炎首
51
マツリとキセルがふたりがかりで引っ込めたイチジツは合図とともに再び炎の首に向かっていく。追いかけるようにマツリとキセルも続く。
遊撃部隊のトリプルスリーがその首へと向かったのは偶然か、それとも幸運か。
ムジカは分かっていた。これは〈幸運〉だと。
自らの才覚がこの状況を作り出していた。利用しない手はない。
ムジカとメレイナ、セリージュだけではどうしても力不足だとムジカは分かっていた。
レシュリーが意を汲んでくれたとしても、心配していることはどうしても感じ取ってしまう。
MVP48のナンバー1、斎藤一をあてがってくれたのもおそらくそういうことだろう。他の闘球専士がMVP48の下位だとしても。
先頭を走るイチジツ、その後ろはマツリにキセル、アインスが続き、その後ろをセリージュが続く。
他の闘球専士五人とメレイナ、ムジカは開始地点から援護するという分担だった。
もちろん、イチジツが気まぐれでほかの首を攻撃する可能性は否めない。もとより、分担を決めたとき、アインスとセリージュだけで倒すつもりだった。
セリージュにかなり負担がかかる分担だったが、イチジツの乱入で楽になっており、幸運にも倒しやすい状況は作られている。
先頭を行くイチジツはすでに攻撃体勢。炎の首が炎の息吹をイチジツめがけて噴射。お互いの攻撃がぶつかる瞬間、
「迫り来る炎を制し、壁よ、炎を遮り滅せよ、【無炎壁】」
ムジカが唯一使える階級7の魔法、援護階級7【無炎壁】が絶妙のタイミングで展開。
炎の息吹がイチジツの前に展開された【無炎壁】によって無効化。消滅。炎の息吹の途切れとともにイチジツが突撃。
【冠位因縁流・大義愛】。炎の首を一撃で切断した剣技が首の中腹に炸裂。
だが、八本の首を出現させ硬質化した炎の首を切断させるには至らない。
それでも攻撃の的中した場所には凍傷が広がっていた。
炎の首の頭が後ろに大きく後退。イチジツは炎の首を避けるべく、凍傷の箇所を蹴って離脱を図る。
けれど次に吐かれた息吹は炎ではなかった。
毒。毒霧のような息吹。それはイチジツに向かうというよりはイチジツを囲うように吐かれた。
線のように吹かれる炎を避ける準備をしていたイチジツにとってそれは大誤算だった。
事前の説明を受けていたセリージュやマツリ、アインスはそれが毒だと分かっており避難。キセルは超人的な直感でマツリたちに行動を合わせた。
唯一何も知らず、炎の息吹だと思いこんでいたイチジツだけが逃げ遅れてしまったのだ。
「超危機」
焦りとともにイチジツがぼやく。回避できそうもなかった。
死ぬ、仲間が死んでしまう。
遠くムジカはイチジツに迫る毒の息吹を見て、身が竦んでいた。
どうしようどうしようなんとかしなきゃなんとかしなきゃ、一種の恐慌状態に陥り、ムジカは動けない。
イチジツの体が溶けていく。あの時のように、かつての仲間が死んだときのように。
トラウマがあの時の光景をフラッシュバックさせていく。
イチジツが苦しんでいる。苦しんで死んでいく。
イチジツの体が溶けて……
大丈夫、なぜだか誰かにそういわれた気がした。
イチジツの体は溶けていなかった。それはムジカのトラウマが生み出した虚構だった。
恐慌状態が嘘のように解けていた。
イチジツも生きていた。どういうことかさっぱりだった。
「大丈夫だよ、ムーちゃん、落ち着いて」
「メリー……」
メレイナの声にムジカは落ち着きを取り戻していくのが分かった。
「何があったの?」
「レシュリーさんだよ。レシュリーさんが……イチジツさんを救ったの。それにジネーゼさんが作ったお薬も。すごいね、みんなすごい」
メレイナが興奮を隠さずに言った。
聞けば、イチジツの体を毒の息吹が包み込んだ瞬間、レシュリーが放りなげた【滅毒球】がそれを消滅させたのだという。
それでも皮膚から体内に毒は侵入していた。
イチジツをマツリが救出し、素早くジネーゼが作り出した解毒剤を飲み込ませ、イチジツは助かっていた。
毒の息吹が吐き出されるとき、一度首は頭を後ろに引いて息を整えることはアルが事前の戦いで見抜いていた。
それを情報共有していたのでジネーゼは各班に解毒剤を渡し、その動作を確認した瞬間、レシュリーが【滅毒球】を投げていたのだ。
