飛空艇編-14 右手
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「どうでもいい女、ですか~」
温和な声、柔和な表情で、モココルはブヒブヒに迫る。
ブヒブヒはその笑顔に恐怖していた。
モココルは静かに怒っていた。それをブヒブヒは感じ取っていたのだ。
ブヒブヒの下劣な妄想や評価がモココルの癪に障っていた。
モココルは躊躇いもなく右手を切断する。
「ミギッテェエエエエエエエエエエ!!」
ブヒブヒが盛大に悲鳴をあげる。それは恋人を失った哀しみだった。
ブヒブヒに特筆すべき技能もない。挫折し引きこもったという冒険者にはよくあるひとりでしかない。
活き活きするアイドル冒険者に憧れ、妄想に逃げ、アイドル冒険者を我が物にしたいという欲求にしたがって、たびたび誘拐を繰り返してきた。毎回、失敗したが。
そのたびに手に入れた映像媒体を肴に欲求とストレスを晴らしていた。
欲求を晴らしてくれたのはいつも彼の右手だ。彼の右手は、彼の望みを知っていた。
それは彼自身が知っていたから他ならないのだが、友達も恋人もいない彼にとって、右手は彼に望みを叶えてくれる恋人に他ならなかった。
そう思いこむことで、妄想することで彼は現実から逃避した。妄想に生きた。
その果てに彼は自分の右手にミギッテという名前をつけた。
その右手が、ミギッテがモココルによって切断されていた。
そのショックは計り知れない。
ブヒブヒは失禁してしまった。異臭にアンモニア臭が加わり、とんでもない悪臭になる。
「ミギッテェエエエエエエエエエエ!! ミギッテェエエエエエエエエエエ!! ミギッテェエエエエエエエエエエ!! ミギッテェエエエエエエエエエエ!!」
喪ってしまった悲しみを埋めるようにブヒブヒは嘆き哀しむ。
ミギッテを拾って頬で摩る。
モココルはトドメを刺すのを忘れるぐらい、その光景にドン引きしてしまう。
「ミギッテェエエエエエエエエエエ!!」
ブヒブヒは狂い叫びモココルへと復讐するかのように突進。その途中で短剣〔睨みつけるゾゾルメル〕を取り出そうとして、握れないことに気づく。
冒険者のほとんどが右利きで、右手を失えば戦う術もなくなってしまう。
そんな常識すら忘れたのは頭に血が昇っていたからか、それとも引きこもっていたからか。
何にせよ、無策で突進だけ繰り出したブヒブヒの結末はもうすでに決まっていた。
死、だ。
モココルに真正面から斬りつけられ、ブヒブヒは死んだ。
ブヒブヒが挫折したひとつの要因は名前にあった。
数年前、貴族の間で流行っていた輝かしき名前。
その流行にのってブヒブヒの名前はつけられた。ブヒブヒの両親はブヒブヒという名前を輝かしき名前と信じて疑わなかった。そんなはずもないのに。
そのままブヒブヒは何の疑問も持たずに成長し、友人に哂われて初めて自分の名前が変だと気づいた。
そうして自分のそばで起こる笑いは自分を嘲っているのだと思いこみ、性格は卑屈になり、友人を失った。
顔も知らぬ親を恨み、意地で見つけ出し寄生した。
お前らが悪いのだと責め立てて。弱みを握って。
それで得たものはなんだろうか、ブヒブヒにはついぞ分からなかった。
存外あっさりとブヒブヒは死んだからだ。
挙句ブヒブヒの死を哀しむものは誰ひとりいなかった。
ブヒブヒの名前がセフィロトの樹に刻まれたとき、寄生されていた両親はむしろ喜んだという。
やっと、死んでくれたと。




