本題
8.
動かぬユーゴックを見つめ、僕はようやく肩の力を抜いた。いや勝手に抜けた。それほどまでに緊張していたらしい。弛緩した僕に激痛が襲いかかる。緊張によって忘れていた穴の空いた右手の痛みや折れた肋骨の痛みが思い出のように浮き出てくる。
あまりの痛さに膝をついた。
「あんまり無理するんじゃないわよ」
どことなく疲れを見せるアリーが僕の肩を叩いた。
「そっちだって」
僕は笑って、自分とアリーに足しにもならない【回復球】を投げる。
僕が気休めの行動に出ているさなか、ディオレスは身を潜め、放心していたヴィヴィへと近寄った。
「嬢ちゃん、少しは落ち着いたか?」
僕たちがユーゴックを倒す間の時間があれば、心は落ち着かせることができるはずだった。
「ああ……」
そう言いつつもヴィヴィはまだどこか心そこにあらずだった。
「はは。ごまかす必要はねぇよ。お前のような若いやつらが早々割り切ったりしたら、迷い続けている俺は立つ瀬がない」
「私は……何を……したかったんだろうか?」
「あんたが全て悪いわけじゃないだろ。黙っていた姉さんと、あの坊ちゃんにも責任がある。あんたは必死になんとかしようと足掻いていた。それは悪いことじゃない」
ディオレスは何かを思い出すように、物悲しげに呟く。ディオレスも過去に何かあったのだ。それをディオレスが語ることはおそらくないのだけど。
「あんたは姉上を救いたかった。だから代わりに俺たちが救った。それでいいんだ。あれで良かったんだ。あんたは気づいたか。ふたりの安らかな表情。恨みを残して死んだ人間はあんな顔しない。だから俺たちは誰がなんと言おうと救ったことにしなきゃならない。救えなかったなんて間違っても思っちゃいけない」
その言葉は僕にも響いた。僕は救えなかったと思ってしまっていたからだ。
だからこそかもしれない、ディオレスの今の言葉は説得力があった。
僕たちが足掻いたところで相手の思惑はわからず、結果救えないことだってある。でも僕たちは精一杯足掻いた。だから救えたと思ってもいいのだ。たぶん。自信はないのだけれど。
「少なくとも、あんたは救われたと思ってやってくれ。じゃなきゃ救われないバカがひとりいるんでね」
それはきっと、僕のことだろう。
「ああ、私は救われた」
その言葉に少しだけだがもやもやした何かが取れた気がした。
「ただ、まだ整理がつかないだけだ」
続けて紡がれた言葉がヴィヴィの不安定さを表していた。
***
「ならいい。本題に入ろう」
ヴィヴィの気持ちなどおかまいなしにディオレスは本題とやらに入る。本題について、僕はさっぱり検討がつかない。
「分かっている。罪を償うということだろう」
「そうだ。なんであれ、人を殺したという罪を償わなければ手配書から解除されない」
「知っている。ならさっさと行こう」
つまりそれって……
「ちょっと、待ってよ。ディオレス」
僕の口が勝手に言葉を紡いだ。理解はしているのだ、でも納得はできない。僕はそういうつもりではなかったのだ。
「今更、そういうつもりではなかったとかほざくなよ」
ディオレスの冷酷な言葉が僕を貫く。
「……確かにほざくつもりだった。理解はしてるんだ。そうしなければならないって。ただ納得ができてないだけ。僕がディオレスに救うって言ったとき僕はそういうことを何も考えてなかったから」
姉を失ったヴィヴィのように、僕も整理がついてないのだ。考えが及ばなかった事態に困惑していた。
「認めれるだけ、まだマシか」
その発言は誰との比較かさっぱり分からなかった。たぶん、知らなくてもいいのだろう。
「何にせよ、この子は司法で裁かせる」
島の司法は独特のため、僕はこの大陸の司法についてあまり知らない。
「この大陸の司法には減刑制度があるからな、それを使えば三ヶ月ぐらいで出れる」
「減刑制度ですか?」
「ようは金がものを言うってことさ」
詳しく聞いてみるとこうらしい。まず被害者と加害者の素性を調べ、刑罰が下る。
例えば被害者が冒険者だった場合、刑罰は低い。それほどまでに冒険者の諍いが多いからというのが理由らしい。
被害者が商人や一般人、つまり大陸育ちや一念発起の島出身者であれば、被害者の人柄により刑罰が決まる。悪徳な商売に手を染めていたり、裏でこそこそと冒険者に宝探しをさせていたり、貧民層を無闇矢鱈にこきを使っていたりすると、殺されても致し方なしとされ、刑罰は低い。
さらに加害者の素性も影響される。ヴィヴィのように姉を人質に取られたりしていると(実際には違ったわけだけど)それも考慮され、減刑される。
しかしお金をいくら払うか、それが一番司法に影響が出るらしい。司法機関は赤字らしい。絶え間なく持ち込まれる裁判は長く行なわれる場合も多く司法家達の給料はその間支払う必要があり、さらには犯罪者を収納する監獄も日に日に増築され、収納された犯罪者を生かすための費用も嵩む。
