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tenth  作者: 大友 鎬
第7章 放浪の旅
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空中庭園編-38 公卿

38


「ワシらは果し合いに負けた。負けた以上、従わねばならん。古来からワシらが果し合いの約束事を違えたことがあったか?」

 伝統に縛られた人間にとって、これほど重い言葉はなかった。

 とはいえ、若い世代ほど伝統の重さについての認識は軽い。

「けど……」

「でも……」

 不満を表すように何かを言いたげなものもいる。

「文句を言ったところで始まりはせん。この約束を無効にするための果し合いができるのは2ヵ月後。その頃には空中庭園は滅んでおるぞ」

「だったら……」

「ここで小僧ら、外界の冒険者を倒せばとでも言うつもりか? 確かに疲弊した小僧らなら、お主らが全員で戦えば倒せるかもしれん。それも一興」

 アカサカさんの煽るような言葉に、不満を持つ者の目の色が変わる。

 アカサカさんが止めるつもりがないのなら、やってやる。

 そんな想いが募っていた。

 僕はアカサカさんの言葉を聞いても、構えることはしなかった。

 これ以上荒立てるつもりはなかったし、それに

「だが、争技場のシステムは切っておる。下手すれば死ぬぞ」

 アカサカさんはそう付け加えていた。

 僕たちが負けたら容赦ないとコエンマが言ってたけど、裏を返せば僕たちが勝った場合は潔いのかもしれない。

 起こりうるケースに対してアカサカさんはきちんと対処していてくれた。

 アカサカさんの言葉に、全員が戦意を失っていた。

 誰もが死にたくないと思ってしまったのだろう。

 そもそも、贄の泉への生贄さえ、死にたくない願望の表れだ。

 争技場のシステムもそう。

 だから死ぬかもしれないと思うと手が出ない。

 アカサカさんはその性質、民性を理解していた。

「文句はないようじゃな。果し合いの約束により、贄の泉への生贄を禁じる」

「ああ……」

 誰かが涙した。僕には涙の理由が分からない。

 アカサカさんも滅んでいる、とかなんとか言っていたけど、それだって……

「あの、何か勘違……」

 僕が言葉を紡ごうとしたとき、

「無効! この果し合いは無効やな!」

 数人の護衛をつれて煌びやかな衣装の女性が入ってきた。

 入ってきた瞬間、観客にアカサカさん、護衛までもが両脚を地面につき、腰を折り、頭を下げた。

 けれど僕にはそんな異様な光景よりも、後ろにいた、同じ姿勢をしたコエンマの姿のほうが気になった。


 ***


「無礼なやつやな。これだから"まなあ"を知らん外界の野蛮人はイヤなのじゃ」

 レシュリーの前に現れた、クゲ・マユは誰にも聞こえないようにそうぼやく。

 貴族の前では庭園でいうところの土下座をし、顔を見てはいけないとされている。

 ただ、それは庭園での"まなあ"――礼儀というもので、大陸に住む人間には通じない。

「失礼ながら、公卿様。無効とはどういうことでございますかな?」

 赤坂は土下座しながら声だけを張り上げて、問いかける。

「そのままの意味、やな!」

「そのままの意味と申しますと果し合いを無効だということですか?」

「さては馬と鹿の区別もつかないんやな? その通りに決まっておる」

「ですが、その権限は何者にも与えられておられませぬ。眉様、あなた様のお父上ですら果し合いを無効にする権利はお持ちになっていないのです」

 マユ・クゲ――公卿眉の父、ミツオウ・クゲ(公卿光皇)は、雅京の貴族を取り仕切る貴族のトップだ。

 果たし状が作られた経緯が、ある意味、下克上の文化から来ているため、いかにトップであれ、それを無効にする権限を与えないことにしている。

 受けてしまった以上、果し合いは行われ、その後の約束は絶対であるのだ。

「お黙るんやな。きっと"ばば"上もお許しになるに決まっておろうが」

 眉は断言する。

「……なぜ、そのようにお考えで?」

 わずかに黙考し、赤坂は問いかけた。

「……理由などないんやな!」

 きっぱりと眉は言い切った。

「……僭越ながら、ワシとそなたの父上様は旧知の間柄。付き合いの長さで言えばワシのほうが、眉様とは長うございます」

「何が言いたいんやな?」

「おそらくですが、父上様は無効にはしませぬ。この先、絶望が待っていおうとも」

「なぜやな?」

「あなたの父上様が、果し合いの仕組みを作ったからでございます。そこで父上様は果し合いが果たされたあと何者にも不可侵とする規約を定めたのです」

「な、な、な……」

 眉は、自分の父上の成したことを知らない。

 眉こそ貴族ではない人間に傲慢であれ、光皇は誰隔てなく接している。

 その優しすぎる態度が、子育てに失敗し、眉をわがままな子に育てたのだがそれは別の話。

「それに……果し合いシステムを、その後ろのわっぱを使って外界の小僧に教えたのは、そもそもあなたでございましょう」

 次に出た言葉は驚くべきことだった。

「な、な、な……」

 しかも眉の態度がその言葉が真実だと裏付けていた。

「どうしてこのようなことを? この事態は、絶望の未来はあなたが招いたようなもの」

「……死にとうなかった」

 眉は父親に叱られた幼子のように弱々しくそう答えた。

「闘球専士の妻を生贄にすると聞いて、わらわは現実を知ったのやな」

「と言いますと?」

「闘球専士の家族は免除されるはず。なのに選ばれた。ならばわらわだっていつか生贄にされてしまうはずじゃ。"ぱぱ"上は反対したとしても、"ぱぱ"上がトップだとしても選ぶ際は多数決じゃから、死にたくないほかの貴族のジジイどもは、わらわをも犠牲にするに決まっておる」

