策謀
3.
連日の戦闘でアリーのレヴェンティが刃こぼれした。原点回帰の島にも鍛冶屋はあるけれど、数は少なくランク0の冒険者たちで手一杯だった。
「ちょうどいいから大陸に戻るわ」
「あてはあるの?」
「ええ、ジョバンニなら一晩でやってくれるわ」
訊けばジョバンニって言うのは一念発起の島出身の何でも屋らしく、武器屋、道具屋、鍛冶屋などなどたくさんの経験を積んだ有名人らしい。武器を直すのもノートを書き写すのも一晩でやってくれるとのこと。ノートを書き写すのが何の役に立つかは分からなかったけれど。
港に停泊する船の汽笛が鳴る。
「出発するみたい」
「そうだね」
別れを惜しむように僕は同意する。アリーは船へと乗り込み、一言。
「大陸で待ってるよ」
その時の笑顔は、島で一緒にいた中で一番美しく見えた。
アリーを乗せた船は大陸へと去っていくなか、
「行っちゃった……」
僕は知らぬ間に残念そうな声を出していた。
でも僕が大陸へ行けば出会えるのだ。だからこそ落ち込まない。僕は僕のすべきことをして、大陸へと渡る。
僕はすぐにでもアリーに追いつこうと、ランク0の試練新人の宴へと足を運んだ。しかしそこには【立入禁止】の結界。
今月は"新"の月だったことを思い出す。"新"の月では試練が一度しか行なえない。理由は分からないが魔物たちが島の人間には手に負えないほど大量に湧くからだ。
けれど四十二日間ある一ヶ月のうち、21日だけはその結界が解ける。
初心者協会ではその日を新人の宴の日と定めていた。
もちろん、|"新"の月以外なら僕のように試練を受けにいくこともできるのだけれど、ひとりで挑む場合、余程の運か強さがないと秘宝の部屋まで辿り着くことはできないとされている。
それを分かっていてもなお、諦めきれなかった僕は何度も挑み、敗走を繰り返していた。
アリーとの修行で日にちの感覚がわからなくなっていた僕はついでのように今日が何日か思い出す。今日は"新"の月17日。あと四日で新人の宴の日だ。
僕は【立入禁止】になっていた洞窟を後にし、アビルアの酒場へと戻った。
「今月は21日以外立入禁止なのを忘れていたようだね」
アビルアさんの妖艶な唇が動き、呆れたように指摘してくる。
「その通りです。返す言葉がないです」
「で今年はいけそうなのかい?」
「……そりゃいけると思いますよ」
「去年もそんな言葉を聞いたけどね」
「ハハッ、そういえばそうかもしません」
そんな話をしてももう虚しくならない。今年こそは必ず合格できるという自信に僕は満ち溢れていた。
「そういえばアリーは帰ったみたいだね」
「ええ、さっき別れを済ませてきました」
「寂しくないのかい?」
「大陸に行けばまた会えますよ」
「だとしたら寂しくなるのはあたしのほうだね」
「かもしれません」
アビルアさんが淹れるココアが飲めなくなるのは僕としても残念だ。
ふと壁を見やると『落第者(金魚のフン)の合否ギャンブル今年も開催!』という張り紙が見えた。
「あいつらまた勝手に……」
アビルアさんが怒りを露にし、張り紙を剥ごうとする。
「剥がさなくてもいいですよ、アビルアさん。今年はあいつらが大損する番ですから」
「あんなこと書かれて悔しくないのかい?」
「今まではそうでしたけど今年は違います」
ちなみに金魚のフンというのはランク2のアリーの後ろについて経験を稼ぐランク0の僕につけられた新しい蔑称だった。「気にしたらダメよ」とアリーも言っていたが僕は気にしてなどいなかった。アリーの後ろで援護していたのは事実だし、それによって経験を稼いだのも事実。否定はしない。妬まれて当然なのだろう。
ちなみに僕はまだ自分が〈双腕〉であること、両手のどちらでもうまく投げれることを島の誰ひとりにも明かしていない。
アリーも〈双腕〉だと言わないほうがいいと言っていた。もちろんバレてしまったなら仕方ないだろうが、僕から言うつもりはなかった。
いくら罵声を浴びようと僕は強さを手に入れていた。その強さが僕自身を強くしていた。
アリーと別れてから新人の宴の日まで鍛錬は欠かさなかった。原点草原レベル2には入ることはできないけど原点草原レベル0の奥地で誰にも見つかることもなく僕は鍛錬し続ける。
そして試練当日。
「行ってきます」
アビルアさんに僕は挨拶をする。
「行ってきな」
「それとアビルアさん。あの張り紙の賭けですけど……」
「なんだい?」
「今まで損ばかりさせてごめんなさい」
僕はアビルアさんが今まで僕に賭けていたことを知っていた。そもそも賭けはどちらにも賭けるものがいないと成立しないのだ。
「知っていたのかい?」
僕は頷き、言う。
「……今回も僕に?」
アビルアさんは無言で頷く。
僕はそれを見てカウンターに布袋を置いた。中には島の通貨であるグレージュ銀貨が入っている。
「これも僕に賭けてください」
「こんな大金……どうしたんだ?」
「僕がアリーとの修行で稼いだお金です。防具はこの島で買える最強のものにしましたし。使い道がないんです」
僕はアビルアさんを強く見つめる。
「なるほど……今年は合格しそうだね、自信に満ち溢れた目をしてる。分かった賭けておくよ」
「ありがとうございます」
これがアビルアさんに対するせめてもの恩返しだった。
***
僕が新人の宴へと到着すると喧騒が起きていた。
「どうかしたの?」
僕は傍らの冒険者に声をかける。黄土色の髪をした快活な少年だった。
「うおぉ、落第者」
少年は僕に話しかけられたのに驚き、すぐに声に出してしまったことを悔やむようにすまなそうな顔をした。
「気にしなくていいよ。それより何かあったのか?」
「ああ、俺っちの仲間が見当たらない」
「誰なの、その仲間は?」
「剣士のアル、アルフォード・ジネンと魔法士のリアン、リアネット・フォクシーネのふたりだ」
「剣士と魔法士か。なら少し安心だ」
「安心なわけないだろ!」
「それはごめん。でも剣士と魔法士なら、新人の宴に入っていたとしても無事だと思う。前衛と後衛のバランスが取れてるしね」
