第五
9.
ヴィヴィを救ってから一週間が経っていた。二日後にディオレスが試練を受ける。
アリーは精神磨耗の影響かアジトにつくなり三日寝込んだ。僕も傷を癒すため、一日はずっと寝ていた。コジロウとディオレスは元気なままだった。
そして僕たちの環境は[十本指]の三人を殺したことでぐるりと変わっていた。
当然といえば当然の結果だろう。外に出れば腕試しを挑まれた。ディオレスは襲われたがすぐに返り討ちにしていたが、僕はうまく立ち回れず不意打ちやらなんやらで怪我を負った。
負ったのは致命傷ではないが、腕試しを挑んでくる冒険者が多すぎて、癒術会――癒術士系複合職が怪我を負った冒険者や商人などを有料で治療する組織――に行くこともままならず、【治療球】でゆっくりと傷を治すことしかできなかった。
傷が治ってからはディオレスたちと室内トレーニングに明け暮れた。試練で迷惑をかけるわけにはいかない。幸い、アジトには中庭があり、天井には結界が張られていた。それなりに強力なやつらしいので低ランク冒険者は入ることができないらしい。その結界つきの中庭から照らされる日光を浴びながらディオレスを相手に実戦形式で戦いを挑む。
球主体にするか、棒主体にするか悩んだが、球主体にしたほうが怪我が少なかった気がしたので球主体にした。もっともそれをアリーに話したら「どっちでも変わらないわよ。あんたっていっつも怪我するんだもの」と言われた。改めて思いなおしてみるとそうかもしれないと納得し、少しへこんだ。
「そろそろ出発するか」
試験まで残り一日半となったところでディオレスは言った。裏口から出ると、木々が囁くように風で葉を揺らしていた。
「飛空艇はマークされているだろうから、俺の知り合いに馬を用意させておいた。見ろ!」
木陰からディオレスは馬を二頭引っ張り出す。
「足りないわよね?」
「ヒーローが馬を操れると思うか? 島じゃ乗馬訓練なんてものはねぇんだぞ」
確かに僕は馬に乗ったことなどない。
「コジロウの分は?」
「拙者も乗れぬでござる」
「……ああ、そういえばそうね」
思い出して、さらに呆れるようにアリーは言った。
「とりあえず、乗りなさい」
アリーが僕を促す。囃すようにディオレスが口笛。
「ラブラブだな」
アリーがその言葉に反応しディオレスを睨みつける。
「そんなに怒るなよ。冗談だろ」
とはいえ、ディオレスのにやにやした顔は冗談だとは到底思えない。
「あんたも」
アリーの矛先が僕へと向く。
「変なとこ触ったらぶっ殺すから」
「触らないって」
少し嬉しいかった気持ちもディオレスの茶化しで全て台無しだった。それに嘆息しつつ、僕も馬へと乗る。
アリーの後ろに乗って……そして困った。殺されないためにはどこを持てばいいんだろう。考えた挙句、腰に手を添えた。
アリーが睨みつけたが
「ここが一番安全だよね?」
正論のようなことをほざいてごまかした。アリーにまともに触れるのが初めてで心臓は正直、張り裂けそうだった。
「なあ、コジロウ」
僕とアリーのやりとりを見ていたディオレスが呟く。
「なんでござる?」
「なんでお前は男になっているんだね?」
「何か不都合でも?」
「ありまくりだ。馬が荒れ道を走り、お前の体勢が崩れ、必死に掴んだ俺の背中に胸が当たるというハラハラドキドキアクシデントという楽しみがない」
「……拙者が荒れ道で体勢を崩したら忍士失格でござる。それにそのセリフを惚れた女が聞いたらなんと言うか……」
「残念。惚れた女はもういねぇよ」
「失言だったでござるな」
「はっ、それを逐一気にしてたら失笑ものだっつーの」
「支障を来たすでござるか? 師匠」
「正義超人と似たようなこと言ってんじゃねぇーよ」
軽口を叩き、場の雰囲気を切り替えた僕たちは鮮血の三角陣へと駆ける。ディオレスが練りに練った道筋は、さすがというべきか要らぬ冒険者を避けるものだった。僕たちは一日かけて鮮血の三角陣へと赴いた。
