復讐
3.
ヴィクアの【打蛇弾】をまともに喰らった僕はさらにヴィヴィまで巻き込んでいた。確実にあばら骨が折れたとその痛みを認識するとともにまたも左手に柔らかい感触。慌てて手を払ったが、何を触ったかのかはすぐに忘れることにする。きっと触れてしまったのはお尻か、胸か、そのどっちなのだろうけど。
思い出してしまい顔を赤らめる。ええい、忘れろ。
「ごめん」
「――気にするな。事故だろう」
触ってしまった謝罪をすると、僕が触ってしまっていたと気がついたヴィヴィが顔を赤らめ、呟いた。
その呟きで余計に僕はその柔らかい感覚を思い出してしまう。だから忘れろって。
邪念を振り払うように、眼前のヴィクアを睨みつける。その程度なの、と嘲り笑っているような表情に少し腹が立つ。
そして片を付けると言わんばかりに、腰にぶらさげていた鞘から剣を抜いた。
「装飾剣じゃなかったのか」
「姉上は癒剣士だ」
口から漏れた呟きの断片を拾ったヴィヴィがと教えてくれる。
ヴィクアは青銅杖〔無慈悲のレヴィーナ〕を【収納】すると空いた右手で片刃剣〔一矢報いるソレステイロ〕を握り締めた。
「……」
喋ることなく僕を睨みつけ、構えを取る。
「……キミのお姉さんの剣の腕ってどれくらいなの?」
威圧された僕は弱々しくヴィヴィに尋ねた。癒術士が原点回帰の島で習うのは棒術で、ともすれば剣を扱うのは副職をつけてからのはず。
尋ねた真意は、剣士系複合職よりも強いかどうかということ。ドールマスターとの戦いで多少は剣士系複合職とも戦ったからその程度であれば対抗できるはず。
「姉上は、剣を使い始めてから[十本指]に選ばれた」
それってつまり――、棒術より剣術のほうが相性が良かったってことで。剣はそこいらの剣士系複合職よりも得意ってことだ。
「剣を使い始めたってことはさっさと僕たちを始末したいってことか」
僕は憤慨したようにけれど警戒を強めて答えを出す。
「あのゲスがそんなにも大切ですか、姉上」
ヴィヴィも怒りに任せ叫ぶ。
今まで手加減されていたのは癪に障るが、手加減されていようとも本気を出されようとも結局結論は変わらない。
僕がヴィヴィを救うにはヴィクアを倒して従っている理由を突き詰める必要があった。
合図もなしに僕とヴィヴィは疾走。ヴィヴィが癒術の祝詞を呟いていた。
僕が先行し、【煙球】を放つ。辺りの視界を封じたところで横へと回り込み、ヴィクアが立っていた場所へと鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕を振るう。
煙幕が切り裂かれ、同時に鷹嘴鎚が空を切る。案の定いない。
視界が封じられたとはいえ、同じ場所に留まるほど相手も素人じゃない。僕の頬を掠る刃。立ち止まらず突っ込んでいたらそのまま斬れていた。
煙幕が完全に晴れると少し前方にヴィクアの姿。ヴィクアは構えを取っていなかった。全ての剣技は構えから始まる。昔、かつての師匠が酔った勢いで講釈を垂れていたことがある。もっとも支障をきたすほど酒に溺れていたときの戯言なので信憑性は薄い。仮にあれが構えだとしたら、どんな流派でどんな技を繰り出すのだろうか。
「ヒーロー、油断するな。姉上の流派はない。言わば剣の遊戯、剣戯とでも言うべきだろう」
僕の疑問を晴らすようにヴィヴィが提言する。
「つまり――型もなく、構えもなく、ただ無作為に振っているだけってことか」
それなのに強い。
立ち尽くす僕たちの傍へといつの間にかやってきたヴィクアは引きずるように持った片刃剣を振り上げた。いや違う。途中までは振り上げたが、ありえない柔軟性を持った手首を動かし突きへと転じていた。その突きは僕の心臓を的確に狙い撃とうとしていた。咄嗟に右手を突き出すと、それが心臓の代わりに犠牲となる。片刃剣が掌から抜けると、真ん中に空洞がぽっかりと空く。途端、痛み。突き刺さった時にわずかだった痛みが瞬時に襲いかかってきた。なんとか堪えるも悲鳴の代わりに大量の血が流れた。