「どういうことだよ。だからあいつらが俺っちを置いて先に行ったってのか?」
「いや行かされたってのが正しいかも」
「ああん? 意味わかんねぇーよ」
「悪しき伝統ってやつかな、去年も一昨年もあったことなんだ」
「詳細を話せ」
「そのリアンかアルのどちらか、おそらく魔法士のリアンのほうだと思うけど、誰かに目の敵にされてなかった?」
「いや、なかったと思……待て。もしかしたらリゾネかもしれない。あいつはリアンにいやがらせをしてた」
「じゃおそらくそのリゾネって子に大切にしていたものを取られて、返して欲しかったら一番最初に新人の宴に入れって言われたんだろうね」
「どうしてだ?」
「新人の宴は後から侵入したほうが魔物の数が少なくて進みやすいからだ。先行した冒険者が魔物を倒しているからね」
「つまり……囮にされたってことか?」
「ああ。そしてここにいる何人かもそういう事情を知っておきながら見て見ぬふりをしている。誰しもが僕のような落第者になりたくないから」
落第者の部分を強めて言うと何人かが顔を逸らした。
「じゃ、アルがいないのは?」
「おそらくリアンがいなくなったのに気づいてアルも後を追ったんだ」
「ということは既に洞窟の中かよ。くそったれ!」
その冒険者は洞窟へと走り出す。
「どこ行くの?」
分かりきっているのに僕は尋ねる。
「仲間を助けに行く」
「ああ、そう」
僕はその冒険者を追い抜いた。
「てめぇ、どうするつもりだ?」
「試練を受けるつもりだけど?」
「足手まといだ!」
「手伝うなんて言ってないけど?」
……まあ手伝うつもりなんだけどね。
「それでも足手まといだ。落第者」
そう言えば僕が引き下がると思ったのだろう。けど僕は以前の僕とは違った。
「キミのほうが役に立たないと思うね」
「何を!」
「まあ僕の本当の実力は洞窟に入ってから見せてあげるよ」
「ついてねぇ。誰も助けようとしないどころか、一緒に入るのが落第者とだなんて」
「いや、むしろ僕がいてありがたいと思うようになるよ、そのうちだけど」
「まあいい。だったらその実力とくと見せてもらう。俺っちはアーネック・ビジソワーズ。アネクって呼んでくれ。一応剣士だ」
「僕のことは知ってるみたいだから自己紹介はしないよ。よろしくアネク」
そう言う僕を無視するかのようにアネクは新人の宴へと入った。僕もそれに続く。新人の宴は誰が造ったか分からないけれどとても人工的な造りをしている。炭鉱のようにも見えるけれど、真っ直ぐの道が続くわけでもなく、何に使っていたのか分からない広間がいくつも点在していた。
僕たちが洞窟に入ったのを見て他の冒険者はニヤリと笑う。先程ふたりが先行し、アネクが二番手として突入した。そして力を過信するもの、何も考えず突っ走る冒険者が数分も経たぬうちに出発するだろう。
すると自分たちが入るであろう三十分か一時間後には魔物の数が格段に減っている、そんなことを思って、笑ってしまったのだろう。
もちろんその目論みに僕は含まれていない。せいぜい囮になって挙句逃げ帰ってくるのだろうとでも思っているのだ。だからこそ僕の合否に対する賭けの倍率は圧倒的多数で、というかアビルアさん以外が否に賭けている。
だけどその期待には添う必要はない。僕は今年こそ合格するのだから。
***
手伝いを求めるかのように、ひとりの少女に迫る一匹のゴブリンは袖を破る前に身体を切断され、絶命した。
「リアン、大丈夫か?」
剣士アルフォード・ジネンが、リアンという傍らの少女に呼びかけ、周囲に群がっていたゴブリンを蹴散らす。まるで燃え盛る炎のような焔色の髪は自らにみなぎる闘志を体現しているようにも思える。
「……私は大丈夫。アルも無理はしないで」
リアンこと魔法士リアネット・フォクシーネはそう答えるが、彼女自身はゴブリンを杖で払う程度で魔法を唱えようとしない。丸みを帯びた愛らしい顔は泥がつき、まるで雪のような白銀の髪も汚れていた。
事情を知っているのかアルも何も言わず、リアンを守っている。
しかし群がり続けるゴブリンを相手に魔法士を守りながらでは剣士ひとりでは限界があった。一騎打ちのほうが得意の剣士であるアルは数に押されれば、どうしても防戦にならざるを得なかったのだ。
それでも焦らず、一匹一匹確実に両断するアルだったが、群がり続けるゴブリンを相手にはそれも叶わず、とうとうリアンの袖へとゴブリンの腕が到達する。剣士と違い、か細い魔法士の腕ならばゴブリンの鋭くも繊細な爪が袖どころか腕までも千切ることも有り得た。
ここで初めて、アルに焦りが生じた。そのせいでアルの一振りは空を切る。
ゴブリンもその隙を逃さず、アルの体躯を倒す。倒れたアルを踏みつけながら、さらにゴブリンがリアンのもとへと群がる。
立ち上がろうとするも、数匹のゴブリンがアルへとのしかかり、それをさせない。
リアンの服へと数匹がしがみついた途端、リアンの身体がしがみついたゴブリンごと消える。
同時にアルも、のしかかっていたゴブリンごと消えていた。
***
僕の放った【転移球】がアルとリアンのもとへと到達する。対象と、対象と接触していたものを一緒に転移させる【転移球】は使い勝手がいいとは言えない。僕とアネクの近くに転移してきたのはアルとリアン――それにおまけのゴブリン。
アネクがリアンにしがみつくゴブリンを放り投げ、切断。僕もアルにのしかかっていたゴブリンを一蹴りし、リアンを助けたアネクがそのゴブリンを切断する。
「意外と近くにいて何よりだったね」
僕が言う。
「ああ。そうだな」
何か気に入らないようにアネクが答える。
「……アネク。ありがとう」
「ああ、本当だ。助かった」
アルとリアンがアネクに礼を言うが、
「助けたのは、俺じゃなくこっちだ」
僕のほうを指し、すねたように言う。ああ僕が助けたことが気に食わないのか。
「あんたが……」
僕の顔を見た途端、アルが戸惑っていた。
「落第者が助けたのが意外?」