鮮血の三角陣の近くには簡易宿があった。残りの半日はそこで過ごした。流石に鮮血の三角陣まで追ってくる冒険者はおらず試練の参加者も僕たちが気になるものの要らぬ諍いを避けてか、話しかけてこなかった。
だからこそだろう、その半日は今まで以上に穏やかに経過した。時間となり鮮血の三角陣が開門する。
***
僕たちが鮮血の三角陣に入ると、しばらくして見知った顔が入ってくる。
僕は小走りで後ろ向きのその子に近づき、「やっ!」と驚かすように彼女の肩を叩いた。
「ひゃあ!」
その声に驚いて、ふたりの男が僕を睨みつける。
「はは、いたずらがすぎたみたいだね」
睨みつけられた僕は冗談のように言った。僕の仮面を見たふたりの男が、危険はないと安堵の表情をしていた。
「あまり驚かせないでくれよ、ヒーロー」
アルが落ち着いた声色で言う。
「ったく、本当だぜ」
アネクが同意するように頷く。
僕に肩を叩かれた本人、リアンはまだ吃驚したままだ。
「それにしてもキミらも今日なんだね」
僕は驚いていた。表情からはもちろん読み取れなんてしないのだが。
「ああ、それは」
そう呟くアルは別段驚いていなかった。
「ディオレスさんが鮮血の三角陣を受ける可能性があると新聞に書いてありましたから」
続けてアルが言った。
「つーか[十本指]を倒したってことも書いてあったけどよ、マジなのか?」
続けたのはアネク。僕は首肯する。
「だとしたら……すごすぎて、逆に引くわ」
「気をつけてくださいね」
リアンの忠告の意味が分からず困惑する。
「集配社がこぞってヒーローが誰なのか、知りたがってますよ。近々その正体に懸賞をかけるとの噂だってあります」
アルがフォローするように続けた。
「そんな賞金首じゃあるまいし」
けれどこの試練に来る前、確かに仮面を剥ごうとした冒険者がいたのは事実だった。それはその噂を聞いて先走った連中か。
しかし自分で取る以外にこれをきちんと取る方法はないはず。
「もちろん、俺たちは情報を売りませんよ」
アルが言う。
「何、当然のことを言ってんだ!」
「いやヒーローに疑念を持たれたくないだろ」
「はは、キミたちになら売られても構わないけどね」
「……冗談だろ!?」
「もちろん」
僕は笑った。
「それより、ヒーローに聞くことがあったんじゃ……?」
リアンが少し強気でアルとアネクに言った。
「ああ、それなんだが……」
アルは躊躇いがちにアネクの肩をつつく。
「まあ、なんだ。お前の師匠ってリアルガチでディオレスさんなんだろ?」
「え。ああ、まあそうだね」
「会わせてくれ!」
アネクがペコペコと頭を下げ、頼みこんでくる。
「そんなに頭下げなくても、紹介するつもりだったよ」
来て、とアネクとアルを連れてディオレスへと赴こうとした、――その時!
「こぉら! どこに行くんだい!」
「げっ、師匠!」
ビビったのはアネクだった。大股で歩いてくる女性がアネクの耳の突っ張る。
「あんた、どこに行こうとしてた」
「ツテでディオレスさんに会おうとしてました!」
アネクは正直に話す。
「ぬぅううううあにぃいいいいい! ワタシも連れてけって言っただろ、ドアホウ!」
その女性はアネクを怒鳴ったあと、僕に気づき、じるじろと観察してきた。
「ほほぅ。これがリアンがホの字でアネクやアルが羨んでしょうがないヒーローとかいう子か……。本当に強いの、コイツ?」
僕を前に好き勝手言ってくる。
「強いですし、優しいです」
リアンの懸命な主張が聞こえた。
「とりあえず、行こう」
照れ隠しに顔を逸らして僕は歩き出す。
「言い忘れていたね。アタシはアーネックの師匠、リレリネ・ゲムー。アタシももちろん、ディオレスさんに会いに行くよ!」
ディオレスさん、か。本当に尊敬されてたりするんだなあ。
アリーとコジロウのディオレスに対する敬意を感じないから僕には到底そんなものがあるとは思えない。
「ちなみにあのリレリネさんはアクジロウの姉上だ」
アルが蛇足を付け加える。アクジロウ、たぶん出会ったような覚えがあるがよく思い出せないでいた。どこで出会ったっけ?