「すごい……」
ムジカは震えた。
ちなみにムジカは気づいていないが、ムジカが引き起こしたトラウマによる恐慌状態を緩和したのはケッセルが詠唱した癒術【声援】だった。
幸運にもムジカのいる場所まで【声援】の効果範囲はあった。
だからムジカだけでなく、モモッカやパレコにまでその効果は実は及んでいたのだ。
幸運にも恵まれたムジカだったが、何よりもメレイナやセリージュが傍にいることが一番の良薬だった。
メレイナに大丈夫かと心配された途端、ムジカはかなり落ち着いたのが分かった。
「ムーちゃんも私も何にも恐れることはないよ。だってレシュリーさんがいる。レシュリーさんがいるから毒なんかでやれることはないよ」
毒に限定したのは、ムジカのトラウマを和らげる意味のほかに炎に関してはムジカが任させているから頑張ってという意味もあるのだろう。
「そうだね。そうだよね」
どことなくあった恐怖はもはやない。【無炎壁】が切れたのを狙って炎の首が再び炎を吐き出す。
幸運にもムジカは気づいたことがあった。
一方でイチジツもマツリの腕の中で目覚める。
「邪魔!」
心地が悪くて払いのけたイチジツに
「みんなに助けてもらっておいてそれはないし」
「全員……?」
「そう、みんな。毒の息吹を消したのはレシュリーさんだし、解毒したのはジネーゼさんだし。ワシはまあ落ちてきたあんさんを助けただけ。でもなんで助けたかは分かるし?」
「何故?」
「本気で言ってるし?」
「……」
イチジツは押し黙る。
「もう独りで突っ走るのは止めるし」
イチジツは復讐がしたい。それはマツリも分かっている。そんな動機のイチジツを、他の人が受け入れてくれるわけがないとイチジツは思っていた。
だから死んでしまったらそれは復讐に走ったイチジツの責任だ。なのにレシュリーたちはイチジツを救った。
「彼らにとってお前は一緒に戦う仲間だし。戦う理由なんて彼らには関係なし。復讐だってしたけりゃすればいいし。でもここには違う理由で戦っているにしろ一緒に戦っている仲間がいるし。この一瞬だけでも一緒に戦うのはダメなのか?」
「……了解。言分、八割賛同。一瞬共闘同意」
言ってイチジツは立ち上がる。
「首を少し下げたら毒の息吹が来るし」
マツリがそう言い、イチジツはやられそうになった時の光景を思い出し、「理解」とだけ応えた。
イチジツにマツリが並走。キセルやアインスと合流。今度はひとり突出することはなかった。
そんなイチジツたちのもとへと炎の息吹が飛んできた。
ムジカが【無炎壁】ではなく、【減熱壁】を展開。階級は5。
炎の息吹を消滅させるのではなく、どちらかといえば削っていく。一定量削り、壁が消滅。細くなった息吹がイチジツたちへと到達。
この程度なら、余裕で回避できる。
どうしてムジカが【無炎壁】を使わなかったのか。
精神磨耗が大きいから、というのもその理由のひとつ。
けれどムジカには幸運にも確信めいた推測ができていた。
【無炎壁】で炎を無効化すると毒を吐いてくるのではないだろうか。
いや正確には属性の息吹を魔法で完全に無力化すると毒を吐いてくるのではないだろうか、と。
【無炎壁】を使った瞬間、炎の首がムジカを睨んだような気がしたのだ。
それは自分の武器が封じ込まれたという苛立ちのような気もした。
そうして毒の息吹で対処しようとしたそんなところだろう。
それを確証づけるかのように完全に無効化するのをやめると、待ってましたと言わんばかりに炎の首は炎の息吹だけを吐き続けている。
【減熱壁】は一定量、炎を削ったら消滅する。【無炎壁】が一定時間存在しているのと比べれば、その負担は実は大きい。
消滅するたびに展開し直さなければならないからだ。
それでもムジカは炎の息吹を【減熱壁】で削り続ける。自分の〈才覚〉、いや、力を信じてくれている仲間を信じて。
なぜ、ムジカが【減熱壁】に切り換えたのか、その本当の意図は分からないまま、それでも何らかの意図を想像して、メレイナやセリージュは戦いの手は止めない。
とはいえ、セリージュとは違い、メレイナのできることは少ない。