「いや、そういうわけではない。俺の落ち度だな。すまない」
アネクと違い、アルは実直な青年だった。
「……ありがとうございます」
リアンは僕が落第者と知っても素直に礼を述べてきた。この子はいい子だと僕はすぐに判断する。
「……にしてもなんなんだ、この数は」
「確かに。去年や一昨年と比べても異常だね」
アネクの呟きに僕は同調して答える。
「それになんであんな数になるまでゴブリンを群がらせたの? 魔法士がいるなら、あんな状態にまでならないはずだよ」
少し呆れたように言う僕に
「それは……私が悪いんです」
リアンが謝る。
「リアンのせいじゃない。リゾネのせいだ」
「だいたい話は聞いたから事情は分かるけど、リゾネって子に何かを取られて、先に行けって言ったのは分かる。でも君たちだって冒険者の端くれ。昔の僕ならともかく君たちならこんな状態にはならないよ」
それに反発するかのようにアルが言う。
「俺だって最初は大丈夫だろうと思っていた。でもリゾネが取ったものがエーテルだって知ってしまったからアネクを探すことなくリアンを追ったんだ」
「それ、本当?」
「……本当です」
リアンが見せる杖には、エーテルと呼ばれる宝石がついていなかった。
「だとしたらリゾネって子は、リアンを囮として使うというよりも殺すつもりで先に行かせたってことになる」
「どういう意味だ?」
意味が分かってないらしいアネクが尋ねる。
魔法士は魔法を唱える際に詠唱が必要となる。そうすることで魔法士は魔法をこの世界に顕現することが可能となる。アリーが就いている放剣士も魔法を使うことができたが、あれは解放と定義され、詠唱ありの魔法とは似て異なるものともいえた。
魔法士が魔法を唱えるために必要なものは三つ。
熱、乾、冷、湿という四つの要素を含んだ魔力。これは魔法士を選択した直後体内に生成される。
次にプリママテリアと呼ばれるこの世に魔法を顕現させるために使う媒体。霊樹や魔樹、世界樹、神木などの枝から作られた杖などがそれにあたる。
最後にエーテルと呼ばれるもっとも欠けてはならない存在。紙面では「+」と表記されるエーテルはその記号通り、プリママテリアと四つの要素|(熱、乾、冷、湿)を結び、魔法を作り出す。エーテルは主に宝石がその役割を担い、プリママテリアに組み込まれることがほとんどだ。
この三つのうちどれが欠けても魔法士は魔法を詠唱することができない。
だからそのうちの一つであるエーテルを取られ、リアンは魔法を唱えることができないでいた。
……というようなことを簡単にアネクに僕は説明する。
「だったら今から街に引き返してリゾネのやつからエーテルってのを取り返そうぜ」
安易にアネクは提案する。
「洞窟に一度入ったら一歩でも出れば失格。落第者になるけどそれでいいの?」
落第者たる僕が、落第者になる条件をアネクに教えてやる。アネクが顔をしかめ、リアンやアルも無言で黙り込む。
「……リゾネがここに入ってくるのを待って奪うしかないか」
アルが思いついたように呟く。それは僕も考えていたが、僕は三人から見れば他人でそれを提案できる立場ではないから伏せておいた。
「ここから出れない以上、それしかないだろ」
アネクが渋々ながらもその提案に乗る。
「じゃ、あいつらをどうにかしよう」
仕切るのは好きではないけど僕はアネクとアルへと指示を出す。
「言われなくても分かってる」
反発するように肯定したのはアネク。アルも刀剣を構え、戦闘態勢に入っていった。
【転移球】によって消えたアルたちを探してキョロキョロと視線を動かし、気配を探っていたゴブリンたちが僕たちを見つけ、こちらに向かってきていた。
奇行鬼種のくせに洞窟のゴブリンは統率が取れているように思えた。
ゴブリンが僕達へと駆け寄る前に、叫びながらその群れへと突っ込んでいったのはアネク。
「うおおおおおおおおっ!」
両手で構えた屠殺剣〔信義たるレベリオス〕を振り回し、ゴブリンを二、三匹まとめて屠る。アネクは大勢を一気にかく乱する乱戦向きの剣士らしかった。
続くアルは、アネクの凶刃から逃れたゴブリンの体躯を刀剣〔優雅なるレベリアス〕で確実に切断。その動きでアルは一騎打ちに長けた剣士だと判断できる。
乱戦向きの剣士に一騎打ち型の剣士、対の剣士ふたりは互いの隙をなくし、うまく連携している。
僕は、といえば【毒霧球】を両手に【造型】し、ゴブリンのいる前方ではなく誰もいないはずの上方へと投げる。
もっとも遠投技能を持たない僕では高く、遠くへと投げられないのだが三mぐらいの高さなら十分に届く。
不発に終わるかに見えた【毒霧球】は何かを追尾し、直撃。毒霧が宙に散布。その何かが全身を弛緩させ、墜落。
それはペインビーだった。大きさはゴブリンの半分程度。尻の先端には鋭い針がついていた。蜂が大きくなったと言えば分かりやすいと思うが、ペインビーは魔物なので、蜂とは身体の作りが微妙に違うらしい。
僕の投げた【毒霧球】から散布される毒霧に中てられたペインビーが次々と墜落してくる。僕はゴブリンのなかに潜む羽音を見逃していなかった。ペインビーは常に宙に漂い、他の魔物の戦闘をうまく利用して背後に回りこみ、尻の先端についている、拳大の針を刺してくる。
激痛蜂の名前通り、その針が及ぼすのは激痛。しかも刺された箇所は一時間弱が経過しないと痛みが治まらない。一時間もその痛みに苛まれるなんて最悪すぎる。
落ちてきたペインビーは毒に中てられた影響で体が弛緩し、一時的に麻痺していた。
もちろんすぐに抜ける毒なので効果は一瞬。それを伝えなくともアルとアネクは理解し動き出していた。
アネクが思いっきり身体を捻り、その捻りを利用して、 屠殺剣〔信義たるレベリオス〕を投げる。乱戦型剣士が多用する【円放】と呼ばれる剣技の基本技能だ。飛ばされた屠殺剣は、円を描くようにゴブリンとペインビーを切り刻み、アネクのもとへと戻ってくる。