この大陸では司法は統一されているが都市ごとに運営されているため支援者も少なく四苦八苦しているのだとか。だからこそ減刑制度が成立している。
司法に支払うお金に比例して刑罰が減る、と単純に言えばそういうものだった。もちろん詐欺や悪徳商法で儲けた金や強奪した金は使えない。そういうものを全て返却してから、その減刑制度が適用される。
もちろん上限があるため、多額のお金を払えば無罪放免ということにはならない。そんなことをしてしまえば司法家への批難もあるからだろう。
「ところで、嬢ちゃん。いくら持っている?」
ディオレスがそれを言うとお金をたかっているように聞こえるのはなぜなんだろう。
「私は、一イェンもない。全部、キムナルに取られたから」
「ま、そうだろうな。ちなみに自慢じゃないが俺は手持ちが少ない。飛空艇の維持費を払ったばっかりだからな」
「拙者にもお金を溜める趣味はないでござるな」
「私もジョバンニにローン組んでるから無理ね」
全員の視線が僕に集まる。
「えっと、確か……このくらい?」
【収納】に入れていた紙切れに金額を書き込んでみる。
「お前……なんでこんなに持ってんだ?」
ディオレスが少し怖い声色で尋ねてきた。
「いや……今まで食費ぐらいしか使ってないですし」
事実だけを述べる。
「それにしても多いだろ」
「まあ、そうですね……あとは賭けでの儲けの分け前を貰ったってところです」
アビルアさんから貰った分け前は一イェンたりとも使っていなかった。
「なんじゃそりゃ?」
「まあ、そこらへんはいいじゃないですか……」
自分が対象だった賭けで大勝したなんて虚しすぎる。冗談とかではなく。
「それだけありゃ減刑制度の上限まで適応できるな」
「しかし、それはヒーローのお金だろう。使わせてくれるのは嬉しいが、いいのかい?」
「いいよ。仲間のためならいくらでも使うさ」
「ありがとう」
素直にお礼を述べるヴィヴィの目には涙。
「キミには感謝してもしきれない。この恩は必ず返す」
「返さなくてもいいよ。言ったろ、仲間だって。仲間だから助け合うんだ」
「いや、だとしても。私はキミの力になりたい」
「はは、だったら……傷を治してもらおうかな……」
僕の体は一目で分かるほど傷ついていた。
「はは、そうだな。キミに死なれては困る」
ヴィヴィは涙を拭い微笑み、祝詞を紡ぐ。静かに佇む僕たちにヴィヴィの柔らかな祝詞だけが聞こえる。
紡がれた祝詞が癒術ランク4【癒々霧】を顕現させ、霧のように周囲を覆う癒しの小粒が僕たちの傷を癒していく。空いていた穴が塞がるものの、瘡蓋が残り、骨の痛みはある程度引いたが曲げると痛い。折れてはいないもののまだひび割れているのかもしれない。癒術とて完璧ではない。致命傷ではなくなったと考えればありがたい。
「ありがとう」
僕はヴィヴィにお礼を言う。
「この程度じゃまだ足りないぐらいだ」
「そんなことないよ」
とはいえヴィヴィのことだ。僕がそう言ったとしてもまた何かしてくれるのかもしれない。ヴィヴィはそういう人間なのだと僕は理解できていた。その時はその時だろう。
「それじゃ、ヒーローの金を持って裁判所に行くか。あとは司法家の仕事だ」
***
そのあとは迅速だった。
一度アジトに戻り、僕がお金を渡すと、すぐにディオレスは裁判所へ向かった。ヴィヴィを引き渡すと賞金が手に入り、それも使うことにしたから、僕が負担する額は少し減った。
ディオレスの知り合いの司法家がヴィヴィの担当となり、調査が始まる。ヴィヴィが殺した人間がどういう人間だったかが調べ上げられ、ディオレスの証言によりヴィヴィが殺しをせざるを得ない状況だったと説明される。
ヴィヴィが殺した人間が違法な薬を使っていたことが解剖の結果で分かり、さらにディオレスの証言と減刑制度の上限一杯までお金を使ったことで判決は懲役三ヶ月半と決まった。
こうやって決まった結果は覆せない。殺人を犯したのに懲役は意外と短い。
不服に思った傍聴人から殺してやるなんて罵声も飛び交った。被害者の親類だった。けれど、その後すぐに家族ぐるみで使用している可能性があるとして検査され、逮捕されていた。
「ま、俺の知り合いの刑務所だから冷遇はされないだろう。魔物退治とか色々と頼まれると思うが、いい修行にもなるし、何より哀しい出来事を忘れられる」
「感謝するよ、ヒーロー。……もちろんあなたにも感謝している、ディオレスさん」
「ついでみたいで少し気に食わんな」
ディオレスが本気で拗ねたように冗談を言うと、ヴィヴィは笑顔を見せた。
何にせよ、僕はヴィヴィを救った……のかな?
