空中庭園編-36 単騎
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「甘っちょろいからだよ」
僕は言った。
争技場にはある特殊な仕掛けがある。
僕は果し合いを申し込んだとき、そんな仕掛けがあることなど知りもしなかったし、そのルールが争技場の壁の張り紙に書いてあったとしても到底信じられなかった。
争技場では人は死なない。
戦闘不能――つまり戦闘できる意志がなくなったとき、争技場にいる人間は、控え室に転移される。
そんな仕組みがあった。
だから最初に【蜘蛛巣球】に捕らえられたベベジーたちはすぐに控え室に転移されていた。
通常の【蜘蛛巣球】ならそんなことはなかったのだろうけれど、数人による何重もの【蜘蛛巣球】は身動きが数分間取れないものだったからそれで戦闘不能と見做されたのだろう。
「誰も死なないような場所で戦うあなたたちが命がけで戦う僕たちに敵うわけがない」
僕たちはときに命だって捨てる。それで僕はアリーに怒られるのだけれど、それはこの際置いておくとして。
「贄の泉に簡単に他人の命を捨てるくせに、見世物としての自分たちは命を捨てることができない。そこに覚悟もへったくれもあるわけがない」
伝統だのなんだの、なんだかんだ口上を述べたってサイトウたちは命を賭けて戦ってない。
「違う。少なくとも俺は……」
サイトウはそうなのかもしれない。
「だとしても、結果は見ての通りだよ」
他の人はどうだろうか。死なない状況で戦うと知っていればどこか安心感がまとわりつく。
その安心感がどこか負けてもいいという雰囲気を作っていたのではないのか。
そんなわけがないのに。
「さっさと終わらせるよ、僕はこの伝統をぶち壊す!」
もしかしたら、闘球専士のなかにはこの伝統が終わって欲しいと思っていた人もいるのかもしれない。
立場上、そう言えなくても。
見世物である、そして男である自分たちは死ねず、家族である女たちが次々と犠牲になっていく。
そんな状況を延々と耐え抜けるわけがない。
それは僕の勝手な推測だけど、僕だってアリーを失うと分かれば、平然といれるわけがないのだ。
それでも伝統に縛られて、やむなしと今の現状を受け入れている者もいるかもしれない。
そんな人間が、伝統を守るために本気を出せるはずがない。
果たして、サイトウも本気、全力なのか。
正直言ってそれも疑わしい。
どこかに迷い、葛藤を持ち、救いを求めているのなら、本気なんて出せない。
そんな気持ちが蔓延、周囲に感染して、この状況を作り出した、と僕は思っている。
「認めん。俺は認めん!」
サイトウの悲壮な叫び。
何もかもが否定された、そんな気分を味わっていた。
僕めがけて走り出すサイトウの前に、アリーが、アルが、ルルルカが駆け出し、ムジカが詠唱を始める。
「手出しはしなくていいよ。ここからは一騎討ちだ」
意地を張るように僕は言う。
No.1のサイトウを僕ひとりが粉砕すれば全員が納得する、そんな気がした。
全員というのは今も野次を飛ばす観客のことだ。
僕に向けられる罵詈雑言、サイトウに向けられる嘆願。
死ね、頑張れ、やられるな、全滅しろ、倒せ、殺せ、色んな感情が入り混じり、もはや何を言っているのか分からない。
小休止のようにサイトウに言葉を投げかけた途端、集中力が切れたのか、聞こえてきた。
滅入るような言葉ばかりが耳にあざとく入ってくる。
それを遮断するように集中。
サイトウだけを見て、それから気づいたようにアリーを一瞥。
アリーは僕の言葉に呆れていた。いつもの表情、態度、その愛らしい呆れ顔に余計な力が抜ける。
心地良い力加減と極限の集中。
僕はサイトウに向かっていく。
さあ、一騎討ちだ。
速度はサイトウのほうが上。何度見ても脅威の速度。
でも僕はその速度をなんとか捉えていた。
そのまま突撃するようにも見えたサイトウは僕の眼前で消えた――ように見えた。
捉えていなければ消えたように見えたかもしれない。
でも僕はしっかりとサイトウを捉えている。
斜めに小さく跳んだサイトウは僕の横へと瞬く間に移動していた。
僕とサイトウの視線が合う。それだけでサイトウには驚きの表情。僕が対応してくるとは思っていなかったのだ。
不意の一撃で倒そうとしていたサイトウの計画は御破算だけど今更薙ぎった鉄錐棒は止めらない。
僕がサイトウが跳んだ瞬間に向けていた鷹嘴鎚〔白熱せしヴァーレンタイト〕と鉄錐棒がぶつかる。
そのまま払うと、その衝撃を利用してサイトウは大きく跳躍。
ムジカの近くへと着地する。
「キャ」
超速度で着地したサイトウに驚き、やられるのではないかと息を呑むムジカ。
けれどサイトウは無視をして僕へと向かっていく。
一騎討ちを申し出た僕の意見を尊重して、他の仲間に手出しはしないようだった。
「ぬぅん!」
さっきよりも殺気と速度を増したサイトウがまたもや突撃。
眼前で消えるように方向を変えると思いきや、超高速の体当たり。真正面からぶつかってくる。
同じ攻撃はないと読んではいたけど、直撃はまずい。
それでも対応しきれない。
僕へと当たる直前、バリンとガラスを割るように僕の眼前にあった障壁が割れる。
結果威力が減衰し、防御姿勢をとった僕はなんとか耐える。
「卑怯者め……一騎討ちではなかったのか!」
障壁があったことを糾弾するようにサイトウは言う。
「これは一騎討ちする前からあったものだけど?」
僕はあっけらかんと事実を告げる。
ヴィヴィか誰かが使った【防御壁】が解除されず残っていたのだ。
あざとく見つけた僕はそれを利用したまで。正面にいるとまったく見えないが、少しずれるだけで透明のそれは光の屈折で存在感を現す。
サイトウにはそれは見えなかった。いや、周囲を観察できる余裕をなくしていたのかもしれない。
「戯言を……」
サイトウは信じたくないのかぼやく。
「なーんで当たっちゃうかなあ」
「決まれば勝ちだったのによ」
こういうときに限って、そんな声だけが耳に入る。
それは観客の失望のつぶやき、味方の観客が嘘をつくわけがない。
ゆえに事実としてサイトウの胸に突き刺さる。
「それほどまで、余裕がなかったのか……」
サイトウは自嘲した。