アネクが大量の敵を引き受けている間、アルが弛緩しているペインビーを突き刺していく。しかしその合間にもアネクの攻撃を回避したゴブリンがリアンのもとへと向かっていく。
僕は【転移球】を【造型】し万が一に備えるも、リアンに接近しつつあるゴブリンに気づいたアルが〔優雅なるレベリアス〕を鞘へと戻し、高速で一振り。居合いの型から繰り出されたのは【裂波】。高速で繰り出された衝撃波がゴブリンへと強襲。リアンに飛びつく暇もなくゴブリンが吹き飛ばされる。
「キリがないな」
減る兆しが見えないゴブリンの群れにアルがぼやく。その言葉はもっともだった。やはりこの多さなら魔法が必須だ。そのアルの何気ないぼやきに気づいてしまったリアンが思わず「ごめんなさい」と謝る。エーテルを奪われたせいで何もできない自分が足を引っ張っていると理解したのだろう。
「そういう意味で言ったわけじゃない」
アルが弁解しても遅いのだろうが意味がないわけでもない。気休めにはなってるはずだ。それでもリアンが気にしてないと言えば嘘になる。リアンの表情は晴れない。
そんな時、声がした。
「まだ魔物が溢れてやがる」
「どうなってるんだよ、リゾネ!」
「うっさい。あたしに聞くなよ。どーせ、リアンたちがヘマしたんだろ!」
それにいち早く反応したのはアネク。
「リゾネが入ってきやがった」
アネクはゴブリンを倒すのをやめ、入口へと向かう。見れば、シャギーのかかった灰色長髪の女の子の姿が見えた。その子がきっとリゾネなのだろう。目つきが鋭く、常に怒っているようなそんな顔をしていた。
「アネク! リゾネは放っておけ。今は数を減らしてからだ」
「リゾネからエーテル奪えばリアンも戦える。そのほうが早い」
「だがお前が抜ければゴブリンを足止めできないっ! リアンを危険に晒す気かっ!」
それでもアネクは忠告を無視しリゾネへと向かう。
「アネクッ!」
アネクを欠いた僕たちのもとにゴブリンが一斉に飛びかかってくる。
「ようやく入ってきやがったな、リゾネッ!」
リゾネの元へと辿り着いたアネクは吼えた。
***
アネクが屠殺剣〔信義たるレベリオス〕の重刃を、轟々しくリゾネへと振り下ろす。
それを受け止めたのは傍らにいた巨漢の剣士。人を常に見下すような目でアネクを見つめていた。
「邪魔をするな、ハンソン!」
「リゾネに刃を向けるからだっ!」
「黙れ、そいつが何をしたか知ってるのか?」
「知っているさ。だけどな、冒険者ってのはそういうもんだ!」
「俺っちはそういうのは大っ嫌いなんだっ!」
「だったら冒険者などやめればいいだろ、アーネック!」
ハンソンの大剣〔姑息なドジレド〕の鋭刃が屠殺剣〔信義たるレベリオス〕の重刃を押し返していく。
アネクはその光景にわずかながら動揺する。同じ乱戦型剣士なら、個人差があれど高レベルのほうが力が勝っている。それなのに、アネクは押し返され――押し負けていた。
「お前のような冒険者は死ねばいいんだよ、アーネック!」
辛うじて屠殺剣〔信義たるレベリオス〕で耐えるも既に形勢は逆転されていた。
「それとな。このままの状態でいいのか?」
「どういうことだよ?」
不敵な笑みを零すハンソンにアネクは疑問の顔。
「こういうことじゃん」
アネクの左肩に痛み。気配を完全に殺して技能使用に驚愕しつつも気配を探ると盗士ジネーゼの姿があった。紫髪に隠されていた左目がアネクを的確に捉え、短剣〔見えざる敵パッシーモ〕でアネクの腹を突いたのだ。
同時にアネクは理解。先程ハンソンに力負けしたのはジネーゼの盗技【力盗】によって数秒間、攻撃力を奪われていたのだと。
「へへっ」
うすら笑うジネーゼがリゾネのほうへとさがり、ハンソンの凶刃が容赦ない痛みに怯むアネクへと放たれた。がハンソンの攻撃は空を切る。
***
僕の放った【転移球】によってアネクが僕たちのもとへと転移。
「間一髪ってところだね」
「アネク、大丈夫?」
「なんとか、な」
気張るアネクだが、痛みは引かずむしろ増しているようにも見える。
「……ここは? ゴブリンの群れはどうした?」
「キミが勝手な行動を取ったから逃げたのさ」
「そういうことだ」
「他の冒険者がゴブリンの群れと対峙することになるだろうから、少し離れたこの場所にいればおそらく大丈夫だと思う」
「くそっ! あと少しでエーテルを取り返せたのに……」
「嘘をつけ。剣士に盗士、魔法士、後方に控えていた癒術士を含めたら四人。剣士ひとりが太刀打ちできる人数じゃない」
「太刀打ちできるかできないかは俺っちが決め……」
気張っていたアネクだが言葉が途切れ、僕は一種の推測をする。
「もしかして毒を盛られていたんじゃない?」
「ジネーゼの武器に刺されたのだとしたら、可能性はありうる」
「毒消しなら持ってきているけど、これで大丈夫?」
「試してみる価値はあるけど……ジネーゼはこの島に売っている毒消しじゃ消せない毒を自分で作り出してるからな」
「だったら癒術しかないけど……混戦状態になってるなかで癒術士を見つけることができるかどうか……」
「それでも俺は行く。アネクを助けたいからな」
「それは構わないけどできればキミはここにいて欲しい」
「どういうことだ?」
「アネクをここに置いていくわけにも行かないし、リアンも守らなきゃならない。それは僕よりキミのほうが向いている」
「それは分かるが……」
「だったらキミは僕を少しは信用してここを守って」
「……分かった」
納得したアルが帯刀していた刀剣〔優雅なるレベリアス〕を引き抜き警戒の構えに入る。
それを見た僕は三人を残してゴブリンの群れへと突っ込んでいく。
僕は【転移球】を自分に当て続けることで断続的に転移し、ゴブリンを回避しながら群れから少し離れた部屋の隅へと移動。あたりを見回す。
常に護衛に守られているような癒術士はダメだ。仲間がいる癒術士を連れて行ったらその仲間に恨まれるだろう。失礼な言い方だが、孤立している癒術士を見つけるしかない。
