楽園
2.
「ディオレス! 僕の楽園に何用だ~! 土足で踏み込むなよぉ~」
間延びした声でどことなく真剣さに欠けるキムナルの声が騒乱のなかで響く。
「残念。俺の流儀じゃ楽園には土足で踏み込んでいいだよ! そして俺はお前に用はない。俺の子分がお前の手下に用があるんだよ。お呼びじゃね~んだ、お坊ちゃま」
「黙れ。じゃ~、この女はなんだよ~!」
アリーがキムナルの喋りを邪魔するように切りかかり、それを辛うじて避けながら、ディオレスと会話を続ける。
「アリーは仕方ない。……因縁を作ったのはお前だから必然だろうよ」
「知らないけど~」
「因縁ってのは知らぬ間にできてるものだぜ。だからお前は世間知らずなんだよ」
「黙れよ~、何が分かるってんだい~!」
キムナルの持つ黒鞭〔無知なる叡智ノースチャレンジ〕が地面を抉り、激昂するアリーの行く手を阻む。
「も~、なんなんだよ。こいつ~」
お気楽な声色でキムナルは愚痴りつつ、おぞましき殺気で襲いかかるアリーを必死にあしらう。
「なっ、なんだよぉ~。この強さ。ディオレス! こいつホントォにランク3かよぉ~!」
キムナルがアリーをランク3だと断定したのは、ディオレスがランク5で、次に受ける鮮血の三角陣はランク3が3人必要だからだろう。
「ご察しの通りランク3だよ。俺は不必要な仲間は作らない主義だ! けどてめぇが苦戦してるのはランク5のくせに、そっちのランク4の隷姫よりレベルが低いせいだろ」
「ふざけんなぁ!」
「で俺と話してていいのかよ」
アリーのレヴェンティがキムナルの背後から強襲。髪の毛数本を切断されるが回避。同時にもう一本のレヴェンティが襲いかかる。それは【同身】によって増やしたもの。
「うががが~」
不恰好に黒鞭を振るい、レヴェンティを絡めとる。
「甘いわよっ!」
【同身】を解放したことで、絡めとられたレヴェンティが消え、代わりにアリーがふたりとなる。
増えたアリーがキムナルの腹を蹴り、アリーがレヴェンティを振り上げ、跳躍。
「死に腐れ! 【猛毒酸】ッ!」
レヴェンティへと宿った援護魔法階級3【猛毒酸】が斬るものすべてを毒で蝕み酸で溶かす。不本意に盾で防御したり、武器ではじいたりすれば溶かされてしまう兇刃をキムナルは避けるしかないのだが、体勢を崩されたキムナルにそれは難しかった。
兇刃がキムナルの肌を切り裂く寸前、現れたのは、ずっと様子を窺っていたW9の首輪がついた女性。
「キムナルは殺させないっ」
振り下ろされたレヴェンティを彼女は青銅杖〔無慈悲のレヴィーナ〕で受け止める。
溶かされるはずの青銅杖はしかしてレヴェンティの酸に溶かされることはなかった。ぶつかりあったふたつの武器の間から煙。
「【塩基】で杖を包んだのね」
アリーは一瞬で理解する。
レヴェンティを受け止める寸前、【猛毒酸】の性質を理解した女性は癒術【塩基】を発動。【猛毒酸】の持つ酸性をアルカリ性で中性へと変換したのだ。結果、酸に含まれる猛毒すらも無効化する。
「この女のほうが強いわね。そこの下衆より」
吐き捨ててアリーはわずかに後退。
「フォローが遅い~」
愚痴を零すキムナルがその女を黒鞭で叩く。
「申し訳ございません」
「隷姫がようやく参戦ってわけか」
ディオレスの言葉を聞いて目の前の女性が九本指だと思いだすアリー。名前は確かヴィクトーリア・リネス・アズナリ・ゴーウェン・ヴィスカット。
長ったらしい名前ね、アリーは蛇足的に呟いた。
「ディオレス、あんたも手伝いなさい」
振り向かず、アリーは言う。
「師匠を敬わない弟子を手伝う趣味はない。もちろんお前の私怨を支援する趣味もな」
「寒いこと言ってんじゃないわよ、ゲス」
「多少は俺を褒めろ。褒めて伸びるタイプの人間だぞ、俺」
「知るか。いいから手伝え」
「無理。だってそれ俺の仕事じゃねぇーし」
「いい加減に――」
堪忍袋の緒が切れたアリーはそこでようやくディオレスのほうへと振り返り、後ろからやってくるふたりに気づく。
「だから言ったろ、俺の仕事じゃない。俺はお前を止めるとか言いつつ何もしない、つまり有言不実行が今回の仕事なんだよ」
適当を言っているディオレスをレシュリーとヴィヴィが通り抜ける。
「あとは任せたぜ、ヒーロー」
レシュリーは頷き、アリーの横へと辿り着く。
「あの女は任せていい?」