僕がリレリネたちを引き連れて、ディオレスに近づくと
「ヒーロー。てめぇ、どこに行ってた。ってか後ろのは誰だ!?」
怒鳴り声のあとに疑問が飛んでくる。
「アルにアネク、リアンは島からの友人で、えーと、リレリネさんはアネクの師匠でディオレスのライバルかな?」
「ってかヒーロー。ディオレスさんに呼び捨ては無いだろ」
アネクが指摘する。
「あー、でもアリーたちも呼び捨てだし」
僕がさらっと言うと、
「意外です。近づきすぎるとその偉大さが分からない、ってことですか?」
アルが困惑し、
「アーハッハッハ」
リレリネさんが爆笑する。そんなにおかしいことかな?
アネクは僕の発言を聞いて信じられないと硬直していた。
「アハハ……」
リアンも少し困惑気味に笑っていた。
「ヒーロー。これが当然の反応だ。俺は憧れの存在なんだよ。敬え!」
「はあ、バッカじゃないの?」
それを聞いたアリーが呟き、
「まったく同意見でござる」
コジロウが続く。
僕も言葉には出さないが同意見だった。
ディオレスは確かに強いけれど、親しみがありすぎて、なんだか親戚の叔父さんみたいな印象がある。もっとも僕が親戚と出会ったのは幼少時代だけなんだけれど。
「そんな口が聞けるなんて、恐いもの知らずなんだな……」
アネクは僕たちを見て呟いた。
「ディオレスさん!」
リレリネさんが突然叫びだした。
「ひとつ、言いたいことがあるんだが言っていいかい?」
「いや、なんだ。その、言ってもいいぞ」
突然のことに困惑しつつもディオレスが許可を出す。
「ワタシは今回、鮮血の三角陣を合格して、ランク6になる。あなたを超えてみせる」
リレリネ・ゲムー――無名のランク5狩士は有名すぎるランク5狩士たるディオレスにそう宣言した。
「そいつは無理だ。何せ、俺も合格するからだ!」
お互い頑張ろう、そう言えばいいのだけなのに、ディオレスはまるで威張るように言い返す。こういう部分が威厳をすっ飛ばしているのだろうと確信する。
「何にせよ、お互い頑張りましょう」
先のふたりに反してアルは実直さを表すように素直に僕にそう告げた。
「うん」
僕は頷きアルとがっちり握手した。
***
開始時間まであと少しとなり、僕はそそくさと準備しはじめる。
他の冒険者も続々と集まり始めていた。
「勝てない? いいえ、勝てるのです!」
ディオレスの前にいる男、大鎌〔否定するケフィアデス〕を握りしめるその男はそうやって呟いていた。
「大丈夫ですよ。ヨグルトさん。いつも通りやるですよ」
弟子と思わしき女性が、ヨグルトと呼ばれた大鎌男を励ます。
「大丈夫じゃない? いいえ、大丈夫なのです」
男は自分を鼓舞するように呟いて奥へと進んでいく。緊張が伝播する。
「俺たちも行くぞ」
ディオレスが心配すんなと言わんばかりに肩を叩く。
少しだけ緊張が和らぐ。なんだか師匠らしいとそんなことを思ってしまう。まあ師匠なんだけど。
「ボサッとすんな」
試練が始まる。