空中庭園編-39 土下
39
観客が、僅かに戸惑いの表情を見せながら去り、公卿眉が喜びながら、赤坂と護衛とともに去っても、司会者が控え室に消えても、コエンマ――田中弧閻魔は土下座したまま、頭を上げない。
公卿眉の後ろに控えていたから、ちょうどレシュリーと対面したかたちのそれは、恰も、いや、まさにレシュリーへの謝罪も兼ねていた。
「顔を上げなよ」
「それはできないでやんす。あっしはお天道様にもアニキにも顔向けできないでやんす」
「誰……あれ?」
ぞんざいにあれ扱いしたのはアリーだ。アリーにとっては、いやアリーに限らずレシュリーの募集に集まった仲間たちは誰も弧閻魔の存在を知らない。
「アカサカさんの話にもでてきたけど、掻い摘んで話すと、果し合いをすれば、生贄をとめれるって教えてくれた人かな」
「つまり、あの眉毛の少女が首謀者で、このアホ面が主犯格みたいなもの?」
「悪者みたいに言えば……そうかな」
「だからあっしは顔向けできないでやんす」
弧閻魔にも悪いことをした、という自覚はあったらしい。
「だから顔向けできるよ。コエンマが、マユ? って子の命令に従ったのは、サイトウの奥さんを本当に助けたかったからだろ?」
「そ、そうでやんすが……」
「だったら僕は気にしない。僕だってアリーを助ける万策が尽きて、そんな提案をされたら乗っかるよ」
「真に悪いのは、レシュリーが来るから果し合いをしろとそそのかした御仁でござるな」
「そういうこと。だからコエンマは気にしなくていい。むしろ、サイトウの奥さんが助かった。そのことを喜べばいいよ」
「けど……それじゃああっしの気持ちが収まらないでやんす」
そう言って弧閻魔はわずかに頭を上げる。ごくわずか。地面を這う程度。
そうして弧閻魔はとあるものを見つける。
「せめて、これが……これがあっしの最大の謝罪でやんす!」
言って弧閻魔はレシュリーに目線を合わせないまま、見つけたとあるものへと向かって走り出す。
そして跳躍!
ずぼっ!
と顔をはめて、土下座の姿勢。
弧閻魔が見つけたのはレシュリーが地面に空けた穴。
そこに頭をはめて、
「申し訳ございやんした!」
もうひとつの、つながっている穴から、そんな声が聞こえた。
呆れるしかない。
弧閻魔が謝罪の誠意を示そうと使った超跳躍土下座は、大陸ではなじみのないものだ。
それが空中庭園の最大の謝罪だとしても、レシュリーに通じるはずがない。
穴に顔を埋めたのは、自分は土よりももっと下の存在であるというアピールだった。
「分かった、分かったからもういいよ」
その姿が、滑稽すぎて申し訳なくなったレシュリーはそう言って弧閻魔を引き上げる。
「許してくれるでやんすか……アニキ……」
「許すも何も、僕は怒ってなんかない」
「アニキ……」
弧閻魔はじゅわっ、と涙を流した。
レシュリーを騙した罪悪感が氷解し、流れ出したように。
思わず抱きつこうとした弧閻魔だったが、レシュリーはさすがにそれはと思って避けてしまっていた。
眉のときとは違い、男同士というのはなんか違う気がしたのだ。
「それはないでやんすよ~」
「こっちの台詞だよ。いいから早くサイトウの奥さんのところに行ってきなよ」
「それは少し待ってくれ」
そう言って現れたのは斉藤だった。
「控え室ですべて見ていた。こいつに果し合いを提案したのは弧閻魔だったのだな……」
「そ、そうでやんす。でもあっしは……」
「分かっている。すべて見ていたと言っただろう、公卿様がお前にそうしろと提案したことも分かっている。それに……お前が、俺の妻を助けようとしてくれたことも」
「……」
「感謝はしている、一応な。妻は……文代は死なずに済むのだから。だが、どうしてお前は俺の妻を助けようとした? 俺にはその理由が分からない」
「……御握りをもらったでやんす」
「は?」
「文代さんには御握りをもらったでやんす。あっしが空腹で死にかけていたとき、御握りをもらったでやんす!」
「……そうか。それで、そんなことで……こんな結末に繋がるのだな」
それがなければ、弧閻魔は文代を助けようとしなかったかもしれない。文代の善意が文代自身を救う結果に繋がったのだ。
わずかに斉藤は苦笑したあと、弧閻魔にこう尋ねた。
「ところで文代の飯は美味かったか?」
「……」
その問いに弧閻魔はわずかに躊躇う。
「遠慮は要らん。正直に答えろ」
「すぅうううごく、不味かったでやんす」
「……そうなんだよ。文代は料理があまり得意じゃあない。今はまだマシだがな」
「でも、あの時の御握りは美味く感じたでやんす」
「ははは、そうか」
お世辞でも斉藤にとっては嬉しいことだった。
「俺も、また文代の不味い飯が食べれるんだと思うと嬉しいよ……」
微笑したあと、斉藤はレシュリーへと向き直る。
「お前にも感謝している。微力ながらヤマタノオロチを倒すときは協力したいと思う。だが、どこかに怖れがある。こればっかりはどうしようもない」
「それは仕方がないのかもね。今まで生贄を捧げるしか助かる道はないって、そういうふうに教え込まれて恐怖を刻まれてきたんだから」
「だとしても、打ち克ち、戦いたいと思っている。何より、これは空中庭園の問題だ。任せっきりとはいかない」
「うん。分かった。確かにそうだね。じゃあお願いするよ」
約束を取りつけると斉藤は控え室へと戻っていった。
「じゃあ帰ろうか」
全てを終えて、レシュリーはアリーたちにそう告げた。
***
「ごめんなさい」
弁当を持ってきたはずの文代は、手ぶらで斉藤一の前に現れてそう言った。
ご飯は不味――あまり美味しくないが、それでも日々向上しているし、甲斐甲斐しく弁当を持ってくれている文代を斉藤一は嬉しく思っていた。
今日も実験体のように文代のご飯を食べようと思っていた矢先、斉藤一は文代に謝られたのだ。
「どうした? 弁当を作り忘れたなら、いちいち謝らなくてもいい。別に作ってくるのは義務ではないんだから」
「そうじゃないの。作ってはきたんだけど、別の人にあげちゃったのよ」
「どういうことだ?」
「ここに来る途中に、おなかをすかしてる子どもがいてね……おなかが空いたでやんす~、なんて泣いているものだから、かわいそうになってあげちゃった」
「……なんだ、そういうことか。別にいいんじゃないか?」
「けど、あの子、喜んでくれたのかしら? 私の料理ってアレだからきちんと食べてくれたか心配だわ」
「見に行ってみればいいじゃないか」
「イヤよ……なんだか恐いもん」
「なら、俺と行ってみるか? その場所につれていけ」
文代が小さく頷き、斉藤は手を繋いでその場所へと赴いた。
けれどその子どもはもういなかった。
あったのは文代がいつも使っている竹で編んだお弁当箱。
「感想はどうあれ、きちんと食べてはくれたようだな」
「感想はどうあれって、なんかとげのある言い方ね」
「とげも何も、お前だって自覚しているし、事実だろう」
お前の料理は不味い、そう言って斉藤は笑った。
けれどそれが愛おしくもある、とは言えなかったけれど。
それはかつての光景。遠い思い出。
けれどそれが、弧閻魔を突き動かし、レシュリーたちへと繋がった。
そうして文代の命は助かり、斉藤一自身の心もどこか救われたのだ。