それにしても去年と比べて戦い方が下手だ。全員が力を合わせてとは言わないけど、ある程度の協力をしなければこの場は切り抜けられない。誰もが手柄を奪い合うようにいがみ合い、ゴブリンを無視して争っているやつらもいる。これじゃあ魔法士がうまく詠唱できないし、癒術士の精神磨耗も半端ないだろう。何よりゴブリンの数が減ったようには思えない。
僕は周囲を観察しながら、孤軍奮闘する癒術士を見つける。癒術士は癒術のほかに棒術にも長けている。それは魔法士のように魔法で攻撃することができないからだ。棒術に長けていなければおそらくこの島は試練を突破できない癒術士で溢れているだろう。そうなってないのはひとえに癒術士には棒術があるからだった。
僕が見つけた癒術士は部屋の隅で巧みな棒捌きを披露し、ゴブリンを倒していた。棒を振るうたび、まるで深い海のような青い長髪が揺れる。顔も細長い輪郭で鼻筋が通っていて妙に大人っぽかった。下手をすれば僕が年下に見える。
彼女は部屋の隅を背に戦っていた。こうすることによって左右、背後から襲われる心配をなくし正面のみに集中することができる。適切な戦術判断。だけど多勢に無勢。他の冒険者からの支援なしで、どこまで持つか分からない。
僕は襲ってきたゴブリンに向けて【煙球】を放ち、発生した煙に乗じて癒術士へと近づく。
癒術士が繰り出した【打蛇弾】の三連撃は彼女の集中が途切れたのか、ゴブリンに回避され、接近を許す。癒術士へとゴブリンが飛びつこうとした瞬間、僕が煙幕のなかから【速球】を繰り出す。煙を裂くような【速球】はゴブリンの頭蓋へと見事命中。ゴブリンの頭蓋を衝撃を与えるどころか破砕し、赤い血が飛び散った。癒術士の着ていた白樺の白衣が鮮血に染まる。
「服を汚してごめん」
「謝るな。私を助けようとしてくれたことぐらい理解はできる。だが助けは不要だった」
「キミを助けたくて助けたわけじゃない、助けてほしくて助けたんだ」
「どういうことだ?」
「仲間……? のなかに毒に犯されたやつがいてね、助けて欲しいんだ」
「この試練には毒を持つ魔物はいないと聞いたが?」
「魔物は持ってなくても他の冒険者は持っているだろ?」
「……だいたい事情は察した。詳細は行きながら話してくれ」
僕は事情を話しながら【転移球】を幾度となく放り、小部屋へと辿り着く。
「やっと来たな……」
「アネクが大変なんです!」
見ればアネクの顔色がより紫へと変化していた。
「危険な状態だ」
僕が連れてきた癒術士が言う。
「あんたは?」
「ヴィヴィ。まあ名前なんてどうでもいい。毒消しは飲ませたか?」
「効かないって分かってたけど、こんな顔色になってたから……」
「飲ませたのか?」
コクンと頷くリアン。
「いい判断だ。オリジナルの毒と言っても所詮はこの島にいる魔物の毒の改造だろう。大部分は中和されるはずだ。だが、完全に中和されたわけじゃない。変質を起こしている部分もあるだろう。それにしても毒消しを飲ませてこんな状態なら……どのぐらいの毒が変質しているか分からない」
「治せるのか?」
「死者蘇生すらできる癒術に不可能はないよ」
ヴィヴィは手に持つ鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕をアネクに振りかざし、目を瞑る。
そして聞こえてきたのは祝詞。
癒術も詠唱を必要とする。しかし魔法の詠唱と違い、発動の際に用いる詠唱には個性がなく、すべて決まっている。十のセフィラと二十二のパス、セフィロトと呼ばれる術式を用いてセフィロトの樹に交信し、詠唱を行なう。始まりのセフィラと経由するパスによって完成する癒術が違うのが特徴だった。つまり独自の祝詞を用いて詠唱するのが魔法だとすれば、固定された祝詞を用いて詠唱するのが癒術。固定されていた祝詞なので媒介もエーテルも必要としない。その代わり高位階級になればなるほど魔法よりも時間がかかる。
「王冠からアレフを通り知恵へ。知恵からダレットを通り理解へ。理解からベートを通り王冠へと戻り発現! 対象者に寄生する毒よ、光へと吸引【吸毒】!」
鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕から淡い光が発現。アネクの傷口から、毒が吸引されていく。
「傷は浅いから応急処置でも大丈夫だろう」
「傷の治療はしたりしないんだね」
僕は気づいたように尋ねる。
「毒の治療をしてほしいとだけ頼まれたからな。それじゃあ私は行くから」
「礼ぐらい言わせろ、ヴィヴィネット・クラリスカット・アズナリ・ゴーウェン・ヴィスカットさんよ」
「……私の長ったらしい名前をよく覚えているな」
「一応、この試練に参加している冒険者の名前は全員暗記している」
「無駄な知識だな」
「うるせぇよ」
アネクが怒鳴ると傷が痛むのか顔をゆがめた。
「大丈夫?」
リアンが心配そうにシィルの葉塗薬を取り出す。シィルの樹の葉を塗りつぶして作られたごく一般的な塗薬だ。
「大丈夫だ。誰かさんがついでに傷を塞いでくれていりゃもっと大丈夫だろうがな」
「皮肉のつもりか。まあそのぐらい喋れれば私の治療も必要ないだろう」
アネクが痛みをこらえて「だろうな」と笑う。
「じゃあ私は行く」
「ひとりで行くのか?」
アルが尋ねる。
「ああ。ひとりで戦えるように癒術士になった」
「なんか納得」
僕が思わず呟くと「どういう意味だ?」とヴィヴィが睨みつける。
「それより、俺たちと組む気はないか?」
アルが僕の言葉をごまかすように言う。
「ない」
すぐさま断言するヴィヴィ。
「言っただろう、私はひとりで戦うと」
「そうか。ならいい」
アルは返事を聞くとそれ以降勧誘をやめる。
「それなら私は行く」
「ああ。止めはしない」
アルの言葉を皮切りにヴィヴィは小部屋を去っていく。
「アル。あいつを仲間に誘うだなんてどういうことだよ?」
「俺たちは回復できないからちょうどいいと思ってな」
「リゾネと戦ったときには後ろにいたが……リーネがあっちにはいるからか」