くそっ! 痛くて右手が握れない。後退りしながらヴィクアと距離を取る。さっきからこれの繰り返しだ。もっと攻めなければ。僕の焦りがさらに僕の危機を呼び込む。
僕が距離を取ったのと同時にヴィクアは距離を詰める。僕が危機を感じて後退したのならヴィクアはその反対、勝機を逃さず前進したのだ。ヴィクアが振るった片刃剣の太刀筋は胸元から、まるで戯れのように喉元へと方向を変えた。駄目だ、避けれない。
その矢先、ヴィヴィがヴィクアに突進する。助かったと安堵するとともに痛み。ヴィヴィの体当たりが浅かったのか、ヴィクアの執念がそうさせたのか、僕の首は切断されることはなかったが、右肩が抉られていた。さっきから痛みが止まらない。
「すまない」
ヴィヴィが呟く。
それでどうやら回復する暇はないのだと理解する。さらに先程唱えていた癒術はおそらく【守鎧】だろう。ヴィヴィの身体をオーラのようなもの包んでいた。
「目の前に集中しよう」
祝詞を使う必要のない僕が左手で【回復球】を放る。連続して使えば意味があるだろうそれもヴィクアを眼前に控えた今、応急処置の意味すら持たない。血を拭き取り、回復細胞をわずかに活性化させただけで、止血してない傷口からはまた血が零れ始めた。
体当たりで体勢を崩したヴィクアが立ち上がり、僕たちに再度襲いかかってくる。僕は変則的な遊戯たる剣の軌道を目で追いつつも弾き、隙をうかがう。
僕が対峙するさなか、ヴィクアめがけて【打蛇弾】を放つヴィヴィ。一発、二発と避けられ、挙句一番威力の高い三発目は片刃剣で弾かれ、体勢を崩した。ヴィクアは遠慮なしに体勢を崩したヴィヴィの腹に蹴りを入れた。それを隙だと勘違いした僕が鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕で片刃剣の刃を破砕しようと目論んだが、その片刃剣が突拍子もない動きで僕の腹を掠った。それを回避しようとしたのが仇。ヴィクアに距離を詰められ、頬を殴られた。が必死に堪えなんとか体勢は崩さなかった。
それも束の間、ヴィクアの矛先はヴィヴィへと向かう。満身創痍の僕とは違ってヴィヴィは軽傷だ。それは姉妹への温情にも見える。もしかしたらそうなのかもしれない。僕への情け容赦ない攻撃を見ると。
だとしたら姉妹喧嘩に巻き込まれた僕は――いや、姉妹喧嘩に自ら介入した僕は情けないことこの上ない。しかもその喧嘩を止められてないんだからさらに格好悪すぎる。もっともそんな体裁なんて端から気にしてないのだけど。
ヴィヴィに向かうヴィクアへと僕は【速球】を放つ。腕の痛さが加味されて大した速度は出ない。いつもの全力の半分程度。牽制になればいい程度だ。しかしヴィクアは見向きもしない。
でもなぜだかヴィクアは方向を変えた。僕も視線でそれを追う。走る気力はもうほとんどなかった。それぐらい疲れていた。
僕の視線の先、アリーがキムナルに強烈な一撃を浴びせようとしている光景が映り、その一撃をヴィクアが止めた。
「邪魔ぁあああああああああああああ!!」
アリーの咆哮が聞こえた。魔充剣に帯びた雷の静電気がアリーの髪を逆立たせ、怒りを体現しているようだった。
アリーの言葉がヴィクアに向けられたものだと理解していても僕の胸に突き刺さる。僕は何も役に立っていない。邪魔してばかりだ。
ヴィクアの足止めすらもできない。アリーの援護すらもできない。コジロウのように立ち回ることもできず、かと言ってディオレスのように傍観を決め込むこともできない。
中途半端に介入して、迷惑かけてばかりだった。
ヴィヴィですら救えてない。
ドンッ! 痛いはずの右手で近くの木の幹を叩いた。すごく痛かった。でもそれだけじゃない――なぜだか胸も痛んだ。
――くそったれ。
走る気すらも起こらなかった自分の身体を奮い立たせた。
動く。
なんだ、まだ動くじゃないか。
僕はまだ救う力を持っているじゃないか。
疲れた? なんだ、それ。