また疑問に思い、同時にディオレスの言葉を思い出し、僕はこう思いなおした。
僕はヴィヴィを救ったのだ。
贖罪というには非常におこがましいが、これでリゾネやハンソンを殺すしかなかった、救えなかったという気持ちが救われた気がした。そんな気持ちでヴィヴィを救ったわけじゃないのだけど。それでもそんな気持ちが少しもなかったなんてのはたぶん嘘になる。
僕にだってできるんだ、そう思いたかった。僕は焦っていた、同期の人間よりも2年遅れてのスタートだったから。
僕はできるんだ、誰だって救えるんだ、それを証明したかった。
それでも胸中のもやもやはいまだ取れず、僕自身は救われてない、そんな気がしたのだ。
結局、僕は弱い。僕はふとそんなことを考えてしまった。
***
「ブラギオさん。[十本指]のうち三人が殺されたってアレですか? 本当ですか?」
“ウィッカ”のアジトへと駆け込んできたヴェーグルはブラギオに会うなりそう叫んだ。
「ええ、先程入った情報です」
「いったい、どこの誰なんですか?」
「ディオレスですよ」
「あの元改造者ですか?」
「せめて一本指と言ってあげなさい」
「でもなんであの人が、三人もの人間を殺す必要が?」
「九本指の妹が先日手配されたのは存じてますね? その妹を狙っていた二組がいました。誰と誰か分かりますか?」
「アレですか……ディオレスと、ユーゴックですか?」
「そうです。そして先にディオレスがキムナルとヴィクトーリアのふたりを殺した。けれど解せないことがひとつ」
「解せないこと?」
「ええ、以前のディオレスなら賞金首を生かすことなんてなかったはずです。けれどディオレスはヴィクトーリアの妹を裁判にかけ、罪を償わせた」
「誰かがディオレスを変えたと?」
「いや、それはありえませんよ。人はそう簡単に変われません。特にディオレスは」
「何か事情がある、と」
「ええ。けれどそれはあなたが調べる必要のないことです。他の人に調べさせていますから」
ヴェーグルはその言葉に押し黙る。そこに不満はなかった。
ところで、と話題を変えるように言葉を紡ぐ。
「ユーゴックとはどう繋がるんですか?」
「鉢合わせでもしたのでしょう。ユーゴックは指名手配された者を全てを皆殺しにしていますから。ヴィクトーリアの妹を殺そうとして、逆にディオレスに殺されたというところでしょう」
「じゃ[十本指]の三人を殺したのはアレですね、ディオレスなんですね?」
「いえ、少し語弊がありますよ。情報は的確に把握しなさい。[十本指]の三人を殺したのは、ディオレスを含めた四人組。ディオレス・クライコス・アコンハイム、アリテイシア・マーティン、コジロウ・イサキに、そしてネイレスやブラッジーニの元から別れ、あなたが探しきれなかったマスク・ザ・ヒーローですよ」
「……申し訳ありません」
「しかし収穫はありました。マスク・ザ・ヒーローの複合職は薬剤士で確定のようです。ユーゴックが死んだ主因は回復細胞の活性化による有害化でしたから」
「確かに、ディオレス、アリテイシア、コジロウの三人は癒術なんて使えませんね。しかしヴィクトーリアの妹は双魔士だったはずです。その可能性は?」
「ないでしょう」
ブラギオは断定する。
「彼女が使用したのだとしたら威力が低すぎるのですよ。癒術であるならばもっと強烈な活性化を見せてもいいはずです。活性化したのにあの程度ということは、癒術士系が副職。だとすればマスク・ザ・ヒーローが薬剤士でなければつじつまが合わない」
「なるほど」
「さっきから納得してばかりですが、自分の仕事を忘れていませんね?」
「ええ、アレですよね、分かっています。マスク・ザ・ヒーローがレシュリー・ライヴであるという確証を得ればいいんですよね?」
「その通りです。確証、確信、まあなんでもいいですが、真実が分からないうちにでたらめを書かない。それが私たちの信条です。頑張ってください。ヴェーグル」
全ての情報を、真実を支配し、そして世間へと流通、悪く言えば暴露する。全てが明るみになる。真実は何も隠されない。それが集配社“ウィッカ”の目的だった。
情報を隠蔽する冒険者がいてはならないのだ。
「分かりました。アレです、任せてください」
ヴェーグルが意気揚々と応える。