今のメレイナの実力では【封獣結晶】でヤマタノオロチを捕まえることはできない。
それどころか封じ込めることもできない。封じ込めることさえできれば動きが止まる。
それは絶大な足止めとなるはずだったが、どうやら無理らしい。
ヤマタノオロチは封獣できない。そうメレイナは結論づけた。
そうなるとできることは限られてくる。
封獣技能のほかに投球技能しか持っていないのだから。
それでもその限られたことをメレイナはするのだ。メレイナひとりでは無理でも、他にも闘球専士が五人いる。
五人の力を合わせてさえすれば、成せぬことさえも成るのだ。
狙いは炎の息吹を吐き出す、口。
そこめがけてメレイナと五人の闘球専士が【蜘蛛巣球】を放つ。
援護球は外れることはない。だがそこは炎の射線。それを守るようにイチジツたちが視線誘導。
炎が通ったあとを【蜘蛛巣球】が通過。
減速してはいくものの口へと粘着。炎を吐こうとする炎の首だったが、口が開かない。【蜘蛛巣球】がしっかりと固定していた。
吐き出す勢いを止めれるはずもなく口腔内で炎が暴発。その勢いで口がありえないほど大きく開き、【蜘蛛巣球】も焼け焦げたこともあり、剥がれる。
「グオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
怒りを露にして天に咆哮するとともに暴発のせいで堪っていた炎の息が天へと散布。無理やり吐き出したような印象だが、実際に制御できないのだろう、このときばかりは冒険者に気配すら配っていなかった。
絶大なる好機にアインスが動く。
鉄錐棒〔鬼斬りユキジ〕による【大撃打】を凍傷した肌へとぶち込む。
くの字に曲がるほどの衝撃を受けてもなお、首は千切れない。凍傷が効いていてもなお、弾力性は衰えていない。
続くのはキセル。示し合わせたかのように、いつの間にか首の裏へと回っていたキセルはくの字へと曲がった首を跳ね返すように
「断蛇弾っと行くぞ!」
【断蛇弾】で打ちつける。今度は逆くの字に曲がり、首がアインスのもとへと近づいていく。
そのアインスと入れ替ってマツリが前進。盗塁士たるマツリはかなりの後方から助走していた。
攻撃をされないという状況がマツリにもたらした効果は絶大。超加速からの盗塁技能【超躍】。
頭近くまでひとっ跳びしたマツリはそのまま急降下。勢いを殺さないまま跳ね返ってきた首へと向かう。
蹴具〔其れなりけりのクシー〕を嵌めた足で跳び蹴りを放つ。
凍傷によって皮膚は黒くなり、放っておいたせいで筋肉や細胞が壊死を始めていた。
またもやくの字に曲がった首をそのまま千切るように、イチジツが放つのは冠位因縁流剣技の初歩の初歩。
【冠位因縁流・小義有】
剣を振ったときの衝撃波を利用して敵を切断する遠距離攻撃用剣技。
それに合わせるようにイチジツよりも前方を走っていたセリージュも剣を振るう。
セリージュが持つ魔充剣ビフォとアフタに宿るのは【風鎌鼬】。
双剣魔士はアリーのように魔充剣に宿った魔法を解放することはできないため、セリージュはどうしても近づく必要があった。
発想はエル三兄弟。彼らが同時詠唱で魔法の威力を高めたように、魔法剣でも重ねができないかとと思い始めたのが始め。
それから二本の魔充剣を同時に当て威力が倍増以上に出ることをセリージュは発見していた。
なら、とセリージュはその発想をさらに発展させる。
その二本の魔充剣に宿ったものと同じ属性の魔法を同時に当てたらどうなるのか。
セリージュはそう考えた。
結論から言えばそれはエル三兄弟が重ねたのと同じ効果を得られていた。
ムジカの攻撃にセリージュが攻撃を合わせる。それだけでセリージュはセリージュが持っている以上の力を発揮できた。
そしてそれは同属性の攻撃にも当てはまっていた。
イチジツの【冠位因縁流・小義有】の属性は風。【風鎌鼬】も風。
セリージュはそのまま風属性に統一して、イチジツの攻撃に合わせる。
攻撃のタイミングは寸分狂いもない。
セリージュの風を纏った魔充剣がイチジツの攻撃に合わさり、増大する。
イチジツがいなければこんな威力は出なかっただろう。
幸運にも恵まれて、セリージュは炎の首を斬り進んでいく。




