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tenth  作者: 大友 鎬
第9章(前) さりとて世界は変わりゆく
351/874

脱出


20


ベベッゾルの嘆きなどつゆ知らず浸水は続く。

「なんてことだ、これじゃあ脱出できない」

 いち早く脱出しようとしていた貴族たちが嘆く。

 左通路に括りつけてあった非常用の小型船はところどころに穴が空いていた。これでは海に出たところで沈没が目に見えている。

 理由は明白。ヴィヴィたちに遭遇することのなかったデリアントたちが溶かしていたのだ。

 もちろんデリアントたちに知能はない。ところ構わず吐いた結果、偶然にも小型船に当たったのだろう。

 左通路は被害がひどく、床も溶けていれば柱も溶けていた。

 デリアントたちはここに駆けつけた際に護衛の冒険者によって駆逐されていたが、被害が元に戻ることはない。

「こっちの船なら脱出できるぞ!」

 左通路の小型船が使い物にならないと知った途端、反対側の通路へと向かった貴族のひとりが声を張り上げる。

 右通路にあった小型船はどうやら無事らしい。

 ただ声をあげたのはまずかったかもしれない。

 左通路にいた貴族のみならず左通路へと向かっていた貴族も方向転換。

 まるで重心がそちらへと傾くのではないのか、と思うぐらい右側に人が殺到する。

「落ち着いてください」「落ち着いてください」

 船員の声が飛ぶが、貴族たちは気が気ではない。小型船は左右合わせれば全員分が脱出できるぐらいはある。

 けれど今は左側がゼロと言っても過言ではないほど使い物にならなくなっていた。

 いち早く乗れなければ、沈没する船と心中することになる。

 時間的猶予はまだあるとはいえ、沈没後には渦が発生し、それに巻き込まれて溺死なんて可能性もあり得た。

 できるだけ早く小型船に乗り込んで、傍を離れたいと考える心理は誰しもが同じだった。

「どうしたらいいんだろう? このままじゃ何人か死人が出るよ」

 タブフプが頭を抱え込む。

 そんななか、ヴィヴィはずっと海を見つめていた。

「そんなにボーとして……まさかここに残ると言ったりしないよね?」

 ピーボル君の声が届いてないのかヴィヴィは答えない。ピーボル君は口をパクパクさせて困惑。

「何策?」

「策はある。と言えたらいいんだが……単なる思いつきだよ」

「話してください。今のところ全員助かる術はそれしかないかもです」

 アズミも自分だけが助かっていいとは思ってない。

 自分だけが助かりたいだけの貴族たちは小型船に我先にと乗り込み、助からないならと船員たちのなかには沈む船と心中する覚悟を決めたものもいた。

「昔にレシュリーが話してたことを思い出したんだ。クラーケンの下種アームズスクィード(腕甲烏賊)は水に浮くらしい」

 そう話した後、わずかにヴィヴィは海のほうを見やる。先ほどのヴィヴィは海を見ていたのではなかった。その海に浮いているクラーケンMk.2を見ていた。

「さっきのクラーケンがもしアームズスクィードのような特徴を持っていたら……もしかしたら船の代わりになるんじゃないか、そう思ったんだ。事実、クラーケンは浮いている」

 一般的に冒険者たちが顔と呼ぶ、クラーケンの頭にアズミが穴を開けたため、頭から上に伸びる外套膜、その先端に広がった三角形のひれ、一般的に頭と思われがちの部分には外傷がほぼなく、20本もの足が海中に沈んでいても自らを浮かせる程度には浮力を持っていた。クラーケンは体内にアモン塩と呼ばれる塩を生成でき、それを用いて浮き沈みしているのだが、死後このアモン塩が抜け切っても浮いていられるのは、巨人がつけそうな篭手ぐらいの大きさを持った骨のお陰だった。この骨は外套膜内の三分の一を占めているので、十分に人を乗せれる大きさといえる。

「ただ……」

 ヴィヴィは懸念を口に出す。「どれほどのものが抵抗なくあの上に乗れるかは分からない。それに足を切断したとしてもどのくらい人を乗せれるか私には計算できない。それに……」

 ヴィヴィはアズミを見た。

「何を言いたいかは分かっています。あの死骸には推進力がないから私が魔法を使い続ける必要がある、そういうことですよね? それは気にしないでください」

 アズミはヴィヴィの懸念を少しでも減らすべく笑顔で応えた。

「やるしかないでしょ」

「肯定」

 タブフプが後押しし、イチジツも同意した。

 決まればヴィヴィの行動は早い。小型船を奪い合うために小競り合いは始まっていた。

 その競り合いを止める意味も込めて、ヴィヴィは鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕を船の手摺へと叩きつける。