アリーの問いにヴィヴィが答える。
「もとよりそのつもりです」
「じゃ、任せたわ」
優しい声で呟いた後、一転、
「私はあいつをぶっ殺す」
殺意に満ちた声が続いた。
何か声をかけようとしたレシュリーだったがその殺意を宥める言葉を持っていなかった。
「ヒーロー、彼女が心配かもしれないが、私たちはまず私たちができることを」
ヴィヴィがレシュリーを諭すように言葉を紡ぐ。
レシュリーが頷くとヴィヴィが言葉を続ける。しかしそれはレシュに、ではなく前方の隷姫に対してだった。
「姉上。今助けます」
呼吸を整えたヴィヴィは鉄杖〔慈悲深くレヴィーヂ〕を強く握りしめ、走り出した。
***
同時に僕も走り出す。アリーの様子を見つつ、ヴィヴィの横へと並ぶ。
それをヴィヴィがちらりと見たのに気づいた。
「大丈夫。どっちも援護するから」
口から出た言葉は言い訳しているようで見苦しい。何にせよ、アリーひとりではキムナルは難しいように思えた。もちろん経験、実力ともに僕のほうが下ではあるのだけど。
「頼んだよ」
ヴィヴィにしては柔らかい口調で念を押された。
「分かってる」
ヴィヴィがさらに速度をあげ、姉上とやらに向かっていく。
強く前方に押し出す【馬蛮伴】がヴィヴィ曰く姉上、世間曰く隷姫――ヴィクトーリア・リネス・アズナリ・ゴーウェン・ヴィスカットへと襲いかかる。
それをヴィクトーリア――ヴィクアは掌で受け流し、青銅杖〔無慈悲のレヴィーナ〕で【豹流々々雨】を繰り出す。暴風雨のごとく降り注ぐ乱打、連続なぎ払いが人間の限界を超えた動きでヴィヴィに襲いかかる。僕はその連撃のひとつに合わせて叩き落す。両手で振り上げた鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕を思いっきり青銅杖〔無慈悲のレヴィーナ〕へとぶつけたのだ。
ピンポイントに直撃させた僕の攻撃に驚き、わずかに隙を見せたヴィクアにヴィヴィの強烈な一打。ヴィクアは腹を抉られる。
「あのゲスに従うのはもうやめてください、姉上」
理解ができないと言いたいのか苦悶の表情を見せるヴィヴィ。それはヴィヴィがここに来て以来、問いかけていた問いだった。
血反吐を出し、しかしそれを無言で見据えるヴィクア。何も語ることはないと言わんばかりに突進してくる。ヴィヴィの質問にヴィクアはいつも答えをくれない。突進と同時に聞こえてきたのは癒術の祝詞。
「王冠からベートを通り理解へ。理解から再びベートを通り、王冠へと戻り発現! わが身を守れ! 【防御壁】」
追撃を与えるべく動いていた僕と、突進するヴィクアの前に【防御壁】が現れているはず――と僕は予想。破壊しようと薙ぎ払ったものの、予想では展開しているはずの壁にぶち当たることなく、ヴィクアの体へと届く。予想外の出来事に戸惑う僕の動きが制限されていたのか、ヴィクアはすんなりと僕の攻撃を防ぎ、僕の腹に強烈な蹴りを放つ。僕は後ろへとよろめき――壁にぶちあたった。
……こんなところに壁? 疑問が生まれるが、すぐに解決する。【防御壁】だ。【防御壁】を自身の防衛にではなく、僕の退路を塞ぐものとして使ったのだ。その数瞬の理解が命取り。ヴィクアは眼前にいた。
何かで防御する暇もなく、【打蛇弾】の三連打が放たれた。ダと擬音を奏でて頬に、さらに同じ擬音で右腿に、最後は調子良くダンと腹に、命中した。
しかも最後の一撃と同時に【防御壁】を解除し、後ろにいたヴィヴィまで巻き込んだ。
***
「びゃああああああ!!」
腰を抜かし倒れるキムナル。がそんな様子に当然情けをかけるアリーではない。
「焼け死ね! レヴェンティ!」
理性を失ったかのように吼えるアリーは振り上げたレヴェンティに【超火炎弾】を宿す。そのまま灼熱を帯びた魔充剣をキムナルめがけて振り下ろす。
「ヒヒッ!」
同時に、奇怪な笑い声がキムナルから聞こえると、アリーの腕は硬直する。魔充剣がキムナルの直前で止まり、動かすことができなくなった。
「ヒハハッ!」
そのまま、キムナルは鞭を振るった。衣服が破れ、柔肌が見えたがアリーは大して気にしてはいなかった。動かぬ腕を放置してアリーはキムナルを蹴り飛ばす。
灼熱の太刀を寸前でとめたことに満足したキムナルの慢心を狙ったのだ。しかしアリーの腕はまだ動かない。それは操士の技能、操作のひとつ【腕止】によるものだった。慢心し周囲の注意が疎かになっていたキムナルだったが、その技能を解かなかった。