その程度で諦めるなら救いたいなどと思うなよ。
僕の体はまだ動く。
口に溜まった唾と一緒に悔しさを吐き捨てて、僕は走り出した。
***
怒りの雷神と化したアリーの兇刃をヴィクアの戯れる剣が受け止める。その刃を受け止めているヴィクアへとキムナルは疑問を呈する。
「こいつ~、僕の操作が効かないんだよ~! どうしてだと思う~?」
その疑問にヴィクアは坦々と答える。
「おそらく――操作技能を超える操作を受けていたため、抵抗力が一段と高いのだと思われます」
「どういう意味だよ~。分かりにくい~!」
理解ができない、もっと簡潔な説明を要すると言わんばかりにキムナルが命令したところでアリーが【突神雷】を解放する。キムナルが右、ヴィクアが左に回避。離れたせいでヴィクアは答えれず、キムナルの疑問は晴れずにいた。喉に魚の骨が突き刺さったままのような気分にキムナルはイラついてしまう。
ヴィクアを無視してアリーはキムナルに向かう。ヴィクアはキムナルに近づこうとするが、一足先にヴィヴィが阻む。邪魔をするヴィヴィにヴィクアが剣を振るおうとした矢先、僕の放った【速球】がヴィヴィとヴィクアの間を通り抜ける。
ヴィクアが睨んだ先に満身創痍の僕。その睨みに負けじと睨み返し、ようやく僕もヴィヴィに並ぶ。
「どれ、拙者もそろそろ手伝うでござるか」
スケルトンや癒術士系複合職を一掃したコジロウが近づいてきた。
「コジロウ、あんたはいらないわ」
「アリー殿の手伝いは一切しないでござるよ」
コジロウが軽口で返す。
あっそ、とそっぽを向きキムナルに襲いかかるアリーを尻目にコジロウは少し笑いを堪えているようだった。それも束の間、一呼吸で息遣いを整えると、一言。
「ふたりとも、手伝うでござるよ」
再度参戦の意志をあらわにしたコジロウを拒む理由も意味もない。僕は頷き受け入れた。
同じようにヴィヴィも頷いていた。ひとりでなんとかしようと思っていたかつてのヴィヴィと比べると随分素直な、厭味をまったく含んでいない、潔い肯定だった。
「ヒーロー殿、無理はやめるでござるよ」
「ヒーロー、無理はするな」
二重になった労わりの声。お互いが少しムッとしたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。しかし無理をするなと言われても、無理をするしかない。僕が救うと決めたのだから当然だ。
申し訳ないけれど、その労わりの声には応じない。ヴィクアへと駆け出していく。
やれやれと嘆息するコジロウの表情が目に浮かんだ。振り返ったらその表情が見えるのだろう。おそらくヴィヴィも同じような顔をしている。
鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕を左手で握る。いつも右手で握っているせいか妙に違和感があるが、いずれ慣れるはずだ。貫かれた右手は動かすたびに激痛が走り、抉られた右肩も同じく動かすたびに痛い。
「うおおおおっ!」
悲鳴や嗚咽の代わりに雄叫びを上げる。まるで痛みを我慢するように。自分の決意を露にするように。
ヴィクアに近づき、鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕を振るう。両手で握った時よりも、そして右手で握った時よりも不恰好で無様な一撃はいとも容易くヴィクアに避けられる。掠るという可能性さえ皆無。僕の攻撃に合わせてヴィヴィが鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕で突くが軽やかな足取りでヴィクアは回避。だが、その方向には姿無きコジロウが待ち構えている。【潜土竜】だ。
ヴィクアがコジロウの真上を通過した瞬間、コジロウの両手がヴィクアの足を捕まえる。そのまま足を地面へと埋没させ、少し離れたところからコジロウが跳躍して【苦無】を連射。ヴィクアは動かぬ足を軸に身体を捻り無数に投げられた【苦無】の幾許かを避けた。
