慈悲
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プティラ・ノードンは神父から冒険者になったがそれには理由があった。
一念発起の島で神父、教職者としての知識を経て、ノードンの神父としての生活は始まる。やがて町で評判だった宿屋の娘を嫁に迎え、娘が生まれた。誰の目から見ても幸せで、ずっとこのまま幸せが続くとノードンは思っていた。
とはいえその間にも教会がある町は何回か危機を迎えていた。そのたびに立ち寄っていた冒険者がなんとかしてくれたが、何度も都合がいいようにはできていない。
警備の冒険者を雇う提案もあったが、その町を仕切る長は金を渋った。
警備の冒険者がいないという噂は周囲の悪党たちの間で噂になり、ある日に大挙して冒険者崩れの賊が現れた。
その日、町は地図から姿を消した。
金を渋った長は殺され、町人は皆殺し、町の女や子ども、ノードンの妻も娘も浚われた。やがてどこかに売られる運命は誰の目にも明らかだった。
その日、たまたま他の町へと出かけていたノードンだけがその惨事から免れた。
けれども数日後、自分の町へと戻ったときに見た光景は惨事以上のものだった。
自分の町も、妻も娘も、頼ってくれた町人も、憎たらしかった町長も、好きなもの、嫌いなもの、どうでもいいもの、そこにあった当たり前のもの、何もかもが一瞬のうちになくなっていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
喉を切り裂かんばかりの絶叫が虚空に響く。生気が抜けたかのように力が抜けへたりこんだ。
壊された家屋、乾いた血に、焦げた臭いに交じる死体の腐った臭い。
群がったウルフが見知った顔の死体を齧っていた。酒を興じて夢を語り合った友人だった。
叫びに気づきウルフの群れがノードンを囲う。右腕を噛み千切られ必死に振り払う。
死ぬのか、このまま死ぬのか。ノードンはその問いかけを神に問うた。
けれど神から淘汰されたように答えは帰ってこない。
死んでたまるか。死んでたまるかっ!
噛みつこうとしてきたウルフに聖書を投げつける。罰が当たると一念発起の島の先生には言われていたが関係なかった。
これ以上の仕打ちより怖いものなどない。天罰がよほどひどいことだというのなら、これは何の罰だ。答えてみろ。
ウルフから必死に逃げながらノードンは信じてきたものに問いかけた。信じろと伝えてきたものがなんだったのか。神父は魔法も使えず、癒術も使えない。ただ、教本にある勉学を教え、古来から伝えてきた聖書の内容を教えるだけだ。
その知識のなかに答えはない、答えは聞こえてなんてこない。
だとしたら自分で答えを導く。
すんなりと見つかる。
復讐だ、復讐しかない。
ニンマリと笑った。そのためには戦う手段がいる。そこで冒険者になる必要があると考え始めた。そこまで考えると恐怖はなくなった。
残った左手で襲いかかるウルフを殴った。そのときまで人すら殴ったことはないから不恰好だったが構わない。
鬼のような形相でウルフに跨り殴る。他のウルフは恐れ、警戒を始めた。
絶命してもなお、ノードンはウルフを殴り、その血で身を赤く染めた。
原型を留めないウルフの死骸を周囲に見せつけるとウルフは逃げ出した。
その足でノードンは冒険者になるべく申込みをした。
血染めでの申し込みは人々を震え上がらせ都市伝説のひとつとなったがそれは別の話。もうノードンの精神は壊れていた。
そうしてノードンは冒険者となり、今まで培ってきた神父としての繋がりで情報を集め、冒険者崩れの賊たちを見つけた。
途端、彼らは命乞いをはじめ、死を恐れ始めた。
そこで壊れたはずのノードンの精神はわずかに元に戻る。
死に怯え悩む様は神父のノードンに縋りにきた町人たちと変わらなかった。悪さをして懺悔をするものたちと変わりはなかった。
それを見て殺意は失せてしまった。けれど復讐せねば気がすまなかった。
行方を見つけた妻も娘もすでに死んでいたから。
矛盾にも似た感情の起伏が再びノードンの感情の歯車を壊した。
そんなノードンが与えたのは慈悲だった。殺さないという慈悲。歪曲した慈悲。
彼らもまた被害者。救わなければならない。それが神父の役目だ。
β時代に存在した拷問士のように死んだほうがマシと思えるような慈悲を与え続けた。手加減によって死ねない苦痛、薬による死なない工夫でノードンは延々と冒険者崩れを痛めつけ、精神を崩壊させていた。
許してくださいとすらいえない状況で、ノードンは彼らを破壊した。
その手腕をブラギオが聞きつけてノードンは集配員になった。
神父としての繋がりもブラギオが持っていないもので、ノードンが集配員になった結果、情報網はかなり強固になった。
けれど同時にノードンは危うさを持っていた。もはやノードンは壊れているのだ。
まともに見えても、すでに人として何かを失っていた。
だから慈悲と評して様々なことに及ぶ。そこに善悪はない。ただ、与えるものとしてノードンは与えたいから慈悲を与える。
壊れたノードンはそうやって慈悲を与えることで生き永らえていた。神父に戻った後も。
だから一方的に攻撃されるというのはノードンに耐えがたいことであった。