「ああ。もうそろそろ、リアンのエーテルを取り返しに行くべきだろう」
「おかしなことにゴブリンの数は減ってないけどね」
「あんたは知らないかもしれないが、この試練には賞金が絡んでる」
「どういうこと?」
「今年からだが、この試練を一位通過した冒険者には協会から一万イェンもらえるんだ」
「協会っていうと初心者協会?」
「そうだ。目的は、より良き冒険者の獲得のためらしい」
初心者協会は、ランク0の冒険者が必ず所属しなければならない、初心者のための協会だ。物資の調達から心のケアまでなんでもしてくれる。
ちなみに僕も所属しているが、落第者になってからは扱いも粗末で、月イチで発行される会報も届いたためしがない。そのくせ、会費の督促だけは欠かさないのが小憎たらしい。
「だから冒険者同士で潰しあったりして全然協力しないのか」
納得するように僕は言う。
「あんたは、お金はいらないのか?」
「あったに越したことはないけど、別にお金が目的じゃない」
僕の目的は何にせよ、試練を突破することだ。
「俺たちに協力してくれないか?」
アルが僕に正式に協力を申し出る。
「断る理由はないよ」
「そうと決まったらとっととリアンのエーテル取り返しに行くぞ」
「分かっている」
小部屋を出ようとするアネクを追ってアルが続く。アルとアネクにリアンが続き、リアンの後方を守るように僕が続く。
僕たち四人は最初にいた部屋へと戻ってきた。ゴブリンと冒険者が、冒険者と冒険者が思うがままに争っている。
迫るゴブリンをアネクが屠殺剣〔信義たるレベリオス〕の一振りで切断。僕は【毒霧球】を天井へと放り、ペインビーを落とす。進行方向のペインビーだけをアルが一突きで屠る。ゴブリンの群れをかいくぐるように疾走すると、僕たちを見つけた冒険者が襲いかかってくる。負傷させることで賞金を獲得しやすくしたいのだろう。
「ここは僕が」
僕は【蜘蛛巣球】を【造型】しそいつめがけて投げつける。そいつは回避行動は無意味と判断したのか、【蜘蛛巣球】を斬ろうとする。しかしわずかに遅い。斬られる前に球体から射出された粘膜状の網、蜘蛛の巣に似た巨大なそれは対象となったそいつの身体へとへばりつき身動きを取れなくする。意外と粘着力が弱いので数分で取れるだろうが今はこれで十分だ。
「悪く思うなよ、ベベジー」
アネクがその男を一瞥して疾走。アルは何も言わず、リアンはペコッと頭を下げ続く。ベベジーは終始、僕を睨みつけていたが僕は無視し三人のあとに続く。
「居たぞ!」
アネクがアルとリアン、そして僕に教えるように叫ぶ。指し示す方向には四人の集団。おそらくあれがリゾネとその仲間なのだろう。
「真ん中が魔法士リゾネ、リゾネット・リリー・リゾネシア。前衛が剣士ハンソン・ベネディクド、左のが盗士ジネーゼ・ジ・ジジワルゾで後衛が癒術士リーネ・アクア・ク・アクだ」
アルが僕に教えてくれる。癒術士リーネはパーマがかった髪をしている、なんだか穏やかそうな顔つきの女の子だった。
向こうが四人に対して、こちらの戦力は三人。剣士ふたりに投球士たる僕だけだ。リアンはエーテルを手に入れるまで全く役に立てない。
「俺っちがリゾネをやる」
僕が制止する暇もなくアネクはリゾネへと向かっていた。
せっかちすぎる。絶対早死にするタイプだ。
***
アネクがリゾネに切りかかろうとすると、それに気づいたハンソンがまたもや大剣〔姑息なドジレド〕で受け止める。
「懲りずにまた来たのか?」
「ああ、仲間を連れてな。今度こそ返してもらうぞ!」
ハンソンはその言葉で後方を見やり、
「エーテルを取られた魔法士に、乱戦が苦手な剣士、それに落第者が仲間とは豪華なパーティだな」
鼻で笑う。
「下がれ、アネク!」
アルが吠える。僕は反発を受けるだろうがすでにアネクに【転移球】を投げていた。
僕たちの近くへと移動したアネクが案の定、文句を垂れる。
「何をしやがるっ!」
「キミじゃリゾネは不向きだ」
アルも無言で頷く。
「お前は一度落ち着いてからハンソンをやれ。リゾネはレシュリー……さんに任せるしかない。魔法士相手に剣士は無理だ」
「お前は?」
「リアンを守りながらなんとかジネーゼとリーネを相手してみる。もちろん無理はしない。優先はリアンを守ることだ」
各々が役目を確認し、行動を開始する。
僕がリゾネを担当することにやや不服がありそうなアネクだが、強大な魔法に対しては剣士はほぼ無力。守る術がほとんどない。だから魔法士相手には援護技能が豊富な投球士のほうが剣士よりは向いていた。
現状ではこの役目を負えるのは僕のみ。
アネクは納得したくなくても、理解しているから納得せざるを得ないのだ。もちろん相手も僕ぐらいしか相手にならないと理解している、と同時に落第者だからそれも不可能だと油断している。
僕が唯一勝てるとすればその慢心を突くことのみだろう。
圧倒的なレベル差があんたの強みになるとアリーは言っていたけれど、負けっぱなしの僕にはその感覚がイマイチわからない。
ハンソンが疾走し、僕へと大剣〔姑息なドジレド〕を振るう。それをアネクが屠殺剣〔信義たるレベリオス〕で防ぐ。ジネーゼが【力盗】を発動しようとするがアルが刀剣〔優雅なるレベリアス〕で牽制し、それをさせない。よって今度はアネクがハンソンへと競り勝つ。
「盟約と誓約においてあたしは顕現を施行する」
リゾネが藍石の老灰樹杖〔食いちぎるガナーシャク〕を構え、祝詞を紡ぐ。今のは「魔法を使います」という体内へ宿る魔力への合図。これを始動の鍵として、魔法を唱える。
「熱し乾けば炎が生まれ……」
さらに祝詞を紡ぐリゾネ。ここから先が、どんな魔法を唱えるかという詠唱にあたる。基本的に熱と乾という単語、もしくは類似語が含まれていれば炎。熱と湿で風。冷と乾で土。冷と湿で水の属性を持つ魔法が生成できる。
しかしリゾネは腹部に重い一撃を受け、詠唱を中断。吹き飛び倒れる。その光景に味方敵問わず唖然。何が起きたのか誰も理解できていなかった。僕以外は。