コジロウは落下の勢いを利用してヴィクアに忍者刀を振り下ろすが変則的な動きの片刃剣が受け止める。
同時に左から僕、右からヴィヴィがそれぞれ距離を詰めていた。コジロウの忍者刀を受け止めた瞬間、ヴィヴィが【怒狐鈍】の重い一撃を放った。埋もれた足が抜け、さらに宙に浮くほどヴィクアが吹き飛ぶ。吹き飛んだ方向には距離を詰めた僕。【戻自在球】で横薙ぎの払い、さらにぶつかった瞬間【毒霧球】へと置換。近距離の微弱な毒がヴィクアの身体を弛緩させ落下。毒霧が晴れる直前、息を止め、ヴィクアへとのしかかったコジロウが体勢を整える。それは忍士には到底見えぬ武術の構えだった。
毒霧が晴れると一呼吸、ヴィクアへと重い拳を振り下ろした。
***
「ハハハ、かっなり苦戦してるな。束縛王子様よ」
完全に傍観者となったディオレスがいらつくキムナルへと話しかける。
「うっさい~。それもこれもお前がこいつの種明かしをしないからだろうぉよ~」
アリーの傍若無人の刃を避けながら、キムナルは怒鳴る。その光景に笑いながらディオレスは言葉を続ける。
「お前のお姫様が言ったとおりだよ。気づいてないのか。これだからろくに勉強してない奴は好きじゃないんだ」
「僕もお前は大嫌いだ~」
「おっと俺は好きじゃないだけであって嫌いとは言ってないんだが――まあそうだな、嫌われ者は黙っておくとしよう」
言葉尻を取ってからかうようにディオレスは告げる。
「いい加減にしろ~。ふざけてるとお前も殺すぞ~」
キムナルの間延びした声がいつもながらマヌケさを助長させる。
「やってみろ」
対してディオレスは挑発的だ。
「そんな状態じゃ到底できっこないだろ」
なにせ、怒りに満ちたアリーにキムナルは苦戦している。
「黙れ~!」
睨みつけるだけでキムナルはディオレスに向かっていったりはしない。今の現状が切羽詰っているというものあるが、キムナルは勝てない喧嘩はしないのだ。
では勝てそうもないアリーと今なぜ戦っているのかと言えば、売られた喧嘩は必ず買うからである。自分の意地とプライドがそれを招いた。
それにすらキムナルは苛立たしさを感じている。さらにアリーがそんなに強くないだろうと過信していたことで、その苛立たしさは増大している。
挙句、そんな状況が焦りを生み、振るう鞭は軌道が読みやすくなっていた。容易くアリーは回避。さらに自分の操作がほとんど効かないという困惑がそれを助長させている。ますます焦ったキムナルの鞭捌きはもはや子どもの遊戯と同じと言っても過言ではなかった。
だからこそアリーは大した危険もなくキムナルの懐に飛び込める。
「ぶちまけろ!! レヴェンティ!」
刀身がブクブクと泡立っていく。攻撃魔法階級4【水泡弾】をその身に宿した証拠だ。剣を振るうたびに泡立っていた刀身から、シャボン玉のような泡がいくつも飛ぶ。そのひとつが近くの樹木に触れる。するとその場で破裂。水圧で樹木を押し潰した。
【水泡弾】の宿ったレヴェンティがキムナルへと襲いかかる。転がりまわるように回避したキムナルだったが、空を切ったレヴェンティから数多の泡が飛散し、そのなかのひとつがキムナルの左肘より下の腕をひしゃげ切る。
荒れ狂うように飛び出る血を【止血】によって止める。キムナルは必死の形相だった。
「ちくしょうがぁぁああああああ!!」
自分よりも隠したのランクに押されている現実を認めたくない一心でキムナルは叫んだ。
「くそっ、くそっ!! くそったれどもぉぉぉぉおおおお!!」
怒り狂ったキムナルは【呼吸止】でアリーの呼吸停止を狙った。窒息死が狙える分、精神疲労も半端なく、さらに尋常ではない集中が必要だった。
キムナルは怒りに身を任せながらも、その技能へと異様な執着を見せていた。
「殺してやる、殺してやる、殺してやるぅうう!!」
執念がキムナルを後押しする。【呼吸止】はアリーへ作用し、アリーの呼吸が止まっていく。一瞬だが辛い表情を見せる。
が――それだけ。