尻尾による強撃以降、怒涛の連撃にノードンは嵌っていた。
【速勢・援護型】によって展開飛距離を増やして神火飛鴉〔神速のシェフォルカ〕をばらまき、飛行を制限。
【攻勢・射撃型】の鉄盾銃〔ごり押しのヴェーヴェッカス〕でノードンを打ち抜き、落下しながらも防御するノードンに【速勢・跳躍型】に切り替え、大拳鉄鎚〔指差しヤェウイ〕を叩き込む。
瞬時に【速勢・追撃型】に切り替えて長方形剣〔巻舌のヒュッヒューイ〕で追撃。
叩き落したノードンを跳ね上げる。空中には点火した神火飛鴉が滞空していた。
爆発を恐れてノードンが不恰好に翼を羽ばたかせる。
神火飛鴉の手前で止まり、そのまま飛行。
旋回するように神火飛鴉を避けてエリマに近づこうと目論むが、【攻勢・襲撃型】に切り替えたあと全力で投げたエリマの五つ目の武器がノードンを背後から追いかけていた。
飛翼扇〔強欲のヴェジゲッテル〕である。刃のついた折りたたみの扇は開いて投げることでブーメランのように飛んでいく。折りたたみ、懐にしまっておくことも可能のため、【収納】せずに暗器のように隠しておくこともできる。
ノードンは飛翼扇の背撃を避けて、着地。地面を蹴って加速し【機関銃】を設置しながらエリマへと向かう。
が途端にノードンは転ぶ。
エリマは【機関銃】を増やすだろうと予感し、すでに罠を仕掛けていた。
狩士も扱える狩猟技能。建物内、木と木など、壁や障害物のある場所でしか使うのは難しいが、本来は魔物の侵入を防ぐためのもの。
それをエリマは今までの攻撃の間に密かに設置していた。
【有刺鉄線】と呼ばれるそれは色を変化させることもできる トゲつきの鉄線だった。剣などで容易く斬ることもできるが地面と同色にしておけば認識しづらい。
その【有刺鉄線】にノードンは引っかかり転んでいた。
空中にばかりを飛んでいて注視を疎かにしていたうえに、あまり使われない技能に加え、追い込まれていたため気づきもできなかった。
無様に転んだところにエリマは【速勢・跳躍型】に態勢変更。
六つ目の武器、蹴具〔地獄単騎のウーフェル〕に嵌めて一回転。長靴に強靭な刃を装着させた蹴具を嵌めた足を伸ばし、飛び蹴り。
転がりながら避けるノードンに合わせて横薙ぎに足を振るとノードンの着こなす神父服に亀裂が入り、破れる。
設置した【機関銃】は退避したメレイナが破壊。
「ティモルベくん!」
呼ぶが、意志無きティモルベは気づけばセリージュに抑えつけられていた。
エリマが指示したわけではないが、各々がエリマが動きやすいように動いていた。
一方で意識を奪われたティモルベは命令がなければ、最初の命令を実行し続けるだけだ。これならばまだ余計なことをするとしても意識があったほうがいい。
けれどそれも今更。
飛び蹴りを転んで避けても好転にはならない。
【速勢・追撃型】と七つ目の武器、短槍〔屯田のガイーロ〕に切り替えての速攻。
【速勢・跳躍型】からの【速勢・追撃型】、【速勢・連撃型】が厄介すぎる。
盾などの防御手段を持たないノードンに手数の多い攻撃は有効すぎた。
そうなる前に砲術による集中砲火が砲術師の強みだが詰められると弱い。
魔砲技能には【防御壁】のような援護癒術もない。
それを分かったうえでエリマは速度を緩めない。
ノードンはあえて短槍〔屯田のガイーロ〕を受ける。
そうして殴りかかる。瞬間、右腕がはずれ、爆進剤が点火。
かつてウルフに食われ義手となっていた右腕による奥の手爆進拳がエリマに向かう。爆進拳は右肘と鎖で繋がっている。
一方、エリマはノードンが構えた瞬間に後退していた。結果、短槍の刺さりは浅い。さらに後退際に尻尾を前で払って爆進拳をわずかに逸らす。爆進拳が曲線を描き、エリマへと誘導する。繋がる鎖を調整してノードンは爆進拳の向きを変えたのだ。
【守勢・反撃型】と八つ目の武器、長柄大鎌〔反乱軍のシェイアード〕で大振りの薙ぎ払い。大きく歪曲した刃で爆進拳ごとノードンを刈り取ろうと画策。
爆進拳が犠牲になるがノードンは回避。がそれこそがエリマの罠。
あえてノードンが避けれる程度にエリマは攻撃を調整していた。
すぐに【攻勢・突撃型】に切り替え、一歩で間合いを詰める。同時に武器を切り替える。
エリマが取り出したのは練習用短剣。それはエリマの九つ目の武器。昔から持っていた古ぼけた短剣。売らずになぜか【収納】し続けていた武器だった。
適正装備数が八つまでなのが狩士の特徴だが、討伐師はその倍は持てる。
だからノードンは油断したわけではないが、捕まって以降買い物ですら行けなかったエリマが八本の武器を見せた以上、そのどれかで攻撃してくると思っていた。収集癖のないエリマが無駄なものを【収納】しているとは思ってもみなかった。
距離の関係から長方形剣が濃厚だとノードンは読んでいた。
突撃なら短槍が有利だが、それはノードンに突き刺さったまま。そうやってエリマは選択肢を絞らせたうえで、まさかの選択肢を出現させた。
すぐに剣を振り上げると読んでいたノードンは後ろへ回避の態勢。
一方でエリマはさらに深く一歩前と進み、下がった分の距離を詰めて、何よりも早く、練習用短剣をノードンの胸へと突き刺した。




