思出
11.
四つの正三角形からなる大きな正三角形の魔方陣のようなものが地面に描かれていた。
中央にディオレス、右下にコジロウ、左下にアリーがそれぞれ位置したところを見ると、僕は必然的に上だった。結界が張られ、ディオレスのもとにデュラハンが、僕とアリー、コジロウのもとにレッドキャップが出現した。
試練が始まった、と僕が意識してからわずか一分――
予想だにしないことが起こっていた。
その光景に、コジロウは驚き、レッドキャップに右腕を切断されてしまう。一瞬の戸惑いを突かれた結果だった。
「滾れ、レヴェンティ」
【炎冠】を滾らせた直後だったアリーもなぜそうなったのか、理解ができず、それでもコジロウの右腕が切断されたのを見て、レッドキャップに集中。攻撃を押しのけるが、乱れた思考、散漫な集中力が手元を狂わせ、細々とした傷がアリーに作られていた。
僕は背面の出来事を気にするほど強くはなかった。
時間いっぱい耐えてやるという意気込みを胸に、迫るレッドキャップに【戻自在球】を投げつけようとしていたその時、レッドキャップは消え、そして結界が消える。
いくらなんでも早すぎる終わりだな、と感じつつ、けれども[十本指]の一本指に選ばれるほどの強さを持っていればディオレスにとってはこのぐらいの速さがむしろ普通なのかも、と少し尊敬しつつ、後ろを振り向く。
死体が………………
死体が………………そこにはあった。
ディオレスの死体だった。
「何が起こったの?」
「分からぬ。デュラハンの持っていた長剣に抵抗もせずに貫かれたように見えたでござる」
理解ができなかった。
それでも体は動いた。無意識に何を作ろうとしているのか、僕は分かっていた。
いい、それでいい。そのまま作り出せ。一度捉えた感覚はよりそれを作りやすくしていた。両腕でひとつの球を紡ぐ。どうして? なぜ? という疑問は消えぬまま。
「あんた、それ」
アリーが驚嘆の声をあげる。アリーは僕がそれを作れることを知らなかった。
だから作れることを知って――淡い希望を、期待を抱く。
僕はディオレスが生き返るのをただただ願い、【蘇生球】を投げた。魂を封じ込めたようなそれはディオレスの体へと入り――何も起こらなかった。
「なんで! なんでだよ!」
リアンの時とは違う結末に、激怒する。むしろ【蘇生球】では生き返るほうが稀なのに僕は納得がいかなかった。
それでも、それでも、納得なんかできるかっ!
逆ギレするようにするようにもう一度【蘇生球】を作り出そうとしていた。誰も止めない。僕の身を案じるよりも、ディオレスの蘇生を誰もが切に願っていた。
僕自身も僕がどうなろうと知ったことではなかった。ディオレスが救えればそれで良かった。
頭が痛い。知るか。知るかよ! 黙れ、僕の脳みそ。僕の両腕がふたつにしてひとつの【蘇生球】を作り出す。
今度こそ!! 意気込んだまま放つ【蘇生球】は再度、ディオレスへと入り込み――しかし何も起こらない。
悔しさを覆い隠すような雄叫びすらあげれぬまま僕は、地面に伏した。意識が消えた。かき消えた。僕の精神ではこれが限界……だった。
ディオレスが生き返らなかった、その事実に、
「あああああああああああああ」
アリーが声を荒げ、泣いた。コジロウは気丈にも泣きすらしなかった。
僕の意識は深遠へと沈む。
無音。意識が消えていく。危ない状態だとなぜか認識した。
泣き声がやみ、アリーは蹲るのが辛うじて見えた。
僕は起きれない。
コジロウもショックが大きいのか倒れる僕を助けることも、ディオレスをなんとかしようともしない。
どのくらい、時間が経っただろうか。
全員が絶望の淵にいた。
「助けて、ヒーロー」
そんなときだった。声が聞こえた。はっきりと。リアンの声だ。
意識が戻ってくる。助けないと。
体が急速に元気を取り戻す。
「アネクとリレリネさんが大変なんです」
それだけでなんとなく、そのふたりがどういう状態にあるか理解した。
賢士のリアンや聖剣士のアルが使える範囲の癒術では治せないのなら、それは――
「行、こ、う」
ゆっくりと立ち上がり、僕の唇が、言葉を作る。
彼女はいつも僕に助けを求める。不思議とイヤじゃない。むしろ助けたい。
僕だってもう誰も失いたくない。
「待ちなさいよ」
アリーが僕を止めた。
「もし、その子の仲間を助けるんなら、その分をもう一回、ディオレスに使ってよ!」
うっすらと涙を込めるアリーに僕は何も答えれない。
「やめるでござるよ」
無言を保っていたコジロウが呟いた。
「ディオレスは助からぬでござる」
「まだ、間に合うわ! きっと間に合う!」
「仮にセフィロトに名が刻まれてないのだとしても、ディオレスはきっと生き返らないでござる!」