今までと同じようにキムナルに【呼吸止】が持続しているという感覚を与えたまま、アリーは動き出した。まったく息苦しく見えない表情で。
「なんでだぁぁあああああああああ!」
叫ぶキムナルの周りには【水泡弾】が展開していた。
「はじけ飛べ! レヴェンティ!」
アリーの怒号とともに【水泡弾】が破裂し、キムナルを潰さんと襲いかかる。その後ろには【風膨】を宿したレヴェンティを持つアリーがいる。
「ふっ、ざ、け、る、な!」
右手で黒鞭〔無知なる叡智ノースチャレンジ〕をしならせて起こるわずかな風圧で【水泡弾】の軌道をそらす。地面にぶつかった【水泡弾】が破裂。水膜の尖った破片がキムナルにぶつかるも軽傷で済んだ。しかし一息つく暇もない。アリーはそこまで差し迫っていた。
「どうして、僕を狙う~?」
それでもある程度の危機を脱したおかげで若干ながらも冷静になったキムナルが声を荒げ、尋ねた。
「母さんと父親の――リティシア・マーティンとボリネーズ・マーティンの復讐のためよ」
レヴェンティを突き出し、さらに叫ぶ。
「それに、ビネガーおじ様の敵討ちもよ!」
「覚えてないな。奴隷にした奴らは多すぎて~」
レヴェンティを避けつつもそれを聞いたキムナルは笑いながらそう答えた。実は覚えている、そういう口ぶりだった。
「吹き! 飛べっ!」
怒号とともに風膨】が発動。魔充剣を中心に膨れながら広がっていく風がキムナルを襲い、キムナルの体躯は木に激突する。
「痛った~い~」
ぶつかった箇所をこすりながら間抜けな悲鳴をあげるキムナル。
「死ねぇええええええ!」
キムナルの耳に怒号が聞こえた頃にはアリーはキムナルの眼前にいた。そのままキムナルに斬りかかる。
「まあ、待て待て~」
しかし動きを突然俊敏にしたキムナルがその太刀筋を見切り、余裕のある動作でレヴェンティを回避した。
「思い出した、思い出したよ~。てめぇの怒りに歪んだ顔が母親にそっくりだ~」
相変わらずの緩い口調で話すキムナルは、しかしてどこか豹変したようにも見える。
唖然としたアリーを見てキムナルは笑い、一言。
「目の前で僕に殺された父親を見ていた表情にそっくりだ~!」
明らかな挑発だったが、冷静さを失ったアリーには効き目は十分。単調な走りと粗い振りでキムナルに襲いかかる。
怒り任せだが冷静さを保っていた今までのアリーの太刀筋を紙一重で避けていた、もしくは軽傷で抑えていたキムナルが、今のアリーの粗く脆い一振りを避けれないはずがなかった。
さらに避けた際に雄弁な鞭の一振りがアリーの皮膚に痣を作る。
「くっ……」
「あひゃひゃひゃひゃ……てめぇは、復讐に囚われすぎだろ~! 実はそうじゃないように装っているのか知らないけどな~、僕が両親の話をした途端、それかよ~。存外、記憶を忘れることができないなんてのも幸運なんだな~、ヒッハー! 忘れたって言ったけど全てが嘘だ。僕は忘れられないからね、自分がやったこと全部覚えているさ~! どうやってこき使ったかどうやって死んだか、全部覚えている。教えてやろうか、お前の両親とやらがどうやって死んだか~。リティシア・マーティン、ボリネーズ・マーティン、ビネガー・マヨネーゼがどうやって死んだか。もっとも母親については若干語弊があるけどねぇ~。まだセフィロトには刻まれてないからさっ!」
「母さんがまだ生きている?」
「ああ、でも復讐の対象にしていいよ~。あいつはボリネーズを殺したら泣いてばかりで命令を聞いてくれなくなったからね、放っておいたら魔物が拾って行ったよ~」
「あああああああああああっ!」
それがどういう意味を持つのか、想像したくなかったアリーは叫ぶしかなかった。もっともセフィロトに名前が刻まれていない時点でもしかしたらという可能性を想像していたが認めたくなかったのだ。
さらなる激情に身を任せ、突進する。
「ははっ、単調すぎる攻撃は、バカでも避けれる~!」
そう言いつつも、キムナルは保険としてアリーに【足止】を発動!