何をしたかは至極単純。ただ鉄球を【造型】し、左手で【速球】を繰り出しただけだ。ヴィヴィを助けた時のように本気で投げず、ある程度手加減はしていたのは言うまでもない。殺す気はなかった。
「レシュリーさんがやったのか?」
「さてね。あとよそ見は駄目だよ」
問いかけるアルの隙をついてジネーゼがリアンへと迫る。僕はリアンへと既に【転移球】を放っていた。転移先はリゾネの近く。今のうちにエーテルを奪えということにリアンも気づいた。気づくまでに少し時間がかかったけど。
気絶しているリゾネの身体を恐る恐る探り、リアンはついにエーテルを見つける。嬉しそうに僕たちのもとへと駆け寄るリアンだったが、後ろからリーネが迫ってきていた。僕も同時に【転移球】を放っているが、それに気づいているリーネは攻撃するのをやめ、リアンの肩へと触れる。
リアンとともに僕の近くへと転移してきたリーネはリアンを無視し、僕へと標的を変える。どうやらもっとも僕が厄介だと判断したらしい。同時に横からジネーゼの短剣〔見えざる敵パッシーモ〕が襲いかかってくることに気づいた。ジネーゼが気配を絶っていたため気づくのが遅れた。がそれを読んでいたアルが体当たりでジネーゼの態勢を崩す。好判断に救われた。
ハンソンはアネクに阻まれ、進むことできない。リゾネはまだ倒れたままだ。残るはリーネだけ。
「精霊さん、精霊さん、私の声が聞こえますか」
リアンの可愛らしい祝詞が聞こえる。
「西方に熱。東方に潤」
さらに祝詞は続き、魔法が生成される。リアンが掲げる精霊樹の杖の先、エーテルたる白銀石が輝く。
「生まれし風よ、吹き飛ばせ! 【微風】!」
詠唱が終わり魔法が精霊樹でできた杖、プリママテリアと結びつき顕現。白銀石の樹杖〔高らかに掲げしアイトムハーレ〕からリーネに向けて攻撃魔法階級1【微風】が襲いかかる。階級1とは言え、対象者を怯ませる程度の威力はある。
その風がリーネを襲う。【微風】でリーネは態勢を崩し、僕は【転移球】によって後退。
「目的のものは取り返した。戦う意味はもうない」
アネクも素直に頷き、ハンソンの大剣を押し返して後退。追いかけるハンソンには僕が【煙球】を放り対処する。アルがリアンを背負い、疾走。ハンソンはさらに追おうとするが、気絶したリゾネを守られねばならないため、追撃をやめる。僕たちが戦う間、偶然にもゴブリンやペインビーが襲ってこなかったが、まだここにはたくさんの魔物がいるのだ。僕たちも簡単に逃げることは許されていなかった。
行く手を遮るのはゴブリンの群れ。もういい加減、この大部屋から抜け出して先に進むべきだろう。おそらく誰ひとりとしてこの部屋から先に進めてない。進めなければ始まらない。誰かが先を作るべきだ。
「リアン。魔法でゴブリンを吹き飛ばして。できればあの通路付近」
「あそこが開けば我先にと誰かが先に進むぜ?」
アネクの言い分はとっくに理解している。
「一番になるのが目的じゃないでしょ。それに誰かがしないと僕たちも進めない。近づけるところまで近づいて魔法発動とともに通路に入るのがベストだと思う」
「じゃあまずは近づいてくるこいつらを倒さないとな」
襲いかかるゴブリンをアルが【裂波】でアネクが【円放】で蹴散らす。技能の使いどころを間違えないふたりは頼りになる。
先へと続く通路へと歩を進めるさなか、僕は見知った顔を見つける。
「ヴィヴィが苦戦してるからちょっと助けてくる」
僕はそう言い残し、ひとり隊列から外れる。
***
「どうする?」
アネクがアルに尋ねる。アルは先へ続く通路を指し、
「あれだけの量のゴブリンをリアンが蹴散らすには長い詠唱が必要だ。その間に戻ってこなければ俺たちだけで先へ進む」
「いいのか?」
「いいも何も、レシュリーさんはだからこそひとりでヴィヴィを助けにいったのだと俺は判断するが……」
アルの言い分にアネクは納得し、そのまま先行してゴブリンを蹴散らす。
アルもリアンの周囲を警戒しながらその後に続く。
***
僕は再び苦戦するヴィヴィのもとへと近寄ろうとしていた。それにしてもゴブリンが溢れすぎだ。
僕は【破裂球】を【造型】し、ゴブリンの群れへと投げる。群れの一匹に【破裂球】は接触が合図となって破裂。周囲に存在するゴブリンへと破裂した破片が突き刺さる。痛みで僕の存在に気づいたゴブリンが近寄ってくる。
僕は【毒霧球】と鉄球を【造型】。先に【毒霧球】を放り、近寄るゴブリンたちの四肢を弛緩させ、身動きを封じる。その僅かの隙を使って、ゴブリンたちが直列になる位置へと移動する。
もちろん、完全なる直列は不可能。ゴブリンの部位のどこかが重なっていればいい。僕は警戒しつつも移動。
その位置を見つけた僕は【速球】を繰り出す。鉄球が風に乗り、最初のゴブリンの右腕を破砕。勢いを落とすことなく次のゴブリンの頭を破砕、次のゴブリンの右肩、その次のゴブリンの腹部を破砕。一列になっていたゴブリンのどこかを破砕し、それでも速度を落とさない鉄球は壁にのめり込む。
ゴブリンの群れに若干隙間が空く。僕が破砕したゴブリンたちが喚くも無視。僕はその隙間へと駆け込む。
「大丈夫か、ヴィヴィ」
「何しに来た。邪魔をするな」
「助けに来たに決まってる」
「不要だ。前にもそう言ったはずだ」
ヴィヴィはそう言い放つと、鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕を巧みに使い、切り裂く【蛾駕牙】を繰り出す。迫っていたゴブリン三匹をその一打で同時に屠り、援護は不要だとでも言いたげだ。
「ひとりじゃこの試練はクリアできない」
「やってみなければ分からない」
駄々をこねる子どものようにヴィヴィは言い、迫るゴブリンに二連撃からの強打【怒狐鈍】を放つ。腹に直撃したゴブリンは吹き飛ばされるどころかその衝撃で破裂。
「僕は二万二千三百五十回試練に落ちている」
僕に襲い掛かってきたゴブリンは【転移球】で少し離れた場所へと転移させる。