「なんでそう思うのよ!」
「拙者にはディオレスが、ここで諦めたように見えたでござる。気づいていたでござるか、ディオレスに対峙していたデュラハンの顔はシュリ殿でござった」
「シュリって……確か、私はよく知らないけど……」
「シュリ殿はデュオレスのかつて愛した女子でござる」
「でもデュラハンの顔がシュリとかいうのだったとしても、偽者でしょ」
「そうでござるが、それでもそれを見て戦闘を放棄したように拙者の目には映ったでござる」
「そんなの自殺したようなものじゃない!」
「おそらく。ならば【蘇生球】など使ったところで無意味。その球は生きる意志のないものをむざむざ生き返らせたりしないでござるよ」
「何よ、それ! なんなのよ、それ! だったら今まではなんだったのよ!」
「拙者とて分からぬ! だがなんにしろ、今は、そこの――リアン殿の仲間が救える可能性があるのならばヒーローを行かせるべきでござろう!」
「何よ、なんなんのよ。知らないわよ! 勝手にしなさいよ!」
アリーは僕を無視するように蹲った。
ディオレスの死に様を見ていない僕にふたりの口論は分からなかった。
シュリという人すら知らない僕には何も理解できない。だからこそ、思考を放棄。
「行こう」
状況に困惑しつつも頷くリアンに先導され、アネクのもとへと急ぐ。
今は救うだけだ。
***
デュラハンが抱える顔。ディオレスが唯一愛したシュリ・アザルハの顔を見たとき、ディオレスは全てを放棄することを決めた。
以前、デュラハンに挑み三人の弟子を死なせてしまったとき、デュラハンが抱える顔はシュリではなかった。
だからディオレスはとっくに許されたと思い、アリーやコジロウを鍛え、レシュリーを仲間に加えて、きちんと準備をして、上を目指そうとは決めていた。
けれど、それをシュリを許さないというのか。
シュリの顔を、嘆いている顔を見て、ディオレスはそう思った。
思い込みのはずなのにディオレスはここで死ぬべきだと思ってしまった。
彼女の嘆きが、ディオレスの贖罪を求めているような気がした。許されない罪を犯しているのは分かっていたから。
自分が改造者だった頃、ディオレスの性根を叩きなおしたのはシュリだった。
シュリは元の姿に戻りたいというディオレスの想いに応え、その方法を見つけ出した。
約束を違えないのがシュリの信条だった。
けれど、その方法はそれは哀しくも残酷だった。
愛する人を殺す。
そのぐらいの代償は必要なのだろうとディオレスは痛感した。
元に戻りたかったが諦めるしかなかった。
お前、愛する人はいるのか? シュリは静かに聞いた。
ディオレスに愛する人がいるなら、シュリはディオレスのためにその人を躊躇わずに連れてくるだろう。そして抵抗するなら、叩きのめし、ディオレスに殺させるのだ。
シュリは、仲間のためになら非情になれるそんな女性だった。
ディオレスはその問いに答えなかった。答えられなかった。
目の前にいる、だなんて言えるはずがなかった。
けれどシュリはそれだけで悟った。
殺せ、と。シュリは言った。気丈なる聖剣士にはやはり何ら躊躇いはなかった。
笑止! と止めたのは当時仲間だったユーゴックだった。
ユーゴックもシュリのことが好きだったからディオレスのために命を投げ出すのは許せなかった。
けれどシュリにとって約束を違えるのは、命を捨てることよりも許せなかった。
ユーゴックもディオレスもそれは分かっていた。元々仲が悪く、シュリだけが繋いでいた絆はそれだけで崩壊し、ユーゴックとディオレスは決別するように戦った。
三日三晩の激闘の末、弱点を見つけたディオレスが勝利した。
シュリはその激闘を三日三晩見守り、決着がつくとこう言った。
「やれ」
そう言った時のシュリの瞳は優しく、けれど決意を秘めていた。
そうしてディオレスは泣きながらシュリを殺した。
ディオレスの身体は元に戻り、シュリの遺体は消えて魔剣シュリが誕生していた。
様々な感情が要因で魔剣は製造される。
ディオレスはその魔剣を手に取り、贖罪のように改造者や改造屋を殺して回った。
ディオレスがアリーたちを連れて指名手配された改造者たちを倒すのにはそういう理由もあったのだ。
俺が死んだらアリーにコジロウは怒るだろうな。レシュリーはきっと俺を救おうとするだろう。だが俺はそんな人間じゃない。罪を犯したのにその罪に罪を上塗りして、生きているような人間だ。
ディオレスは死ぬ間際にそう思った。
「どうしてそこまでして強くなりたかったんだ?」
改造したディオレスを見てシュリはそう尋ねた。ディオレスの性根を叩き潰す前の話だ。
シュリに追いつきたかったから、ふさわしい男になりたかったから、なんてことはディオレスには恥ずかしくていえなかった。