「だから外界からきた冒険者を利用した、と。果し合いで冒険者が負ければ外界から生贄を用意できるとそう考えたのだな……」

「正確には、そう提案されたんやな。もうすぐ外界から冒険者が来るからそやつらを利用して、生贄を用意すればいい、と」

「誰が、そのような甘言を?」

「分からぬ。分からぬが、死ぬのがイヤじゃったわらわには縋るしかなかったのやな……それがこのような事態になるとは……」

「なってしまったものを悔やんでも仕方ありますまい」

「では、わらわは……それに空中庭園はどうなるのじゃ……」

「どうにもなりますまい。いずれ滅ぶのを待つだけじゃ」

「やっぱり勘違いしてるよ」

 失意に沈むレシュリーは呆れていた。

 どうしてそこまで負の思考ができるのか。

 レシュリーを勝手に滅びの原因を作った悪者のようにして、勝手に死ぬことを想像して、どんどん話を進めていって。

 それで失意に沈み、絶望に浸る。

 そこまでされたら正直、達人芸のような気がして、声も出ない。

 でも出さなければならない。勘違いだと主張せねばならない。

「何が勘違いだと言うんじゃ?」

 土下座の姿勢のまま、顔だけを振り向かせて赤坂が問う。

「この空中庭園が滅ぶというところかな」

 あっけらかんと言うレシュリーを赤坂は鼻で哂った。

「何を申すか、小僧。お前が生贄を捧げることを禁じたのじゃぞ、だとしたらヤマタノオロチは復活する」

「だから、滅ぶ? どうしてそう結論をつけるんだよ? 生贄を捧げ始めた理由が、ヤマタノオロチに滅ぼされかけたっていうのは知ってる。だから復活してしまえば今度こそ滅んでしまうかもしれない」

「……」

 赤坂は押し黙り、何も主張しない。その様子を公卿眉がオドオドして見ている。

「でも滅んでしまうかもしれないだけだ。諦めるにはまだ早い」

「どうしてそう言える?」

「僕は果し合いをすると決めたときから、ヤマタノオロチを倒すと決めていた」

「勝てるはずがない。闘球専士とは段違いなのだぞ?」

「そんなことは知ってる。でもやってみないと分からない」

 何のためらいもなくレシュリーは言った。

 言い切った。

「それは……本当やな?」

 驚いたように公卿眉は言った。

「もともと、果し合いしたのはサイトウの奥さんを救うためだけだったから。それじゃあ根本的解決にならないでしょ? 僕がヤマタノオロチを倒すよ。倒してみせる」

「呆れた小僧だ……」

 それだけ言うと赤坂はうっすらと笑った。

「そんなことだろうと思ったわ」

 アリーが平然と言ってのけた。

「まあ、そこまでしてやっと救ったことになるんでござろうな」

 コジロウも分かりきっていたと言わんばかりだ。

「ならば、ならば、わらわは未来永劫、天寿を全うするまで死なんでよいのやな?」

 レシュリーに近づいて、公卿眉は問いかえる。

「まあ、そうなるね」

「うわあああああああああああい!」

 無邪気に抱きついて、眉は喜びを露にする。

「ちょ……困る……んだけど」

 対処に困ってレシュリーは苦笑。助けを求めるようにアリーを見ると、呆れたあと……近づいて引き離した。

「何をするんやな」

「黙りなさい」

 アリーの恫喝に眉は一瞬で縮こまり、土下座したまま様子を見ていた赤坂を壁にするように隠れた。

「ははは……」

「何笑ってんのよ。あんたが助けろって言ったじゃない」

 そんななか、周囲の観客は事態が飲み込めず、硬直していた。

「聞け。皆のものよ!」

 いつの間にかアリーの恐怖から脱却した公卿眉がふんぞり返って言う。

「果し合いにより、生贄を捧げることは禁止する! けど安心するんやな! ヤマタノオロチが復活しても、そこの(おのこ)が倒すと宣言したのやな! これで空中庭園も安泰じゃ!」

 その宣言に観客はあまり見向きもしない。

「なんじゃ……あんまり盛り上がっておらんの……」

「そういうものでしょう」

 本当に倒せるのかどうか疑わしいのだろう。

 公卿眉は幼いがゆえに純粋に言葉を信じたが、生贄を捧げ続けて生きていた成熟した面々にはその言葉が世迷言のようにしか写らないのだ。

「ですが、希望の萌芽は芽吹きました」

 赤坂は自分のなかに僅かに芽生えた希望が現実となることを祈って、無礼ながらも眉の顔を見てはっきりとそう告げた。

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