「何を突然……?!」
「うち二万二千三百四十八回はひとりでやった試練。その試練はボスまで辿り着けてない」
「残りの二回は?」
「もちろん辿り着けた。ちなみにその二回は去年と一昨年の今日だ」
「何が言いたい?」
問いかけながらもヴィヴィは【蛾駕牙】を繰り出し、ゴブリンを一掃。
「つまり、僕は他の冒険者が参加する、今日このときだけようやくボスまで辿り着けた。それはみんなと協力したからだ」
「私はキミとは違う」
否定するヴィヴィは尻目に僕はゴブリンへとまたもや【転移球】を投球。
「だろうね。でもそうやって意地張ってしくじったら、キミは明日から落第者だ」
脅すように僕は言ってやる。
「私だって落第者にはなりたくない。だが私は協調性とやらに欠けるらしくてな。誰も仲間にはなりたがらない。だからひとりでやるしかない」
「それでキミは意固地になって一人でクリアしようと思ってたのか。アリー曰く、勇者の一人旅は一度クリアした人の楽しみ方らしいよ」
「どういうことだ?」
「さあね。僕もよく分からない。アリーも師匠に聞いたらしいし。でもキミの理由のくだらなさはよく分かる。僕は仲間に協調性を求めてない」
「協調性の意味が分かって言っているのか?」
呆れるようにヴィヴィが息を吐く。
「僕は、僕に合わせろなんて言わない。むしろ他人に僕が合わせるからね。好き勝手やってもらったほうが戦いやすい」
「なるほどな。好き勝手やる私のほうがやりやすい、と」
肯定するヴィヴィだったが次に出たのは拒絶の言葉。
「キミはともかくあとの三人はどうだ?」
「さっきヴィヴィを誘ったってことは受け入れる態勢だと思うけど?」
「どうだかな? 私を誘っても私の好き勝手さに呆れてパーティ解消なんてことは何度もあった」
ヴィヴィの【怒狐鈍】が空振り、ゴブリンがヴィヴィの身体にへばりつき体勢を崩す。
「試練の間だけ組んでみるってのもありかもしれないよ。例えば……」
僕はヴィヴィに張りついたゴブリンを蹴飛ばす。
「ひとりじゃ剥ぎ取るのに苦労するゴブリンでさえ、ほらこの通り。簡単だよ」
「返す言葉もないな……。分かった。今回だけ組むことにしよう。でも私は好き勝手やるぞ」
「それは覚悟してるって」
ヴィヴィが【打蛇弾】を放ち、僕が【煙球】を放つ。【煙球】から発生する煙幕に乗じて僕たちは、アルたちのもとへと急いだ。
***
「精霊さん、精霊さん、私の声が聞こえますか」
白銀石の樹杖〔高らかに掲げしアイトムハーレ〕を掲げたリアンの祝詞が聞こえる。傍らではアルが刀剣〔優雅なるレベリアス〕を構え、リアンを守るように警戒している。
一方、アネクは果敢にもゴブリンの群れへと飛び込み、一定の範囲から逃さぬように剣を振るっていた。
「西方に熱、東方に潤。北方に熱、南方に潤」
ゆっくりと、しかしはっきりとリアンは祝詞を紡ぐ。
アネクの凶刃から逃れたゴブリンがリアンへと疾駆。
「北西方に熱、南東方に潤。北東方に熱、南西方に潤」
当然の如く警戒していたアルがゴブリンを切り裂き、リアンは何も動じず祝詞を紡ぐ。
さらにアルがゴブリンを一閃。ゴブリンが血飛沫を上げ、きれいにふたつに切断される。しかしアルは静かな羽音が背後に響いていることに気づかなかった。
そして何かが爆ぜる音。
「油断は禁物だ」
その声に振り返ってみるとそこにはペインビーだとかろうじて分かる亡骸と、悠然とそこに立つヴィヴィの姿。
「助かった」
アルは自分がペインビーに気づけなかった悔しさを隠しながらヴィヴィにお礼を述べる。しかしアルとヴィヴィは自分達を狙う別の存在に気づいていなかった。
当然祝詞を紡ぐのに集中しているリアンや群れのなかで戦っているアネクが気づけるはずもない。
***
アルとヴィヴィの頭上――洞窟の天井に穴が開いているのを僕は見逃してなどいなかった。僕はそいつが穴から飛び出してきた瞬間を狙い、【速球】を放つ。ヴィヴィの柔肌に噛みつこうとしたそいつは伸びる身体を僕の【速球】によって切断され、血を撒き散らしながら落下していく。
アルとヴィヴィも頭上から垂れてきた緑色の血でそいつの存在に気づいた。
その正体は天井に開いた穴を住処とする獰猛な蛇の魔物アナコブラ。穴から飛び出たそいつは凶悪な顔をしており、不意打ちで他の敵を畏怖させ、時には驚愕させ、油断させたあと、強靱な牙を以って獲物を食い千切る。胴体は、危険指定動物の蛇と違って、太さも長さも段違い。直径が拳2つぐらいあるのが普通で、大きいものになれば拳4つか6つあると聞いたことがある。
「油断は禁物だね」
上部の警戒をペインビーだけでいいと思っていたふたりを諭すように僕は言う。
「ああ、本当に油断していた」
「さすが経験者だ」
僕たちの会話が聞こえないか、いや詠唱中は何も聞こえないほど集中しているからだろうけど、リアンは僕たちに気づかずに無防備で祝詞を紡いでいる。
「獰猛にして勇猛なる大いなる風よ。その身、竜になりて全てを切り刻め! 【竜風】!」
詠唱が終わり、攻撃魔法階級4【竜風】が白銀石の樹杖〔高らかに掲げしアイトムハーレ〕から顕現。
「下がれ、アネク!」
アルの声が聞こえたのを皮切りにアネクはゴブリンから距離を取る。
直後、竜のように轟々しく、かつ圧倒的な破壊力を持った渦状の風、竜巻がゴブリンの群れと衝突。あるゴブリンは切り刻まれ、あるゴブリンは巻き込まれ、そして落下。ペインビーは圧倒的風力で羽が千切れていく。アナコブラはその威力に畏怖し、穴から出てこようともしない。
竜たる風が去り、目に入るのはゴブリンやペインビーの惨状。そして隙をうかがっていた冒険者が通路へと入る姿。
「僕たちも急ごう」
我先にと奥へと続く通路へと群がる冒険者の後を追うように僕たちも奥へと続く通路へと侵入する。先行するのはふたりの剣士。三人ぐらいしか通れないような通路を抜け、部屋へとふたりの剣士が出たのを視認した直後、横薙ぎの一撃がそのふたりの身体を強襲した。