シュリは無言のディオレスを見て、納得する。ディオレスが押し黙るときは大抵、自分が絡んでいると知っていた。だからシュリはおおまかに推測できていた。
そっか、とシュリは呟く。その表情は、どこか嘆いているように見えた。
それを見て自分が行なった全ては無意味だった、と痛感したディオレスは、シュリと袂を分かち、それでも強さを追い求めた。そうすることでしか自分を保てなかった。そうして改造に手を出した。
それが間違いだったとシュリを殺した日からディオレスは常に後悔していた。ディオレスは空っぽになった。改造にさえ手を出さなければシュリを殺さなくて済んだ。別の未来があった。
シュリの代わりに上を目指そうと、飢えを凌ぐように、喉の渇きを潤すように、適当に見繕った三人の弟子を引き連れて、鮮血の三角陣に挑み、そして三人の弟子を失った。
ディオレスだけは粘って生き延びた。「助けて、師匠」という声はいつまでも耳から離れない。
なぜかディオレスは生きていた。死ぬこともできたのになぜか生きていた。
なぜ死なないか、死ねないかディオレスには分からなかった。
それでも死に場所を求めながらディオレスは生き続けていた。
コジロウにアリー、レシュリーの三人と活動しはじめるようになると、ディオレスはじょじょに居心地が良くなっていることに気づいた。けれどそんな至福の時間に、魔が差すように、悔いを思い出すこともあった。
そして鮮血の三角陣が始まってディオレスは理解した。ついに理解した。自分が今まで生きていた意味を。生かされていた意味を。
嘆き悲しませた挙句、俺を生かすために俺に殺された、犠牲になったシュリに刺し殺されて死ね、そういうことだろ。
ディオレスは自分の胸に長剣が突き刺さっても抵抗はしなかった。
すまない。コジロウにアリー、レシュリーにリレリネ、アル、アネク。
ディオレスは仲間と自分に憧れていた全ての人に謝罪する。
自殺するように死んでいく俺を許してくれ、なんていえる立場じゃねぇな。
ただ、俺のようにはなるなよ。
そう願って、ディオレスの意識は闇へと落ちた。
シュリは俺を待っていてくれるのだろうか?
それだけが心配だった。
***
「僕を探していたってことは――リレリネさんって人とアネクは死んだんだよね……?」
僕の質問が的を射ていたようでリアンは頷く。
「分かった――なら……急ごう」
意識はさっきから明暗を繰り返す灯りのように、途切れ途切れになっていた。
リアンが心配そうに見つめるなか、僕は期待を裏切るわけにはいかない、としっかりと意識を保ち、集中する。
リアンの後を追いながら、両手で【蘇生球】を作る。頭に激痛が迸るが、最早関係ない。
歪んだ顔が仮面に遮られ、リアンにばれていないのが幸運だった。リアンがそれに気づけば僕の身を案じて、諦めてしまうかもしれない。それは絶対に避けねばならない事態だった。
「あとはこのまま真っ直ぐです」
リアンが呟いた。
前方にはアネクとリレリネさんの死体、少し後ろにアルがいた。
いてもたってもいられなかったのかアルはリレリネの刺し傷を持っていたらしい包帯でまき、アネクの破砕した頭を押さえるように固定していた。延命には繋がるのかどうか不明だが、アルらしい判断に思えた。
僕は作り出した【蘇生球】をアネクめがけて投げる。
アネクに直撃したものの、アネクは生き返ってくれなかった。
「くそっ!」
もう一度、もう一度だ。
僕は近づきながら【蘇生球】を作り出す。すでに感覚を覚えきった僕が【蘇生球】を作り出す速さは尋常じゃなかった。
そうして僕は両手に【蘇生球】があることに気づく。
それは偶然の産物だった。僕は両手でひとつの【蘇生球】を作ろうとし、夢中だったせいか途中で混ぜ合わせるのを忘れ、それぞれの手で、【蘇生球】を作り出すことに成功していた。
激痛を上回る苦痛が僕を襲い、それでも気力だけで踏ん張る。
鼻から熱い液体が垂れ、口に入る。鼻血だった。それがどうしたっ!
僕はふたつの【蘇生球】をアネクとリレリネに放る。せめて、どちらかでも生き返ってくれ、と。
結果を知ることもなく僕の意識は無へと消えた。
ああ、あの状態だ、と気づいた。リアンを助ける際に限界を超えた僕が陥った状態。精神の限界。
あの時より幾分か強くなったおかげで何発も【蘇生球】を打てるようになってはいたらしいが、それでも限界を超えていたらしい。
この状態はとてつもなく危ない。完全に意識が途切れる前にそんなことを思った。
僕はこのまま死ぬのかもしれない。それでも誰かが救えたならそれでよかった。
「――! 、――!」
誰かが何かを叫ぶ声が聞こえ、やがてその声も聞こえなくなった。