「さ~て、次はどの部位を停止してほしい~のかな?」
「うっさいわよ」
「決まり。次はその唇だね」
「やってみ――ッ!」
挑発は最後まで言わせてもらえず、アリーの口は閉じたまま開かない。【口止】によって唇の動きを封じられたのだ。
「ヒハハ! いいざま~!」
キムナルはアリーを蹴飛ばし、バク転しておどけてみせる。立ち上がりを狙いキムナルはアリーに容赦なく鞭を振るう。
「ヒハッ! なすすべもないでしょ~!」
「そんなことはないわよ」
アリーの声が後ろに聞こえた。
「なんで?」
キムナルは疑問の声を零しながらも、【同身】を使ったのだと理解する。放剣士だったら無詠唱でそれを使うことが可能だ、と答えを導き出す。しかしだとすれば【同身】で生まれたものも操作の影響を受けるはずだと再思考。
後ろに現れたアリーが忍者刀〔仇討ちムサシ〕でキムナルの腕を切りつける。咄嗟に避けたキムナルだったが、その冷酷な太刀筋は右手から右ひじまでを傷つける。切断はなんとか回避したが、その痛さにキムナルは転げまわった。
同時に集中も切れ、アリーが操作から解放される。
「余計なお世話よ、コジロウ」
キムナルを切りつけたもうひとりのアリーに向けて、アリーが言葉を投げた。
「そうでござったか」
アリーの姿のまま、コジロウは答える。才覚〈中性〉によってコジロウはいかなる容姿にも変身できる。特殊な皮膚は衣服の繊維すらも表現していた。とはいえ、本物のアリーは防具が破損していて、それは細部まで再現されていない。よく見ていればキムナルも、それが【同身】ではないと理解できたはずだった。
「なんにしろ、大した技能ね、その【変装】は」
〈中性〉だとばらさないためにアリーは特に【変装】の部分を強調した。ちょっとわざとらしい。
「ふざけやがってぇ~。ランク3のくせに【変装】を習得してるだと。経験の無駄遣いも大概にしろ」
「――その無駄遣いにおぬしはやられたと認識するでござるが」
「黙れよ~。もう怒ったね~。遊びは終わり。全部操作してなぶってやるよ」
「コジロウ、あんたは邪魔よ。ひとりでやるわ」
「やれやれ……分かったでござる」
【潜土竜】で地面に消えていくコジロウ。また何かあれば飛び出してくるかもしれない。
「ひとりで~、僕と、戦う~? 無駄無駄無駄」
アリーの右手が、唇が、両足が、腹が硬直する。
「ははっ、死ねぇ~」
アリーへと飛び出し、鞭を振るうキムナル。動きを止められたアリーだったが、唐突にその右手が動いた。
「あら――? 動くじゃない!」
予想外な言葉とともに、アリーはレヴェンティでキムナルを切りつけた。
人操士のキムナルは盗技【止血】で溢れ出る血を止めた。人操士の副職は盗士のため多少は盗技が使えた。
「なんで動く~?」
「知らないわよ。あんたがきちんと使えてないだけじゃないの?」
キムナルの疑問にアリーは本当に知らないと言ったふうに答えた。
「そんなはずはないね~。僕の操作は完璧だ~」
キムナルは自分の操作技能を解除する感覚を自身で認識する。それはつまり先程までアリーに操作は通用していたという証明。
違和感を払拭するように再度【腕止】を使用する。アリーの右腕が硬直したのを視認。成功したという感覚も認識。確かに操作は成功していた。
――なのに、アリーの右腕はわずかな硬直後、動き出す。キムナルに解除した感覚はない。疑問符が頭に浮かぶ。
「ディオレス! なんなんだ、こいつっ!」
困惑したキムナルは敵対してもなお傍観しかしないディオレスに懇願するように尋ねた。
「さあてね。俺は答えを知っているけど教えないよ。解答を見なきゃ戦えないってすごくつまんねぇし」
ただ立ち尽くし、なんら助言を与えないディオレス。もとより敵対しているので教えるつもりはない。
「ふざけんなぁ~。僕の操作に不可能はないんだ~! とっとと種を明かせ! 僕を勝たせろ!」
「黙殺しろ! レヴェンティ!」
黙れといわんばかりにレヴェンティに【突神雷】を宿したアリーはキムナルに突進する。キムナルには【腕止】を使用している感覚があるため、困惑していた。
アリーが放つ雷の兇刃を受け止めたのは、またしてもヴィクアだった。しかも杖ではなく、片刃剣で。
時は少し遡る。