 ドゴォウと大きな音を立てて、手摺が壊れ、注目がヴィヴィへと集まる。

「こんなときに何をやって……」

 船員がヴィヴィに噛みつく寸前、ヴィヴィは海へと飛び降りた。

「おっ、おい。何やって」

 唖然として海を覗き込む船員の前でヴィヴィはクラーケンMk.2へと着地していた。

 続いてアズミ、イチジツが着地し、少しだけ躊躇いを見せたもののタブフプが続く。

「予想以上に強烈だな」

 アモン塩が抜けていく強烈な刺激臭に思わず鼻を摘む一行。

「でも案外沈む気配がない。船にはできそうだよ」

「このままよりも骨だけにしたほうがマシかもしれませんね」

 アズミの提案に誰もが首肯した。骨が船代わりにできそうだと判明したが臭いは耐えられそうにない。言うなれば酒場のカウンターの隣に座る汗だく中年親父の臭いをずっと嗅ぎ続けなればなれないそんな感じだ。自分の嫌いな臭いをずっと嗅がされていると言うほうがてっとり早いのかもしれない。

 何にせよ、アズミが外套膜の硬い部分、おそらく骨があるだろうところに切れ込みを入れ、膜を切断する。骨は存外綺麗に剥ぎ取れた。

 アモン塩が抜け切ったクラーケンMk.2が骨を失い沈んでいくなか、クラーケンMk.2の重さを失った骨はさらに浮いた。

「骨だけにして正解だったね、臭いはまだあるけどマシになったし、乗りやすくもなった」

 深皿のような形をした骨はぬめりを持っていたクラーケンMk.2の表皮よりも確かに乗りやすい。

 小競り合いを止め、一部始終を見ていた貴族たちは船員たちを促し、船の外壁にロープを垂らさせる。

 そこから勇んで、我先にと骨船へと乗っていく。

 わずかに臭うアモン塩の臭さに顔をしかめるが珍味好きの貴族たちにはすぐに慣れる程度の刺激臭だった。

 同時に小型船も次々と海へと落着。

 ヴィヴィの機転でのお陰で小型船に乗れたベベッゾルも安堵……していたのだが、ベベッゾルの苦労はここから。

 備えつけの必死に(オール)を扱いで沈没する際に発生する渦からできるだけ遠くに逃げなければならなかった。

 どうしてこんなことを。櫂なんて扱いだことなんてない。

 ベベッゾルはらしくなく汗を掻いて、櫂を扱ぐ。他の貴族も必死で船員に交じって扱いでいた。隣の船の貴族と目線が合うと、ベベッゾルを睨んできたり、愛想笑いをしたりと表情はそれぞれだが、嬉々としている貴族は誰もいない。

 ベベッゾルたちの小船、それに周囲の小船を凄まじい速度で骨船が抜けていく。

 アズミの魔法による加速だった。【加速】を使ったわけではない。アズミは烏金石の翌檜杖〔豊穣のトヨウケビメ〕の柄頭を海に浸けて【強突風】を発動。その威力で加速していた。

 それを尻目に楽をしたかったという一心でベベッゾルは思う。選り好みしないであっちに乗ればよかった、と。

 なんであれ、ヴィヴィたちは無事に大陸へと辿り着く。


***


 その数時間後、船の沈没地点から少し離れた場所に中型船が浮かんでいた。

 救助用に備えつけてあったアンラマンユ号の小型船と違って舵があり、簡易操作で操縦できるように補助機能もついており、櫂で扱ぐ必要もなかった。

「情報に寄ればこの辺りでアンラマンユ号に乗せてもらえる手筈だ。なのに、船影すら見えない」

 沈没したとは露知らず、ジェックスは呟く。ハート兄弟は相変らず無口で挙句に欠伸、新しい仲間は何を考えているか分からない魔物使士の女だった。

「死んじゃったーのな、クラ子……」

「何か言いましたか?」

「ううん、何でもなーのな。というか船が見当たらないってことは何かあったんじゃなーの?」

「でしょうね」

 げんなりするようにため息をつくジェックス。視線の先にはこちらへと向かってくる偵察用円形飛翔機が見えた。

 持ってくる情報が吉報なはずがない。

 案の定、そこで行われていたあり得ないほどいかがわしくなるはずだった貴族の催しがトラブルによるトラブルで、そこにいた乗客たちは小型船で脱出していた。

 目的としていたアンラマンユ号は海の藻屑というわけだ。

「とりあえず、ヴィヴィネットは後回しや。先に言ってほしいところがある」

「どこです?」

「グロージズを倒した男が向かった先や。うまいことすれば、仲間にできるかもしれないんや」

「……了解」

 本当はため息をつきたかったがグッと我慢。ため息を何度吐いても事態は好転しない。久しぶりの依頼だからジェックスは忘れているだけで、依頼が空振ることは何度もあったことだ。大陸へと舵を取る。

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