氷漬
107
僕は目を覚ます。
気づいたら寝台の上だった。
開放された窓から花の香りが漂ってきて、ここがフレージュだと理解する。
「何日経った?」
目覚めてすぐ傍らにいたアリーへと声をかける。
目覚める前の記憶はおぼろげに覚えている。僕はエリマさんを助けようと無理をしかけてアリーにボコボコにされて……そこから記憶がない。
きっと気絶したんだ。
「一日しか経ってないわ。でもその一日で色々あったわね」
「何があったの?」
「弟子はシッタたちも含めて全員合格。それなりに仲良くなってて何よりだわ」
「ほかには?」
「あんたを見たデビたち三人が号泣してた」
「アテシアも?」
「あの子は呆れてた。号泣してたのはデビとクレインにユテロよ。残りは全員あんたの活躍にむしろ引いてたわ」
「エリマさんは?」
「分かってるでしょ」
死んだといちいち言わないのがアリーだ。やっぱりエリマさんは……。ずんぐりと落ち込むとアリーが頭を小突いた。
「落ち込まない。あの状態はどうにもならなかったわよ」
十全な準備、DLCを【合成】した球の作製、どちらかでもできていればと悔いる。どうにもならなかったとは思えなかった。アリーが励ましてくれていると思っていても。
「それより、毒素はどうなったと思う?」
言われて気づいた。毒素を封じ込めた【封獣結晶】は召喚士が所有してないとまた復活してしまう。あの毒素はすでにただの毒素ではない。グエンリンと融合した毒素で危険性は増しに増している。
「どうなったの?」
身を乗り出して訊ねる。
「……何がどうなったか分からないけれど、大氷穴に封印されているわ」
アリーは語り始める。
「エリマたちが捕まえた召喚士がいたでしょう? どうやらメレイナの知り合いだったみたいで、名前はティモルベって言うらしいわ」
「あの召喚士なら見たよ。ノードンとかいうやつに従ってて何かで意識を奪われていたんじゃ……」
「それが違ったのよ。ミンシア――えっと、人質になってた子ね、その子が言うには薬の効き目には個人差があって、自分ほどではないけど、それなりに効きにくい耐性だったらしいの」
「つまり効いた振りをしていたってこと? なんでそんなことを?」
「ノードンってやつがよっぽど怖かったから、薬が効いた振りをして従順な態度を取ってたんじゃない?」
アリーが憶測を話して続ける。
「それでそのティモルベが私があんたをフルボッコにした後に【封獣結晶】を拾ったの。もちろん全員が驚いたわ。しっかり拘束していたのにそれすら解いたんだから」
「ティモルベ自身、他の【封獣結晶】を持ってたのかな。ブラジルさんが前に6匹ぐらい使ってたけど」
「その通りよ。拘束を外せる超小型魔物をティモルベは持っていたとしか思えないわ。確認はできてないけどね」
「それで拘束を外して毒素を取って、逃げたってこと?」
「そうね、逃げるときには飛行用の魔物を使われたせいで後を追うのも時間がかかった」
「でもどうしてそんなことを?」
「分からないわ。ティモルベは何も語らなかった。意図は分からないけど、イロスエーサとコジロウ、ネイレスが後を追ったわ。イロスエーサは追跡は得意だろうし、コジロウたちは速いし」
「うん、その人選は適任だと思う。それでティモルベを見つけたの?」
「大氷穴でね。その頃にはもう毒素の【封獣結晶】ごと氷漬けにされていたわ。前のアリサージュさんみたいね」
「で、それ以上は手詰まりってわけか……何があったんだろう?」
「正直分からないけれど、でも入口も埋めたし脅威は去ったと見ていいわ」
「上々の結果、と言っていいのかな」
戦うたびに仲間を失っていく日々が当たり前なのだとしたら、僕はそれを変えたいとは思う。けれども戦いがひと息つくたびにアリーが生きていてくれて良かったとも思うのだ。
「そうかもね。あんたも私も生きてる」
アリーが僕の頭を撫でた。それでも、助けられなかった人がいたことを想って僕は悔しくて泣いた。
***
時間は少し遡る。
【封獣結晶】を結果的に盗んだティモルベは大氷穴にいた。
「あなたの遺志は私が継ぎます」
誰もいないのにティモルベはつぶやく。
ティモルベとアリサージュの出会いは随分と昔だ。
メレイナの祖父グレオン・ジャッセルセンが現役の時代、グレオンの計らいで召喚士が一堂に会したときがあった。
そのときにティモルベはアリサージュに出会い、一目惚れした。
けれど想いは告げず、そして想いは適わず、
ティモルベはグエンリンに捕まり、アリサージュは毒素によって眠りがついた。
永き時を経て出会うとは夢にも想わなかった。
ティモルベはこの世界とは次元の違う場所にいて、アリサージュは結界の効果によって、時の流れが狂っていた。その結果、一堂に会した仲間が死んでもなお、ふたりは出会った。
「相変わらず、美しい……」
ノードンの怒りを買った余計な一言は再会を祝してのことだった。
アリサージュは出会ったときと同じぐらいに美しい姿をしていたのだ。
さらにティモルベはアリサージュが毒素を持っているということに驚いた。けれどその意味は理解した。ノードンたちの話の断片からアリサージュの兄が死んでいることは知っていた。その遺志を引き継ぎ、アリサージュは毒素をこの世に放たないようにしているのだろう。グレオンもその脅威を重々知っており、召喚士に警告を繰り返していた。
ならばアリサージュの亡き後、誰がその遺志を継ぐ?
私しかいない。惚れてしまった女の遺志を継ぐ。アリサージュは喜んでくれるだろうか。自己満足でしかないのにティモルベはそう思ってしまう。
軽率だが原動力はいつも邪な欲求だ。
ただいざ行動に起こそうと思ったティモルベだが、自分の行動が安易だと気づく。
どうやって自分自身を氷漬けにするのか。ティモルベの【封獣結晶】には氷系魔法を使える魔物はいない。
「ならば手伝ってやろう」
声がした。それだけで凍りつきそうな声。
「く、黒騎士……」
振り返るとそこには馬に跨った黒騎士がいた。
「お前が御身を犠牲にして毒素を封印するのだろう?」
ティモルベは恐怖に凍りつきながらも頷く。
「ならば臆するな。その勇気に敬意を示して、手伝ってやる」
「ど、どうして……お前は……魔物ではないのか?」
「その毒素はどの次元でも脅威以外の何ものでもない。封印するのが手っ取り早い」
答えにならない答えをティモルベに告げて、黒騎士は武器を構える。
とはいえ刀身は透明で見えないのだが。
「誰かがここに近づきつつある。一気に終わらせるぞ」
ティモルベが覚悟する時間もないまま、周囲の温度が一気に下がる。
「はああああああああああああ!」
一振りしたのかどうかティモルベには確認できなかった。
確認することもなく氷塊のアリサージュが欠けて空いた穴まで吹き飛び、その穴が埋まっていく。
何がなんだか分からないままティモルベは氷漬けにされ、それを見届けた黒騎士はフッと消えた。




