愛情
5.
それはちょっとした罰ゲームだった。
ゴブリンを一時間で何匹倒せるか、それを競い合い、最下位の奴が、好きでもない女の子に告白するという罰ゲーム。
最下位はキムナルだった。当時、お調子者だったキムナルはたまにふざけて告白もしていたのでその程度の罰ゲームなんて苦でもなかった。
だから当時、根暗で雀斑があって、前髪で目元を隠しているような、思春期の男子には気持ち悪くく見えてしまうヴィクアに愛の告白をした。平然と。何の気もなしに。何の感情も抱かずに。
周りでは友人が笑っていたし、きっとヴィクアもおふざけだと気づいただろうとキムナルは思っていたが、実はヴィクアはそれを真に受けていた。
告白をされたことがきっかけとなりヴィクアはキムナルが好きになった。
大陸に渡ってもヴィクアはキムナルの近くにいた。
あいつはまさか告白を真に受けているか~、キムナルは呆れつつも、しかし嫌ではなかった。
ヴィクアは島にいたときはぱっとしない癒術士だったが、大陸に渡って以降、力をつけてきていたから使えると思ったのだ。しかも成長とともに雀斑はなくなり、一度ふとしたことでヴィクアの前髪に隠された目元が見えたとき、かなりの美人だったことに気づいた。
だからヴィクアをパートナーにして冒険してみたが、それは長くは続かなかった。
キムナルは恐怖を覚えてしまったのだ。ただ告白しただけで面識のない自分をこれほどまでに信頼している。それがただただ怖かった。
試しに軽い気持ちで前髪を切れと言ってみたところ、不平不満も言わず素直に従った。キムナルにはそれすらも恐怖を覚えてしまった。
キムナルはそれまで信頼は度重なる親交によって育まれるものだと思っていたのだ。だからこそ、ただの、おふざけで言った愛の告白だけで、ここまで信頼されるのはむしろ怖かった。
恐怖がキムナルを蝕み、やがて腐った心は、キムナルを監禁王子と呼ばせるほどまで道を外れさせる。女冒険者を誘拐し、ヴィクアの目の前で監禁する。その光景に絶望して自分の下から去ってくれるはずだ、そう思っていた。でもそうならなかった。だからキムナルは監禁をやめれなかった。しかしいつまでもヴィクアは自分のもとを離れない。
もう嫌だ。
精神的に限界が来たとき、それならと思いついたのがヴィクアや今まで監禁していた冒険者達に首輪をつけ家畜のように連れまわすことだった。そんな屈辱的な行為を受ければヴィクアも自分の下から去ってくれるはずだ。
しかし二度目の思惑も外れた。いつまでもヴィクアは去ってくれない。
観念したキムナルはヴィクアに告白する。
「あれは罰ゲームだったんだ」
「それでも愛しています」
だからキムナルはもう逃げ出せなくなった。
世間では束縛王子――束縛している王子だと言われていたが、なんてことはない、キムナルは束縛されている王子だった。
しかし直接言葉にし、懺悔したことですっきりしたのか、キムナルはヴィクアのことがそれほど嫌いではなくなっていた。それはキムナルにとって劇的な変化でもあった。
でもそれを言葉にして伝えることはなかった。素直にはならなかった。
だからかもしれない、今のこの状況をキムナルは天罰なのだろう、と思った。突き刺さる刃、稲妻に焦がされる皮膚を見て。
ヴィクアの妹、ヴィヴィが救出に来るなんて状況を作ったのは今の自分だった。すぐに心が折れ、姉を置いて逃げるだろうというキムナルの判断は間違っていた。
血は争えない。ヴィヴィもまたヴィクアと同じく頑固だった。
しかもそれを追ってディオレスたちが来たのだ。
これを天罰と言わずになんと呼ぶ。過去の過ちが復讐者も連れてきた。
「……ある意味、ちょうど……良いよな~」
キムナルは自嘲気味に笑った。
どこかで限界を感じていたのかもしれない。ちょうど良い幕引きだった。
だがまだやらないといけないことがあった。
キムナルは最期に自分で、いつの間にか芽生えていたこの気持ちをきちんと伝えなければと思った。
「愛している、よ~」
たった一言、間延びした声でヴィクアに囁いた。
「私もです。ずっと愛しています」
ヴィクアはキムナルを見て微笑んだ。
そっとヴィクアの肩に手を回そうと思ったが、動かせないことに気づいてキムナルは苦笑した。自分にはお似合いの最期だとそんなことを思った。
途端、容赦ない稲妻がふたりを完全に焦がした。
***
アリーが静かにレヴェンティをふたりから引き抜く。
どことなくアリーにも翳りが見えた。
「……どういうことなんですか?」
最初から最後まで戦うことをしなかったディオレスに僕は尋ねていた。
「ひとつ、教えてやる」
ディオレスが哀しい表情でこう言った。
「人操士は人の心まで操れねぇよ」
その言葉に僕は愕然とした。アリーも目を見開き驚いている。コジロウは動揺していた。
でもそんなことよりもいいやヴィヴィにその言葉は届いたのだろうか。心配だった。
聞こえていたとしたら僕はなんて言えばいい?