発動後キムナル自身もアリーへと猛進。動けなくなったアリーを痛めつけるつもりだった。しかし愉悦からかキムナルは重大な事実を忘れていた。
アリーの足が【足止】によって止まる。しかし次の瞬間、加速したアリーがキムナルへと迫っていた。
「なっ……!」
驚愕の声とともにキムナルは忘れていた事実を思い出す。そアリーにはなぜか自分の操作が効かない。
愉悦に浸っていたキムナルはバカでも避けれると揶揄したその突進を間抜けにも喰らってしまう。瞬く間にその事実を思い出して、追撃の突きをわずかに身をそらして回避。それでも右肩に突き刺さり、激痛。
実は激怒に激怒を重ねたアリーの頭は、激情によってむしろ冷静を取り戻していた。突進の途中でアリーはレヴェンティに魔法を宿せるほどに。
キムナルの「単調すぎる攻撃」という言葉によってキムナルがまだ自分に冷静さが戻っていないと判断している、とアリーは判断したのだ。
ゆえに突進の最中にレヴェンティに宿る魔法を解放していた。援護魔法階級3【加速】だった。対象者のあらゆる速度を上昇させるというその魔法の恩恵によってアリーの大地を駆ける速度は上昇。
なぜか効かない【足止】の、それでも若干は存在する硬直時間でさえも【加速】によって短縮。アリーもキムナルでさえも感じない程度の硬直時間を経て、アリーはキムナルへとその兇刃を刺すことに成功していた。
そこにはあらゆる幸運が重なっていた。もし復讐に燃えるアリーに神の恩恵があったとするのならばそれは復讐の女神の恩恵に違いない。
同様にキムナルも幸運だった。アリーが突き刺したレヴェンティには魔法が宿っていなかったからだ。もし何か魔法が宿っていたのなら、突き刺された時点で死が待っている。魔法を解放されれば突き刺されたキムナルに確実に命中していた。
その危険性を回避できたことにキムナルは安堵し、さらに回避に全力を費やす。危機は変わらない。この状態で魔法を宿されたりしたら終わりだ。
キムナルを確実に葬ろうとしたアリーは突き刺さったレヴェンティを力任せに心臓へと振り切ろうとする。心臓に刺してから魔法を使おうという算段だろう。
それに対し、キムナルは【腕止】の連続発動で対抗していた。効かないとはいえ、わずかに硬直はする。それを理解しての連続発動。発動と解除を繰り返し、レヴェンティの侵攻を防ぐ。同時にキムナルは粘るアリーを何度も蹴り、レヴェンティごとアリーを遠くへと追いやる。
なんとか振り切ったがキムナルもまた右肩より下を失っていた。
それでも危機を脱したキムナルは、ふと奴隷の様子を窺った。キムナルの目に映ったのはヴィクアへと鉄拳を振り下ろすコジロウの姿だった。
「何、やってんだぁあああああああああああ!」
いつもらしからぬヴィクアの姿を見てキムナルは怒りに声を荒げた。




