいるのならセフィロトの樹に刻まれた名前を探せば分かる。

 仮に死んでいなくても重傷だというのは想像がつく。

 治療には何か月かかかるという算段で撤退を選択するのは悪くないといえば悪くない。けれど良いとも言い切れない。

 次は倒せるという確実な算段がないのなら、この機は逃すべきじゃなかった。

 次にディエゴが殺さないという保証はない。

 刑務所に入れられた陰追者が出所後、陰追していた人物を再び陰追するかのように執拗にディエゴが資質者を追いかけるのは目に見えたはずだ。

 絶好の機会をもったいねぇ。レシュリーたちが下した判断にけちをつけてディエゴはゆっくりとゆっくりと去っていく。

 レシュリーたちが仕向けた【毒霧球】による魔物の誘導の賜物か、大草原ではディエゴは魔物に遭遇しなかった。

 それは大草原の入口での待ち伏せを警戒して山越えを敢行しようとしていたディエゴにとって余計な体力の消費を抑えれるためありがたくはあった。

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