ディオレスが放った言葉が意味していたのはヴィクアはキムナルに操られていなかったという証明だった。きっとふたりを結んでいたのは愛だ。じゃないとキムナルの最期の言葉の意味が分からない。その言葉はひねくれていた男が最期の最期で素直になったということだろう。
キムナルがヴィクアにひどい仕打ちをしていたのは本当だろう。
でもそんな歪んだことさえ、愛と表現するのならば、ふたりは愛し合っていた。
そう考えるとキムナルが危機を迎えるたびヴィクアが必死で守っていたのは、主従の関係だからではなかったのだ。ヴィクアがキムナルを愛していたから。だたそれに尽きる。
僕はヴィクアに使おうとしていた【蘇生球】を消滅させる。ヴィクアはキムナルがいない世界で生きるのを望んではいない。きっと【蘇生球】の蘇生に応じてくれないだろう。
でもだとしたら、僕は――誰を救ったのだろう? 最期に愛を告げたキムナル? キムナルを愛し続けたヴィクア? 姉さんを助けようとしたヴィヴィ? それとも復讐を果たしたアリー? それともハンソンとリゾネの代わりにヴィヴィを救おうとした僕自身?
僕は誰を救ったんだ?
僕の胸中の叫びは虚空へと消え、代わりにわだかまりを残す。
ああ――僕はまた誰も救えてない。
ハッピーエンドなんて訪れないのか。
「ディオレス……僕は誰かを救えたのかな?」
虚空へと消えたはずの疑問が、僕の意志を無視して言葉として放たれた。
「おいおい、お前がそれを言っちゃお終いだ」
哀しげな声でディオレスは言った。
「少なくとも……私は、救われたわ」
復讐を終えたアリーが少し震えた声で、そう言った。
「ありがとう」
僕はただただそう言った。
「いいか、ヒーロー。いい言葉を教えてやる。犠牲の上にも幸せは成り立つんだ。そうじゃなきゃやってられねぇーよ。俺たち冒険者は同じ生業のやつらを犠牲にして頂点を目指している。もし犠牲の上に幸せが成り立たないんだったら俺たちが目指す頂点とやらには不幸しかないことになる。けど違うだろ。全てを手に入れる、幸せが待っている。だからよ、ヒーロー。犠牲の上に幸せは成り立っていいんだ。お前は誰かを救えている。少なくともアリーが救われた、そう言ったんだからそれでいいだろう」
ディオレスが噛締めるように僕を諭す。まるで自分も誰かを犠牲にしてきたと言わんばかりに。
「それともうひとつ、言っておく」
ディオレスが鋭い声で言った。「……まだ終わっちゃいない」
「どういうことですか?」
「つまりだ。お前はヴィヴィと言ったか……あの女を救いたいんだろ? そして結局ヴィクアが死んだことで救えなかったとそう思っているんだろ?」
僕は戸惑いながらも無言で頷く。
「それは大間違いだ。まだお前はヴィヴィを救えるんだ」
ディオレスははるか遠くを指した。僕はその先に辛うじて人影を見つけた。
「あれは……誰ですか?」
「犯罪者を許さない正義気取りの正義超人さ」
ディオレスは僕たちよりも少し前に出ると、鮫肌剣〔子守唄はギザギザバード〕を構えた。
「救いたいんだろう、ヒーロー。俺が手伝ってやる。次こそ救うぞ!」
その言葉に僕は奮起し、痛いはずの右手で鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕を握り締めた。




